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真珠の涙

左手を見れば、ピート”マーヴェリック”ミッチェル大佐が結婚していることは一目瞭然だった。シンプルだけれども、良質なプラチナのリング。相手は一体どんな人だろう・・・と若鷹たちの妄想が広がる。その中で、一人遠い目をしているのはルースターだけだった。

「なあなあ。お前、知ってるんだろ?大佐の奥さんがどんな人か」

「あー・・・そーねーまーねー知らなくもないけどーあーちょっとトイレー」

ハングマンに聞かれて、誤魔化すルースター。いや、別に上層部は知っているわけだし、教えてやってもいいのだが、驚愕と波紋が大きく広がるような気がして言えなかった。喧騒の中のハード・デック。飲んだり歌ったりしていたが、いつも最後はマーヴェリックの話になる。そして、相手の話。その話になる度に、ルースターは頭が痛くなる。マーヴェリック強火担であるフェニックスも、毎度のことであるが、しつこいくらいに聞いてくる。自分のルースターの父親が、マーヴェリックのRIOであったことは、みんな知っている。不幸な死を迎えたことも。そして、ルースターとマーヴェリックの間に確執があったことも。仲間たちはルースターが幼い頃、随分とマーヴェリックの世話になっていることは把握していた。

が。

しかし。

自分の面倒を見てくれていたのは、マーヴェリックだけではなかった。あの当時のマーヴェリックの同期たちは、自分がグースの息子である・・・という理由をもってして、随分と世話を焼いてくれた。そして、マーヴェリックとの冷戦期間中、ルースターが軍に入るべく色々と尽力してくれたのが、トムおじさんだった。そう、我らが海軍大将、トム”アイスマン”カザンスキー。

「ねえねえ!大佐がこれからここに来てくれるって!」

フェニックスの大きな声。

「おおおおおお!!」

「はぁああああ!?」

どよめく大衆。焦るルースター。

「どゆこと!?フェニックス!?』

「ダメ元でテキストを送ったら、来てくれるって!行動力のある私!偉い!何よ、ルースター。いいじゃない。それともあんたの許可が必要だった?」

「んなことねえよ。でも・・・」

「仲直りしたんでしょ?じゃあ、いいじゃない。あ、それとね、連れがいるけどいいかな?って大佐、言ってた。奥様・・・なわけないかー。あははははー」

「フェニックス。お前、飲み過ぎ?」

「適量ですーっす」

さらに遠い目になるルースター。連れって・・・まさか・・・ね。ルースターは、ある意味、正気を保つために、ビールを煽ったのだった。

***

それから、ややしばらくして。

「あ!大佐ー!!!」

明らかに確実に間違いなく酔っ払っているフェニックスが、目ざとくハード・デックの入り口にマーヴェリックの姿を見つけた。

「待たせたね。みんなだいぶ飲んでるのかな?」

「いえいえー夜はこれからでーす!!!大佐、ビールでいいですよねー!!!!」

すっかり出来上がってるフェニックスが、マーヴェリックを迎え入れる。

「楽しそうだね。ああ、ビールでいいよ」

笑って応えるマーヴェリックのジャケットの袖をルースターが引いた。

「マーヴ!」

微妙な小声。

「どうしたんだい?ブラッドリー。君はあまり酔っていないみたいだけど」

「醒めた。っていうか、酔えない」

「?」

「マーヴの指輪の相手のことを、みんなが気にしてる」

「え?あ、ああ・・・そうか。みんなは知らないのか。・・・ここで知ってるのは・・・」

「俺だけ。ねえ、マーヴ。連れがいるって言ったけど、まさか」

「あはは。そのまさかだよ」

「OMG・・・」

そこへハングマンがビールを持ってやってくる。

「大佐、どうぞ。えっと、連れがいるって伺ったんですが」

「今、来るよ。車で来てるから、それをちょっと預けに行ってる」

「指輪の相手ですか?」

「そうだね。僕のパートナーだね」

さらりとマーヴェリックは答えた。

「ちょっと、マーヴ。いいの?言っちゃって」

「別に隠すことじゃないし。まさか知られていないなんて思ってもいなかったし。ああ、来たよ」

ザッと若鷹たちが入り口を見る。そして・・・固まった。酔いが吹き飛ぶ。

「「「トム”アイスマン”カザンスキー大将!!!!????」」」

「やあ。楽しんでるか?」

上質なコート。襟元にはマフラー。基地に飾ってある写真と同じ顔だ。本来であれば、こういった店に来る人ではない。しかし、アイスマンはニコニコと店内を見やった。

「懐かしいものだな。こういった場所は久しぶりだ」

「アイス。ビールでいいか?」

「ああ」

「俺、もらってきます!!!!」

慌ててハングマンが走る。

「えーっと。お久しぶりです、アイスおじさん。ちょっと状況を説明させていただくとですね・・・」

ルースターがその場を仕切ることにした。

「あーそのーずっと以前から、みんなマーヴのプラチナリングに興味津々で。お相手はどんな人だろうと。まあ、フェニックスがマーヴにテキスト送って、来てくれることになって。連れがいるって聞いたら、みんなこれまた盛り上がって。それでそのーえーと・・・」

「アイス。僕たちにとっての周知の事実は、あまり知られていないみたいだよ」

「なるほど。公然の秘密にもなっていなかったのか」

「まあ、積極的に言いふらすことでもないしね」

そこへハングマンがビールを持って戻ってきた。

「どうぞ、Sir!」

「仕事の場ではないから、楽にするといい」

「あ、はっはいっ」

と、返事はするもののは、ハングマンの体は固まってる。

「大丈夫かよ、お前」

「つか、何でお前は大丈夫なんだよ、ルースター」

「だって。トムおじさんだし」

「海軍大将だろー」

そんな二人のやりとりを、マーヴェリックは面白そうに眺めている。そこへ、フェニックスがやってきた。

「あのー・・・」

フェニックスの視線がアイスマンの左手を掠める。

「お二人は、結婚してらっしゃるんですね?」

「ああ。もう、30年になるか?マーヴェリック」

「そうだね。来月、記念日だよ」

「・・・結婚30年¥・・・」

フェニックスが呟く。そして・・・。

「大佐、そしてカザンスキー大将!真珠婚式のパーティーをしませんか?っていうか、私に企画をやらせてください!!!!」

「フェニックスー!何、言ってんだよ!!」

「うっさいわね!口を挟まないでよ!結婚には節目ってもんがあるのよ!結婚30年は真珠婚式!私が、不死不死鳥の名にかけて、素敵なパーティーを開催しますっ!!!!」

「どうする?マーヴェリック」

アイスマンが口角を上げながら、隣のマーヴェリックに問う。

「そうだね。若鷹たちに任せるよ。ね、ブラッドリー?」

「え?俺?ちょっと待って。い、いいの?トムおじさん、マーヴ。フェニックスの奴、今はこんなこと言ってるけど、酔っ払いだからね?大体、不死鳥の名にかけての意味がわかんない」

