翌朝、ホッチのいない緋色の部屋で目覚めたリードは、少ししょんぼりしながら、自分の部屋と戻った。身を清め、普段着に着替えると、ベッドの上に膝を抱えて座った。小さなテーブルにはアンダーソンが運んでくれた朝食があったが、何となく食べる気にもならず、そのまま置いてある。そして、小さな溜息をついた。
昨夜は、ものすごく幸せだったのに。目が覚めたら魔法が解けていた。そんな感じだった。もちろん自分は緋色の部屋にいて、身体に残る痕跡から、あの時間は実際のリアルなものであることは充分に分かっていた。それなのに、そこはかとなく寂しい。
「僕に・・・魅力がないのかなぁ・・・」
誰に語るわけでもなく、リードはポツンと呟いた。彼は、紳士はキスを教えてくれた。自分の体で、感じる意外なところも教えてくれた。でもそれだけで、抱かれていない。それが、寂しかった。自分は春を鬻ぐのが仕事だ。だから、知識として、自分が果たすべき役割は学んだ。だから、自分はちゃんと覚悟をもって、あの小さなステージに立った。自分を買ってくれたのが、あの紳士であったことが嬉しかった。美丈夫な紳士・・・否、貴族。とはいっても、その肩書きが嬉しかったわけではない。客席から自分を見る瞳に惹かれた。それ故、逆らうこともなく、彼に従ったのだ。もちろん、相手が誰であれ、逆らうことなど許されるわけもなかった。それでも、リードは手を引かれながら、緋色の部屋に行くとき、嬉しかったのだ。理由などなく、それは心の奥底から湧き出てくる想いだった。嬉しくて、自分ができることは何でもしようと思った。体を裂かれる痛みは大きい・・・とは聞いていたが、我慢できると思った。それにも関わらず、まだ自分は彼に真の意味で抱かれていないのだ。ここは娼館だというのに!・・・どう考えても、自分に至らない部分があるとしか思えなかった。それで、自分には、性的な魅力がないのかと、落ち込んでいるのだ。リードは、ゆったりとしたブラウスの胸元を引っ張って、自分の身体を見た。平らな胸。そして、その下には少し肋骨の見える胴。薄い身体だ。
「ああ・・・」
リードは自覚した。いや、思い出したといってもいい。そう。自分は男だったのだ。何故、そんな初歩的なことに気づかなかったのか。柔らかい身体もふくよかな胸も、自分にないのだ。他の娼婦とは違うのだ。娼館では、異質で異形なのだ。昨今、男を抱くことが、一部の間で流行っている。しかし、あの紳士が本当に男を抱くことが目的で自分を買ったのではないかもしれない。綺麗で可愛らしい娼婦を抱く方が楽しく、、気持ちがいいに決まっている。もしかしたら、ちょっとした気分転換に自分を買っただけかもしれない。だから、彼は自分を抱かないのかもしれない。そう・・・自分が寝入ってしまった後、あの緋色の部屋を出た紳士は、別な娼婦の待つ部屋に行き、彼女を抱いているのかもしれない。そう考えれば、彼がこの娼館に来る理由がはっきりする。
「・・・僕・・・男だもん・・・そうだよね。気持ち悪いよね・・・男を抱くなんて・・・」
リードは膝小僧に顔を埋めるようにして身体を丸めた。とても悲しくなってきた。現実を自分で自分に突き付け、そしてショックを受けてしまったのだった。
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「スペンサー・リード・・・って、この名前だけで調べろっていうのか?、無茶だな、あんたは」
ホッチの友人である、デレク・モーガン伯爵が呆れたように肩を竦めた。
「本当なら、自分で調べたいところなんだがな。仕事が入った」
「女王陛下がらみか」
「そうだな。まあ、それ以上は聞くな。本当は、今夜も娼館に行って、本人から色々と聞こうと思っていたんだが・・・」
「陛下の仕事とあらば、そちらが優先ではあるな。分かった。調べる。・・・しかし・・・」
モーガンがじっとホッチを見た。
「どうした?」
「いや・・・意外というか、そうでもないというか」
「何なんだ」
「最近、あんたが女遊びをしてないっていう噂は聞いていたんだがな。まさか・・・今度の相手が男とは・・・女に飽きたからなのか・・・」
「そういうんじゃない。とてもいい子だ。どうやら、母親が病気らしい。入院の金を工面する為に、
娼館で働くことになったということだ」
「そうか。じゃあ、病院も調べておくか」
「悪いな」
「気にするな。あんたの頼みだ。しかし・・・本当は自分で調べたいんだろう?」
モーガンがニヤリと笑った。ホッチは苦虫を噛み潰したように渋面を作る。そうなのだ。本当はリードのことは自分で調べて、把握したかった。それも早急に。しかし、仕事は待ってはくれない。しかも、女王陛下の仕事である。おろそかにするわけにもいかない。そこで、ホッチは信頼のおける友人であるモーガン伯爵に、スペンサー・リードの身元調査を頼んのだ。しかも、今夜は娼館には行けそうもない。しかし、後で使いの者には贈り物を届けさせるつもりでいた。
