月別アーカイブ: 2023年4月

親愛ラプソディ

「ジェイク。ジェイクジェイクジェイク。ジェイク~」

コヨーテによる面接と試験を乗り越えて、ハングマンをジェイク呼びする許可を得るなり、ルースターは少々、五月蝿い男になった。名前を呼ばれているハングマンは適当に聞き流している。なので、「ジェイク」という名前だけが、宙に霧散する。とはいえ、基地や仕事中にジェイク呼びをすると、氷の視線で睨めつけられるので、今のところ二人っきりの時やコヨーテが一緒の時にしか、ジェイク呼びはしていない。

「なあ、ジェイク。今度の休み、一緒にマーヴェリックのところに行かないか?」

「・・・モハーヴェか?」

以前したBBQの話を思い出して聞き返す。

「あ、いや。そっちの方じゃなくて。あ、もちろん、BBQもみんなとやりたいんだけどさ。えっと・・・正確に言うと、アイスおじさんとマーヴェリックの家」

「・・・どうして?」

「う・・・その・・・えーと・・・」

グリズリーのようなデカい男が言い淀んでいる姿が面白い。

「まあ、いい。行けばいいんだろ」

そう返事をすると、ルースターの顔がパァッと明るくなる。単純な奴だな、と思いながら「で?手土産は何がいいんだ?」と言ってやった。

「いや!ジェイクそのものが手土産だから!」

と、訳のわからないことを言いながら、ルースターは子どものように喜んだ。

***

結局のところ。二人の休みが一致したのは、それから二週間後のことだった。その二週間の間にも変化はあって、ルースターが自分の官舎に帰る回数が減り、彼の私物がハングマンの部屋の次第に増えて行ったこと。それと、同じベッドで眠るようになったことだった。と言っても、ルースターは今のところ、ハングマンに手を出していない。キスすらしていない状況である。思うに、ハングマンの過去のことがあるからだろう。

アイスマンとマーヴェリックの家に行く日は、晴れていた。

「あー・・・、こんなにいい天気なら、アイスおじさんの家でなくて、何処かビーチとか行きたいよなぁ」

とルースターが言うのを聞いて、

「その言葉、そのまま大佐に伝えるぞ」

とハングマンは言った’。すると、ルースターは慌てて「ごめん!やめて!内緒にして!」と焦っていた。よほど、それを言うと、マーヴェリックと面倒なことになるらしい。

「別に。一日中、大佐の家にいるわけじゃないだろうから、午後からはどこかに行けるだろ」

「え!?いいのか!?えー、何処に行こう」

嬉しそうに検索し始めようしたので、ハングマンはスマホを取り上げた。

「いいから。まずは、行くぞ。俺の気が変わらないうちに」

「え、気が変わる?いや、行こう。まずは、アイスおじさんの家に行こうっ」

ルースターはハングマンの手を引くと、空色のブロンコのドアを開けた。

「乗って」

「言われなくても」

本当は、この二週間の間で、ハングマンの気は変わりそうだった。正直にいえば、コヨーテに相談した。行くのは、あまり乗り気ではない、と。そうしたらコヨーテは「怖いんだね」と言って、ハングマンの短いブロンドを撫でてくれた。親友の言葉を聞いて「そうか。自分は怖いのか」と自覚した。一体、何に?自分の存在?負い目?よくはわからないが、「怖い」ということは自覚した。そんなハングマンにコヨーテは「カザンスキー大将も、教官も、ジェイクの良き理解者だと思うよ?ここは、親友を信じてみなよ」。その言葉がなかったら、きっとハングマンは、この休みの日に急遽仕事を入れていたかもしれない。ウォーロックに頼み込んで。

空色のブロンコは、もう走り出している。戻ることはできない。

ハングマンは、流れる外の景色を見ながら、自分が作らなければならない表情のことを考えた。

***

「おかえり!ブラッドリー!」

「ただいま、マーブ。昨日も、基地で会ってるけど」

「仕事とプライベートは違うだろう?やあ、ハングマン!いらっしゃい。待ってたよ」

とびきりの「例の顔」で迎え入れられる。

「お邪魔します」

「ジェイク、遠慮しないで。入って」

「ジェイク?」

マーヴェリックが、耳ざとくキャッチアップする。

「そうか。そうだよな。ねぇ、ハングマン。僕も君のことを「ジェイク」って呼んでいいかな?いいよね!よかった。ほら、入って。アイスも待ってる」

自己完結するのが大佐のナチュラルスタンダートなんだな、とハングマンは思いつつ、否定はしなかった。リビングでは、ラフな服装の海軍大将がコーヒーを淹れていた。

「先日は会ってくれてありがとう」

「いえ。こちらこそ、美味しい酒をご馳走になりました」

「座るといい」

「失礼します」

ルースターにとっては「アイスおじさん」だが、ハングマンにしてみれば、「海軍大将」である。最低限の礼儀は弁える。それを「崩すように」と無理強いしないところがありがたかった。皆が、ソファセットに座る。ハングマンは、視線だけで、さっ三人を見渡した。絵に描いたような、幸せな家族。確かに、ルースターとマーヴェリックの間には、深い溝があったのだろうが、きっとそれはほぼ解消されたのだろう。

「えーっと、それでね。アイスおじさん、マーヴェリック。前にも言ったんだけど・・・」

ルースターが話し出したのを、マーヴェリックが遮った。悪気はなく、言いたくて仕方がなかっただけだろう。

「それにしても、ジェイクがブラッドリーと付き合うなんて、本当に喜ばしいと思うよ」

マーヴェリックが嬉しそうに言う。

「付き合っていませんよ」

ハングマンは爽やかに答えた。最高の笑顔を伴って。

「え?」

困惑の表情を浮かべるマーヴェリック。

「ルースターに付き合ってほしいと言われたことはありません」

「あ・・・(汗)」←付き合っているつもりでいた。

ハングマンの言葉に、詰まるルースター。

「そもそも、彼に好きだと言われたこともありませんし」

「・・・あ・・・(滝汗)」←好きだと伝えたつもりになってた。

ハングマンは優雅な手つきでコーヒーカップを持ち上げると、薄い口唇を陶器に付けた。

「・・・ブラッドリー・ブラッドショー大尉っ!!!」

マーヴェリックの鋭い声がリビングに響く。

「Yes,Sir!」

上官モード全開で名前を呼ばれて、ルースターは思わずソファから立ち上がり、直立不動の姿勢を取る。

「どうやら君には教育的指導が必要のようだ。来なさいっ!」

「Yes,Sir!」

「アイス、ジェイクを頼む。ジェイク、ちょっとこのバカ息子を指導してくるから、ゆっくりとお茶しててね。ブラッドショー大尉、こちらへ」

前半はとても慈愛に満ちているが、後半は厳しい口調だった。ハングマンの目の前の海軍大将は肩を震わせて笑っている。

「すみません。大佐に誤解を与えていたようですが、事実なので」

「いや・・・いい・・・いいんだ」

可笑しみが止まらないらしい。手で口を押さえて、笑っている。

「けれども、どうなのかな?あの子が君に、きちんと伝えたら、君は受け入れてくれるんだろうか。ジェイク」

いつの間にか、海軍大将にまでファースト・ネーム呼びされるのか。展開が早いな、この家族は。などと思いながら、ハングマンは小さく首を傾げた。

「・・・・・・自分に拒否権がありますか?」

「どういうことかな?」

「俺がΩだということを、大将も大佐も失念していませんか?」

「ああ・・・それは、関係ないな。面白い昔話を聞かせてやろう。昔、私がマーヴェリックにプロポーズしたら、あいつはどうしたと思う?」

「・・・さあ」

わからないので、そう答えるしかない。

「あいつは逃げんたんだ。しかも普通の逃げ方じゃない。わざと問題を起こして、海外の戦地に飛ばされるようにして私から逃げた。だから、Ωだからと言って、αに縛られる必要はないんだよ」

「・・・マーヴェリックらしい話ですね」

「君にはブラッドリーを拒否する権利がある。けれども、拒否されてもブラッドリーはしつこく君を追うだろう。あの子は、F14でマーヴェリックを迎えに行った私の姿を見ているからね」

「は?」

「逃げられたら、追うしかないだろう?諦めたくない相手だったら。だから、私は指輪を持ってF14を飛ばして、マーヴェリックのところへ行った。待つのは苦手な性分なんだ」