「ちょっと聞き捨てならないわねっ!」

フェニックスがルースターの胸ぐらを掴む。

「カザンスキー大将!もし私が約束不履行した場合は、アラスカにでも飛ばしてください!!!!」

「あ、アラスカって結構いいところだよー」

「マーヴ!それ違う!いや、分かった!フェニックス!分かったから!」

「分かればいいのよ。・・・で?お二人は結婚式はどんなだったんですか?」

いつの間にか、手帳とペンを手にしたフェニックスがインタビューを始める。

「ハワイだったよね」

「そうだな。パールハーバーで式典があって」

「ほら、カメハメハ大王像の近くの協会」

「カワイアハオ協会だ。ちょうどプロテスタントの教会で」

「カトリックだったら、門前払いだったよな」

「二人とも式典でドレスホワイトを着てたから都合が良かった」

フェニックスが首を傾げて質問する。

「もしかして、お二人は無計画で結婚式を挙げたんですか?」

「若かったからねー。あはははー」

「まあ、その場のノリはあったな」

「素敵。それでも30年・・・」

「あー・・・フェニックス、なんか思考が別なところに行ってない?」

ルースターが心配そうに言う。

「うっさいわね!完璧な真珠婚式をするためにリサーチは重要なのよ!それで、次の質問なんですけど!!」

ハード・デックの夜はまだまだ始まったばかりのようだった。

***

シャワーの後、しっかりと髪を乾かしてベッドルームに戻る。アイスマンは銀縁の眼鏡をかけて、ベッドで本を読んでいた。仕事をベッドには持ち込まないのが昔からの主義だった。マーヴェリックはといえば、戦闘機関連の雑誌などを、数冊サイドテーブルに積んである。結婚した時に、シングルかセミダブルサイズのベッドを2つ置くことも考えたが、結局アイスマンの意見でキングサイズのベッドになった。「僕とアイスじゃ勤務形態が違うから、ベッドは別にしておいた方がいいんじゃないか?気を遣うし」とマーヴェリックは言ってみたが、「時間的なすれ違いが多いからこそ、ベッドは一緒がいいだろう」と押し通された。

結婚して30年。喧嘩をすることもあったが、1つのベッドで寝ることで、何となく関係は元に戻った。そう。喧嘩をしても、腹を立ててどちらかがソファで寝ることもなかった。それが夫婦円満の秘訣になったのかは分からないが、一緒にいることのできる時間が短いのだから、その時間を互いに無駄にしたくないという思いはあった。

何せ。何かやらかす度に、飛ばされるのだ。これまでどれだけ単身赴任をしてきたことやら。今でこそ、海軍大将にまで上り詰めたが、その過程においてアイスマンの力及ばす、マーヴェリックを遠い赴任地へと行かせることもあった。夫婦だけに、その辺りは厳しくしておかないと、職権濫用と言われかねない。当のマーヴェリック本人はというと、殊勝に「アイス、ごめん」とは言うものの、何処か旅行気分で知らない土地に行くことを嫌がらなかった。二人がそこそこ穏やかに、一緒に暮らし時間が増えたのは、アイスマンが中将に昇進した辺りからだろうか。

「今日は何を読んでいるんだ?」

「これか?『罪と罰』だ」

「ドストエフスキーだな」

「読んだことは?」

「ない。・・・その手の文学はすぐに眠くなるから」

「お前らしいな」

「アイスは読書家だよな。いろんなジャンルの本を読んでるし」

マーヴェリックはベッドに潜り込み、アイスマンの手の中の本をチラリと見る。

「仕事で始末書を読んでばかりだからな。家では気分転換したい」

「・・・ごめん」

「謝らなくていい。マーヴェリックは始末書とセットだ。30年以上前からな」

「うわぁ・・・不名誉」

「そう思うなら、若鷹たちの為に、もう少し落ち着け」

「んー・・・」

マーヴェリックは言葉を濁した。空と飛行機がある限り、その誘惑には勝てない。新しい機体があれば乗りたいし、目指す目標があれば達成したい。30年以上、そうやって飛行機乗りとして生きてきたし、退役のギリギリまでは飛び続けていたい。もう少し、夫には迷惑をかけそうだ。

アイスマンが読んでいた本をサイドテーブルに置き、眼鏡も外した。

「もう、本はいいのか?アイス。寝る?」

「そうだな」

リモコンで、淡い間接照明だけにする。マーヴェリックは居心地のいい場所を探し、作る。そんなマーヴェリックの身体をアイスマンは引き寄せて自分の腕の中に抱き込んだ。後ろから、首筋に吐息をかけながら、皮膚に唇を当てる。

「んっ・・・あ、・・・えっと、アイス・・・する?」

「いいか?」

「・・・うん」

アイスマンの腕の中でくるりと向きを変え、その表情を間近に見る。相変わらず、整ったいい男だと思う。年齢を重ねても。否、年齢を重ね、責任あるポジションにいるからこそ、こんな表情なのかもしれない。

「どうした?」

「あー・・・相変わらず、かっこいいなと思った」

「お前は、いつまでも可愛いな」

「ばーか。僕の年齢で『可愛い』はないだろ。言葉のセレクトミスだ」

マーヴェリックはアイスマンの腕を解きながら、起き上がった。そして流れるように、アイスマンの身体を推して寝かせ、自分はその身体に跨った。寝巻きがわりのTシャツとスウェットの下も脱ぐ。黒い小さな下着だけになる。手触りの良い、アイスマンのパジャマに手を這わせながら、ボタンを外していく。内勤ばかりで多少筋肉の落ちた身体が現れる。

「アイス、口でしてもいい?」

「だったら、先にキスを」

「うん」

覆い被さるようにして、アイスマンの唇を捉える。キスをしたり、ハグをしたりは日常的にしているけれども、ベッドでセックスをするのは久しぶりだった。互いに年齢なのだろう。そこまでしなくても、何処か満たされた感情があった。けれども、セックスが嫌になったわけではない。アイスマンの顔を包み込んでキスをする。すぐに舌を差し入れられ、マーヴェリックもそれに絡める。アイスマンの手は、マーヴェリックの身体のラインをなぞる。鍛えられた、現役アヴィエーターとして身体。

「はっ・・・ん・・・」

ちゅっとしたリップ音を鳴らして、マーヴェリックはアイスマンの唇から離れた。顎に吸い付き、そこから舐めるように下に降りる。パジャマの中でアイスマンが存在を主張していて嬉しくなる。布地の上から触れると、反応がある。マーヴェリックは自分の唇をひと舐めすると、取り出したアイスマンの先端を口に含む。ほろ苦い液体が口の中に広がる。久しぶりの味に、心が高鳴る。それはどんどん硬くなり、凶器へと変貌する。口に含みきれない部分は、指先を使って愛撫する。ぴちゃぴちゃという小さな水音が、寝室に響く。角度を変えて、舌を使って、そして喉奥まで迎えようとしたとき、ブルネットの髪にアイスマンの指が差し込まれた。

「マーヴェリック」

「ん・・・」

自分の名前を呼ぶ、愛する男の濡れた声に、マーヴェリックはそろそろと身体を起こした。

「慣らすぞ」

「大丈夫かも・・・」

「駄目だ。久しぶりなんだから」

「確かめる?」

マーヴェリックは膝を使って移動し、自分の尻がアイスマンの手の届くところで身体を止める。アイスマンはいつの間にか、サイドテーブルの引き出しからローションを取り出していて、自らの指を濡らしていた。アイスマンは左手でマーヴェリックの腰を支え、中指を窄まった箇所に当てて、擽るように撫でる。

