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赤い風車 07

それは蜜月だった。毎日ではないにせよ、二人が一週間も合わないということはなかった。互いの時間を調整し、互いのアパルトマンで逢瀬を重ねた。そして週末の今日は、二人連れだっての外出だった。

ヴァンヴの蚤の市。

骨董品の掘り出し物が多い蚤の市だ。

リードは赤いドレスと赤いハイヒール。それに黒いショールを合わせている。ホッチはいつもの古びたフロックコートだが、リードと出かけるという理由で、ものすごく時間をかけて丁寧にブラシを掛けた。

「久しぶりに来たよ。蚤の市なんて。仕事が忙しかったのもあるけど、貴方に会う時間を大事にしたかったから」

ホッチの腕に、自分の腕を絡めて歩きながら、リードが言った。

そうなのだ。二人は会えば、アパルトマン・・・というよりも、ベッドの中から出ることがなかったのだ。こうして、外に出るなどと考えることもなく、ずっと互いの身体を貪っていた。

けれども、今日は、リードの方から、「外へ出かけよう」と言ってきた。どうやら、踊り子仲間に何か言われたらしい。出がけに、「僕たち、身体だけの関係じゃないもんね?」と上目遣いにホッチに言ってきたからだ。ホッチは「もちろん」と答えて、リードの金髪を撫でて安心させてやった。そしてやって来たのが、このヴァンヴの蚤の市だったのだ。

「僕、踊り子になったばっかりの時は、今よりもずっとお金がなかったから、生活用品はモントルイユの蚤の市で揃えたよ」

「俺も似たようなものだ。・・・リード。何か、気になる物や欲しいものはないか?」

「どうして?」

「いや・・・君に、何か贈り物をしたい・・・」

そう言葉にしたホッチの唇をリードが人差し指でそっと押さえた。

「僕、前にも言ったよね?貴方に会えることが最高の贈り物だって。こうして二人で腕を組んでデートできるなんて・・・本当に最高!」

「しかし・・・」

ホッチの新聞の連載は順調だった。そのおかげで収入も増えた。幾許かのお金も貯まった。ホッチはそれを、自分の為ではなく、リードの為に使いたかった。

「そんな困った顔をしないで?ね?・・・僕、貴方と一緒にいるだけで本当に幸せなんだよ?」

「そうは言っても・・・」

ホッチはリードを見つめ返した。

「・・・もう・・・ホッチったら・・・。んー・・・わかった。じゃあ、こうしない?」

「なんだ?」

「あのね。お互いに贈り物をしようよ。僕も貴方に何か贈りたい。・・・えっと・・・そう・・・せっかくの蚤の市だもん。何か、掘り出し物があるかも。ねえ、お互いに贈り物を探そうよ。内緒で。だから・・・1時間後に、あそこのベンチでまた会うってどお?」

「しかし、それでは、君が何が欲しいかわからない」

「僕はホッチが贈ってくれるものなら、なんだって嬉しいよ?ね?何だか、楽しくなってきた。そうしよう?」

「・・・よし、わかった」

ようやくホッチは頷いた。

「じゃあ、1時間ね?」

そう言って、赤いドレスを見に纏った踊り子は、雑踏の中に軽やかに消えて行った。その後ろ姿が見えなくなったのを確認して、ホッチは周囲を見回した。

「さて・・・と」

実のところ、ホッチはリードに贈りたいものは決めていた。ただ、彼に似合う物が、このヴァンヴの蚤の市にあるかどうか。しかし、ただ立っていても仕方がない。ホッチは、目ぼしい露店を探して歩きは始めた。

********************

ようやく満足のいく目当ての物を買い、待ち合わせのベンチに行くと、すでにリードが座って待っていた。彼の隣には何故か猫がいて、リードはその美しい毛並みを撫でていた。

「あ、ホッチ!」

その声で、猫はベンチの上に立ち上がると、トンっと地面におり、ニャアと一鳴きすると、てってってと歩き去って行った。

「野良猫・・・か?」

「多分。でも、綺麗な猫だったよ。僕、動物が好きだから、癒されちゃった。ホッチは?」

「俺も好きだ。昔、犬を飼っていたな」

「犬派なの?」

「いや、犬も猫も好きだ」

「僕も。どっちも可愛いよね。さ、座って」

リードの膝の上には茶色い紙袋が置いてあった。蚤の市だ。綺麗なラッピングなどという小洒落たものなど存在しない。ホッチが買った品物も、粗末な紙箱に入れてくれただけだった。それはフロックコートのポケットの中に入っている。ホッチはリードの隣に腰をおろした。

「はい、ホッチ。そこの屋台で買ったコーヒー。歩いて喉が乾いたでしょ?」

リードは粗末な紙製のコップに入ったコーヒーをホッチに渡した。

「美味しいよ。さっき一口飲んだけど、ホッチに教えてもらったカフェと同じレベル」

「そうか」

そう言って、口をつけると、本当に美味しかった。リードへの贈り物を探しているときは気にならなかったが、こうして飲んでみると、喉の渇きを自覚できた。

「あのね。ホッチが贈り物にこだわる理由がわかった気がする。僕、ホッチへの贈り物を考えながら探してて・・・それが、すっごくワクワクして楽しかった。好きな人のことを考えながら買い物をするって楽しいね」

リードがにっこりと微笑む。そして膝の上の紙袋をそっと撫でた。

「・・・これから・・・どうする?ここで、贈り物を見せ合う?」

「リードは・・・どうしたい?」

「僕・・・貴方のアパルトマンに行きたい。そこで、渡したいな」

「そうだな。賛成だ。俺も落ち着いた場所で渡したい」

「ふふ。意見があったね。じゃ、行こう?コーヒーは歩きながら飲もうよ。それも楽しいよ」

「ああ」

ホッチは紳士的にリードの腕を取り、ベンチから立たせた。リードも素直にそのエスコートに従う。そして、ヴァンヴの蚤の市の喧騒から、離れて行った。

********************

「ねえねえ、風を入れてもいい?」

「ああ。構わない」

ホッチの住む屋根裏部屋には、木製のテラスがついていた。そこにつながる大きなガラス戸を開けると、心地よい風が入ってくる。

「ホッチの部屋って本当に素敵」

「ただの安い屋根裏部屋だぞ?」

「でも、こんなテラスがついてるって、珍しいでしょ?」

「まあ、確かに。それもそうだな」

ホッチはリードに近づいた。ポケットに手を入れて、その中の紙箱を確かめる。リードも紙袋を持ったままだった。

「贈り物を見せるのは、同時?僕が先?それとも貴方?」

「そうだな・・・どうしたい?」

リードの意見を尊重しようと思う。

「じゃあ・・・僕が先に貴方に見せてもいい?もう、待ちきれないんだ。早く貴方に渡したくて!」

瞳をキラキラさせてリードが言う。それならと、ホッチは頷いて、リードを促した。

「はいっ!これ!貴方にぴったりだと僕は思ってて・・・それで、喜んでくれたら・・・嬉しい」

差し出された紙袋を受け取ると、それはほんの少し重かった。

「何かな」

「開けてみて?」

がさりと折りたたまれた袋の上部を開ける。中には2つの品物が入っていた。羽根ペンとインクの瓶。ホッチはその2つをテーブルの上に置いた。そして改めて、羽根ペンを手にする。それはとても手に馴染んだ。ずっと自分が使い込んできたかのように。

「ベタかもしれないけど・・・やっぱり、作家の貴方には、ペンとインクかなって。インクはね、ブルーブラックなんだ。セピアもいいけど、僕、そのインクの色が好きなの」

「ああ・・・リード。早速、使わせてもらおう。とてもいい物語が書けそうだ」

「本当?」

「本当に」

「良かったぁ・・・。やっぱりね、渡すまではドキドキするね。自分の選んだ物がアタリかハズレか。でも、喜んでもらえて嬉しい」

確かにそうだった。果たして、リードは自分が選んだものを喜んでくれるだろうか。

「リード」

「なあに?」

「手を・・・」

ホッチはリードの左手を取ると、空いた手でポケットを探り、紙箱の中から小さな品物を取り出した。リードの手を持ち上げ、その薬指に、自分が選んだアクセサリー・・・リングを嵌める。

「え・・・あ・・・綺麗・・・これ・・・この赤い石・・・」

「ルビーだ」

「嘘。だって・・・高いよ?こんな高価な物・・・」

リードは自分の薬指を彩る赤い石に驚いた。これでは、自分が送った物と釣り合わない。

「俺の懐事情は知ってるだろう?いくら原稿料が入ったと言ってもたかがしれてる。本当に、無理はしていないんだ。ちゃんと、自分で買うことのできる石を選んだ。・・・君がいつも着るドレスの色に合わせたつもりだ」

リードはルビーからホッチに視線を移した。

「ありがとう・・・ホッチ・・・でも・・・」

「本当に、無理はしていない。ヴァンヴの蚤の市だぞ?宝石店の石じゃないんだ。本当なら、もっと高価な・・・うわっ」

ホッチの言葉が終わらないうちに、リードがホッチに抱きついた。

「本当にありがとうホッチ!!!僕、とっても嬉しい!!!」

「そ、そうか?君ならいつもショーで宝石を身に付けているだろう?」

「だって・・・あれは僕のじゃなくて、お店からの借り物だもん。僕、自分の宝石は1つも持ってないんだ。だから・・・これが初めての・・・僕のアクセサリー」

「そ、そうなのか」

「うん」

そういえば・・・とホッチは振り返った。いつもリードは赤いドレスで着飾ってくるが、装飾品は1つも身に付けてはいなかった。リード自身があまりにも綺麗で、装飾品の有無など気にしていなかった。リードはそっとホッチから離れると、再びルビーのリングを眺める。その表情はとても嬉しそうだった。

「ホッチは、いつも僕に初めてをくれるんだね。・・・あ、でも、どうして僕のリングのサイズがわかったの?」

「ああ、それは・・・。君が眠っている間に、糸で・・・」

「気づかなかった」

「君がぐっすりと眠っていたときだったから」

「だって、ホッチってば、激しいんだもん。・・・嫌じゃないけど」

言いながら、リードは赤い石に口付けた。

「ねえ・・・まだ・・・時間・・・あるよね?」

リードは蠱惑的に微笑むと、赤いドレスとハイヒールを脱いだ。レースの下着と赤い石だけのスペンサー・リード。これ以上に美しい者があるだろうか。ホッチはすかさず、その身体を抱き上げると、粗末なベッドへと運んだ。

********************

「ふっ・・・あっ・・・あっ・・・あっ・・・」

レースのパンティが、リードの片方の太腿に、まるでガーターのように引っかかっている。そしてその脚は宙で揺れていた。ホッチに身体を抉られ、揺さぶられているからだ。窓が全開なので、声を抑えるために、リードは唇をホッチの肩に押し付けるようにしていた。逞しい男の首に回された腕。その左手には赤い石が輝いている。