すごいな、この夫婦。軍法会議もののことをやったんだ、若い時に。スケールがバカデカ過ぎて、理解に苦しむ。ああ、でも、だから海軍のビッグカップルなのか。でもやってることは、バカップルだな。などと、失礼なことを考える。

「・・・拒否したら、ルースターは・・・」

「ストーカーという犯罪者にならないように見張っておくよ、と言いたいところだが、できれば君に受け入れてもらえると嬉しいね」

「・・・受け入れていないわけではないので。さっきは、少々意地の悪いことを言いました」

「いや。きちんと言葉にしないブラッドリーが悪い。けれども、今の君の言葉を聞いて本当に嬉しく思うよ」

そう言われても、この幸せそうな家族の中に自分が入るは憚られる。ハングマンは、一息ついて、アイスマンをしっかりと見た。

「ルースターは言わなかったそうですが・・・自分は昔、子ども流しています。暴力を受けて妊娠して、暴力を受けて流産しました」

何の感情も込めずに、ハングマンは海軍大将に打ち明けた。目の前のアイスマンは動揺することもなく、ハングマンを優しく見つめる。

「・・・私が、空を降りて、海軍大将にまで登り詰めたのには理由がある」

「マーヴェリックですね?」

「マーヴェリックだけじゃない。君のような優秀な人間が、第二の性ゆえに、その力や翼を折られるのが我慢ならないからだ。もちろん、女性の地位向上のためもある」

ハングマンはフェニックスやヘイローの顔を思い浮かべた。彼女たちは、生き生きと空を駆ける。けれども、きっとマーヴェリックたちが若い頃は、そうではなかったのだろう。

「それと・・・差し出がましかったかもれないが、過去に君を傷つけた輩は、すでに排除した。もはや軍籍ではないし、社会的にも行く途は閉ざした」

アイスマンは、先ほどまでの温かな笑みを消し、絶対零度の酷く冷えた乾いた笑みを目に浮かべた。ハングマンの背筋がゾクリとする。敵に回してはいけない存在。

「・・・お手数をおかけしました」

「それが、私の仕事だ」

おそらく。海軍大将は義理の息子の話の断片から、ハングマンの過去のことを調べ上げたのだろう。当時の配属、ハングマンが行った病院。いくらでも調べることは可能だ。海軍大将であれば。サイクロンやウォーロックも動いたかのかもしれない。

「あの・・・大佐は知っていますか?」

「いや。君の許可なく話すことはしない。それが妻であっても。」

「でしたら・・・大将から話してくださって。構いません。・・・この先、ルースターとの関係がどうなるかは、正直わかりませんが・・・もし、番ったとしても、子を孕める身体かどうかはわかりません。・・・大佐は、子どもが好きそうなので。言っておかないと、がっかりさせるかもしれません」

「・・・伝えておこう。しかし、マーヴェリックは、ただただ、息子の好きな君の存在を大事にすると思うがね」

ハングマンは返事をせず、ただ小さく笑った。

バタバタと、人が階段を降りてくる音がする。どうやら、マーヴェリックによる教育的指導が終わったらしい。

「ほら!ブラッドリー!ケジメはちゃんとつけなさい!」

「はいっ!」

マーヴェリックに背中を押されて、ルースターがハングマンに近づく。そして、床に膝をついた。

「えっと・・・ごめんっ!!!俺、ちょっと浮かれてて、色々と順番が逆になった!・・・ジェイク・・・今更なんだけど、すっごく好きなんだ。だから、俺と付き合ってくださいっ!!!」

義理の親の前で公開告白を強要される雄鶏が可愛くて、そして少し可哀想になる。だから、ハングマンは答えた。

「ああ。いいよ」

その姿を、アイスマンとマーヴェリックが、微笑ましく眺めていた。

***

「あーっ!!!最悪っ!」

「・・・親の前で公開告白したことか?」

「違うっ!!!それはそれで嬉しかった!!最悪なのは、俺!!!・・・俺さ、本当に言ったつもりになってたんだ。ジェイクのことがずっと好きだったし、ジェイクは俺のためにご飯作ってくれるし、家に泊まってもO Kだし・・・。それが・・・伝えていなかったなんて・・・。マーヴに殴られても仕方がない」

「殴られたのか?」

「いや。それはないんだけど。ただ・・・俺のガキの頃の有る事無い事を基地の連中に言いふらすって脅された」

「は?」

それが脅しになるんですか、大佐。あなたは子どもですか。大人気ない。

上官の精神年齢を疑いながら、ハングマンは運転席の雄鶏を見やった。けれども、あの人らしいな、とは思う。ハングマンはさっきのことを思い出した。

「昼食を一緒に」とマーヴェリックが言い、キッチンへ行ったので、ハングマンは「手伝います」と一緒にキッチンに立ったのだ。

二人で昼食を作りながら、

「僕のことをお母さんて呼んでくれてもいいじゃないかっ」

「呼びませんよ。呼ぶわけないじゃないですか。あーっ!大佐!油を入れすぎです!」

「せめて、マーヴって呼んでくれても!」

「いいから!フライパンを見てください!火が!!早く、食材を入れてください!」

というやりとりを行った後、結局ハングマンが作ることになった。キッチンでテキパキと動くハングマンの背中を見て、

「なんて、いい子がブラッドのお嫁さんになってくれたんだ」

と泣きそうになっているので、思わず「まだ、嫁じゃないです!」と否定した。その後、ものすごく悲しい顔をされたので、失敗したなとは思ったが、アイスマンが「マーヴェリック、少し落ち着きなさい」と間に入ってっくれて助かった。

空のレジェンドも、ポンコツなところはあるんだな、と失礼なことを思った。

それでも、「いい家族なんだよな、きっと」とも思う。

ルースターがブロンコを路肩に停めた。シートベルトを外して、ハングマンの方に身体を向ける。そして、そっとハングマンの腕に触れる。

「なぁ、キスしていい?」

「・・・そうだな。コヨーテがいいって言ったら、いいぞ」

「え?それもコヨーテの許可制なのか!?ちょっと待って!電話する!」

ルースターが尻のポケットからスマホを取り出してタップする。

ああ、前にも見たな、この光景。

ハングマンは、小さく笑いながら、ルースターとコヨーテのやりとりを聞いていた。動かない、車窓からの景色を眺めながら。

END

グラスの中の琥珀色

フェニックス曰く。

「いつからバッグマンのひよこになったのよ、雄鶏は」

そんな風に評されるほど、ルースターはハングマンに付き纏っていた。側から見れば。しかし、当の本人は思いっきり「ハングマンを守っている」つもりである。そんなルースターの行動を理解できているのはコヨーテぐらいだった。纏わりつかれているハングマンといえば、興味なさそうに「放置」している。いてもいなくても、どうでもいい。正直、先日のルースターによる「守るから」発言が、このような行動に繋がっていることがわかっていなかった。別に守って欲しいとか、理解して欲しいとか、そんなことはどうでもよく、淡々と過去を教えただけに過ぎない。あの話は、他にはコヨーテしか知らない。コヨーテは口が固かったし、今となっては、何故自分がルースターに話したのか。その理由もわからなかった。

「げっ」

ルースターがスマホを見て声を上げる。興味はなかったが、ハングマンも立ち止まって、ルースターを見る。

「・・・ごめん。ハングマン。今夜はお前の家に行けない・・・。マーヴから呼び出しがかかった」

「別に。家に来る約束はしてないだろ。今日に限らず」

「いや、まあ・・・そうなんだけど・・・」

飲みに行く以外は、ほぼ毎日ハングマンの家での夕食が習慣化されつつあった。

「前にも言ったような気がするが、せっかく和解したんだ。もっと会えばいい。むしろ、優先するのはそっちじゃないのか?」

「う・・・・・・」

正論を言われて、返す言葉がない。

「じゃあな」

「ハングマン~」

そんな二人のやり取りを見て、ボブが言った。

「何だか、ルースターの一方通行なのかなぁ。でも、ハングマンも嫌だったら、もっとはっきり突っぱねると思うんだよね。うん」

その言葉に周囲の仲間たちも「うんうん」と頷いている。頷かなかったのは、コヨーテだけだった。彼だけは、親友の微細な本人も気づいていない、微細な心の変化を感じ取っていた。