「んっ・・・アイスっ・・・意地悪するな」

「慣らしてるだけだ」

「確かめて・・・って・・・あっ、んっ・・・」

つぷりと指が差し込まれた。滑った指が、中で回される。

「は・・・いい・・・ん・・・アイス、大丈夫・・・だろ?」

「もう少し」

「やっ・・・早く・・・指、増やして・・・」

腰を浮かし、指先をアイスマンの胸について、体勢を維持しているが、今にも崩れ落ちそうだった。30年以上も愛した身体だから、もうアイスマンの形を覚えている。一度、縦に割れたそこは、なかなか元には戻らない。

「ア・・・イスぅ・・・」

マーヴェリックのジュニアも勃ち上がり、フルフルと揺れている。

「ああ、いいぞ。マーヴェリック」

言いながら、身体を暴いていた指を抜く。

「ん・・・あ・・・い、いいのか?」

「我慢できなんだろう?」

マーヴェリックはコクコクと頷いた。指をアイスマンに添えて、その屹立を後孔に添える。

「焦るな。ゆっくりだ」

「うん・・・うん・・・」

マーヴェリックは、従順にゆっくりと腰を落とした。ズブズブと太くて長いものが、胎内を犯す。

「は・・・お、少し・・・」

「無理はするな」

「ん・・・もっと、奥・・・欲しいから・・・」

深く息を吸って、吐き出す時に、一気に腰を落とす。男だから、終着点はない。けれども、経験と記憶にある場所に、アイスマンが当たる。

「あ・・・そこ・・・んぅ・・・」

アイスマンはマーヴェリックの両腕を取った。腕を掴み、掴ませる。ヒューマンチェーンのように、手を繋ぐ。下から軽く突いてやると、唇が揺れて、声が漏れた。年齢のせいか、昔のようにガツガツしたセックスはしなかった。スローセックス。心と身体の奥底で、互いの熱を感じ、浸る。

目を閉じていたマーヴェリックがゆっくりを長いまつ毛を揺らしかながら、目を開ける。

「どうした?」

「・・・ハグ」

「わかった」

アイスマンは腕を解き、手をベッドに付くと上半身を起こした。そして胡座をかきながら、マーヴェリックを抱きしめる。その一連の動きで、マーヴェリックの中を犯す位置が変わったらしい。

「はっ・・・あん・・・ぅ・・・」

マーヴェリックもアイスマンの身体に腕を回して、その肩口に顔を埋めるようにする。脚もアイスマンの身体に絡める。自分に纏わり付く身体を揺らしてやる。甘ったるい熱い吐息が、アイスマンの耳を撫でる。時折、身体を揺らしてやりながら、大切に抱きしめてやる。ずっと昔に出会ったブルネットの僚機は、自分の伴侶になった。そしてそれから30年。フェニックスは、それを『真珠婚』と言ったか。

「は・・・あ・・・ん・・・」

「・・・マーヴェリック?」

「ん?・・・何?・・・アイス・・・」

「あの若鷹連中に任せてみるか?」

「え?何?」

「真珠婚式のセレモニー」

「・・・いいけど・・・アイスはいいのか?海軍大将の外聞は?」

「はっ・・・俺は登り詰めた男だぞ」

「あはは・・・強いなぁ」

「お前の為に出世したんだ。誰にも何も言わせないさ」

「本当に強いなぁ」

小さく笑いながら、マーヴェリックはアイスマンを抱く腕に力を込めた。幸せで泣きそうになる。自分がこんな幸せを手に入れることができるなんて、アイスマンと出会うまでは思ってもみなかった。僚機が、自分にくれた幸せを、マーヴェリックは自分の中で大事に育てた。永遠とまではいかなくとも、できるだけ長く続くことを願って。

「アイス・・・好きだよ・・・」

「俺は、愛してるぞ。永遠にな」

マーヴェリックの考えなどお見通しかのような、アイスマンの応え。だから、マーヴェリックも言う。

「僕だって、愛してる。ずっと・・・永遠に」

あまりの嬉しさに、マーヴェリックの目尻に涙が浮かぶ。綺麗な、真珠の涙のように。

END

マイクのセックス事情 その4

ハーヴィーのオフィスから夜の街を見下ろす。街灯やビルの灯り、あるいは自動車のランプが、N Yの夜を彩っている。力のあるも者だけが得ることのできる風景。

ハーヴィーに指示された書類を完成させてオフィスに届け、チェックを待つ間、マイクはソファではなく、窓から夜景を見たくなったのだ。仕事の後の爽快な疲労感。100%とは言わないが、自信はある。自信がなければ仕事でハーヴィーの隣に立つことは許されない。それは、マイクがハーヴィーの部下となって覚えたことの1つだった。

パサリと書類をデスクに置く音が聞こえた。

「完璧だ」

「本当?」

マイクは振り向いた。ハーヴィーが満足気な笑みを浮かべながら立ち上がった。そしてマイクに近づく。

「スペルミスの1つや2つ、あったんじゃない?」

「ほう。あったのか?」

マイクは首を横に振った。ない。何度も見直した。骨子もそうだが、スペルだって確認した。

「君は賢くて、聡い。俺が言わんとすることをきちんと予測できる。そういう頭の良さは大好きだ」

手のひらで頭をぽんぽんされる。

「子供じゃないよぅ」

「そうだな。それじゃあ、裁判の準備が整ったところで、前祝いでもするか」

「もう、勝訴した気分?」

「負けるはずがないだろう。君の準備は完璧だ。・・・酒を持ってくる」

「あ、手伝うよ。っていうか、僕がやらなくちゃ。僕はハーヴィーの部下なんだし」

「ここは俺の城だ。お俺がやる。ソファで待ってろ」

「・・・ここ・・・じゃだめかな」

「ん?窓際がいいのか?」

「夜景がね・・・なんだか綺麗で」

「ああ・・・冬が近いからな」

「空気が冷えると、景色って綺麗に見えがちだよね」

「雪が降ったら、もっと綺麗になる」

「・・・雪が、空気中の不純物を包み込むから?」

「そういう理屈はよく聞くな」

スコッチの入ったグラスを持ったハーヴィーがマイクに近づく。

「悪くない」

マイクにグラスを渡しながらハーヴィーが言った。

「悪くないって・・・良いでしょ?この夜景。あ、そっか。ハーヴィーにとってはこれが日常だもんね。窓のないアソシエイトのオフィスとは大違い」

「まあ、そうだな。意識して、この夜景を見たことはないな。ただ、今夜は特別だ」

「明日の裁判での勝利を願って?」

「願わなくても、勝つ。それよりも、マイク。何が見える?」

「何って・・・」

マイクはスコッチに口を付けながら、外を見た。

「ビル。灯り。・・・夜空は・・・見えないなぁ・・・」

「もっと近くだ」

「え?近く?このビルの?」

マイクは窓に近寄り、下を覗き込もうとした。が、その顎を取られた。

「そうじゃない。・・・俺には、マイクの顔が見えるんだがな」

「・・・あ・・・ああ・・・」

鏡効果。

夜の窓ガラスは、鏡のように人を映す。確かに、夜景の中に、自分の顔が見える。そして自分の背後に立つハーヴィーの顔も。

「分かったか?」

「うん。灯台下暗し、みたいな?全然、気が付かなかった。・・・そうだね。鏡みたいだね」

マイクは笑った。それまでは景色にしか、目がいかなかった。

「駄目だな、僕。・・・物事は多面的に見なくちゃね」

「別に、仕事に絡めて言ったわけじゃない。俺だって、気付いたばっかりだ。夜景の中に、綺麗な顔が見えるな、と」

「僕はそんなに綺麗じゃないよ?」

「自分を卑下するな。いつも言っているだろうが」

「・・・貴方の隣に立つ以上は、ちゃんとするよ?でも・・・やっぱりさ」

マイクは俯いた。ネガティブ・モード。マイクの悪い癖だ。

「本当に君は、面白いな。力を認めてもらいたくて仕事を頑張って完璧にこなすくせに、変なところでそういうくらい顔をする。どっちの本当のマイクだ?」

マイクは思う。元来、自分はどちらかというと明るい性格だとは思う。仕事は好きだし、充実感がある。それをハーヴィーに認めてもらえたら、自分は仕事でハーヴィーの隣に立っていいのだ、という安心感を得ることができる。