「惚れたのか?」
「そうだな・・・。そう言われたら、そうなのかもしれないが・・・。とにかく、庇護欲を煽る子だ。守ってやりたくなる」
「その青年が演技をしているのではなくて?」
「それはない。そんなことをする子じゃない」
ホッチは声を強くして、激しく否定した。
「そうか。その態度で、本気だってことがわかるな。面白い。そんなアーロン・ホッチナー侯爵様が惚れた子が、どれだけいい子か楽しみだ。しかし・・・世の中に綺麗事っていうのは存在しない。もしかしたら、あんたの気にそぐわないことも発覚するかもしれないぞ」
「承知の上だ」
「いい覚悟だ。清々しいほどにな」
モーガンは立ち上がった。
「それじゃあ、早速、調査活動に入るとしよう。あんたの代わりにな」
「頼む」
ホッチも立ち上がり、友人に信頼の視線を送ったのだった。
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「あれっ。まだ、食べてないんですか?」
アンダーソンはテーブルの上の銀盆を見て声をあげた。リードへの届け物をしに部屋を訪れたのだ。ついでに、朝食も下げようと。
「・・・ん・・・何だか、食欲がなくて・・・」
「・・・昨日、あの紳士に嫌なこと・・・された・・・とか?」
「うっううんっ!!違う!そんなんじゃない!全然・・・そんなんじゃない!」
リードが慌てて否定する。リードが真摯に無体なことなど一切されていないからだ。それは事実だ。
「なら、いいけども。まあ、そりゃそうか。嫌な感じのする人じゃなかったし、それに今日だって贈り物が届いてるし」
「えっ!?」
「ほら」
アンダーソンは自分が抱えていた箱をリードの方に差し出した。大きさの違う3つの箱だ。
「手紙も」
「本当に!?」
リードはベッドから降りて、アンダーソンに駆け寄った。一番上の箱。その上に綺麗な封筒が置かれていた。リードはその封筒を手に取って胸に当てる。アンダーソンは銀盆の横に3つの箱を重ねたまま置いた。
「朝食はどうしますか?」
「え?あ・・・えっと・・・他、食べる!」
「冷めちゃってますから、新しいのを・・・」
「大丈夫!食べ物は大切にしないといけないから!」
まだ、内容も読んでいないのに、手紙を貰ったというだけで、嬉しい。心が暖かくなる。
「食べたら、僕が食堂に片付けておくから。ありがとう、アンダーソン。あ、それと・・・」
リードは小さなチェストの上に置いてあった箱から、ショコラ・ド・オランジュを数個つまむと、紙に包んでからアンダーソンに渡した。
「これ、貰い物なんだけど・・・お菓子。食べて」
「いいんですか?」
「うん。すっごく、美味しいよ」
「ありがとうございます!」
アンダーソンは嬉しそうに笑うと、部屋を出て行った。それを見送ってから、リードはベッドに腰掛ける。そして、前と同じように、丁寧に封を切った。手紙には、箱の中身についてと、仕事があって今夜は会えないことが記されていた。けれども、近いうちに必ず、会いに来るとも。その時には、贈ったランジェリーを身に付けて欲しいと。会えないことは残念だったが、そもそもが毎晩娼館を訪れる男の存在の方が稀だ。それよりも、また、いつか、必ず会えるのだという喜びが身体中に満ちる。リードはテーブルの上に目をやった。箱が3つ。リードは開けてみることにした。一番上の小さな箱。開けてみると、中にはお菓子が詰まっていた。クッキーやマドレーヌなどの焼き菓子。それにチョコレート。
「うわぁ・・・美味しそう」
幼い頃から貧しかったので、お菓子を食べることができなかった。だから、自分が甘いものが好きかどうかなんてわからなかった。けれども、ショコラ・ド・オランジュを食べさせてもらって、自分は甘いもの好きということが分かった。次に真ん中の箱を開ける。
「綺麗・・・」
それはピンク色のランジェリーだった。汚れないように気をつけながら、取り出す。なにやら、付属品的なものが付いている。一体、どう身に付けるものなのか。リードは首を傾げた。しかし、
「後で、エルに聞いてみよう」
と、娼館でわりと仲良くしている娼婦に尋ねることにした。何れにせよ、今度、あの紳士が訪れる時に身につけるランジェリーだ。丁寧に箱にしまう。最後は大きな箱。中に入っていたには、綺麗な白色のブラウスだった。今、自分が着ている素材とは違う、シルクだった。ゆったりとしていて、綺麗な刺繍とレースが美しかった。デザインの違うものが2着入っていた。それから、ベルベット素材のズボン。手のひらでなぞると、とても滑らかな手触りだった。全ての贈り物に、溜息が出てしまった。どれもが素敵だった。けれども、一番嬉しかったのは手紙だ。内容はなんてことのない、事務連絡のようなものだった。愛の言葉など、1つもない。けれども、そんなことは気にならなかった。大体、娼館に身を置くものが、愛の言葉などもらえるはずもない。ただ、また、逢える。それだけが嬉しかった。心から、嬉しかった。