***

フライトスーツからサービス・カーキに着替え、提出する書類を持って上官の執務室に向かう。ノックをして入室すると、サイクロンとウォーロックがいた。いつもの景色である。

「そうか。今日は君が書類を持参する当番だったか。それは、ちょうど良かった」

ウォーロックに言われて、微かに疑問の眼差しを向ける。しかし、答えたのはサイクロンだった。

「セレシン大尉。今日は定時で上がり、この場所へ行ってくれ」

一枚のメモが渡される。受け取った紙片を見れば、ホテルの名前と住所、そして時刻が書かれていた。

「そのホテルの最上階にあるラウンジで、カザンスキー大将がお待ちになっている。プライベートなので、軍服で行かないように。ドレスコードだが・・・」

「そこは会員制のラウンジですね。わかりました。カザンスキー大将に恥をかかせない服装で行けば良い・・・ということですね」

「察しがいいな」

「悪い話じゃない。心配するな」

ウォーロックが、優しい声で後を続けた。

***

悪い話じゃない。

これは、この場合、信用できないだろう。自分は仕事でミスはしていないし、面倒なことも起こしていない。そもそも、ホテルのラウンジで会うのならば、仕事は関係ないだろう。そうなると、考えられるのは、ルースターの存在しかない。

「別に、俺から近づいたわけじゃないんだが・・・」

それが事実だが、きっとそのようには受け取られなかったのだろう。ルースターは、あのトム”アイスマン”カザンスキー大将の義理の息子のような存在だ。海軍においての絶対権力をもつ優秀なαの息子。側にいるのは、一点の曇りもない、優秀な人間であるのが好ましいのだろう。

「失敗した。関わりらせすぎた」

今更言ったところで仕方がないが、離れるには、ちょうど良いタイミングだったかもしれない。自分から近づかなかったにせよ、寄ってくるのを冷たく拒絶しなかった自分も悪い。つい「面倒臭い」という思考が出てしまった。そのことは、今後の反省に生かすとする。

少し光沢のあるライトグレーのスーツに黒のハイネックを合わせたハングマンは、指定された時刻通りに、ホテルの最上階に着いた。ラウンジの入り口で、名乗ろうとしたが、すぐに中へ通された。

「お連れ様がお見えです」

他と隔絶されたボックス席で、海軍大将が長い足を組んで座っていた。テーブルの上には、琥珀色の液体の入ったカットグラスが置かれている。

「お待たせしてしまい、申し訳ありません」

「いや。時間通りだ。早くもなく、遅くもなく。ちょうどいい」

手で向いの席を示されたので、「失礼します」と言って座った。

「私と同じものでいいかな?それとも、決めた酒があるかな?」

「いえ。同じもので」

アイスマンが視線を黒服に送る。それから、すぐに同じ琥珀色の液体がグラスに入って提供された。

「救世主に」

そう言って、アイスマンはグラスを軽く掲げた。咄嗟に、ハングマンもグラスを持ったが、思わず指先に力が入った。

「言っても無理かもしれないが、そう緊張しないでくれ。私は今、海軍大将の肩書は置いてきているんだ」

そう言って微笑むアイスマンを見て、「やっぱりな」とハングマンは思った。けれども、次にアイスマンの口から溢れたのは、思いがけない言葉だった。

「ジェイク”ハングマン”セレシン大尉。私の妻と息子の生命を救ってくれてありがとう。心から感謝する。本当はもっと早くに礼を言いたかったが、こんなにも遅くなってしまった。許してくれ」

目の前の美丈夫の妻といえば、マーヴェリックだし、息子はルースターだ。確かに、自分はあの二人を窮地から救ったが、アイスマンに礼を言われるとは思わなかった。

「・・・いえ。当然のことをしたまでです。それに、本当にギリギリでした」

「それは仕方がない。サイクロンの立場では、すぐには君に発艦命令は出せなかった。もっと早くに決断すべきだったと、彼は言っている。それでも、即座に状況を判断し、敵機を撃墜したのは、さすが腕が良いとしか言いようがない。ああ、ちゃんと戦績データと報告書を読んだ上で言っている。本当に君には感謝しかない」

「・・・・・・」

どう答えていいか分からずに、ハングマンは黙ってグラスを両手で持つしかなかった。それでも、考えて、ようやく口を開く。

「・・・敵地からF14で戻ってきたのは、教官とルースターです。それがなければ、自分はどうしようもなかった。だから、あの二人は、自分たちの力で生命を繋いだのだと思います。それに、F14で第5世代とドッグファイトができたのは、教官の腕があったからでしょう。・・・自分がしたことは・・・うまく言えませんが・・・そんな礼を言われるほど大したことではありません」

アイスマンは怒った風でもなく、グラスを弄びながら言った。

「君は、優秀だ。データで分かる。おそらく、ルースターよりもマーヴェリックに近いのは君だ。君の飛び方は、早いだけではなく、理論や理屈に裏付けされている。・・・そのことをあまり言わないようだがね。マーヴェリックは、窮地に陥れば、勘で飛ぶ。もちろんそれは、長年の経験で培われたものだが、若い時は違った。しかし、君は計算ができる。何手も先を読んで飛ぶことができる」

「いえ。教官は、マーヴェリックは凄いと思います」

「そうだな。けれども、あいつはチェスが苦手なんだ。先を読むのが苦手だからだ。君は、得意そうだ」

確かに。チェスは好きだし、得意な方だ。けれども、飛行機の飛ばし方に関係などあるだろうか。目の前にいるのは、トップガンの首席だ。今は空を降りたとはいえ、飛行機乗りを知っている人間だ。ハングマンは、この会合の先が読めないでいた。だから、自分から仕掛けることにした。

「・・・ルースター・・・いえ、ブラッドショー大尉から、何かお聞きになりましたか?」

「どんな話かな」

「・・・きっとプロフィールでご存知かと思いますが、自分はΩです」

「・・・そうだね。ブラッドリーは、とても気になる子がいると言っていた。そして、その子は過去にとても辛い目にあったそうだ。だから、守ってやりたいと。そう言っていたよ。もちろん、その子の名誉のため、と言って、何があったかは教えてくれなかったけれどね。私は、自分の息子の恋を応援してあげたいと思うよ。これはマーヴェリックも同意見だ」

アイスマンの目を見て、確信する。どうやら、ルースターは自分のことをアイスマンとマーヴェリックに話したのだ。そして、二人は否定せずに、ルースターの話を受け入れたのだ。

ハングマンは無意識に自分の腹を触った。あの時、自分は何を考えた?・・・ほんの一瞬でも、ルースターの子を宿してもいいと、そう思わなかったか?

「今度、ルースターと一緒に家に来なさい。私もマーヴェリックも歓迎する」

「・・・・・・時間があったら・・・」

「ぜひ、その時間を作ってくれ」

***

1階のエントランスに降りると、アイスマンが言った。

「迎えを来させているから、送ってもらってくれ」

「いえ。自分はタクシーで・・・」

「ああ、来たな」

アイスマンの視線を追えば、いつものアロハシャツ姿の男が目に入る。

「あ!アイスおじさん!ハングマン!」

駆け寄って来たルースターが、ハングマンの肩に触れる。

「もうっ!言ってよ!マーヴェリックに呼ばれたと思ったら、アイスおじさんとハングマンが一緒に飲んでるなんてさ。しかし、俺が絶対に入れないドレスコードのあるとこじゃん!」

「スーツなら、買ってやっただろう」

「あ、ごめん。ちょっと鍛えすぎて入らなくなった」

「お前なぁ・・・。まあ、鍛えるのはいいことだ」

「えっと、話は・・・終わったの?」

「だから、ここにいる。彼を送ってあげなさい。もちろん、そのアロハで入れる店に寄り道するのは構わないぞ」

「そうする。なあ、ハングマン、どこか寄りたいところ、ある?」

「別に。・・・急に言われても・・・」

「だよなー。あ、じゃ、アイスおじさん、また今度ね」

「彼も一緒に連れて来なさい」

「え?あ、うん。・・・そうする!行こ。車の中で相談しようぜ」

ルースターがハングマンの背中に手を当てるのは、いつものことだった。その手にエスコートされて、外に出る。車寄せに、空色のブロンコが停まっていた。そしていつものように、ルースターが助手席のドアを開ける。「女の子じゃないんだけどもな」と思いつつ、座ってシートベルトをする。ルースターが運転席に乗り込んで、いきなりハンドルに突っ伏した。