けれども。

マイクは、気づかれないように唇を噛んだ。

やっぱり、自分は何処か汚いのだ。

何度もハーヴィーに上書きをしてもらっているとはいえ、自分の過去は消すことも変えることもできない。

「あ・・・」

マイクは1歩、窓から離れた。一瞬、トレヴァーの顔が見えたような気がした。記憶の断片。

「マイク、俺を見ろ」

ハーヴィーが窓ガラスを指差す。そこには、トレヴァーではなく、愛する人の顔がある。

「裁判が終わったら、クリスマスだな。マンダリン・オリエンタルに部屋を取った。あのホテルのレストランもなかなかいい」

「そっか。クリスマスだ」

「忘れていたのか?」

「ううん。街はイルミネーションだらけだし。ただ、ここのところ、書類に没頭してたから」

「そうだな。ホリデー・シーズン前は仕事が多い」

「えっと・・・プレゼント・・・どうしよう。貴方は何でも持ってるから、何をプレゼントしたらいいか、わからないんだ」

「そうだな。それは、そのうちリクエストすることにしよう」

「欲しいもの、教えてくれるの?」

「ああ」

「よかったー・・・」

「君は、欲しいものはないのか?」

「いつも貴方に貰ってるから」

マイクはグラスを持っていない方の手で、ネクタイを指差した。貰ったのはネクタイだけではない。今着ているスーツもハーヴィーが誂えてくれたものだ。自分のアパートでは管理しきれなくて、ハーヴィーからのプレゼントは、そのままペントハウスに置いておくことが多い。そこで過ごす時間が増えたこともある。「いっそ引っ越してくればいい」とハーヴィーは言うが、その度にマイクは笑顔で誤魔化した。仕事では頑張れる。誰にも負けない自信がある。胸を張ってハーヴィーの隣に立つ覚悟はできている。・・・けれども、仕事を離れたら、駄目だった。自分には何の価値もないと思う。だから、自分の帰る場所は確保しておかなければならないと思う。いつ、愛想をつかされてもいいように。

マイクはスコッチを一口含み、そして嚥下した。酒の熱さが心地よく喉を焼く。仕事では見放されたくない。そこでしか、自分は自分の力を発揮できない。ハーヴィーは能力ない人間を嫌う。

「ハーヴィー。明日の裁判、僕も行っていい?」

「もちろんだ。君が来れば勝ち率が上がる」

「・・・僕、頑張るね」

「もう、十分頑張ってる」

ハーヴィーはマイクの持つグラスに、自分のグラスを合わせた。

硬質な、それでいて美しい音色がオフィスに響いた。

***

セントラルパークの南に位置する、マンダリン・オリエンタル・ニューヨーク。メインロビーが35階にあり、客室は全てその上階になる。ハーヴィーは、プレミア・セントラル・パーク・ビュー・スイートのカードキーでロックを解除した。

クリスマスディナーは35階のアジアートで済ませたが、ハーヴィーは恋人に声をかけた。

「何かルームサービスでも頼むか?」

「・・・ごめん。もう、お腹がいっぱい。っていうか、胸がいっぱい」

今、ハーヴィーとマイクがいるのはスイートのリビングだった。半円形を描くように配置されたソファとローテーブル。マイクはおずおずとそのソファに腰を下ろした。すぐにワイングラスを持ったハーヴィーが隣に座る。

「食事は美味かったか?」

「・・・ごめんなさい。あんまり、わかんなかった」

クッションを抱えながら、マイクは申し訳なさそうに言った。

「随分と君を高級な店に連れ歩いたつもりだったが、まだ足りなかったか」

慌てて、マイクがブンブンと首を横に振る。

「ち、違うってば!ほら、今日は・・・その・・・えっと・・・周りが・・・さ・・・」

「ああ。まあ、そうだな。クリスマス・イブだからな」

アジアートよりもグレードの高い店に連れて行ってもらった時の方が、まだ料理の味は分かった。けれども今夜はクリスマス・イブで、周囲はドレス・アップした男女ばかり。マイク的には完全にアウェイ。居心地が悪い、を通り越して居た堪れなかったのだ。しかも、夜景がよく見える一番いいテーブルだった。クリスマスでなければ、ビジネス会食・・・といった雰囲気も出せただろうが、どうやってもクリスマスを払拭することはできなかったのだ。だから、最高に美味しい料理だったはずなのに、味が全くわからなかった。せっかくのディナーを楽しめなくて、ハーヴィーの申し訳ないと思う。

「ごめんなさい。せっかく連れ行ってくれたのに」

「別にいい。食事は第一の目標じゃないからな。マイク、来い」

立つことを促されて、マイクはその通りにする。ハーヴィーに逆らうなんてことはしない。手を取られて窓辺に移動する。

「うわぁ・・・綺麗。オフィスやハーヴィの部屋とは違う景色だね」

セントラル・パークに面している部屋なので、ビル街の灯は少し遠い。笑顔で外を見入るマイクの横顔。青い瞳がキラキラしている。レストランにいる時は違って、何処か緊張の解けた表情だった。ハーヴィーはその顔を見ながら、マイクの背中をガラスに押し付けた。蜂蜜色の髪を撫でる。そしてその手を下にスライドさせて、ジャケットに手をかけた。

「えっと・・・自分で脱いで、シャワーを浴びてくる?」

「いや、いい。このままで」

「ここで?外から見えるよ?」

「セントラル・パークだから心配ない」

「・・・僕は逃げないよ?」

「知ってる。・・・ここがいい」

「変なハーヴィー」

そんなやりとりの間にも、ハーヴィーの手はどんどんマイクの着衣を脱がせていく。マイクも靴を脱いだり、ハーヴィーのジャケットを脱がせたりする。

「んっ・・・」

口付けられて、一瞬、身体が熱くなる。ガラスに押し付けられた背中がひんやりとする。けれども、それが気持ちいい。心が、熱くなる。ハーヴィーに触れられた時の正しい反応。腰を引き寄せらて、身体がガラスから離される。が、すぐに反転させられた。

「あっ・・・」

マイクは咄嗟にガラスに手を付いた。

「ハーヴィー?」

ハーヴィーはそれには応えずに、背後からマイクの皮膚を弄った。

「え・・・あ・・・や・・・あ・・・ハーヴィー・・・?」

首筋にかかる吐息。身体を這いずる手のひら。

「やっ・・・」

息が詰まる。誰?・・・ハーヴィー・・・本当に?いや、この部屋のいるのは、自分とハーヴィーの二人だけ。それなのに。

マイクの身体が自然と硬直する。

怖い。顔が見えない。誰?・・・もしかして・・・トレヴァー?