「んっ・・・んっ・・・んっ・・・んふっ・・・」

すでにリードは2回ほど達しており、二人の腹はベトベトだった。けれども、ホッチはまだ精を放ってはいない。が、それも時間の問題だった。

「くっ・・・」

ホッチは唇を噛むと、リードから身体を離そうと動く。踊り子の身体の中に出すわけにはいかなかった。

「やっ・・・だめっ・・・なかっ・・・中に出してっ!」

リードは小さな声を上げて、懇願した。

「それはできないと、いつも言っているだろう?君は、今夜も仕事だ」

「いいの!大丈夫なの!お願いなの!」

リードは長い脚をホッチの腰に絡めた。そしてぎゅっと力を入れる。

「中に・・・ホッチの・・・熱いの・・・すごく、欲しいの・・・お願い・・・」

「駄目だ」

「やだっ」

余計にリードの身体に力が入る。ホッチの分身が体内で締め付けられる。

「くぅっ・・・」

リードから身体を離そうとしたが、それができない。

「リ、リードっ・・・」

「お願い・・・僕の中で気持ち良くなって・・・」

ぎゅっとリードに抱きしめられる。ホッチは唇を噛んだ。もう、無理だった。踊り子の身体を犯す罪悪感。しかし、快楽には耐えきれず、ホッチはとうとう、リードの中に精を放った。

「あ・・・ああ・・・くる・・・熱いの・・・は・・・ああ・・・嬉しい・・・」

どくどくと体内に放たれる熱い液体の感触をリードは教授した。

「・・・ああ・・・凄く・・・幸せ・・・」

「リード・・・」

ホッチの指がリードの金髪を優しく梳く。リードはホッチの首から腕を解き、両手で彼の頬を撫でる。視界に、ホッチの顔とルビーが入る。2つの幸せ。いや、身体を重ね合わせることも入れたら3つだった。これらの幸せがあったのなら、リードはこれから自分の身に起こるであろうことを、我慢できるような気がした。

to be continued

赤い風車 06

少々、遅い朝。リードは自分の部屋のベッドでパチリを目を開けた。最高の気分で、最高の目覚めだった。すぐに上掛けを跳ね除けると、ベッドからするりと降りた。今日は計画がある。もうリードは決めていた。今日は絶対に、ホッチに会う、と。毎日、彼のアパルトマンを訪れたら、きっと呆れられる。だから、会いたい気持ちを我慢していた。本当なら、毎日でも会いたい人なのに、リードは1週間も我慢したのだ。ホッチは毎晩キャバレーにきてくれるような太い客ではない。別にそれは構わない。踊り子と客・・・という関係性で会いたいわけではない。二人っきりで、会話を楽しんだり、彼の創作の話を聞いたり、愛を交わし合ったりしたいだけだ。

リードは洗面ボウルに溜めたぬる目の湯で顔を洗い、コットンタオルも塗らして体を拭いた。シャワーや風呂などという上等なものは、この部屋にはない。ムーラン・ルージュの看板娘と人は言うが、生活はいたって質素なものだった。鏡を見ながら髪を整える。着古したガウンを着直して、小さなクローゼットを開ける。赤いドレス。これは全てガルシアが作ってくれたものだ。とても安い布地を素敵なドレスに変身させる、素晴らしい魔法の指を持つガルシアだった。クリニャンクールの蚤の市でリードが偶然見つけた安い生地を、ガルシアは数着のドレスにしてくれた。同じ記事なのに、まるで別なドレスのように見えるデザインの工夫。ガルシアは本当に魔法使いだと思う。脚本や演出もできる。痩せぽっちで、惨めな自分を、今みたいに変身させてくれたのはガルシアだ。そして、エミリーやJJの助言だ。とても素敵な姉のような存在。3人は、自分とホッチの仲も応援してくれている。とてもありがたいことだった。

リードはクローゼットの中にある赤いドレスに触った。その時、木製のドアがノックされた。

「え?お客さん?・・・ガルシアかなぁ・・・それとも、エミリー?JJ?」

3人はわりとリードの部屋に遊びに来る。けれども、大抵は前日に約束をするのだ。それに遊びに来るのは、キャバレーが休みの夜が多い。

トントン、と再びノックの音。リードは相手が誰だかわからなかったが、待たせてはいけないと、ガウンの前をしっかりと掻き合わせて、ドアに向かった。

「はーい」

ロックを外し、少しガタついた重たいドアを開ける。そこには・・・。

「あ・・・ホッチ!」

そこには、黒いフロックコートを着たホッチが立っていた。

「・・・おはよう、リード。いや・・・まだ、寝ていただろうか・・・。だったら、すまなかった」

「ううん!起きてた!でも・・・まだ、着替えてなくって・・・その・・・貴方が着てくれるなんて思ってなくて・・・っていうか、これから着替えて貴方のアパルトマンに行こうって思ってて・・・え、あ・・・や・・・どうしよう・・・僕お化粧もしてない・・・」

リードは慌てて両手で顔を覆って俯いた。

「すまない。約束もしていなかったのに・・・。帰った方が・・・いいだろうか・・・」

「あ・・・そっそれは・・・ダメ・・えっと・・・あ、まずは、入って。ごめんなさい。立たせっぱなしで・・・」

リードは顔から両手を外すと、ホッチのコートの袖を掴んだ。

「邪魔していいいかな?」

「うん。・・・入って・・・。僕、貴方に会いたかったんだ・・・でも・・・本当に化粧もしてなくて・・・だらしがない格好で・・・その・・・」

「いいんだ」

ホッチは、ガウン姿のリードの体を抱きしめた。

「でも・・・男なんだよ?・・・いつもは化粧とドレスで誤魔化してるけど・・・その・・・」

「何か、問題でも?」

「・・・素の僕なんか・・・幻滅されちゃう・・・」

「そうだろうか。ありのままの君も、きっと魅力的だ。顔を見せてくれないか?」

「・・・幻滅・・・しない?」

「するわけがない」

リードは、そろそろと顔を上げた。アイシャドウでも、ルージュでも、彩られていない、飾り気のない顔。けれども、それはホッチの目にはとても美しく映った。そんな顔を、ホッチは大きな掌で撫でた。

「ホッチ?」

「ああ・・・とても綺麗だ」

「お化粧もしてないのに?」

「化粧は、君の本質ではない」

「・・・どういうこと?」

「踊り子の君も、今の君も、とても美しい、ということだ」

「・・・う・・・恥ずかしいよ・・・」

リードはホッチの腕の中でもぞりと動いた。その時、紙袋の音がした。

「ん?・・・今、気づいたけど・・・何だか、いい匂いがする」

「ああ。朝食にと思って、土産を買ってきた。クロワッサンとブリオッシュだ」

「え?もしかして、あのカフェの?」

「そうだ」

「嬉しい!僕、カフェオレを淹れるね!えっと、そう、そこの椅子に座ってて!」

リードは小さなダイニングテーブルの椅子を指で示した。ホッチは、言われるがままに、リードから離れ、椅子に座った。

********************

「え?新聞の連載?」

クロワッサンとブリオッシュを平らげ、カフェオレを口にしたリードがホッチの言葉を繰り返した。

「ああ。先日、書いた短い小説に目を留めた編集がいてな。それで、その話を膨らませて、連載小説を書かせてもらえることになったんだ」

「凄い!!凄いよ!!ホッチ!!僕、絶対に読むね!!!」

「ありがとう・・・ただ・・・」

「ただ?」

「君に了承も得ずに書いてしまって・・・」

「了承?ホッチが小説を書くのに、僕の了承って必要?」

リードはこてんと首を傾げた。

「・・・いや・・・その・・・なんというか・・・君を・・・モデルにした・・・」

「え?」

「・・・君をモデルに・・・物語を書いたんだ・・・すまない・・・」

「嘘・・・本当・・・?」

「嫌・・・だよな・・・すまない。今からでも新聞社に言って・・・」

「嬉しい!!!」

「?」

「ホッチ、僕、嬉しい!!!僕、ホッチの役に立てるんだね!」

「リード・・・」

素顔のリードは、明るい朝陽の中で、にっこりと微笑んだ。心の底から嬉しそうな表情で。

「でも・・・ちょっとだけ、恥ずかしいかな・・・えへへ。でも・・・嬉しい」

その笑顔は、明らかに青年のものではあったが、ホッチにはとても美しく見えた。

「僕ね、ホッチの書く物語、大好き。言葉と文章の流れが、緻密で齟齬がなくて・・・」

「そこが面白味がないと言われる」

「そお?とても綺麗な文章だと思うよ?聡明な人間じゃないと書けない文体だと思う。わかる人にはわかるよ。ホッチの物語の良さは」

「そうだろうか」

「うん。僕の太鼓判じゃ怪しいけど、保証する!」

再び、リードは微笑んだ。

「あー・・・でも、僕をモデルにしたなら、僕、ホッチから何かをもらってもいいよね?今朝のクロワッサンとブリオッシュ以外にも!」

「あっ・・・ああ・・・」

確かにそうだった。勝手にモデルにしたのだ。その見返りを何か贈ることは、ホッチも考えてはいた。しかし、何を贈ったらいいのかは、わからかなったが。

「おねだりしてもいい?」

「ああ、もちろん」

原稿料が幾許か入ったから、ホッチの懐は少しだが暖かい。リードが望むものを買っていいと思った。しかし、リードが続けた言葉は意外なものだった。

「じゃあね。キスしてちょうだい?」

リードは両腕をホッチに伸ばしたのだった。

********************

キスだけで終わるはずはなかった。小さなテーブル越しのキスは、二人が立ち上がってより深いものとなり、そして、口付けたまま、歩いてベッドまで行った。安いベッドのスプリングが、ギシリと音を立てる。ガウンだけのリードは、紐を解かれるとすぐに白い肌を晒した。リードはホッチの肌を早く感じたくて、指先をホッチの着衣に這わせながら、脱がせ始めた。けれども、もどかしい。

ホッチは、一度、リードの身体から離れた。

「あん・・・ホッチ・・・」

寂しげにリードが呟く。

「待っててくれ」

小さく言うと、ホッチは手早く衣服を脱いだ。そして、リードの身体に自分の身体を密着させる。欲しい熱さを得て、リードは嬉しそうに、両脚をホッチの腰に絡めた。

「会いたかった。・・・本当はね、今日は貴方のアパルトマンに押しかけるつもりだったんだ。会いたくて・・・会いたくて・・・仕方がなかった。でも、あんまり行ったら、貴方に嫌がられるかもって・・・」

「・・・そうか。俺も・・・会いたかった。毎日、君のことを考えていた」

「ホッチも、僕と同じだったんだ・・・。あは・・・よかったぁ・・・」

リードは嬉しそうに、鼻先をホッチの顎に擦り付けた。

「でもね。本当はちゃんとドレスを着て、お化粧して、ホッチに会いたかったな」

「そのままの君だって、綺麗だ」

「でも・・・そのまんま男って・・・引かない?」

「全然。君は・・・君だ」

「・・・ありがとう」

ホッチはリードの身体を余すところなく撫でさすった。しっとりとした皮膚の感触。そこに艶めかしさを感じる。

「は・・・あ・・・ホッチの手・・・あったかくて、気持ちいい・・・」

リードは身体を捩りながら、その全ての熱を全身で得ようとした。ホッチの全てを享受したい。そんな想い。けれども、ホッチの手は、酷く優しく、リードの身体を慈しんだ。それがリードには少し物足りない。もっと、欲しいのだ。乱暴にされるくらいに。しかし、リードはある意味、売り物だ。その身体を傷つけるわけにはいかない、というホッチの配慮があった。本当なら、こうして身体を重ねることすら許されることはないはずだった。けれども、自分の欲望には抗えないホッチだった。