「いやー・・・・マジ、やばい」

唐突すぎて、何がやばいのか、ハングマンにはわからない。

「・・・考えるの面倒だから、ハードデックにでも行くか?」

そうハングマンが言ったら、ルースターがガバッと身体を起こした。

「ダメっ!!!そーれーはー絶対にっっっダメっ!!!!!」

「・・・は?」

「だってさ!今日のハングマン、それ、めっちゃ反則!」

「訳がわからないが?」

「綺麗だってこと!いつも可愛けどさ、今のハングマンはすっげー、綺麗!そういう綺麗なハングマンをハードデックで他の連中に見せるとか、無理。できないね」

「あー・・・・お前、眼科に行け。いや、鶏だから獣医だな」

「いやもう、もっとよく見えるように、眼科に行きたいわ、俺」

「・・・本当に意味不明だが、家に帰るか?」」

「え?それもやだ。だって、俺、お前のこと見せびらかしたいもん」

「・・・どうしたいんだよ、一体」

「んー・・・そうだな。とりあえずさ・・・お前のこと「’ジェイク」って呼んでいい?」

唐突すぎる。本当に。けれども。

「・・・そうだな。コヨーテがいいって言ったら、いいぞ」

「え?コヨーテの許可が必要なのかよ!ちょっと待って!電話するかから!!!」

尻のポケットからスマホを取り出してタップする。どうやら、コヨーテはすぐに出たらしい。

「あ!なあなあ!コヨーテ!?俺さ、ハングマンのこと、「ジェイク」って呼びたいんだけど、いいか?え?は?面接が必要!?うわっ、ガードが硬いな!じゃあ、今から会えるか?ハングマンも一緒!あいつの前で許可くれよ!え?試験?マークシート式?なんで?え?あ、いや!受ける!受けます!受けさせてください!!!わかった!今から、そこの店に行くわ!!!」

「行き先は決まったみたいだな」

「決まった!絶対に、面接と試験、合格するから!」

そう言って、ルースターはブロンコを発進させた。

スーツのポケットの中でスマホが震えた。確認すると、コヨーテからのテキストだった。正確には、絵文字。そこには、スマイルマークが表示されていた。思わず、ハングマンは笑みをこぼした。どうやら、コヨーテは面白がっているらしい。けれども、きっと自分を思ってくれてのことなのだろう。ハングマンは「お手柔らかに」と短くテキストを返すと、スマホをポケットにしまった。隣を見ればルースターが「何を聞かれるんだろ。どんな試験かな」と呟いている。とりあえず自分は、酒を飲みながら二人のやりとりを見ていようと思った。

END

過去の出来事

というわけで(唐突)、ルースターはハングマンの官舎に入り浸っている。住んではいないが、入り浸っている。ハングマンも別に何も思わないので、何も言わない。食事はハングマンが作ることが多いが、後片付けはルースターがやってくれるので、楽だなぁ・・・ぐらいは思っているけれども。ああ、それと何故だか調子が良かった。口癖の返しではなく、本当に調子が良かった。日常的に「絶好調だ」とは言っているが、それは半分以上は嘘だ。そのことはコヨーテが一番よく知っている。調子が悪いことを知られると空を飛べなくなるので、反射的に「絶好調だ」を言うことにしている。けれども、やたらルースターが近くにいるようになってから、誤魔化しではなく本当に調子がいい。できだけ省エネで生きているのは変わらないが、奇妙な怠さとかがない。だから、今日も気分よく、飛ぶことができた。まさに「絶好調」だった。そして、今日もルースターはハングマンの官舎にやってきて(というよりも一緒に帰ってきた)、夕食を取った。昨日からセレシン家特製のソースに漬け込んでおいたスペアリブを焼いたのとグリーンサラダ。そしてルースターの前にだけ、キャロットラペが置かれている。これも昨日のうちに作っておいたものだ。炭水化物は、昨日ルースターがお気に入りのパン屋で買ったライ麦パン。つまり、昨日もルースターはハングマンの官舎に来ている。ハングマンが何も言わないので、雰囲気に甘えているのである。

「なぁ、めっちゃ美味しいんだけどさ。お前、面倒くさくない?こうやって夕食を作るの。仕事で疲れてるだろうしさ。それに朝だって・・・」

ルースターは朝食もハングマン宅で食べている。

「別に。慣れてるから大したことじゃない。作りたくなかったら、作らない」

「作りたくないなーって思ったことねぇの?」

「・・・・・・」

正直に言えば、ある。けれどもそれは、ルースターが入り浸るようになる前に話であって、今は面倒でもなんでもない。むしろ、ルースターがよく食べるので、熊に餌付けをしているようで面白い。なんでも食べるグリズリー。エンゲル係数が高くなるが、外食する時や飲む時はルースター持ちだし、なんだかんだとハングマンの好きなものを買ってくるので、イーブンどころか、きっとルースターの方が出費は多いだろう。昨日は、ブルトンヌのクッキー缶を持ってきた。ミントグリーンの缶が好きなので、嬉しい。

「ハングマン?」

急に無言になった救世主に心配げに声をかける。

「・・・とりあえず、今のところは作りたくたいって思ったことはない。作りたくない時は言う」

「うん。そうして。な?」

「ああ」

ルースターはスペアリブに齧り付き、ハングマンはナイフとフォークを使って丁寧に肉を骨から外して食べる。「美味しそうに食べる熊だな」と思いながら、柔らかい肉をゆっくりと咀嚼した。

***

夕食の後は、二人でネットフリックスを観るか、ハングマンが読書でルースターがスマホチェック(しつつのゲーム)するかのどちらかが多い。ルースターが食器を洗い終えると、ハングマンがペーパーバッグを持ってソファに行ったので、「今日は読書だな」と判断する。勝手にコーヒーを淹れて、クッキー缶と一緒に持っていく。ハングマンが本を読んでいる時は話しかけない。「ジェイクはね、読書の邪魔をされると不機嫌になりから」というコヨーテの教えを守っている。最初は、コーヒーに口をつけ、クッキーを摘みながら本を読んでいたが、そのうち、夢中になったらしく集中している。スマホチェックを終えたルースターがクッキーを一枚取り、それでハングマンの口の端っこを突くと、ハングマンは視線はそのままに顔を少し動かしてクッキー食べる。この餌付けみたいな行為が、ルースターの最近のお気に入りである。読書の邪魔をせず、ハングマンに噛むことができ、尚且つハングマンの可愛い姿を見ることができるという一石三鳥だった。問題は、ハングマンが「いつの間にかクッキーがなくなってる!!!!」と小さく騒ぐことぐらいだが、きちんと説明したところ、自分が食べたことに納得した。

それから、約1時間。

ハングマンは、。ペーパーバッグを閉じた。小さく溜息をつく。

「面白かった?」

「うん。まあ、続けて読んでるシリーズだし」

「’何で、そのシリーズが好きなんだ?」

「・・・・・・異質な物でも、家族になれる話だから・・・?よくわかんない」

ハングマンがローテーブルの上においたペーパーバッグの表紙には、「’これはいったいいつの時代のロボットですか?これは小学生の工作ですか?」というような、直方体の頭を持つロボットが描かれていた。胸の辺りはガムデープで留めてある。