ひゅっ・・・とマイクの喉が鳴った。ガラスに付いた指に力が入る。自分の後ろにいるのは誰?本当にハーヴィー・スペクター?・・・違ったら?

思考が過去に引き戻されそうになる。古ぼけたアパート。暴力という名のセックス。心の壊れた人形。

「あ・・・ああ・・・あああああ・・・」

身体が震える。誰?誰?誰?誰?呼吸が・・・苦しい。

「マイク」

名前を呼ばれ、顎を取られる。

「目を開けるんだ」

耳元で囁かれる。間違いなく、ハーヴィーの声。マイクは確かめたくなって、そっと目を開いた。

「ガラスを見ろ」

「え・・・」

「’誰が映っている?」

マイクは、ガラスの向こうの闇の中を見た。闇の向こうはオレンジの灯り。他には何も・・・。

「もう一度、言うぞ?誰が、映っている?」

「映って・・・る?」

マイクは視点をもっと手前に合わせた。

「あ・・・ハーヴィー・・・?」

「ああ。俺だ。それに君も」

鏡効果。闇の中のガラスが鏡となり、自分とハーヴィーの顔を映してる。自分の後ろにいるのは、ハーヴィー・スペクター。トレヴァーの顔ではない。

「安心したか?・・・ゆっくり、呼吸しろ。深呼吸だ。4カウントで吸って、それと同じ長さで息を吐け」

暗示にかかったように、マイクは言われた通りにした。最初は、酸素が肺の中に入っていかない感覚があった。けれども、数回、深呼吸を続ける。

「とにかく、全てを吐き出せ。吐ききったら、吸えるから」

言われて、息を吐くことに集中して時間をかける。そうすると、少し、呼吸が楽になったような感じがする。マイクは、呼吸を整えると、もう一度ガラスを見る。ハーヴィーの顔を探す。闇の中に映る、表情はほどく優しい。

「君の後ろにいるのは、俺だ。理解できたか?」

マイクはコクコクと頷いた。

「君の美しい瞳と賢い頭に記憶しろ。そして忘れるな」

ハーヴィーは背後からマイクを抱きしめ、その肩に顎を乗せる。表情は笑顔。マイクの好きな顔。

マイクはそろそろと手を後ろに回し、ハーヴィーの頬に触れる。温かい。

「マイク、愛している」

ハーヴィーの言葉でマイクの心臓が跳ねる。昔、自分を後ろから犯した男は、こんな表情ではなかった。こんな声ではなかった。もっと、残虐で、冷たかった。けれども、ハーヴィーは違う。優しくて、暖かい。

「・・・僕も・・・好き。・・・愛してる」

「いい子だ」

ハーヴィーがマイクの手のひらにキスをする。

「隣の部屋に行くか」

ベッドルームに誘破れる。けれども、マイクは首を横に振った。

「このままで・・・ここがいい。ハーヴィー・・・続けて。後ろから・・・僕を愛して」

「・・・いいのか?」

「うん。・・・こうして僕を抱くのは、ハーヴィーしかいないって、記憶したから。もう・・・大丈夫」

ガラスの中のマイクが微笑む。自分の中からトレヴァーの存在が薄くなる。きっと、消えることのない記憶だけれども、頭の奥底に閉いこんで、鍵をかけることはできる。

「ハーヴィーの顔を、もっとしっかりと焼き付けたい。僕の後ろにいるのは、ハーヴィーだって。ちゃんと覚えるから。お願い」

「そういう可愛いことを言うと、こっちは歯止めが効かなくなるぞ」

「いいよ?・・・ハーヴィーは僕に何をしたっていいんだから」

「優しくする」

「ハーヴィーはいつだって、優しいよ」

ハーヴィーが、ふっと笑って、身体を密着させる。

「覚悟しとけ」

「ん・・・」

マイクは、手のひらをガラスに押し付けた。頸にキスを送られる。熱い吐息はハーヴィーのもの。他の誰でもない。愛する人のもだった。

***

「ねえ・・・本当にこんなんでいいの?」

マイクがキッチンで鍋をかき混ぜながら、不安そうにハーヴィーに問う。

「いいだろう?俺が欲しいんだから」

「だからって、クリスマス・プレゼントに僕の作ったミートソース・パスタって・・・。パスタの美味しいお店に行ったっていいのに」

「君の作ったのがいい」

「んー・・・」

釈然としない表情をしながらも、心の奥底ではちょっと嬉しかった。祖母のレシピ。マイクの一番得意で好きな料理だ。ただし、人参があまり好きではないハーヴィーのために、微塵切りではなく、すりおろして入れている。その分、トマトの量を調整してある。