ホッチの手が、リードの薄い腹を撫でる。すっかり勃ち上がってしまったリードの分身がその手に触れた。

「あんっ・・・」

リードは自ら腰を持ち上げ、もっと触れて欲しいと懇願した。無言で。その仕草で。ホッチは、その思いを察知し、片手で柔らかく握り込む。欲しい感覚を得られて、リードは満足げに呻いた。

「んん・・・んぅ・・・ん・・・」

扱かれたそれは、すぐに先端から蜜を零した。そこホッチは親指で擦る。

「ひゃ・・・あ・・・ああ・・・」

背筋がゾクゾクとする。あまりの気持ち良さに、リードは喉を仰け反らせた。

「先にイクといい」

ホッチは、顔や首や胸に口付けながら、動かす手を止めず、リードを追い上げる。

「あ・・・イく・・・イっちゃう・・・」

「いいんだよ、イって」

「んっ・・・んっ・・・んあ・・・あーっ・・・」

リードは小さな悲鳴をあげると、ガクンと全身を跳ね上げた。

「あ・・・あ・・・あ・・・」

小さく震えながら、リードはホッチにしがみついた。その身体を、その髪を、ホッチは優しく撫でる。

「あ・・・こ・・・今度は・・・ホッチが・・・気持ちよくなって?」

リードは自分の両手を膝裏に当てると、自ら脚を左右に開いた。ホッチを受け入れる場所が、ヒクついていた。

「慣らさないと」

「でも、すぐにホッチが欲しいよ?」

「それは・・・ダメだ。君を傷つけるわけにはいかない。今夜も、ショーがあるだろう?」

「・・・抱いてもらえない?」

ホッチは首を横に振った。

「ゆっくりとだ。ゆっくりと。君の体を傷つけないように・・・」

その言葉を聞いて、リードは花のように微笑んだ。

********************

陽はだいぶ高くなったが、二人はまだベッドの中にいた。上掛けの中で、時折キスをしたり、触れ合ったりと、離れがたい時間を過ごしていた。一週間ぶりの逢瀬ゆえに、離れたくなかったのだ。ホッチは、リードの美しい金髪を撫でながら、尋ねてみた。

「何か・・・欲しいものは、ないだろうか?」

「欲しい・・・もの?どうして?」

「いや・・・その・・・大した額じゃないが、原稿料が入ったから・・・何か、贈り物を・・・」

「もう貰ったよ?ブリオッシュにクロワッサン。それに僕をモデルにした物語。・・・何よりも、こうして会いに来てくれた。それで充分。・・・でも・・・・僕はもっと貴方に会いたい。贈り物よりも・・・もっとホッチに会いたい。1週間も会えないなんて・・・それが辛い・・・」

ホッチは、再度、リードの髪を撫でた。ホッチとて、同じ気持ちだった。本当は毎日だって会いたいのだ。この心惹かれる、美しい踊り子に。ただ、疲れさせてはいけないと、自制しているのだ。

「リード」

「ホッチ」

二人は強く抱き締めあった。

「貴方に・・・毎日、会いたい」

「・・・俺もだ・・・」

「嬉しい・・・そういう風に言ってもらえて、本当に嬉しい・・・同じ気持ちなんだよね、僕たち」

「ああ。それは・・・間違いない」

「よかったぁ・・・」

リードは嬉しそうに言った。

「しかし・・・」

「わかってる。・・・ホッチの優しさだよね?・・・でも・・・こうして貴方が僕のアパルトマンに来てくれたら、危ないことはないし、時間だって調整がきくし・・・いいと思わない?・・・あ、でも、貴方の執筆の時間がなくなっちゃう?」

「いや。ほとんど夜に書いてるから・・・」

「ちゃんと寝てる?」

「ああ。大丈夫」

「また・・・会いに来てくれる?」

「君が許してくれるなら」

「許さないわけがないよ。会いに来て欲しい。抱いて欲しい」

「ムーラン・ルージュの看板娘に・・・こんな不埒なことをしてもいいんだろうか」

「ふふっ・・・今更でしょ?貴方のおかげで、僕は頑張れるんだ。最近の僕、また評判が良くなったんだよ?すっごく綺麗になったって、エミリーたちにも言われる。きっと貴方のおかげだよ」

「俺も、君のおかげで、ものすごく創作意欲が沸く」

「相乗効果だね。・・・新聞が楽しみ。絶対に、買って読むね」

「君の魅力をきちんと表現できていればいいが・・・」

「大丈夫だよ。ホッチには才能があるもん」

リードは細い脚をホッチに絡めた。

「まだ・・・時間ある?」

「君は?」

「大丈夫」

それを合言葉に、ホッチは再びリードの体を敷き込んだのだった。

to be continued

赤い風車 05

もぞりと身体を動かすと、自分が逞しい身体に包まれていることがわかる。リードは嬉しくなって、ホッチの身体に擦り寄った。

「・・・起きたか?」

「んーん・・・寝てる・・・」

「じゃあ、その返事は寝言かな?」

「ふふふ・・・」

リードは笑いながら、両手をホッチの頬に添えた。そして、小さなキスを送る。チュッチュと、何度も小さなキスを送る。一緒に朝を迎えられたことが嬉しいのだ。ホッチはそんなリードの金髪を撫でると、その手を柔らかく掴んだ。

「ステージで踊る、眩しいほどの照明の下にいる君も美しいが、朝日を浴びる君はもっと美しい」

「・・・やだ・・・ホッチ・・・恥ずかしい・・・っていうか、さすが、小説家。すごい、殺し文句だ・・・」

「物語を語っているわけじゃない。本当に、そう思うんだ」

「・・・ありがとう・・・」

リードは照れたように笑い、自分の手を掴むホッチの手にキスをした。

「起きられるか?」

「ん・・・たぶん・・・」

昨夜、リードは初めて身体を開いたのだ。ホッチがゆっくりと、たっぷりと時間をかけて、熱い舌と指で丹念にほぐしてくれたから、彼の昂りを受け入れたときは、最初こそ苦しかったものの、ちゃんと受け入れることができた。しっかりと根元まで銜え込んだ。ホッチもリードの身体を気遣い、緩く、軽く、揺さぶるように慣らしてから、少しずつ動きを激しくしていった。そして、互いに何度も精を吐き出した。身体だけではなく、心も満たされたひと時だった。まさか、この金髪の踊り子が自分の閨を共にしてくれるとは。ホッチは酷く感動した。リードもまた、男の自分が、この美丈夫に受け入れてもらえるとは思ってもみなかった。 先にホッチが身体を起こし、リードがベッドから起き上がるのを手伝った。

「ん・・・」

リードが軽く眉を潜める。

「大丈夫か?・・・やっぱり、無理をさせたんじゃ・・・すまない」

「あ、謝らないで。僕は嫌じゃなかったし、後悔もしてないし・・・とにかく・・・嬉しくて、幸せだった。ただ・・・僕、初めてだったから、貴方には良くなかったかもしれないんだけど」

「そんなことはない・・・君は、最高だった」

ホッチがリードの細い身体をぎゅっと抱きしめる。少し汗ばんでいる互いの湿度が心地よかった。

「こんなこともしていられないな。君は、自分の部屋かキャバレーに戻らなくちゃならないだろう?」

「え、あ、うん。自分の部屋で着替えて、それからレッスンに行くよ。でも・・・まだ・・・ちょっとだけ時間があるから・・・」

リードは上目遣いに、甘えるような視線をホッチに送った。媚びとは違う、綺麗な瞳の色だった。

「・・・レッスンや今夜のショーに差し支えないか?」

「だって・・・ホッチは優しくしてくれるでしょ?」

「・・・それは・・・もちろん・・・」

朝日が差し込み、リードの金髪をキラキラと輝かせる。ホッチはゆっくりと、その美しい身体を再び古びたベッドに沈ませたのだった。

********************

「ねえ。明日も・・・ショーが終わったら、ここに来てもいい?」

ホッチが用意してくれた濡れタオルで身体を拭きながら、リードが言った。しかし、ホッチは静かに首を横にふった。それを見て、リードはシュン・・・となる。拒否されてしまった。けれども、ホッチは慌てて言葉を繋いだ。

「この辺りは治安が悪い。夜の遅い時間に歩くのはよくない」

「でも・・・昨夜は大丈夫だったし・・・」

「その大丈夫が、これからも続くとは限らない」

「・・・じゃあ・・・ホッチにはどうやって会えばいいの?もう、会えないの?」

「・・・そうだな・・・」

「昼間・・・昼間ならいいの?僕、朝、早く起きる!そして、レッスンとショーの準備の間までなら、時間がある!・・・それなら、いい?」

「君はショーで夜が遅い。朝はゆっくりと、ちゃんと眠らないと、身体に悪い」

「・・・でも・・・会いたい・・・」

リードが泣きそうな表情になる。会いたい気持ちはホッチも一緒だった。もう少し、自分に稼ぎがあれば、毎日のように、ムーラン・ルージュに通える。しかし、今の自分には叶わない夢だった。

ホッチは、リードの金髪を撫でた。

「・・・毎日は・・・ダメだ。君に負担がかかる」

「・・・毎日じゃなきゃいいの?」

「・・・そう・・・だな・・・」

「じゃあ、1日おきとか!?」

「いや・・・それは・・・」

「・・・ホッチは・・・僕に会いたくない?会いたいのは、僕だけなの?」

「そんなことは・・・」

意外なほどのリードの押しの強さに、ホッチは口籠る。

「じゃあ、来ていいんだね!?」

「・・・・・・」

もう、ホッチは黙るしかなかった。これだけ美しい踊り子なのだ。ムーラン・ルージュの看板娘なのだ。きっと、いつか、うだつのあがらない、冴えない物書きに飽きるだろう。おそらく、たいした時間ではない。ホッチは、一息つくと、口を開いた。

「ああ・・・また、会おう。ただし、昼間に」

「ありがとう!!!!ホッチ!!!!ああ・・・嬉しい・・・。嬉しくなったら、お腹が空いちゃった・・・」

リードが赤いドレスを手にして立ち上がった。あいにく、この屋根裏部屋に食べ物はない。そもそもキッチンがなかった。

「もしよかったら・・・」

「なあに?」

「この近くに、安くて美味いカフェがある。そこのクロワッサンは、絶品だ。コーヒーも。俺は食べたことはないが、ブリオッシュも美味いらしい」

「そこに、僕を連れて行ってくれるの?」

「君さえ良ければ」

「行く!」

リードは赤いドレスを身に纏った。ホッチが背中のファスナーを上げるのを手伝う。左右が散らばっていた赤いハイヒールを揃えて足を入れた。

「さ、行こ、ホッチ。僕を案内して」

夜の踊り子は、朝も美しい花のままだった。

********************

ホッチはクロワッサンとコーヒーを、リードはカフェオレとブリオッシュをオーダーした。

「美味しいっ!!!バターの香りと味が最高っ!!!」

ブリオッシュを一口食べたリードが、満面の笑みを浮かべて、感想を言う。その表情を見ると、誰もが、このカフェの魅力がわかるというものだろう。歩道に面したテーブルで、美味しそうにブリオッシュを頬張るリードは、そのままカフェの宣伝になりそうなほどだった。