「このロボットが主人公?」

「タング。そのロボット、タング。・・・タングを取り囲む全部が主役・・・。まぁ、俺の解釈だけど」

「家族か。テキサスの実家には帰ってるのか?」

「いや。ここ数年は全然」

「忙しいからか?」

「・・・何となく。お前こそ、せっかく和解したんだから、大佐のところに行けばいいんじゃないのか?」

「うん。まあ。それはそれとして。な」

今の段階では、育てのマーヴよりも、目の前の救世主である。何気なく、さりげなく、ハングマンの生活の中に入り込んでいるので、もう少し先に進みたい。

「せっかく家族が側にいるのに」

「んー、マーヴとは没交渉だったからなー。アイスおじさんとは連絡を取ってたけど」

「だからこそ、一緒にいた方がいいんじゃねぇの?」

「・・・だったら、お前も一緒に行く?」

「行かない」

即答である。少々がっくりきたものの、行ったら行ったでマーヴェリックが煩そうなので、これでいい。

「なぁ」

ハングマンがルースターを見ずに言う。

「何で、お前は俺に何もしねぇの?」

「は?」

「・・・お前、αだろ」

「いや。αだからって、見境なくΩをどうこうするっていうのは・・・ないぞ?アイスおじさんにも、そういうのはクソ野郎のすることだってガキの頃から教えられてきたし」

「・・・ああ・・・大将が・・・」

「そりゃまあ、お前とはもっと仲良くなりたいとは思ってるけど」

そこで初めて、ハングマンがルースターを見た。そして。

「変な奴」

そう言って、小さく笑った。

「いや!冗談抜きで!本当に!マジで!」

「・・・仲良くって・・・αがΩと仲良くなんて、ないだろ。友達みたいにさ」

「あると思うけどな。俺は」

と言いつつ、本当は友達以上になりたいので、複雑な心境のルースターだった。

「お前みたいな、α、珍しいな」

「そうかな。アイスおじさんを筆頭に、俺の周りには結構αがいるけど・・・みんなマーヴの味方だったし。そういうのを見て育ってきてるから・・・うん。やっぱり、そういう環境のせいなのかな。俺の中では、αとかΩとが、そういう括りがあんまりないんだよ。だって、マーヴがああいう感じだろ?それに・・・お前だって、そうだし」

「・・・Ωがお前よりも早く空を飛んだらムカつく?」

「だから。そういうのはないんだってば!」

「・・・でも、ムカつく奴はいるんだよ。軍の中にはな。むしろ、そっちの方が普通じゃねぇの?」

否定はできない話なので、ルースターは黙るしかなかった。マーヴェリックの若い頃の苦労話は、アイスマンから聞いてはいた。きっと、聞いた以上の差別はあったのだろう。時代が時代だった故に。

「・・・・・・俺たちのプロフィールには第二の性が明記されるよな」

「ああ、うん」

「上官はプロフィールを見るから、自分の部下がΩかどうかわかる」

「そう・・・だな」

「・・・昔、ドッグファイトの模擬訓練で、教官をキルしたことがある」

「すげーな。さすが救世主」

「・・・そのαの教官・・・中佐だったかな・・・それが面白くなくて、どうしたと思う?」

「え・・・ちょ、ちょっと待て」

ハングマンの瞳を覗けば、そこには何の感情もなかった。けれども、このストーリーの流れはルースターにもわかる。

「・・・・・・仲間3人と力づくで、Ωの部下を嬲った」

Ωの部下は、ハングマンのことだ。怒りも悲しも映さない緑色の瞳がルースターの向こうを見ている。何か、大切なものが抜けているような、そして抜け殻のような、身体。

「夜通し犯されたから、次の日は飛べなかった」

Ωがそんな風に精を受ければ、どうなるかは予想がつく。

「・・・子どもが・・・できた?」

「相手が三人だから、誰の子かわからねーけど」

「・・・・・・今・・・その子は?」

ハングマンは右手のひらで自分の腹をさすった。

「流れた。・・・しばらくして、具合が悪くて、病院に行って、妊娠がわかって・・・。どうしようかなって考えてる時に、また上官に捕まった。・・・抵抗しなきゃよかったんだよな。でもさ、腹に子どもいるってわかっちまったからさ。子どもに何かったら、いけないって思って、抵抗した。そうしたら、上官は逆ギレして、腹を殴った。何回もな。・・・それで、流れた。・・・そういうαしか、俺は知らない」

淡々と話すハングマンの身体をルースターは無意識に引き寄せた。

「お、お、俺がっ・・・俺が、守る・・・からっ!」

涙の混じる声。

「ん?おいおい、何、泣いてんの?お前。αの雄鶏らしくねーな」

「悔しいっ!俺、そいつらのこと、殺してやりたいっ!」

「物騒な雄鶏だな。・・・でもな、それが世の中の仕組みなんじゃねーの?・・・大佐はレアケースなんだよ」

「もっと早くに、お前のことを理解してたら、俺が守ってた!お前は空に愛されてんのにっ!何で!」

「・・・そうだな。愛されたかったな。でも、俺はダメなんだ。俺はマーヴェリックとは違う」

「愛されてるよ!だから、誰よりも速く飛べるっ!」

「・・・・・・」

ハングマンは返事をせずに、ポンポンとルースターの背中をタップした。雄鶏はグズグズとハングマンの肩で泣いている。

「俺が守るから・・・」

「・・・・・・ありがとな」

ハングマンは空いた手を、自分の腹に当てた。ほんの少し、自分の肩で泣く雄鶏の子を孕んでみてもいいかな、と思った。

END

雄鶏的にはデート

ハングマンは、ふんわりと覚醒した。柔らかなベッドの上で、見慣れた壁が目に入る。

昨日は食堂での宴開催中に体調が悪くなり、コヨーテに連れ出してもらった。「講義室で休もう」と親友が言ってくれたのは覚えているし、身体を彼に預けてうとうとしたのも覚えている。けれども、ここは講義室ではない。自分の部屋で自分のベッドだ。きっといつものように、コヨーテが連れ帰ってくれたのだろう。「あいつにランチでも奢んねーとな」と思いつつ、起きあがろうとしたところで、身体の自由が効かないことに気付く。痛みがあるわけではない。何かが自分の身体の動きを封じている。そして、それが非常によく鍛えられた男の腕であることがわかる。誰かの腕が、自分の身体に巻き付いているのだ。

「マジか・・・」

ハングマンはかろうじて自由な自分の手を動かして、自分の身体を検分する。痛みはない。着衣は昨日のサービス・カーキのままで、これといって乱れていない。皺にはなっていそうだけれども。首を触ってみたが、どうやら傷もできていない。

ハングマンは、再度、自分の身体に巻き付いている腕を見る。どうみても、親友の腕ではない。けれども、昨日、一緒にいたのは親友で。

「・・・わかんねー」

言いながら、何とか腕の中から脱出を試みようと、モゾモゾと動く。動きながら、「なんか、体調、いいな」と感じる。昨日はあれほど、動きたくなかったのに。

「・・・起きたのか・・・・ハングマン」

声を聞いて、ゾワリとする。それが、よく知った人間の声だったからだ。これなら、見知らぬ男の声の方が、まだこの状況にピッタリとくるのに。

戒めのような腕が解かれたので、ハングマンは両手をベッドに着きながら、ゆっくりと体を起こした。そして、仕方なく声の主を見る。やはり、ルースターだった。ハングマンは盛大にため息をつき、寝乱れたブロンドをかきあげると、焦点をルースターに合わせる。

「で?俺はシャワーを浴びた方がいいのか?それとも、このままの方がお前好みなのか?」

そう言いながら、ハングマンはサービス。カーキのボタンを外し始めた。

「ちょ、ちょっと待てっ!」

慌ててルースターが飛び起きる。そして、ハングマンの手首を掴む。傷まない程度の力で。

「あー・・・脱がせたかった?いや、それとも着たままがいいとか?まあ、いるよな、そういう奴。眠ってる俺を犯さなかった代わりに、要望は聞いてやるし」

「だから!ちょっと待ってくれ!ハングマン!」

「何だよ。αのくせに」

「知ってたのか」

「いや。俺は気づかなかった。興味ないし。ただ、コヨーテが、ルースターはαだから気をつけろって。危機管理ってやつ?俺は、αのくせにビビリでノロマだなって思ってた」

「あ・・・そ」

ガックリくる辛辣な言葉だが、少しハングマンの調子が戻ってきたようで嬉しかった。

「なぁ、体調はいいのか?」

「絶好調だ」

「うん。わかった。よかった。講義室でのお前、すっげー具合が悪そうでさ。心配した。それで、俺が官舎まで運んだんだけどさ」

「ん?コヨーテは?」

「お前、全然、身体に力が入っていなくてさ。コヨーテじゃ運べなくて、俺が運んだの。コヨーテも一緒に来た。お前をベッドに寝かせたら帰ったけど」

「なんで、お前は帰らなかったんだよ」

「心配だったし。コヨーテに頼まれたし」

「・・・コヨーテの奴、俺を売ったな。いつもなら、コヨーテが一緒にいてくれるのに」

「そう言うなよ」

「ふん。・・・ん?あれ?」

「どうした?ハングマン」

「・・・俺がΩだって、お前に言ってないよな」

「そうだな。俺も全然気づいてなかったし。昨日、コヨーテから聞いて知った」

「・・・コヨーテの奴。やっぱり俺を売った」

「いやいや、売ってない。あいつは、お前の味方を増やしたかったみたいだ」

「味方」

「そう。味方」

「ノロマなお前を?それはコヨーテの人選ミスだな」

口唇からこぼれる辛辣な言葉に、ルースターは安心する。

「とにかく。シャワーを浴びてこいよ。それから朝飯でも食いに行こうぜ。俺、腹が減った」

「・・・わかった」

ルースターがハングマンの手首を解放するのと同時に、ベッドを降りる。身体は痛くないし、本当に気分も絶好調だった。いつもなら、昨日のような状態は3日ほど続く。それが一晩眠っただけで解消されたのは初めてだった。