「ああ、そうだ。俺からのプレゼントだがな」

「え?プレゼントなら、もう貰ったけど?ほら、ホテルのディナー」

「馬鹿。あんなものがプレゼントになるか。だいたい、君は味もわからなっかたんだろう?」

「あはは〜」

「・・・君のアパートを引き払った。荷物は全て貸し倉庫に入れてある。後で一緒に行って、必要なものを取ってこよう」

「ちょ、ちょっと待って!アパートを引き払ったって・・・どういうこと?」

「そのままだ。君は、この先ずっと、ここで俺と住む。まあ、引っ越しをしてもいいんだが」

マイクは慌てて、火を止めた。

「ハーヴィー・・・何してるの?」

「部屋の鍵よりも、一緒に暮らす空間の方がいいだろう?まあ、もう暮らしているようなもんだがな」

確かに日常のほとんどをハーヴィーの部屋で過ごしている。しかし、無断でアパートを引き払いうとは。

「・・・もう、引き払っちゃったんだ」

「ああ。暗視しろ。荷物は捨ててないから」

「・・・それって・・・ものすごく大きすぎるプレゼントだ」

「嫌だったか?」

「・・・ううん。ちょっとびっくりした。でも・・・いいの?」

「ああ。それに、君から俺へのプレゼントにもなるだろう?首に赤いリボンをつけてやろうか?」

悪戯っ子のようにハーヴィーが微笑む。狡い笑顔だ。この表情されると、マイクは何も言えなくなる。

「いいの?僕に、そんな価値がある?」

「あるさ。あるから、俺の隣にいるんだろう?もっと自分に自信を持て」

「・・・ハードルが・・・高いよ・・・」

「何を言ってるんだ。俺の優秀なアソシエイトが」

「ん・・・仕事は頑張る」

「俺のパートナーとしてもな」

「・・・そのハードルが高いんだってば!もうっ」

マイクがハーヴィーに背を向けて、再び鍋をかき混ぜ始める。その姿を、微笑ましく眺める。

あの時。面接会場にマイクが飛び込んできた時。随分と綺麗な青い瞳の子犬が入ってきたと思った。それに素晴らしい記録力。才能のひとひら。

そして、愛した。少し怯える子犬が自分に心を開いくていく様子を見るのが愛しかった。

ハーヴィーは鍋をかき混ぜるマイクを後ろから抱き締めた。ひくんっと、震えたが、すぐに腕の中に恋人は身体の力を抜いた。

「なあ、キッチンでするのもいいと思わないか?」

「ハーヴィー・・・」

「どうだ?ん?」

「・・・はぁ・・・僕がそういうの、逆らえないって知ってるくせに・・・」

マイクはスパチュラから手を離した。そして、ハーヴィーの腕の中でくるんっと向きを変える。

「ノリが良くて何よりだ」

ハーヴィーはマイクを抱えて、クッキング・テーブルにその身体を乗せる。

「ねえ、ハーヴィー?」

「どうした?」

「・・・ハッピー・メリー・クリスマス。・・・大好きだよ」

自分よりも下にあるハーヴィーの頬に両手を添える。そしてかがみ込み、キスをする。ハーヴィーもそれを受け止め、マイクの腰を強く抱く。

クリスマスは、まだ終わらない。

END

Noël blanc

リードは身に付けていた借り物のジュエリーを飾り箱の中に閉まった。メイクはそのまま。鏡の中の自分を見ると、髪に羽根の飾りが付いていた。慌ててそれも外し、鏡台の上に置いた。銀色のスパンコールで彩られた衣装を脱ぎ、自分の赤いドレスに着替える。それから、ホッチに買ってもらったコートを羽織った。そして黒いストールを巻く。コートのポケットから黒いファー付きの手袋を取り出し、嵌める。

フランス、パリ、冬。

底冷えのする季節だ。

リードは楽屋を出て、店···ムーラン·ルージュの従業員用裏口から外へ出た。

暗い街灯が1つ。けれども、その暗がりの中に立つ男のシルエットを見つけて、リードは微笑んだ。

「ホッチ!」

「リード」

「待たせて、ごめんね。寒かったでしょ?」

「いや。来たばかりだ」

「嘘」

リードはホッチの手を取った。

「ほら、冷たい。ひんやりしてる」

「冬だからな」

「僕、一人で帰れるよ?ホッチ、無理しないで」

「それはこっちのセリフだ。君はカフェとムーラン·ルージュの掛け持ちだ。疲れてないか?」

「大丈夫」

ホッチとリードが歩き始める。リードはごく自然に、ホッチに腕に自分のそれを絡めた。空気は冷えているが、まだ雪は降らない。クリスマスまでには降るだろうか。

クリスマスが近く、パリの人々は浮かれていた。こんな時期は夜の街も稼ぎ時だ。ムーラン·ルージュも然り。このクリスマス·シーズンの呼び物として、オーナーはリードに舞台に立つことを交渉した。破格のギャラで。一瞬迷ったものの、リードは承諾した。クリスマスといえば、プレゼントだ。お金があれば、ホッチに何か素敵なものを買うことができる。素敵な何か。素敵な贈り物。ワクワクする。以前、ホッチと行った、ボン·マルシェなら、きっと素敵なものが見つかるはず。クリスマスに向けて、リードの心は高揚するばかりだった。

***

「すぐに暖炉に火を入れるからな。部屋が暖まるまで、コートを着たままでいた方がいい」

「ホッチもね」

「そうだ!ねえ、ホッチ。クリスマス·イブの夜、お出かけしない?」

「出かける?」

ホッチは訝しげに眉を顰めた。自分は執筆、リードはカフェとムーラン·ルージュで忙しく、クリスマスの予定は立てていなかった。もちろん、特別な日に、特別なことを行いたいとは思っていたが。

「あのね、カフェでパーティーをするの。ほら、モンマルトルって芸術家さんが多いでしょ?画家さんが多いんだけど、みんな一人で暮らしている人が多いんだよね。クリスマスの夜にひとりぼっちなんて寂しいからって、カフェのオーナーがね、企画したの。それにね、ホッチの小説のファンもいて、ぜひ貴方に会いたいって!···えっと···ダメかな?」

一気に話した後、リードは俯き加減にホッチの顔色を伺った。つい、自分の思いを独りよがりに喋ってしまうのが、自分の悪いところなのには自覚があった。また、やっちゃった···と少し、トーンを落とした。

「···リード」

「ごめんなさい。貴方の予定も聞かずに」

「何を言っている。俺は君と一緒にいることができたら、それだけで嬉しい」

「迷惑じゃなかった?」

「全然。クリスマスのお仲間に入れてもらおう」

「本当?嬉しいな。あ、それとね、僕、そのパーティーにはドレスで参加なの。芸術家さんたちにムーラン·ルージュのお裾分け」

「そうか。それは喜ぶだろう」

リードが元ムーラン·ルージュの踊り子であることは、カフェの常連客は知っている。踊り子姿のリードを描いた、小さな水彩画を貰ったことがあ理、それはリードのドレッサーの近くの壁に飾ってある。

「でも···パーティーが終わった後は、貴方と二人っきりで過ごしたい」

「もちろんだ」

リードの望みはホッチの望みだ。ホッチはリードに近づくと軽く纏めた髪を撫でた。肩につくかつくないかのギリギリの長さになった髪をリードは切らなかった。ムーラン·ルージュの手伝いに行くことがあるし、ホッチは今のリードのスタイルを好んだから。言ったことはないが、リードは察したらしい。ハサミを入れずに、ここまで伸ばした。ギャルソンの仕事をするときには後ろで結んでいる。

ホッチはリードの髪を纏めているピンを外した。するりと髪が落ちる。

「ねえ、ホッチ。あったかくなろ?」

リードは背伸びをして、ホッチの首に腕を絡めた。

暖炉の火が屋根裏部屋を暖めてくれるには、まだ時間がかかりそうだ。それなら、互いの温もりを交換した方がいい。

「先にベッドに行っていなさい」

「一緒がいい」

小さな我儘。ホッチは苦笑すると、コートを着たままのリードを持ち上げて、ベッドへと運ぶ。舞台の後のリードの唇は艶のある真っ赤なルージュに彩られていて扇情的だ。絶対に一人で夜道など歩かせられない。だから、ホッチは必ず、舞台のある時はムーラン・ルージュに迎えに行く。看板娘ではない今は、モーガンの護衛も付かない。

「ホッチはあったかいね」

ルビーの指輪を嵌めた指が、ホッチの頬をなぞる。ヴァンプの蚤の市で買い与えた小さな赤い石の指輪。今の原稿料なら、もう少し大きな石のジュエリーを送ることができる。蚤の市ではなく、もっとちゃんとした店のものを。そうだ。もう、リードへのクリスマス・プレゼントは決めてある。

ホッチは指でリードの耳朶を弄びながら、その胸元に唇を寄せて薄い肉を吸い上げた。

「んっ・・・あ・・・くすぐったいよ・・・ホッチ・・・」

リードは頭を動かして、自分の耳を触る指を口に含んだ。チロチロと赤い舌を動かしながら、ホッチの指を舐める。自分の秘所を開く指は丹念に。ねっとりを唾液を這わせる。ホッチは右手をリードに委ねながら、左手をドレスの裾から忍び込ませる。絹の長靴下を辿って、鼠蹊部に辿り着く。