「足りるかな?ブリオッシュ1つで」

「んー・・・ホッチのクロワッサンも美味しそう・・・食べたい」

ホッチは軽く手を挙げるとギャルソンを呼び、クロワッサンを追加でオーダーした。

「ありがとう、ホッチ」

「太らないといいが」

「大丈夫。ショーのレッスンって、結構過酷なんだから。それと、僕って、太りにくい体質みたい」

「確かに、細い」

「・・・細いと・・・抱き心地・・・悪い?悪かった?」

「そんなことはない。最高だった」

「良かったぁ」

テーブルに運ばれて来たクロワッサンに目を輝かせ、リードは一口カフェオレを飲んだ。

「僕、とっても嬉しい。今夜のショーも頑張れそう」

「空中ブランコは、毎日?」

「うん。今シーズンの目玉だから。僕、よくわかんないけど、ムーラン・ルージュの経営状態はあんまりよくないって」

「あれだけ客が入ってるのに?」

「ショーが派手でしょ?そういうところに、お金をかけちゃうから、オーナーは。だから、ものすごく黒字ってわけでもないみたいで」

「そうなのか」

「うん。・・・支援するって仰ってくれてる方はいるんだけど・・・でも・・・」

「何か、問題が?」

「ううん。・・・何でもない。ねえ、それよりも、本当に美味しいね、ここのブリオッシュとクロワッサン。カフェオレも甘くて美味しい」

「甘いものが好きか?」

「大好き!」

砂糖菓子のような表情を見せるリードに、ホッチも思わず微笑んだ。

「食べたら、君の部屋まで送ろう」

「僕ね、ムーラン・ルージュのすぐ近くのアパルトマンに住んでるの。今度、遊びに来てね」

「君のファンに見つかったら大変だ」

「そお?」

リードはクロワッサンを頬張りながら、首を傾げたのだった。

********************

「朝帰りのリードちゃん!」

「昨夜はどこにいたのかな?」

JJとエミリーに両脇を固められて、質問されるリード。

「えっと・・・その・・・ね・・・」

「アーロン・ホッチナー様のアパルトマンでしょ?」

と、ガルシア。

「ええええええええ」

焦るリード。

「なっ、なんでっ・・・」

「だって。物騒じゃない?あの辺りって。だから、用心棒のモーガンに尾行させたのよね」

「え?モーガンが?」

「そう。リードがホッチナー様のアパルトマンに入るのを見届けて、出てくるのを待ってたって言ってたけど、なかなか出てこなくて。結局、一晩中でしょ?朝は朝で、二人でカフェでいちゃついてるし。あ、これ、モーガン情報だからね」

「ひゃあ・・・じゃあ、モーガンはずーっと外にいたの?」

「あったりまえでしょ?ムーラン・ルージュの看板娘に何かあったら大変だもの。ちなみに、リードが招待状を届けに行ったときも、モーガンが尾行してたから」

「・・・気づかなかった・・・」

リードは愕然として、椅子にへたりこんでしまった。確かに、ホッチ会いたさに、治安の悪い場所を歩いた自分が悪い。けれども、怖いとか、物騒とか、そんなことは頭の中にはなかった。ただ、ひたすらにホッチに会いたかっただけだ。けれども、モーガンには迷惑をかけてしまったし、ガルシアたちにも心配をかけてしまったのだろう。

「・・・ごめんね、僕。全然、周りが見えてなくて」

「恋は盲目ってえいうものね」

JJがウィンクして、リードの肩をそっと叩く。

「それで?今夜のショーは大丈夫?腰とか、お尻とか、痛くない?」

エミリーがリードの腰を摩る。

「んー・・・痛くないけど・・・ちょっと、腰がだるいかなぁ・・・って!!!!何を言わせるの!!!!」

「「「あはははははははー!!!!」」」

3人の笑い声が楽屋に響いたのだった。

to be continued

赤い風車 04

ホッチは机の上に置いた、赤い封筒をそっと撫でた。ムーラン・ルージュへの招待状。友人に連れらて赴いたそのキャバレーで、ホッチは美しい踊り子と出遭った。また、会いたい。そうは思ったが、今の自分の稼ぎでは、そうそう何度も行ける場所ではない。けれども、その思いは捨て難く、彼の踊り子を思い出して、原稿用紙にその思いを綴るだけが精一杯だった。ところが、その踊り子が目の前に現れたのだ。薔薇のような赤いドレスを着て。そして自分の書いた物語を読み、好きだ、面白いと言ってくれたのだ。それは奇跡のような出来事だった。夢ではないかと思った。昨夜、ベッドに入り、今朝、目が覚めて、ホッチが一番最初にしたことは、机の上に赤い封筒があるかどうかを確認することだった。机の上にそれを見つけて、安心した。ムーラン・ルージュの踊り子、スペンサー・リードが自分の前に現れたのは夢ではなかったのだ。それからホッチは落ち着かなかった。原稿用紙に向かうものの、気もそぞろだった。また、リードに会えるという喜びで、ホッチは集中して原稿用紙に向かえなかった。向かってはいたが、ついつい、横に置いた赤い封筒を見てしまうのだ。貰った時は気づかなかったが、微かに良い香りがする。きっと、リードが使っている香水の香りなのだろう。確か、今日から新しい演目が始まると言っていた。何か、楽屋に差し入れをした方がいいだろうか。リードは何を貰ったら喜んでくれるだろうか。朴訥なホッチは流行り物にをあまり知らなかった。花かお菓子かくらいしか思いつかない。コラムの原稿料が入ったばかりなので、少し懐は暖かい。少しの時間をかけて悩み、ホッチはようやく椅子から立ち上がったのだった。

********************

「綺麗!綺麗よ!リード!」

「銀色のスパンコールが照明に映えるわね。それにデザインもいい。前は普通のレオタードに見えるけど、後ろがドレスみたいになってて・・・」

「そうそう。それで空中ブランコに乗ったら、裾が翻って、絶対に綺麗よ!」

「さすが、ガルシアのデザインだわ」

新しい衣装に身を包んだリードを見て、JJとエミリーが感嘆の声を上げる。ショー前半のラインダンスとリードのソロの歌が終わり、次の出し物に向けて準備をしているところだ。

「今夜、来てくださっているんでしょ?」

JJがリードの頰を軽く突きながら尋ねる。リードは恥ずかしそうに俯きながらも、「うん」と返事をした。

「僕、昨日、お願いしに行ったんだ。来てくださいって。招待状を持って行ったんだ。・・・だって・・・今日から、あの新しい出し物だし・・・僕、怖くって。でも、あの方が観てくださるなら、頑張れるかなって・・・」

「可愛いー!リードったら!」

「そして、ちゃんと来てくださるホッチナー様も素敵よね」

そんな話で盛り上がっている楽屋にガルシアが入って来た。

「リード!」

「あ、ガルシア、もう出番?」

「そろそろよ。それよりも、これ!」

「うわぁ・・・綺麗。すごいボリュームの薔薇の花束だね。赤色がとっても綺麗」

「これ、あなた宛よ、リード」

「え?僕?」

「そう。しかも、あの、アーロン・ホッチナー様からよ。どうやら、開演前に渡したかったらしいんだけど、勝手がわからなくって、今までずっと持ってたみたい。私が声かけをしたら、リードに渡してほしいって」

そう言って、ガルシアはリードに真っ赤な薔薇の花束を渡した。リードはそっと受け取ると、花の香りを嗅いだ。

「リード、赤い薔薇の花言葉、知ってる?」

JJがリードを突きながら尋ねる。

「え?・・・何だろう・・・」

「・・・あなたを愛しています」

エミリーがリードの肩に手を置いて教える。

「「「きゃー!!!!ロマンティックー!!!」

JJ、エミリー、ガルシアの声が重なる。リードの顔は真っ赤になった。

「さあ、リード、そろそろ出番よ!」

ガルシアがリードの手を取った。

「あ、ちょっと待って」

リードは丁寧に花束を化粧台の上に置いた。そして、花束の中から一輪の薔薇を引き抜くと、それを浅い胸の谷間に差し込んだ。

「あら。それ、いいアイディア」

JJが褒める。

「・・・僕、頑張る。怖くない。・・・空中ブランコ・・・頑張る・・・」

リードはキュッと両手を握りしめた。

********************

ステージの天井近く。リードは空中ブランコに座り、目を瞑って静かに呼吸を整えた。キャバレーの喧騒。けれどもリードを包む空気だけは静寂だった。静かに目を開ける。見るのはただ一箇所。彼の紳士が座っている席。もう、そこしかリードの目には映っていなかった。黒いフロック・コートを着た美丈夫。音楽が奏でられる。リードは最高の笑顔を作ると、天井近くに設えられた台を軽く蹴った。リードの座った空中ブランコが、弧を描くようにして、衣装の裾を翻し、観客の頭上を滑る。振り子のように戻るとき、リードは身体を仰け反らせた。片手をロープから離し、胸元の赤い薔薇をスッと引き抜いた。そして、愛してしまった男の頭上を掠めるとき、その一輪の薔薇から手を離した。空中ブランコが最初の位置に戻る。次に、台から足を離すと、ブランコは回転しながら、ステージへと降りて行く。次第に、自分に薔薇をくれた人の顔が明らかになる。そして、リードはもう一度微笑んだ。

何故なら。

彼は。

アーロン・ホッチナーは、自分がわざと落とした一輪を薔薇を手にして、しっかりと自分を見据えてくれていたから。涙が出そうなほど、リードは嬉しくなり、長い睫毛を揺らしながら、歌い始めた。

********************

ホッチは、ムーラン・ルージュから自分の屋根裏部屋に戻ると、力尽きたようにベッドに座った。手には、一輪の赤い薔薇を持っている。それをくるくると回しながら、今夜の出来事を反芻する。今夜も彼は美しかった。ショーも素晴らしかった。あれほど怖いと言っていた空中ブランコも笑顔で乗りこなしていた。彼のために、何を贈ったら良いのかわからず、結局、花束にしてしまった。自分が持っている金で買えるだけの薔薇を買った。花屋の主人が、「これを貰った方はきっと喜びますよ。これは愛の花ですからね」と言った。リードは喜んでくれただろうか。この一輪の薔薇が、返事なのだろうか。

トントン。

突然のノックの音に、ホッチはヒクリと震えた。もしかして・・・と一瞬思った。しかし、その考えはすぐに打ち消した。もう、夜もだいぶ遅く、夜中と言ってもいい時間なのだ。

トントン。

二度目のノック。ホッチはゆっくりと立ち上がり、ドアへと向かった。

トントン。

三度目のノックで、ホッチは鍵のかかっていないドアを開けた。

「ああ・・・よかった・・・いらっしゃった・・・」

「リード・・・。こんな、夜遅くに・・・」

「・・・ごめんなさい。お店が終わってからだと、どうしてもこの時間になっちゃって・・・。でも、僕、どうしても貴方にお礼が言いたくて・・・」

リードは昨日とは違うデザインではあるものの、赤いドレスを着ていた。しかし、寒いのだろうか。腕を軽くさすっている。自分を抱きしめるように。確かに、夏とはいえ、夜は冷える。そんなリードを追い返すことなどできなかった。

「入るといい」

「ありがとう」

リードは微笑んで、するりと屋根裏部屋に入って来た。

「今、何か暖かい飲み物を貰ってくるから、少し待っててくれ」

「大丈夫だよ、僕」

「いいや。寒そうだ。ムーラン・ルージュの看板娘が風邪などひいたらいけないだろう?」

ホッチはリードの肩を抑えて、ベッドに座らせた。そして、もう一度「待っててくれ」と言うと、足早に屋根裏部屋を出た。宵っ張りの大家は、まだきっと起きているだろう。暖かい紅茶でも貰えたらありがたい。そう思いながら、ホッチは1階まで狭い階段を降りたのだった。