***

ハングマンと入れ替わりに、ルースターにバスルームを譲る。「タオルは適当に使っていいから」と伝えると「サンキュ」と返ってきた。

「あー・・・腹が減ったって言ってたな」

キッチンに向かってコーヒーを淹れる。淹れながら、朝食のメニューを考える。ルースターは、よく食べる男だ・・・という認識はあったが、何が好きかは分からない。

「まあ、食えて、量があればいっか」

ハングマンはフリッジと戸棚から、食材を色々と取り出し、慣れた手つきで料理を始めた。

***

「え?作ったのか?外で食べるんで良かったのに」

「んだよ、せっかく作ってやったのに」

「いや!ごめん!そうじゃない。ただ、面倒をかけたなって」

「別に俺も食べるし」

「ああ、うん。そうだな。でも・・・凄いな。お前、料理できるんだな」

「優秀だからな。コーヒーは?ブラック?」

「今日はブラックだな」

「毎日、好み変わるのか」

「そういうわけでもないけど。あ、サンキュ」

コーヒーが注がれたマグカップを渡される。ルースターは一口コーヒーを飲んでから、改めて食卓を見る。テーブルがこんなに料理で埋めつくされるのを見たのは、いつぶりだろうか。

「お前、毎朝、こんな量を食べるのか?」

「まさか。朝は、ほとんど食欲がないから、空を飛ぶのに必要最低限な栄養だけ摂取する」

「つまり?」

「適当な総合栄養食」

「じゃあ、これ・・・」

「お前の好みも、食う量もわからないから。いろんなものを多めに作っておけば、1つぐらい食えるものがあるだろ」

「ありがとう、ハングマン。嫌いなものはないし、ここにあるの全部好き。食べる」

「ふうん。・・・人参も?」

千切りの人参が乗ったグリーンサラダ。その皿をハングマンがルースターの方に押してくる。

「平気。美味しいだろ」

「うげっ」

「嫌いなのか?人参。綺麗で美味しそうな色してんじゃん」

「チッ。嫌がらせにならなかったか」

面白くない。という表情でハングマンが口唇を尖らせる。

「悪いな。基本的に俺に好き嫌いはない。子どもの頃、マーヴの手料理で鍛えられたから」

「あー・・・あの人、料理できなさそう」

「割と壊滅的。それでも、母さんのレシピはいくつかコピーできるようになったけど」

「ふうん」

「でも、お前は凄いな。あんな風に綺麗に空を早く飛べて、料理もできて」

「お前は?料理しないの?」

「マーヴよりはマシって程度。あ、BBQは得意」

「肉を焼くだけだろ」

「下ごしらえのシーズニングが大事なんだよ。これはスライダーおじさん仕込み」

「誰?」

「アイスおじさんのRIO」

「・・・・・・」

ハングマンの頭の中を「おじさん」というワードが舞う。そして、気付く。そうだ。トム”アイスマン”カザンスキー大将だ。マーヴェリックの夫で。ということは、ルースターの義理の父親みたいなものか。そう考えると、目の前の雄鶏には、物凄い後ろ盾が揃っていることになる。マーヴェリック。カザンスキー大将。確か、ベイツ少将もマーヴェリックの同期だ。けれども、ルースターが彼らの名前を出すことは今までなかった。

「ハングマン?どうかしたか?」

「いや。何でもない」

「BBQは嫌いか?」

「実家ではよくやってた」

「今度、みんなでやりたいよな、BBQ」

「みんな?」

「そう。コヨーテは当然だけど、フェニックスとかボブとか・・・みんなで。そのうち、みんなそれぞれの基地に帰るだろ?その前にさ。あ、マーヴに隠れ家を提供してもらおうかな」

「あの人、そんなの持ってるんだ」

「うん。マーヴはさ、バイクとか車とか、それと飛行機とかコレクションしてるから」

「は?飛行機?」

「そう。P51マスタング。さすがに一般家庭のガレージには入らないだろ。だから、アイスおじさんがマーヴェリックのために、使えるようにしたんだって。元は軍の保有施設」

「つまり、マスタングが格納できるでかいガレージ?」

「モハーヴェ砂漠にあるんだ。夫婦喧嘩した時はそこに逃げるって」

「あー・・・大将と大佐が夫婦喧嘩?」

「マーヴは言葉で説明するのが苦手で、面倒くさくなっちゃうんだ。だから、逃げる。アイスおじさんが嘆いてた。まあ、迎えに行くんだけど」

「ふーん」

言葉で説明するのが面倒くさい。それには何だか共感できる。ハングマンも、基本的にそういうタイプだ。説明が面倒くさいから、相手を怒らせる。

「なあ、マーヴのハンガーでBBQをやろうよ」

「・・・コヨーテが行くなら」

「行くだろ、絶対」

笑いながら、ルースターは人参を口の中に放り込む。その様子を「うわぁ」という顔でハングマンが見る。嫌いだけれども、色が綺麗だからという理由で、つい買ってしまう人参。

「なあ、お前さ、キャロット・ラペ好き?」

「あれ、美味いよな。マーヴが作るものの中では美味しいランキング上位に入る。簡単だから」

「・・・今度、作っとくわ」

何気なく言った言葉。それをルースターは耳ざとく捉えた。嬉しくなる。

「なぁ、朝飯の後、何か予定はあるのか?」

ルースターもハングマンも今日は休みだった。あのメンバーは皆、休みで、それだからこその昨夜の宴会になったのだ。

「別に。まあ・・・家にいるかな」

やっぱりな。とルースターは思う。昨夜、コヨーテが言っていた。「ジェイクは基本的に一人が好き」だと。けれども、例外はある。

「俺、一旦自分の官舎の戻って着替えて、また車でここに来る。そして、何処かに出かけないか?」

「んー・・・」

乗り気ではない返事。これは想定内の反応だ。しかし。

「映画とか、本屋とか」

「本?・・・本屋なら行きたい」

食いついた。「ジェイクを外に連れ出したいなら、映画か本だね」というのもコヨーテに教えてもらったことだ。

「そうか。じゃあ、行こう」

ルースターは約束を取り付け、ハングマンの気が変わらないうちに朝食を平らげ、そして食器を洗い、「また、後でな」と言って、ハングマンの官舎を後にしたのだった。

***

確か、好きで読んでいるシリーズの最新刊が発売されていたよなぁ。・・・と考えながら、ハングマンはチェストから出かけるための服を選ぶ。といっても、適当である。周りからは意外に思われるが、着るものにあまり執着はない。どう組み合わせても、大丈夫、というワードローブしか持っていないからだ。季節の変わり目などにコヨーテがチェックして買い足したりしている。着替えて、ランドリーを回して、必要最小限なものだけをポケットに入れる。財布と携帯と鍵。そして一応フリッジを確認する。今朝、朝食を作るのに使った食材の穴埋めをするメモを頭の中に作る。一瞬、多めに準備しておいた方がいいかな?と思ったが、ルースターが今後も自分の料理を食べる確証はないので、それは脳内から消去する。そうこうしているうちに、インターホンが鳴った。おそらくルースター。それにしても、早い。腕時計を確かめると、ここを出て1時間と少し。ドアを開けると、やはりルースターだった。ジーンズにタンクトップ。それにサングラスはいつも通りで、アロハシャツは見かけるたびに変わっていたような気もするが、その記憶にあまり自信はない。