「んん・・・」

ホッチの指を含んだ口からくぐもった声を発しながら、リードは体を捩った。腰を上げて誘う。ホッチは指先を器用に使って、下着を引き下ろした。

部屋の空気はまだ冷たい。このまま、体を繋げよう。

ホッチはリードの口から指を引き抜いた。そして、細い両脚を広げ上げる。リードの唾液で濡れた指が乾かないうちにと、ホッチはその窄まった場所に中指を押し込んだ。

「はっ・・・あんっ・・・あ・・・」

既に女性器のようになってしまった蕾が、するりとホッチの指を受け入れる。

「あ・・・ホッチ・・・もっと・・・もっと挿れて・・・」

眼下の恋人が強請るようにホッチを見上げてくる。口付けながら。指2本で広げてやる。

くちゅり・・・とした音が聞こえたような気がする。

「ひ・・・や・・・あ、意地悪・・・しないで・・・来て・・・ホッチが欲しいよ・・・」

リードは、さほど慣らさなくとも、すんなりとホッチを受け入れる身体になっている。ドレス中で、可愛らしいリードの雄が頭をもたげている。

「そうだな。俺も君の中に、早く入りたい」

「あったかいよ?・・・約束するよ・・・ホッチ」

リードは妖艶に微笑むと、長靴下の脚をホッチに絡めた。

***

翌日。

カフェの仕事を休ませてもらったリードは、パリの百貨店、ボン・マルシェを訪れた。ホッチへのクリマス・プレゼント買うためだ。カフェとムーラン・ルージュの給金で懐は暖かい。昨日とは違う赤いドレス、赤いコート、黒いショールに手袋を身につけている。コートと手袋はホッチからの贈り物だ。ホッチから貰ったもの、というだけで、暖かさが増しているような気がする。冬の空気は冷たかったが、リードの心は温かった。

百貨店の中で、紳士用小物を取り扱っているフロアへ行く。プレゼントは、革の手袋と暖かそうなマフラーと決めていた。今、ホッチが使っている手袋はウールのもので、かなり年季が入っていた。穴が空いたところは、リードが繕ったりもした。針と糸を手にしながら、ずっと、手袋を贈りたいと考えていた。それに合う、マフラーと。マフラーだって、結構古そうなものだった。取ろうとしてもなかなか取れない毛玉がたくさんついている。生地も薄くなっていて、防寒になるのだろうかと思うほどだった。ホッチは作家として、今とても大事な時期だ。今日も新連載の打ち合わせで新聞社に行っている。風邪なんか引いたら大変だ。タイプライターを使う指だって、大切にしてほしい。リードと違って、屋根裏部屋で書き物をすることが多いホッチだが、用事で出かけると、必ずリードに土産を買ってきてくれる。リードの好きな甘いお菓子だ。それもパリで話題になっているものばかり。新聞社の人が流行を教えてくれたから、と言っているけれども、そういったお菓子は大概、高額だ。それに比べて自分が屋根裏部屋に持ち帰るものといったら、カフェで貰った残りもののパンばかりだった。だから、ガルシアから「ホリデー・シーズンにムーラン・ルージュで働踊らないか」と打診があった時は、即答でOKした。お金があれば、質の良いものを買うことができる。

リードは並んだ手袋を食い入るように見つめた。

けれども、すぐに困ってしまう。質の良さが自分には分からないのだ。色は黒がいいと思ってはいたけれども、革にもいろいろな種類があるようだった。

「何かお探し物ですか?」

女性の店員から話しかけらて、リードは顔を上げた。ここは専門家に尋ねるが得策だ。

「あの・・・手袋を・・・」

「贈り物ですか?」

「あ、はい!・・・色は黒って決めているんですけど・・・革の種類とか分からなくて。ただ、暖かいものがいいなぁって」

「それでしたら・・・こちらはいかがでしょうか?柔らかい羊革を使っていて、すぐに手に馴染みます。それに内側はベルベットで、とても暖かいですよ。そうですね・・・デザインは、他にもこのようなものがあります。ご覧くださいませ」

店員は3種類の黒い手袋を見せた。

「触っても?」

「もちろんですよ」

リードは一番シンプルな手袋を手に取った。

「わぁ・・・柔らかい。これ、本当に革なんですか?」

「ええ。羊の革は柔らかくて滑らかなんですよ。牛革の方が一般的ですが、このシープスキンは上質でお勧めです」

上質、という言葉に心惹かれる。今日、持ってきたお金で足りるだろうかと心配になる。そんなリードの心を読んだのか、店員は小さな声で、「ご予算はいかほどですか?」と優しい笑顔で聞いてくれた。決して馬鹿にしたような表情ではない。だから、リードはこれまた小さな声で、使える金額を言った。それとマフラーも合わせて欲しいことを伝えた。

「それでしたら、この手袋とカシミアのマフラーを買っても十分、お釣りが出ますよ。あちらにマフラーがありますから、見てみましょうか?」

「あ、お願いします」

やはり専門家は違う、とリードは思った。黒い手袋に合わせて、黒いマフラーを見せてもらう。予算を伝えたせいか、店員はそれに収まるようなものを見せてくれた。

「こちらのマフラーは暖かくて、それでいて型崩れのしにくいものになっています。高級感が出ますよ」

「じゃあ、それを。お会計をお願いできますか?」

「贈り物ですからラッピングしますね。それと、ホリデー・シーズンなのでカードをサービスでおつけしますよ。お相手の名前を、こちらでお書きになりますか?」

「はい。えっとペンをお借りできますか?」

「こちらにあります。どうぞ」

クリスマスらしい綺麗なカードとペンを差し出される。リードはショー・ウィンドウの上を借りて、カードに名前を書いた。アーロン・ホッチナーと。

「あら?」

店員が驚いたような声を上げた。

「もしかして、その名前・・・。作家のアーロン・ホッチナーさんですか?」

「え?あ、はい」

「まあ!私、ファンなんですよ!新聞の連載小説は必ず読んでいます!これは張り切ってラッピングしないといけませんね。少々お待ちくださいね」

「お願いします」

奥に引っ込んだ店員の背中を見ながら、リードは誇らしくなる。以前、タイプライターを買った店の主人もホッチのファンだと言った。カフェに来る芸術家たちもホッチの小説を読んでくれている。

「すごいなぁ・・・ホッチ」

嬉しい。ホッチの作品が認められ、ホッチの名前が知られているのが嬉しい。パリで小説家として生きていくいことがホッチの夢だ。その夢が確実に叶っている。

「やっぱり、すごいなぁ・・・ホッチ」

リードは、もう一度、小さな声で呟いた。

***

クリスマス・イブ。

いつもより早い時間にリードはカフェから帰ってきた。屋根裏部屋でホッチが迎え入れる。今夜は、そのカフェでのパーティーだ。

「ただいまー。さっむいね」

「暖炉の前に行くといい」

「うん。ありがとう」

リードは暖炉の火に手を翳した。

「意外に早く帰ってきたんだな」

「うん。パーティーの準備は店長と他のギャルソンがやってる。ほら、僕は着替えないといけないから。ね?化粧もしないといけないし」

「ムーラン・ルージュの看板娘が来るんだから、客も喜ぶだろう」

「あはは。元、だよー。じゃ、着替えようっかなー」

「リード、今夜は何を着ていくんだ?」

「いつもの赤いドレスだよ」

「だったら・・・」

ホッチはいつも書き物をしている机の下から大きな箱を取り出した。赤いリボンがかけられている。

「なぁに?」

「クリスマス・プレゼントだ。これを着て行ったらいいかと・・・」

「え・・・今夜のパーティー用?」

「いや、もちろん、普段に着たっていいんだが・・・」

「開けてもいい?」

「ああ」

リードは丁寧にリボンとラッピングを外し、そっと蓋を開けた。

「うわぁ・・・」

現れたのは、赤いドレスだった。けれども、普段着ているものよりも上質な生地なのは見ただけでわかる。光沢があるからだ。リードは赤いドレスを持ち上げた。ギャザーの寄り方やデザインが、今のパリの流行のものだと分かる。