********************

案の定、1階に住む大家の女性は、好きな読書をして過ごしていた。ホッチは客人に暖かい紅茶を飲ませてあげたい旨を伝えると、大家は快くティーポットに紅茶を淹れてくれた。ついでに、柄の綺麗な茶器も貸してくれた。ホッチは銀盆でそれらを受け取り、また屋根裏部屋へと戻った。

「待たせた。温かいうちに紅茶を飲むといい・・・あ・・・」

ホッチは一瞬、銀盆を落としそうになった。何故なら、リードはベッドにおらず、ホッチの古びた机の椅子に座り、一心に原稿用紙を読み耽っていたからだ。

「リード・・・」

ホッチは手近な場所に銀盆を置き、踊り子の名を呼んだ。そろそろとリードの顔が上がる。

「・・・これ・・・この物語・・・僕の・・・こと・・・?」

何処に発表する当てのない、物語。ただただ、踊り子を称賛し、踊り子に愛の言葉を書き連ねた物語。

「ごめんなさい・・・勝手に読んでしまって・・・でも・・・これが、僕のことだったら・・・とっても嬉しい・・・」

リードが熱い視線をホッチに送る。その瞳の熱さに、ホッチは観念した。

「・・・申し訳ない。ただ・・・書かずにはいられなかった・・・」

リードは椅子から立ち上がり、ホッチに駆け寄った。

「謝らないで。僕、すっごく、嬉しい。・・・薔薇の花束も嬉しかった。あんなに素敵なお花、初めて貰った」

「君ほどの踊り子なら、贈り物はたくさんだろうに」

「そんなことないよ。貴方が来てくれたおかげで、あんなに素敵な花束を貰えたおかげで、僕、今日のショーを頑張れたんだ」

「・・・怖かっただろう?あの、空中ブランコは」

「最初はね。でも、貴方の顔を見たら・・・全然、平気だった。貴方に、薔薇を贈るくらいにね」

空中ブランコから放たれた一輪の赤い花。籠められた言葉は、「愛」。

静寂が二人を包んだ。花に籠められた意味を深読みすることは心外なのだろうか。お互いがそんなことを考える。しかし、先に動いたのはリードだった。形の良い細い指を、そっとホッチの胸に置く。その指先は美しい赤色で彩られたいた。ドレス、靴、唇。リードには赤がよく似合うとホッチは思った。リードの瞳がホッチを捉える。

「僕が・・・もし、勘違いをしているのなら、ごめんなさい。・・・すぐに、帰ります。でも・・・あの薔薇の意味をそのままに受け取ってもいいのなら・・・」

喋るリードの唇を、ホッチの指がそっと抑えた。

「俺の方こそ・・・いいんだろうか・・・」

リードは、その言葉に笑顔で応えた。そして、軽く背伸びをして、両腕をホッチの首に回したのだった。

********************

一人用の古いベッドは、二人の体重を受け止めると、ギシリと音を立てた。しかし、そんなことも気にせずに、互いにキスをし合う。ホッチはリードの背中に手を回し、背中のファスナーをゆっくりと下ろし、赤いドレスを肩から落とした。綺麗なレースで飾られた、薄いピンクのランジェリーが現れる。覆われている胸が平らなものであっても、それが赤い唇とちぐはぐなものであっても、ホッチは気にならなかった。ゆっくりとその細い体をベッドに押し倒す。ホッチは忙しなくドレスを脱がせ、リードもまたホッチの着衣を剥いでいく。

「あ・・・ホッチ・・・好きって・・・言ってもいい?」

「こんなことをしてるんだから」

「そうだよね・・・」

リードはくすりと笑うと、鼻先をホッチの顎に擦り付けた。

「でも、言わせて・・・好き・・・。初めてあったときから・・・好き・・・」

「・・・俺もだ・・・。ステージの上の君は、綺麗で・・・」

「踊っていない僕は・・・魅力、ない?」

「そんなことはない」

本当にそうだった。リードの身体を見て、自分が酷く昂っていることがわかる。リードの全身を撫でさすりながら、その滑らかな質感を楽しむ。けれども、ホッチは、ふとあることに気がついた。リードが目を瞑り、軽く唇を噛んでいる。さっき、自分の首に腕を回した時と違って、緊張を感じる。まさか。

「・・・君は・・・もしかして・・・初めてなのか?」

その言葉に、リードは目を見開いた。

「あ・・・ごめんなさい・・・その・・・でも・・・大丈夫だから・・・それとも・・・初めての人間を相手にするのは・・・面倒臭い・・・?それに、僕・・・男だし・・・」

「いや、そんなことはない。しかし・・・」

ホッチはそっと身体をリードから離そうと動いた。が、リードはそれを許さず、ホッチの腕を掴んだ。

「僕・・・初めての相手は・・・貴方がいい・・・好きになった人とがいい・・・」

「リード・・・」

踊り子の熱っぽい瞳を見て、我慢ができるはずもなかった。

「・・・優しくする・・・」

ホッチはそう呟くと、リードの身体に覆いかぶさった。

to be continued

赤い風車 03

「君は・・・」

ホッチは突然目の前に現れた美しい踊り子に言葉が続かなかった。

「僕は、スペンサー・リード。貴方は・・・先日、デヴィッド・ロッシ様とムーラン・ルージュに来てくださった、アーロン・ホッチナー様・・・でしょう?」

ホッチは名乗った覚えはないが、突然の出来事に頷いてしまった。

「お部屋に、入っても・・・いい?」

リードは小首を傾げて乞うように笑みを浮かべた。

「あっ・・・ああ・・・構わない・・・ただ・・・散らかっているが・・・」

「そお?」

ホッチの肩越しに部屋の中をリードが覗く。そして言った。

「たぶん、だけどね。きっと僕の部屋よりは綺麗。だって僕の部屋、本やドレスや衣装でごちゃごちゃ何だもん」

保ホッチは、身体を斜めにしてリードが部屋に入るのを促した。フレアスカートのシンプルなドレス。それに合わせたかのようなサテンのハイヒール。衣装ではない、シンプルな普段着のリードも美しかった。リードは少々無遠慮に、ホッチの部屋を歩き回った。そして。さほど大きくはない書棚の前に立つと、本の背表紙を指で辿りはじめた。

「小説・・・戯曲・・・詩・・・あは。哲学書まである。ムッシュウ・ホッチナーは、読書が好きなの?」

「・・・嫌いではない。ただ、仕事柄・・・」

「あ、そうか。小説家・・・だもんね」

「誰から、それを」

「うちのお店には、ものすごい情報通がいるんだ。衣装と演出を担当してる、ペネロープ・ガルシアっていうんだけど。彼女、貴方の素性を調べてくれた」

「・・・どうして、そんなことを」

「え・・・あ・・・そうか・・・変・・・だよね。ムーラン・ルージュの踊り子がいきなり尋ねてくるなんて。・・・迷惑・・・だった?」

「ああ、いや・・・その。ちょっと驚いてはいるが・・・」

「デヴィッド・ロッシ様ときてくださって以来、貴方を一度もお見かけしてないから・・・その・・・」

「ああ。見ての通り、こんな生活だ。キャバレー通いをする余裕はないんだ」

「・・・そっか・・・そうなんだ・・・」

リードは寂しそうに目を伏せた。

「あの日は、たまたま友人が誘ってくれたから・・・」

「また・・・来たいって、ちらっとでも思わなかった?キャバレーは嫌い?」

「それは・・・」

キャバレーそのものにあまり興味はないが、あの日から、ホッチはリードに会いたい・・・とは思っていた。いつか原稿料が貯まったら、行きたいとも、思っていた。・・・それを口には出さな買ったけれども。

「あの・・・ね。もし、迷惑じゃなかったら・・・これ、招待状」

リードは封書をハンドバッグから取り出した。

「招待状?」

「うん。今度、新しい演目があるんだ。そういうのに限らずだけど、お店が何か新しい試みをするときには、こうして懇意のお客様に招待状をお渡しすることがあって・・・その・・・もし、貴方が嫌でなければだけど・・・貴方に来て欲しくて・・・」

リードは美しい装飾の施された、赤い封筒をホッチに差し出した。ホッチは丁寧に封を開けると、中から1枚のカードを取り出した。それは、ムーラン・ルージュへの招待状だった。

「・・・どうして、これを、俺に?」

「・・・えっと・・・その・・・また、見てもらいたいなって思って・・・あ、でも、迷惑だったら・・・」

「いいや」

ホッチはリードの言葉を遮った。

「俺も・・・また行きたいって思ってた」

その言葉を聞いて、花のような笑みがリードの顔に広がる。

「良かったぁ・・・・あのね、今度、宮中ブランコに乗って歌うんだ、僕。怖いんだけど、貴方が見てくれているんなら、頑張れそう」

空中ブランコなどという、そんな設備もあのキャバレーにはあるのかと驚く。

「高所恐怖症なのか?君は」

「高所どころか・・・僕ね、運動神経が壊滅的なの」

「その割には素晴らしいダンスだった」

「仲間にもよく言われる。リードは良き踊れているって。でもね、本当は必死。この間もレッスンの最中に転んで尻餅をついたちゃうくらい。あ、これ、内緒ね」

「しかし、君はセンターで踊っていただろう?よほどの踊り手でなければ」

「んー・・・たぶんね、それは僕がこんな見てくれの男だからだと思う。だって面白いでしょ?男の看板娘なんて。きっと、そのうち飽きられると思うよ」

「そんなこと・・・」

ホッチはステージの上で踊るリードの姿を思い出していた。観客を惹きつける何かが彼にはあった。異形のもの・・・というだけのん気とは思えなかった。

「ねえ、今は、どんなものを書いてるの?ムッシュウ・ホッチナー」

「ああ・・・ホッチでいい」

「そう?じゃあ、遠慮なく。僕のことも、リードって呼んでもらえたら嬉しい・・・かな」

リードは古びたデスクの横にあるチェストの上の紙束に近づいた。

「これって読んでもいい?あ、未発表作品なら、ダメかな」

「いや。単なる駄作だ。書いてはみたが、出版社からは面白くないと」

「でも、僕は読んで読んでみたいな。僕、本は好きで結構読むけど、こういう生原稿を手にするの初めて」

リードはクリップで止められた原稿用紙の束を大事そうに抱えると手近なベッドに腰かけた。

「ああ、何か、お茶でも」

「お構いなく。水でいいから」

リードは原稿用紙を膝に置くと、綺麗な人差し指で文字を追い始めた。ホッチは集中しているリードの傍に小さな丸椅子持って来て、そこ水の入ったグラスを静かに置いた。

静寂が訪れた。ホッチは、机の椅子に座って、熱心に原稿用紙に目を落とすリードを見つめていた。ステージに上で踊る姿とは違う一面。きっとキャバレーの客には見せることのない表情。正直、見とれてしまっていた。