「早いな」

「ああ、うん。シャワーはお前んとこで浴びさせてもらったから。着替えただけ。それの車だしな」

「まあ、そうか」

「えっと、もう出れる?」

「大丈夫だ」

ハングマンは自分の体を外に出し、鍵をかけた。家の前に綺麗な水色のブロンコ。ああ、空色だなぁ・・・と思っていると、ルースターが「乗れよ」と言って、助手席のドアを開けてくれる。一瞬、驚いたが、ルースターが目で促すのでとりあえず乗り込む。ドアも彼が閉めたので、ハングマンはシートベルトで自分の身体を固定することにした。ルースターも運転席に乗り、エンジンがかけられる。

「’じゃ、行くか」

「ああ」

ハングマンは右の肘を窓に当てて、外の遠くの景色に視線を送った。

***

「なぁ、音楽かけていいか」

「お前の車だし。好きにすればいい」

「いや、静かな方が好きかなって思って」

「そんなこともないけど。お前がピアノを弾きながら歌うのを聴くの好きだし。別に音楽は嫌いじゃない」

「そっか。じゃ・・・」

ルースターがオーディオを弄ると、聞き慣れた曲が流れてくる。ルースターがハードデックでよく歌う曲だった。ハングマンの太腿の上で人差し指がリズムを取るのを横目で見て、ルースターは少し安堵する。というか、情緒がマズい。ハングマンの官舎のドアが開いて、すぐに飛び込んできた姿に、ルースターは一瞬言葉を失ったのだ。

ナンデスカ。コノ、カワイイ、ドウブツハ。

詳しいことはよくわからないけれども、ローゲージのモスグリーンのサマーニット+インナーは白いTシャツ(たぶん)で、その白い部分がニットの襟から少し見えてて+明るめの色のジーンズがハングマンの形のいい脚をより一層綺麗に見せてるし+何だったらニットの裾からちらっとだけ見える白いTシャツがいい感じだし+何と言っても、ニットの袖が長くて手の甲を半分弱ほど隠してるって+それって俗にいう萌え袖ですか!・・・という思考がマッハ10で脳内を駆け巡って、尚且つ運転中も反芻しているのである。危うく開口一番「可愛いな」と言ってしまいそうになる自分は抑えた。言ったら、絶対に「・・・気持ち悪いな、お前。眼科に行ったらどうだ、雄鶏くん。いや、獣医か」と言われそうな気がしたからだ。過去の経験則で。けれども、今日みたいなハングマンだったら、そういうことは言わないかもな。あー、だったら何で、素直に誉めなかっただよ、俺!まさにチキンじゃねえか!こんな時、親父だったら、絶対に母さんのことを褒めてるよな。畜生!そういう遺伝子をちゃんと俺に組み込んどけよ!親父!・・・とハングマンの服装を即座に誉めなかった自分のことも同時に責めるという、器用なことしていた。

「俺、この曲好き」

「ああ・・・お前、ハードデックでかけてたよな。今度、ピアノで弾いてやろうか?」

「弾けんの?」

ずっと窓の外を見ていたハングマンが、ルースターを見る。嬉しそうな表情で。

「俺、耳コピできるから」

「・・・絶対音感があるのか?」

「そういうのかどうかわかんねーけど、俺のピアノは独学だし、楽譜はあんまり読めないから」

「すごいな。俺は楽譜がないと弾けない」

「え?弾けるのか?」

「バイエル、ブルグミューラー、ソナチネ・・・の途中までかな」

「あーそれ、俺には縁のないやつだわ」

「姉さんと妹が習ってるから、なんか俺も習う羽目になったってだけの話」

ピアノを弾けるとか、姉妹がいるとか。昨夜コヨーテからは聞けなかった情報をゲットしたことに満足しつつ、車を走らせる。

「今度、連弾しようぜ」

「やだ」

「え?何でだよ」

「ピアノが弾けるのはルースターだけでいいだろ」

「お前も弾けたら楽しいじゃん。ハードデックが盛り上がる。お前も目立つぞ」

「別に。俺は空で目立てばそれでいいから」

ハングマンが、またふいっと視線を窓の外にやってしまう。せっかく自分を見てくれたのに!俺の馬鹿!と自分を罵る。

「じゃあ、他にも弾いてほしい曲があったら教えろよ。弾いてやる」

「・・・うん」

ハングマンは外を見たまま、小さな声で返事をした。

***

ショッピングモールの中にある書店。そもそもこのショッピングモールに来ること自体、初めてだった。ミッションで忙しくて、買い物どころではなかった。フロアガイドで書店の場所を確かめて、移動する。実は、ルースターの場合、このモールについてはウェブ上でリサーチ済みである。コヨーテから「’ジェイクは読書が好き」という話を聞いて、速攻で検索した。フロア面積も広く、取り扱っている本の種類や冊数も多いのが、このショッピングモール内の書店だったのだ。

「欲しい本は決まってるのか?」

「んー・・・と、『ロボット・イン・ザ・ガーデン』の最新刊。後は特に決まってない。どんな本があるのか、見るのが好き」

「そうか」

これは想定内の返事である。コヨーテから教えてもらった。「ジェイクは3時間くらい本屋にいるのが好き」。

「あー・・・でも、欲しい本を買ったら別にいい」

「何で?」

「お前はつまらないだろ?」

「俺が本を読まない人間だとでも?」

「うん」

「あのなぁ。俺だって本は読む。最近は『Devotion』を読んだぞ」

「え?」

ハングマンが立ち止まってルースターのアロハの裾を掴む。萌え袖から覗く指で。マジ可愛い。ルースター心の声。

「お前も読んだのか!?どうだった?どう思った?」

キラキラした目で感想を聞いてくるハングマンがマジ可愛い。

ルースターは、『Devotion』の感想を滔々と語り始めた。ちなみに、ルースターはこの本を一行たりとも読んではいない。昨夜、コヨーテから「最近ジェイクは『Devotion』っていう本に感銘を受けたんだって」と教えてもらって、速攻で検索したのである。大体の内容を把握し、レビューをたくさん読んだ。今、ルースターが滔々と喋っている感想は数多くのレビューを再構成したものである。要するに、ルースターはハングマンの気を引きたいがために、盛大な嘘をついている、どころか語っているわけなのだが、後日ちゃんと読めば結果オーライ!という謎の理論で真剣に(ちょっと演技)語る。うんうん頷いて一生懸命聞いてくれるハングマンがマジ可愛い(3度目)。約30分に渡って、本を選ぶ他の客の邪魔になっていたがそれにも気づかず、ルースターは本の感想をハングマンに語り尽くした。その後の達成感。どだ!と心の中で胸を張る。

「お前と解釈一致で嬉しい」

「そっか」

心の中でガッツポーズを決める雄鶏。

「じゃあ、お前の本を探そうか。その後、本屋の中を探索しようぜ」

「うん」

ハングマンが素直に頷いたので、ルースターはほっとする。そしてさりげなくハングマンの腰をエスコートしながら、歩き始めた。

***

結局、ハングマンは5冊ほど本を買った。本当はもっと欲しかったのだが、官舎は仮の住まいであまり物を増やしたくないので、我慢した。そして、コヨーテの言った通り、書店には3時間ほど滞在したのである。最初は、「別行動でもいいのに」と言っていたハングマンだったが、次第に本に夢中になり、高いところにある本をルースターが取ってやっても、格段文句をつけることもなかった。ルースターも可愛いハングマンを見ることができたらそれで良いので、非常に充実した3時間になった。本の入った紙袋をルースターが持ってやる。そして時計を見ながら「’ランチにしようぜ」とハングマンを促す。ハングマンも腕時計を見て「そんな時間か・・・」と呟いた。

「エスニックは?大丈夫か?」

「平気」

「じゃあさ、このモールの一角がレストラン街になってて、そこにタイ料理の店があるんだ。そこでいいか」

「いいぞ」

これも当然の如く検索済みである。「最近、俺とジェイクはエスニック料理を食べに行くことが多いんだよな。トム・ヤン・クンとか好きだってさ」。もはや、ルースターにとってコヨーテは心の友である。そして、もしこのモールにタイ料理の店がなかったとしてもノープロブレムである。他に2軒、チェック済みである。ルースターがこのモール内に拘ったのには、理由がある。ランチの後で寄りたい店があったからだ。