「綺麗・・・ありがとう、ホッチ!」

「着替えるのを手伝おう」

リードはギャルソンの服を脱いだ。床にどんどん落とす。下着も女性用のものに変え、ガターベルトも身に付ける。ベッドに座ると、ホッチが長靴下を履くのを手伝う。金色の留め金。そして、ドレス。オフショルダーのドレスで、胸の辺りが浅くカットされている。ベッドから立とうとしたリードを手で止める。そして箱の中で薄い紙の下に隠れている靴を取り出し、リードの足を取る。

「えっ、靴も?」

「ああ。せっかくのクリスマスだから。ドレスと一緒に展示してあって、全てをリードに着せたいと思った」

赤いサテンの靴をリードの足に履かせる。そして、踝に軽くキスをする。

「ありがとう、ホッチ。でも、ごめんね。いっぱいお金を使わせちゃって」

「クリスマスだろう?」

「そうだけど・・・。あ、じゃあ、待ってて、ホッチ」

リードはベッドから降りると自分の衣装箱の中から、包みを取り出した。

「ホッチはこれを身に付けて、パーティーに行ってね。今日も寒いんだから!」

そう言って、包みをホッチに押し付ける。

「・・・僕からのクリスマス・プレゼント。開けてみて」

「君だって、随分とお金を地受かったんじゃないのか?」

「だって、クリスマスでしょ?それに、このためにムーラン・ルージュのお仕事も頑張ったんだもん」

「そうか」

ホッチもリードと同じように、丁寧に包みを開いた。手袋とマフラー。

「これは・・・羊だな」

さすが、元貴族のホッチは見抜いていた。

「内側がね、ベルベッドになっていて、あったかいんだって。って、お店の人の受け売りなんだけど。僕、革のことなんか、全然わかんなくて」

「マフラーも暖かそうだ。いや、絶対に暖かいな。ああ、カードも」

「そう!ホッチの名前を書いたらね、店員さんがびっくりしてた。貴方のファンなんだって!僕、すっごく嬉しかった」

「知名度じゃ、君の方が上だと思うぞ。ムーラン・ルージュの看板娘」

「だから、それは昔の話!」

くすぐったそうにリードは笑った。

「俺の名前が売れたのはその踊り子のおかげだ。君をモデルにした小説で売れるようになった」

「貴方の実力だよ。僕は何もしていない」

「俺の傍にいることを選んでくれた」

「···貴方の傍じゃないと、生きていけないもん」

「これからも、ずっと、俺の傍に?」

リードはこくりと頷いた。

ホッチはリードの首にかかっている、リングを通したチェーンを外した。小さなルビーの指輪。チェーンから指輪を抜き、それをリードの薬指に嵌める。

「仕上げをしよう」

「そうだね。化粧をしなくちゃ」

「その前に···」

ホッチはデスクの上から、紙束に隠した小さな箱を取り出した。

「踊り子はもっと着飾らないとな」

蓋を開け、ネックレスを取り出す。一粒ルビーのネックレス。しかし、赤い石の周りが透明度の高い石で囲まれている。

「鏡の前へ」

ホッチがリードをドレッサーへと促す。

椅子に座ったリードの首に、後ろからネックレスを回し、後ろで留める。

リードは鏡の中の自分、否、首元を覗き込んだ。

「凄い···キラきらしてる···」

「小粒だが、ダイヤモンドをあしらっている」

「ダイヤモンドって···え···これ、絶対に高いでしょ···」

リードは後ろを振り向いて、ホッチを見上げる。

「まだ、あるんだ」

「え、ちょっと待って。僕、心臓が止まりそう」

「いや、まだ死なないでくれ」

笑いながら、ホッチは耳飾りを取り出した。やはりルビーだ。クリップでリードの耳朶にルビーをあしらう。

「ああ、やはり、リードは赤色が似合うな。これでルージュを引いたら完璧だ」

ホッチはドレッサーの上からルージュを取り上げてリードに渡す。リードは鏡の中の自分を覗き込みながら、唇に紅を引く。鏡の中に、踊り子が現れる。

「綺麗だ」

「綺麗なのは、ドレスとルビーのおかげだよ」

「そんなことはない」

ホッチはリードを後ろから抱き締めた。その腕にリードは自分の手をそっと重ねる。

「このままベッドに連れて行きたいくらいだ」

「僕もベッドに連れて行ってほしいくらい」

「しかし···時間だな」

「うん···」

「でも···パーティーが終わったら···」

「そうだな···」

ホッチは腕を解き、リードを立たせる。赤いコートとストールを渡し、自分もコートを着る。もちろん、首にはリードから贈られたマフラーを巻く。コートを着終わった、リードがホッチの前に立ち、マフラーを整える。

「どお?」

「暖かい」

「良かった」

リードは赤いサテンのハイヒールで爪先立ちをする。そして、ホッチに腕を絡めてギュッと抱きしめた。

「今夜は、貴方の為にも歌うね」

「パーティーを盛り上げてくれ」

「うん。···大好き、ホッチ」

「俺もだ」

***

美しく着飾ったリードは、カフェでのパーティーを随分と盛り上げた。モンマルトルの芸術家たちは喜び、そしてホッチの小説を褒めた。

パーティーの終盤で、ある一人の画家が、布に包まれた大きな絵をホッチに渡した。

「これは?」

「我ながら、なかなかよく描けたんだ。あんたたちへのクリスマス·プレゼントだ」

白布を外すと、赤い踊り子の油絵が現れた。ドレスや手袋は赤いが、肌は陶器のように白い。赤と白のコントラスト。額縁の中で躍動する踊り子。

「もうしばらくしたら、日本に帰るんでね。その前に、あの子を描くことができて良かった」

「いただいてもいいんですか?」

「クリスマス·プレゼントだよ」

「俺は何も」

「いいんだ。君の小説とムーラン·ルージュの踊り子からは、多くのインスピレーションをもらったからね。そのお返しだよ」

「自分も、リードからは多くのものを貰っています」

「あの子は、たくさんのものをたくさんの人々に与えることのできる子だ。···幸せに」

「ありがとうございます」

ホッチはもう一度、絵を眺めると、白布をかけた。そこへリードがやってくる。

「みなさーん!オーナーの力作、ブッシュ·ド·ノエルですよー!」

パーティーは、まだまだ終わりそうにない。けれども、自分が贈ったもので彩られたリードを見て、その美しさに誇らしくなるホッチだった。そして。心から、その姿を、愛おしいと思うのだった。

シャンパンの入ったグラスが、日本人画家から差し出される。

「ノエルと踊り子に、乾杯」

ホッチは頷き、自分のグラスを合わせる。

硬質な、それでいて美しい音色が、店の喧騒の中で小さく響いた。

Fin