「・・・あー・・・面白かった。僕、これ好き」

突然、小さな部屋にリードの声が響いた。リードが原稿を手にしてから、10分程度しか経っていない。

「も、もう読み終わったのか?」

「うん。僕ね、1分間に2万語、読めるんだ。あ、内容はちゃんと頭に入ってるよ?何だったら、暗唱してみる?」

そう言うと、リードは原稿用紙を見ずに、スラスラと物語の冒頭を語り始めた。確かに、ホッチが綴った物語で、一字一句違わずに、リードの口からこぼれ落ちた。

「も、もういい」

自分も書いた物語を音声で聞くのは、そこはかとなく恥ずかしい。ホッチはリードにストップをかけた。

「あ・・・また、やっちゃった。ダメなんだよね。本当はこういうの普通じゃないんだよね。でも・・・僕、目に入ったものは何でも覚えちゃうんだ」

「昔から?」

「うん。小さい頃から」

「だからね、ダンスの振り付けを覚えるのは得意なの。でもね、それと身体を動かすことは別なんだよね。レッスンでは、いっつもみんなに迷惑をかけちゃう」

「しかし、ステージの上の君は素晴らしかったと思う」

「ありがとう。みんなにも言ってるんだけどね、僕、必死なんだよ?ステージの上では。余裕なんか、全然、ないの。本当は・・・空中ブランコも怖いんだ。でも、貴方が見に来てくれるなら・・・僕、頑張れそうな気がして・・・。あ、何だか、押し付けがましいよね。明日の夜からの演目なんだけど・・・無理しなくていいんだけど・・・でも、来ていただけたら・・・すごく、嬉しい」

「明日・・・わかった。行くよ」

「本当に?ありがとう。嬉しいな。・・・ねえ、もっと貴方の書いた物語を読んでもいい?僕、ファンになっちゃった」

「たいした文章じゃない」

「そう?でも、僕は好きだな。とても緻密で、繊細で・・・とっても綺麗。言葉もものすごく計算されてるって感じ」

「しかし、友人には、華がないと言われている」

「そうかなぁ・・・。でも登場人物の書き込みが丁寧で、それに情景描写もまるで本物の景色がが目の前に広がってくる感じがするよ?・・・僕は好き。もっと読みたい」

自分の作品を好きと言われて嫌な気はしない。ホッチは引き出しの名から、昨年書いてお蔵入りになってしまった原稿を出してリードに渡した。

「本を読むのが好きなのか?」

「うん。大好き。小さい頃からよく読んでた」

返事をしながらも、リードはホッチが綴った文字を目で追っていた。そのスピードは速い。しかし、粗雑に読まれているような感じはしなかった。それだけ、リードの瞳は真剣だったからだ。ステージ衣装とは違う、落ち着いたデザインの赤いドレス。化粧も舞台とは違って薄い。けれども、リードはそれでも美しかった。ホッチは机の上に広げてあった書きかけの原稿を隠すように、別な原稿用紙をそっと被せた。ムーラン・ルージュの踊り子を・・・リードを賛美する物語。これを本人に読まれてしまうのはひどく恥ずかしい。

「あ・・・今、何時?」

「午後3時頃・・・だな」

「ああ・・・僕、もう、行かなくちゃ。んー・・・まだ途中なのに・・・」

リードが残念そうに手にした原稿用紙を撫でる。

「持って行って構わない。どうせ発表されない原稿だ」

「え?・・・いいの?」

リードが嬉しそうに微笑む。

「嬉しい・・・ありがとう、ホッチ」

「招待状の礼として。そんなものでよければ」

「そんなつもりじゃなかったんだけど・・・でも、空中ブランコのショーは明日だから。本当に見にきて欲しい。今日はこれから、その最終レッスンなんだ。失敗しないように頑張らなくちゃ」

「君なら、できる」

「ありがとう。貴方にそう言われたら、何だか、勇気が出る。明日は僕、貴方のために踊るし、貴方のためにショーを頑張る」

「ムーラン・ルージュの看板娘の君は、みんなのものだろうに」

「お客さんがそう思うには自由。でも・・・僕は、貴方のために、踊りたいし、頑張りたいんだ。・・・ねえ、本当に、明日、来てくれる?」

不安そうな表情をしてホッチを見上げる。

「・・・必ず」

「嬉しい。・・・じゃ・・僕、行くね。仲間に迷惑をかけちゃいけないから!」

リードはハンドバッグと原稿用紙を手に持つと、ベッドから立ち上がった。

「じゃ・・・明日・・・ホッチ。僕、待ってるから・・・」

はにかみながら言うと、リードは玄関に向かった。それを追うようにしてホッチが後に続く。

「また・・・明日ね?」

「ああ・・・」

リードはくるりと優雅に向きを変えると、薄暗い廊下を歩き、下へ降りる階段へと消えた。

その姿は、薄闇の中に赤く咲く一輪のバラのようだった。

to be continued

赤い風車 02

「1・2・3・4・5・6・7・8」

「1・2・3・4・5・6・7・8」

カウントを取る振付師の声に合わせて、踊り子たちがフロアでステップを踏む。ラインダンスだ。

「1・2・3・4・5」

「うわっ、あっ・・・」

どたんっと音がして、踊り子が一人、転んだ。リードだった。

「いててててて・・・」

「大丈夫?スペンス!」

JJが駆け寄る。エミリーもタオルを持って近づいた。

「お尻・・・打っちゃった・・・」

リードがお尻を摩りながら、立ち上がるのをJJが手を出して助ける。エミリーが床を確認すると、一部分が汗で濡れていた。

「あら、これが原因だわ。拭いておくわね」

「ありがと、JJ、エミリー。僕、ドジでごめんね」

「リードのせいじゃないわよ。エミリーが言った通り、汗が床が濡れていたのが原因よ」

「でも、ちょっと集中力に欠けてたかも」

「うふふ。ステージではビシッとダンスを決めるのにね。リードったら、練習の時ってわりと転けるわよね」

「だって・・・苦手なんだもん・・・ダンス」

「何を言ってるのよ、ムーラン・ルージュの看板娘が!」

エミリーの背中を軽く叩かれる。

「僕だって必死なんだよぅ・・・。みんなの足を引っ張らないようにって・・・そればっかり考えてる。だから、ステージでは絶対にミスをしないようにしてるんだ」

「ふうん・・・」

JJが意味深な声を上げた。

「な、何?JJ・・・」

リードが伺うような視線をJJに向けた。

「最近・・・ステージで雑念を感じるのよねぇ・・・。そう思わない?エミリー」

「あー・・・わかる。時々、心、ここにあらずっていうかぁ・・・客席の一点を見つめては、小さな溜息をついてる踊り子は、いるわよね」

「そうよねー」

言いながら、JJとエミリーがニヤニヤと笑いながらリードを見た。

「えっ・・・ぼ、僕?」

「確か、あの席って、デヴィッド・ロッシ様のお連れ様が座っていた席よねー」

「そうそう。あれ以来、全然いらしてくださらないけどー」

「・・・え?・・・そ、そうかな?・・・僕、別に・・・その・・・そんなこと・・・」

「リードは思わず床を見つめてしまった。JJとエミリーの視線から逃れるように。名前も知らない客。あれから一週間。リードはステージに立つ度に、その客席を見た。そこに彼の姿が見当たらないときは、客席全体を見て、彼を探した。しかし、彼の姿を見ることはできなかった。その度にがっかりしてしまうのだが、リードもプロだ。すぐに気を取り直して、笑顔で踊り、そして妖艶に歌った。存在しない、男の姿を想像して、彼に向かって踊り、歌った。もう一度、会いたいな・・・と思った。けれども、自分は彼の名前さえ知らないのだ。

「それはそうと」

エミリーが話題を変えた。

「ねえ、リード。今度の新しい出し物の練習は進んでる?」

「あ、うん」

リードは思考を現実に戻した。そして肩を竦める。

「あれ・・・怖いよね」

「そうね。空中ブランコは怖いわよね」

「やらなくちゃダメかなぁ・・・」

「さすがにガルシアもストップをかけたらしいけど、オーナーの強い希望だものね」

「高いところ・・・怖い・・・」

「そうよね」

JJもリードの肩に手を添えながら、慰めるようにして言った。

「まあ、シルクのトラベジストのようなことやるわけじゃないから。でも確かに、高い所だものね」

「僕・・・運動神経、ないのに・・・」

「命綱はつけるから大丈夫だとは思うけど」

「・・・それやったら・・・お給金、上がるかなぁ・・・」

「そこはガルシアが交渉してくれるわよ。彼女、そういうの上手いから」

「うん。そうだね」

そこへ、噂のガルシアが現れた。手には銀色のスパンコールが一面に散りばめられた衣装を持っている。

「リード!新しい衣装ができたわ。空中ブランコ用の衣装。それとシルクハット。命綱はデザイン性も考慮して、素敵なのにしたわ。安全面もバッチリよ!」

「ありがとう!・・・でも、怖いなぁ・・・」

「オーナーには、危険手当を上乗せするように言っておいたわ」

「さすが、ガルシア!!」

と、JJとエミリーが手を鳴らす。

「それと、リードの不安を払拭する情報を持ってきたわよ」

「ん?情報?」

「ほら、先日、デヴィッド・ロッシ様といらっしゃった殿方のことよ。リード、ずっと気にしてるでしょ。バレてるんだから。私はいっつも袖から見てるんだからね!」

「そ・・・そんな・・・僕・・・」

「いいからいいから。否定したって無駄。まあ、聞きなさいよ」

リードも気にならないわけではない。そこへJJやエミリーも興味をもって聞き耳を立てる。

「あの殿方の名前は、アーロン・ホッチー様。デヴィッド・ロッシ様のご友人。職業は小説家。とは言ってもあまり売れてはいないらしくて、新聞にコラムを書いたり、詩を書いたり、頼まれたら簡単な戯曲を書いたりもしているらしいわ。住まいはモンマルトルにある古いアパルトマンの屋根裏部屋。これが、住所」

そう言って、ガルシアが一枚のメモをリードに渡した。

「え・・・どうして、僕に・・・」

「お誘いしなさいよ。新しい出し物に合わせて。今度のトラペーズヴォランは結構、話題になるわ。そのことを書いていただいたら、このムーラン・ルージュのいい宣伝になるわよ。それに、お会いしたいんでしょ?リード」

「・・・・・・」

「その無言は肯定の意味ね」

ガルシアが眼鏡のフレームを上げて言った。JJとエミリーも、両端からリードを軽く突く。

「えっと・・・そ、そだね。うん。ムーラン・ルージュの宣伝をしてもらうんだもんね。これも仕事だもんね」

「そうそう、仕事仕事」

「じゃ、また、レッスンを頑張らなくっちゃ!」

リードは思わず緩くなってしまう表情を隠すように、仲の良い3人に背中を向けたのだった。

********************

アーロン・ホッチナーは寝食を忘れたかのように、古びた机にずっと向かっていた。羽ペンがスラスラと動く。今書いているのは、踊り子の物語だった。美しい踊り子の物語。名前とその姿しか知らない踊り子を思い浮かべて、ホッチは物語を紡いだ。新聞社に頼まれた原稿もあったのだが、それをそっちのけで、自分の思うがままに、ペンを走らせていた。あのとき抱いた感情と感動が風化する前に、文字にしたかった。しかし、それは杞憂だった。日を重ねるごとに、情景は鮮やかになった。美しき踊り子の表情がより鮮明に、ホッチの脳裏に浮かんだ。ホッチの書く物語は、告白であり、恋文だった。笑顔で踊るスペンサー・リードに、ホッチは心を奪われた。彼の美しさを完璧に文字で表すことなどできない。しかし、自分にできることは、文字を書き起こすことだけなのだ。だから、ホッチは必死に書きつらねた。恋してしまった踊り子の物語を。何処に発表する当てもない、物語だった。しかし、書かずにはいられなかったのだ。ホッチは目をつむり、あのムーラン・ルージュで見た彼の姿を思い起こした。美しい装飾、照明、演出・・・それは全て、スペンサー・リードに集約された。全てが彼のためにあったような気がした。もう一度、会いたい。もう一度、ムーラン・ルージュを訪れたい。しかし、しがない物書きであるホッチにとっては、それは叶わないことだった。だから、ホッチは自分の中で、そして原稿用紙に中で、再現するのだ。ムーラン・ルージュでも彼の姿をを。美しい、彼の姿を。彼がソロで歌ったとき、彼は自分だけを見てくれていたような気がした。決して、そんなことはないのだろうが、そう感じたのだ。だから、自分も彼を見つめ返した。美しいドレスに身を包み、美しい照明の中で、美しい声で歌を奏でる、スペンサー・リードの姿を。