モール内のレストランとはいえ、侮れない味。とYELP(ぐるなび的なウェブ)に書いてあったのだが、確かに申し分なかった。その証拠に目の間のハングマンが、トム・ヤン・クンとガイ・パット・ガパオ・ラート・カオを完食したし、ルースターのオーダーしたガイヤーンも食べた。「お前、共食いだな」と言いながら。けれどもマジ可愛い(4度目)笑顔付きだったので、ルースターは気にしない。

「このモールの中に寄りたいところがあるんだけど、疲れてないか?」

「別に」

「そっか。よかった」

会計を済ませるときにハングマンが財布を出したので、「これは朝飯にお礼だから、俺の奢り」と言って、ルースターが払った。何せ、可愛い格好と笑顔を見せてもらっているので、これでランチ代を支払われたら、貰い過ぎである。いやもう既に貰い過ぎなのだが。

「えっと。あーこっちだ、こっち」

相変わらず本の入ったショッピングバッグはルースターが持ち、尚且つハングマンにそっと触れながら誘導する。ハングマンは「今日は難しいことをあんまり考えなくていいから楽だなぁ・・・」と思いながら、ルースターに着いていく。歩いていくと、ふと甘い香りが鼻腔をくすぐった。

「ここだ。なんかさ、有名なクッキーのポップアップショップが明日まで出てんだよ」

何故に、クッキーか。コヨーテ曰く「ジェイクはね、家で映画を見る時はポップコーンじゃなくて、クッキー派。本を読む時も好きで食べるよ」。速攻で検索である。

「デメルだ。俺、ここのクッキー好き」

はい。正解。さすが、俺。っていうか、神様ありがとう。ハングマンイチオシのクッキーをこのモールで売ってくれて。いや、もう、今日の俺、祝福されてるわ。

ルースターは一番大きいアソートの箱を選び、会計を済ませる。そして、綺麗な紙袋をハングマンに渡した。

「え?」

「官舎に戻って本を読むなら、クッキーがあったほうがいいだろ?」

「あ、まあ・・・うん」

「ネットフリックスで映画を観ながら食べるのもいいしな」

「・・・サンキュ」

なんだかよくわからないが、好きな物を貰ったので例を言う。そして=、ちょっと逡巡した後、ハングマンはルースターを見て言った。

「・・・なあ。俺の家で夕飯食べるか?あ、でも、食材があんまリないから、ちょっとスーパーに寄ってもらわないとダメだけど」

「いいのか?」

「ん、まあ。どうせ、俺も食べるし。大したものは作れねーけど」

「お前の飯がうまいのは朝分かったから。お邪魔していいなら、行く」

「別に邪魔じゃない」

「そっか。じゃあ、スーパーに寄って帰るか」

ハングマンは返事をせずに、パーキングエリアに向かって歩き始めた。けれども、すぐにっ立ち止まって振り返る。

「なあ。、食いたいもん、ある?リクエストに応えるけど」

はい、マジ可愛い(5度目)。

「’お前が得意なおすすめは?」

「・・・そうだなぁ・・・イタリアン系かなぁ・・・」

「じゃあ、アクアパッツァ食いたい。できる?」

「簡単だ」

コヨーテの言葉を思い出す。

「ジェイクはね。イタリア料理が得意。アクア・パッツァは絶品」

END

そうだったのか

わかったことがある。

あの嫌味で人を挑発する言葉しか吐かないと思っていた口は、実はオフィシャルモードであって、プライベートでは存外無口であるということ。

そして何よりも、見てくれからα全開の人間だと思っていたら、実はΩであったということ。過去に初めて出会ったときも、そして今回も。特殊ミッションが終わっても。本当に気づかなかった。どうしてルースターが、彼がΩであることを知ったかというと、コヨーテの存在だった。基地の食堂で、ちょっとした宴会になったとき、気づけばコヨーテとハングマンの姿がなかった。自分とマーヴェリックの生命を助けてくれた救世主の存在はルースターにとっては非常に大きく、どうしたものか・・・と思って基地内を探した。そうしたら、暗い講義室にいる二人を見つけたのだ。ぐったりしている救世主の上半身を抱えながら、まるで子どもあやしているようにしているコヨーテの姿。そんな二人を見て、何故だかルースターの胸が痛くなる。

「ああ、ルースター」

気配に気付いたコヨーテが焦る様子もなく小さな笑顔でルースターに声をかける。

「あー・・・っと。寝不足とか?そいつ」

ルースターがハングマンを指差す。

「いや。体調不良。・・・こんなこと、珍しいんだけどね。意外に思うだろ?」

「んーまぁ・・・そうかな」

「今夜はもうダメそうだから、官舎に連れて帰るよ」

「一人で大丈夫か?」

「まあ、慣れてるからね。・・・ジェイク?立てる?」

「・・・んー・・・」

少し甘ったるさを感じさせる二人の様子に、ルースターは思わず尋ねてしまった。

「あのさ。お前ら、もしかして付き合ってる?」

ルースターの質問にコヨーテは目を丸くする。そして、小さく笑って否定した。

「まさか。違うよ。あー・・・でも、そういうの、気になる?」

コヨーテに質問返しをされて、返答に詰まる。けれども、さっき、胸が痛くなったのは事実だし、食堂から消えたハングマンが気になったのも事実だ。

「・・・少し」

「そっか。正直で嬉しいよ。なあ、そこに座らないか?」

講義室の椅子をコヨーテは指差した。ルースターは素直に座った。

「これを言ったら、後でジェイクに怒られると思うけど。まあ、ルースターならいいかな。うん。味方は多い方がいいからね」

コヨーテは一人で言って、一人で納得する。そして、ハングマンの肩を撫でながら、ルースターに向き合った。

「あのね。ジェイクは、Ωなんだよ」

随分と綺麗に笑うんだな、コヨーテは。と思いながら、耳に入ってきたワードを反芻する。

「あのね。ジェイクは、Ωなんだよ」

そして、コヨーテに凭れかかっているハングマンを見る。それから、ようやく、言葉が一致する。

「・・・こいつ・・・Ω?」

「そう。ジェイクは、Ω」

「え・・・だって・・・ちょっと待て。俺はαだぞ?でも、全然わからなかった!」

「だろうね。理由はよくわからないけど、ジェイクはフェロモンを出さないし、酷いヒートもない。ただ、時々こんな風になっちゃうんだ」

「マジ・・・か」

ルースターの身近にいるΩと言えば、マーヴェリックだった。番はアイスマン。二人は結婚していて、子どももいる。それでも、最高のアヴィエイターとして海軍に君臨している。だから、ルースターの認識として、Ωが弱くて庇護されなければならない存在という認識はない。実力さえあれば、第二の性は関係ない。驚いたのは、Ωの存在にαの自分がずっと気づかないでいた、ということだった。

「・・・もう、誰かと番ってるのか?」

コヨーテは首を横に振った。

「ジェイクはΩって思われてないし、フェロモンも出さないから気づかれない。ルースターだって気づかなかっただろう?」

「・・・まあ、そうか」

「でもさ、空を飛ぶには、その方が都合がいいのかもね。さて、と。困ったな。いつもなら、ちょっとは歩けるんだけどな」

コヨーテがハングマンを立たせようとするが、すっかり身体の力が抜けていてどうにもならないらしい。意識のない人間は重いし、筋肉も重い。

「俺が運ぶ」

「大丈夫?ラットとか起きない?」

「全然、フェロモンがわからないから大丈夫だろ。コヨーテこそ大丈夫なのか?」

「僕はβだからね」

ルースターはハングマンの身体を担ぎ上げた。姫抱きではない。

「さすが!ルースターは見かけ通りに力持ちだ」

「・・・なぁ。歩きながら、こいつのこともっと教えてくれよ」

「へぇ。興味持った?Ωだから?」

「いや。俺とマーヴの救世主だから」

「ルースターのそういうところが好ましいよ。でも、ジェイク本人から聞かなくのいいのかい?」

「こいつが、ペラペラ話すと思うか?」

「思わないな」

「だから、教えてくれよ」

「いいよ」

コヨーテはルースターの逞ましい腕を叩きながら、爽やかに笑った。そして、ルースターに担がれても意識を取り戻さない親友の金髪をそっと撫でてやったのだった。

END