ホッチは、小さな溜息をついた。原稿用紙に書き連ねた彼の姿が、現実のものとなって浮かび上がってくれたなら、と。そんな叶わぬことを夢想した。

トントン。

古びたドアが叩かれた。

トントン。

ホッチは振り返った。滅多に客など来ない、屋根裏部屋だ。新聞社の人間だって、こんな所には来ない。もしかすると、電報か何かかもしれない。

そう思って、ホッチはがたつく椅子から立ち上がった。

トントン。

3度目のノック。ホッチは、軋むドアをゆっくりと開けた。そして、息を飲む。

「こんにちは。えっと・・・初めましてって言った方がいいのかな・・・」

そんなことを言いながら、立っていたのは、指先で金髪を耳にかけながら、上目遣いにホッチを見る、赤いドレスをきたスペンサー・リードだった。

to be continued

*********************

シルク・・・サーカス

トラベジスト・・・空中ブランコ乗り

トラペーズヴォラン・・・空中ブランコ

赤い風車 01

しがない物書きであるアーロン・ホッチナーは、静寂を好む男だった。故に、喧騒に塗れたそのような場所に自ら訪れようなどとは思ってもみなかった。しかし、古くからの友人である、デヴィッド・ロッシに熱心に誘われたため、無下に断るわけにもいかず、クローゼットの中から粗末ではあるが丁寧にブラシをかけてある一張羅を着て、その店の前で彼の友人と待ち合わせたのだ。待ち合わせの時刻よりも数分早くついたホッチは少々後悔した。店の前に立っている店の青年に声をかけて、「帰ります」というメモをロッシに渡してもらろうか、などと考えもした。それほどまでに、その場所は明るく、華やかで、目に痛いほどのネオンで装飾されていたからだ。行き交う人々はキラキラと笑っていて、これから飛び込もうとする衝撃と快楽の場所に、大きな期待を持っているようだった。しかし、そのような思いをホッチは持ち合わせていなかった。ホッチは小さく溜息をつくと、懐に手を入れて、いつも持ち歩いているペンと手帳を取り出そうとした。いつ舞い降りてくるかわからない物語のアイディアを、書き留めるためのものだった。そうだ。一言メモを書いて、青年に伝言を頼めばいいのだ。そして自分は、あの屋根裏部屋に帰っ裏、古びた机に向かって、途中の物語を書くのだ。そう思った決心したとき、肩が叩かれた。

「待たせたかな」

「・・・デイヴ・・・」

これでホッチが、この場から逃げ去ることはできなくなってしまった。ホッチは無理に笑顔を作ると、「こんばんは」と挨拶をした。決して、この友人が嫌いなわけではないのだ。ただ、この場所が自分にそぐわないと感じているのだ。

「さあ、行こうか。ショーの前に食事を済ませてしまおう。美しい踊り子たちは、ゆっくりを酒を飲みながら眺めたいからな」

背中を押されるようにして、ネオンの中へと赴く。

そこは。

ムーラン・ルージュ

という、キャバレーだった。

********************

「相変わらず眉間に皺が寄っているなぁ、ホッチは」

「・・・すみません・・・」

「まあ、こういう場所が苦手なんだろうが、君の物語に華を添えるためにも、必要な経験だと思うぞ」

「・・・つまらない・・・ですかね。自分が書く物は」

「そんなことを言ってるんじゃない。君の物語は緻密で計算されていて美しい。しかし、読者を惹きつける華が必要だと言ってるだけだ。まあ、簡単に言うとだな、君には難しいかもしれんが、俗っぽいところも、時としては必要だ、と言うことだ」

食事をしながら、文学の話をする。向学心も向上心もあるので、ホッチはロッシの言葉を否定はしない。確かに、つまらないのだ。自分の物語は。その自覚は十分にあった。

「まあ、今夜の見世物を1つの糧にするといい」

食事が酒に変わり、ロッシとホッチはステージに身体を向けた。薄明かりで照らされていたステージが一瞬、真っ暗になる。しかし次の瞬間、それまでの何倍もの光量で照らされた。そして音楽。シルクハットを被った恰幅の良い男が、前口上を述べる。そして暗転。ボリュームを絞られた音が、また次第に大きくなる。徐々に明かりがステージを照らす。左右から大勢の踊り子たちが登場し、フレンチ・カンカンを踊り始める。フランスの国旗を模した色のドレス。自由・平等・友愛の色がステージ上で踊る。

「ホッチ。センターで踊っている子がいるだろう?」

「センターですか?ああ・・・わかります」

「何か思わないか?」

女性のわりに長身な金髪の踊り子が満面の笑みで踊っている。しかし、ホッチは、赤く彩られた唇を見ながらも、「おや?」と思った。平らな胸。細くはあるが、他の踊り子たちよりはくびれてはいないウエスト。

「あれは・・・女性ではなく、男性ですか?」

「ああ。名はスペンサー・リード。れっきとした男だが、このムーラン・ルージュの看板娘だ。まあ、男なのに娘・・・というのも矛盾しているんだがね。しかし、美しいだろう?」

ロッシが軽く笑いながら言った。しかし、そこに嘲りの意味合いはなかった。美しいものを美しいと素直に賞賛する声だった。ホッチは再度、今度は物凄く注意深くステージを見た。いや、スペンサー・リードという踊り子を注視した。何度か曲と衣装が変わる中、彼は非常に表情豊かで、曲想に合わせて、コケティッシュだったり、妖艶だったりする表情を見せた。ホッチの目には他の踊り子は、最早、映らず、ムーラン・ルージュの看板娘だけを追い求めていた。

********************

「げほっ・・・げほっ・・・はぁ・・・はぁ・・・く・・・くるし・・・」

「大丈夫?スペンス。ほら、お水よ」

楽屋の床に蹲って咳き込んでいたリードが、仲間のJJから水の入ったグラスを受け取った」

「あ・・・ありがと・・・JJ・・・はぁ・・・」

肩で呼吸をしているリードの背中を、エミリーが優しく撫でさすった。

「次はリードのソロだけど・・・咳はおさまりそう?」

「ん・・・だ、大丈夫・・・僕、頑張る・・・はぁ・・・」

「後、10分は休めるわ。無理はしないで」

踊り子仲間のJJとエミリーがリードを労わる。リードは手の甲で額の汗を拭いながら、懸命に呼吸を整えた。

「はぁ・・・僕、苦手だから・・・踊るの。あんまり運動神経がよくないから、無駄な動きをしてると思うんだよね。だから、疲れちゃうんだ・・・」

そんなことを言うリードの金髪を撫でながら、これまた長い金髪をもつJJは元気づけるように言った。

「何を言ってるの、スペンス。貴方のダンスはとても上手よ?それにレッスンだって、人一倍努力してる。だから支配人だって、貴方をセンターに据えるのよ?」

「でも・・・苦手。けど、仕方がないよね。生活のためには働かなくちゃだし・・・」

黒髪のエミリーが冷たく濡らしたタオルをリードの首の後ろに当てる。

「貴方のおかげで、このムーラン・ルージュの評判は上がってるし、お客も増えてる。貴方は稼ぎ頭よ」

「僕、男なのに、変だよね」

リードは笑った。そこへ、衣装と演出担当のガルシアが現れる。

「大丈夫?リード。もし辛かったら、クルーンで繋いでおこうか?呼吸が整うまで」

「ありがとう、ガルシア。でも、大丈夫。結構、落ち着いてきたよ」

「なら、いいけど。次はリードのソロで、穏やかな曲目だから」

「うん」

「それとね、一つ、報告」

「何?」

「スペンサー・リードに新たなるファンが出現」

「何、それ」

「デヴィッド・ロッシ様は知ってるでしょ?」

「うん。ここの常連さんだよね」

「私、袖からずっと見てたんだけど、そのお連れの方がね、もうリードに釘付け。瞬きもしないで、リードを凝視してたわ」

「・・・初めてのお客様?」

「たぶん、そう。そんな上等なお召し物ではなかったけれども、清潔感があって、かなり凛々しい顔立ちの方。気づかなかった?」

「僕、踊るだけで、いつも精一杯だよ」

「じゃあ、ソロの時は、その殿方を探してみて。ロッシ様と一緒だからすぐにわかるわ。そして、リードもじっと彼を見つめて歌うといいんだわ」

「えー・・・」

「じゃ、そろそろ出番よ」

ガルシアがドレスをリードに差し出す。薄紫のスパンコールで装飾された、身体にフィットするドレスだった。

「手伝ってあげるわ」

立ち上がったリードの両脇に、JJとエミリーも立ち、今来ているドレスのファスナーを下ろしたり、新しいドレスを着せたりするのを手伝ったのだった。

********************

暗闇の中、リードは慣れた足取りでステージの中央へと歩いた。そこには脚の高い椅子が、一脚用意されているはずだ。ドレスの裾を綺麗に捌きながら、リードは座った。それと同時に、照明が煌めく。一瞬の眩しさ。それと同時に、音楽が流れる。One Day I’ll Fly Awayだ。踊り疲れた身体には優しい歌。ガルシアが考えてくれる構成は、リードに優しかった。リードは、スッと一呼吸すると、前奏に身を委ね、それから歌い始めた。いつもなら、客席のずっと奥の方を見て歌うのだが、今夜はステージに近い客席にデヴィッド・ロッシを探した。有名な彼はすぐに見つけられた。そして、その隣。黒髪の男性。リードは歌いながら、心臓がドキリとした。まるで、自分を射すくめるような視線だったからだ。放たれた矢で、身体を押さえ込まれるような感覚がした。それでも、リードは歌う。歌声を、彼に向ける。リードもまた、彼を見て歌った。いつもなら、演技で媚びるような視線を客席に送るが、そんなことはしなかった。できなかった。真面目で、真剣な視線には、其れ相応の態度で応えなくては・・・と思ったのだ。だから、リードもいつも以上に心を込めて歌った。この場にいる客、全てのためではなく、自分を見据える、一人の男のために。

そう。

たぶん。

リードは、恋に堕ちたのだ。

to be continued

********************

注釈

クルーン・・・ピエロ

悪かった

リードはシャツを捲り上げると、改めて自分の腹部を見た。今はそれほどでもないが、明日にはきっと紫色になっていると思う。ホッチは加減してくれたけれども、やはりリアルに蹴りを入れなければ、犯人に「演技」だとバレてしまう。だから、あの黒い革靴は見事に何度も、リードの腹に突き刺さった。それでも、ちゃんとホッチの意図を理解して、ホッチに合わせて、そして彼の足首に装着された銃を引き抜き、犯人を撃ったことは、自分では上出来な方だと思う。射撃訓練では悲惨だったのだから。蹴られた瞬間の痛みはない。湿布を貼ることのほどでもないなぁ・・・と思いながら、リードは自分の腹をひと撫でしてから、シャツを下ろした。

コンコン。

アパートのドアが叩かれる。

「ふぁい」

突然のことだったので、変な声になってしまった。

「はい」

もう一度言い直すと、リードは数歩歩いて、ドアを開けた。

「あ、ホッチ・・・」

そこに立っていたのは、現場で自分を蹴った張本人だった。

「今、いいか?」

「え?あ、えーと、はい。大丈夫」

リードはホッチを自分の部屋に招き入れた。別に初めてのことでもない。

「コーヒーでいいのかな・・・?」

何か飲み物を準備しようとしたリードだったは、腕を掴まれて、それは遮られた。

「ホッチ?」

「大丈夫か?」

「?」

リードは首を傾げた。

「身体のことだ」

「ああ。現場でも言ったけど、大丈夫。いじめられっ子には慣れたことだから。あ、もちろん、ホッチがいじめっ子だって言ってるわけじゃないよ?」

「しかし、やったことは最低だ」

「仕事だもん。犯人をどうにかするためには、ああするのが一番だってわかってる」

「・・・悪かった」

「いいってば」

「悪かった、本当に」

次の瞬間、リードは強い力で引き寄せられて、ギュッと抱きしめられた。

「ホ、ホッチ?」

リードが慌てて、身体を離そうとする。しかし、自分の意思で動かすことはできなかった。それだけ、ホッチの腕力は強いし、犯人を確保する術は心得ている。

「こんな細い体に、酷く無体なことをしたと思ってる」

「だから、それは・・・」

「本当に悪かった」

「もう・・・いいのに。大丈夫ったら、大丈夫なんだよ?こんなの・・・久しぶりではあったけど、慣れっこなんだから」

リードはホッチの肩に顎を乗せながら笑った。本当に、大丈夫なのだ。腹を蹴られたことなど。それよりも、射撃の下手な自分が、犯人逮捕の役に立てたことの喜びの方がずっと大きい。ホッチの役に立てた、その喜び。ホッチの意図をいち早く理解して、その演技に合わせることができた。

「・・・見てもいいか?」

「ん?」

「腹」

「いいけど・・・別に何ともなってないよ?もし内臓に異常があったら、医者に何か言われてるだろうし・・・」

「そんなことになったら・・・責任は取る」

「だから、それは大丈夫。責任って大袈裟。明日になったら、青あざになってるかもだけど・・・うわっ」

リードが声を上げた。ホッチが身体を離したかと思うと、シャツを捲り上げたからだ。

「もう、青いじゃないか」

「え?そう?さっき見たときは・・・あ、ほんとだ。うっすらと青いね。いつのまに」

「冷却スプレーか湿布はあるか?」

「ない。うちにあるのは絆創膏くらい。それも古いの」

「買ってくる」

「いいよ。大丈夫。ああ、タオルを水で濡らして冷やしておけばいいんじゃない?」

「これから医者に」

「それはちゃんと現場で診てもらったから、大丈夫。異常がないから、こうやって帰って来れてるんだし。でしょ?」

リードは相手を安心させるように笑った。しかし、ホッチの眉間には皺が寄ったままだ。

「大丈夫だよ・・・でも、もし・・・ホッチが僕のために何かしたいって思うなら・・・そうだな・・・コーヒー、飲む?一緒にコーヒーを飲みながら、ちょっとだけでいいから、お喋りをしようよ」

「俺が淹れよう。リードは怪我人だ」

「じゃあ、甘えさせてもらおうっと」

ホッチがキッチンへ向かうと、リードはソファに座った。ニコニコと笑いながら。仕事ではなく、こうしてプライベートで、この上司と過ごせることは嬉しい。仕事では厳ついが、こうして自分に優しいところがある。すぐに、リードの大好きな、甘ったるいコーヒーの香りが漂う。ミルクと砂糖がたっぷりのコーヒーだ。もはや、コーヒーとは呼べないような代物。それでも、そんな自分の嗜好を知って、準備してくれる優しさがある。

「ありがとう、ホッチ」

「こんなコーヒーを飲むくらいなら、ココアの方がいいんじゃないか?」

「ココアも好き。今度、バンホーテンのココアを買ってこようっと」

「それは俺が買ってやる。今日の・・・詫びだ」

「いいのに」

それから、事件のこと、法律のこと、犯罪心理のこと・・・。第三者が聞けば、小難しくて眉を顰めそうな話を、二人は笑顔で続けた。話しながら、「何だか、幸せ」とリードは思った。

********************

「ん・・・ん・・・ん?・・・んぅ?」

リードが薄眼を開けると、どうやら自分はベッドにいるようだった。慣れ親しんだ、毛布の手触りでわかる。けれども、身動きが取れない。後ろから、誰かに抱き込まれている。

「えっと・・・」

頭がこんがらがっていると、後ろから声をかけられた。

「起きたか?リード」

「ホッチ・・・?」

それは、上司の声だった。

「これって・・・その・・・どういう状況?」

「昨夜、話をしているうちに、君は眠ってしまった。ソファで。それで、ベッドへ運んだ」

「あ、そっか。僕、寝ちゃったんだ」

「事件で疲れていたんだろう」

「コーヒーとか溢さなかった?」

「飲み終わった後だった」

「よかった。・・・それで・・・その・・・これって、どういう状況なのかな?」

「さっき説明したが?」

「ん・・・そうじゃなくて。どうして、ホッチが一緒のベッドにいるの?」

「一人にしたくなかったからだ。それに、一晩経過した、腹の様子も見たかった。痛みは?」

リードは自分の腹を弄った。別段、痛くはない。

「大丈夫」

「見せてくれ」

ホッチは一度リードの身体を離し、仰向けにすると、シャツの裾を捲った。そして。

「ああ・・・酷いな。かなり青くなってる・・・」

リードも上体を起こして自分の腹を覗き込んだ。

「ああ・・・案の定だ」

「痛みは?」

「全然」

「本当に?」

「本当。嘘はついてない。全然、痛くない。見てくれは酷いけど」

「・・・悪かった」

「昨日から、そればっかり」

リードがクスクスと笑った。意外にも心配性な上司の言動に思わず笑ってしまったのだ。けれども、次の瞬間、リードは息を呑んだ。何故なら、ホッチがリードの腹に唇を落としたからだ。それも一度ではなく、青痣を辿るようにして。

「っ・・・え・・・ホッチ・・・」

ようやく、リードが声を絞り出した。

「えっと・・・その・・・あの・・・くすぐったい・・・かな・・・?」

本当はくすぐったくはない。ただ、ホッチの唇の熱を腹に感じて、どうしていいかわからない故の言動だ。もう、一体、どういう状況か、わからない。けれども、嫌悪感はない。そこはかとない、優しさは感じるけれども。

何度も唇を押し当てられた後、ようやくホッチが身体を起こしてリードの顔を覗き込んだ。リードは目を見開いて、何処かに優しさの潜んだ、その精悍な顔を見るしかない。ゴクリ、と唾液を飲み込んだ。ずっと、心の、身体の奥底に隠しもっていた感情を引っ張り出されるような気がした。

「・・・今は、無責任なことは言いたくないし、したくもない。ただ・・・自分の想いに嘘もつきたくない。・・・わかってくれるだろうか、リード」

ホッチの指がリードの栗色の髪を撫でる。

「えっと・・・その・・・あの・・・」

いつもの饒舌さは消えてしまっていた。何をどう言っていいのか、わからない。ただ・・・もしかして・・・もしかすると・・・自分の上司に対する思いは、既に知られてしまっていたのだろうか。リードは、そっと自分の両手を上司の胸に添えてみた。しかし、それが乱暴に払われることはなかった。それどころか、自分の手を包むようにしてくれた。

「ホッチ・・・僕・・・」

「・・・知ってる。リード。言葉にしなくても、わかってる」

「・・・嘘・・・ご、ごめんなさい」

「謝ることはない。ちゃんと、その想いには応える。・・・だから、少し、待ってくれ」

「ああ・・・ホッチ・・・ごめんなさい。貴方の負担になるつもりはなくて・・・その・・・」

「いいから。・・・わかってる」

言いながら、ホッチはリード細い身体を抱きしめた。それだけで、リードは嬉しくなる。こんなにも温かい人を、リードは知らない。けれども、本当は言いたい一言を、大切に飲み込んだ。きっといつか、言える日が来ると思った。いつかはわからないけれども。きっと、言えると。

「愛してる」

と。そう言える日がいつか来ることを、リードは悟った。

END

Hero

「今年のハロウィンは、リードと一緒に回りたい!」

とジャックが発言したのは、ホッチのアパートで部屋の主人のホッチとその息子、ジャック。そして夕食にお呼ばれしたリードの3人で食卓を囲んでいるときだった。それはハロウィンの2週間くらい前のこと。リードは、

「そうだね。もし、事件が起きなかったら、一緒に回ることができるよ。でも、ダディと回らなくていいの?」

「だって。お姫様を守るヒーローは二人もいらないでしょ?」

とジャック。頭上に?マークを浮かべたリードに向けられた次なるジャックのセリフは・・・、

「リード!お姫様のコスプレして!」

だった。

********************

「似合うじゃないか」

「・・・そんなことあるわけないでしょ!・・・でも・・・ジャックの頼みだからね。・・・頑張る。・・・顔、変じゃないかなぁ・・・」

オフィスの帰りに、ホッチの車でマダム・ブーヴィエの店に寄り、発注済みのシンデレラのドレスを着て、それに合わせたメイクも施してもらった。プリンセスにしては少々短かった髪は、エクステンションで長くして、結い上げている。元々は中世的な顔立ちで、細い身体つきだから、たとえ男であっても、リードのシンデレラ姿は全く違和感がなかった。

「ジャックはきっと、喜ぶ」

「だと、いいけど。ジャックはどんなコスプレをするの?・・・王子様?」

「どうだろう。衣装はジェシカに準備を手伝ってもらってて、教えてくれないんだ」

「へえ。ホッチにも内緒なんだ」

「ああ」

「寂しくない?」

「確かに、父親としては少し、寂しいな」

「ごめんね」

「何が?」

「だって、本当はホッチが一緒にジャックとハロウィンに行くべきなのに」

「事件が起こったら、ジェシカに任せることになるしな。ああ、そうだ。もし、ハロウィン中に事件が起こっても、リードはジャックに付き合ってやってくれ。仕事には後から合流すればいい」

「うん。わかった。遠慮しないで、事件の連絡はしてよね。でも、だからといって、ジャックに悲しい思いをさせることはしないから。ちゃんと責任をもって、回るよ」

「そうしてやってくれ」

完璧なシンデレラになったリードはホッチの運転で、アパートに戻った。そこで、待ち受けていたのは、仮装を終えたジャックだった。

「おかえりー!うわー!リード、綺麗!ものすごく、綺麗なお姫様!」

「ありがと。でも・・・えっと・・・ジャックは・・・その・・・それ・・・」

「カッコいい?FBI捜査官のコスプレだよ!」

子供用とはいえ、しっかりとしたスーツにワイシャツ。そしてネクタイ。ちゃんとガンホルスターも装着しているらしく、おもちゃの銃を持って構えている。

「それ・・・つまりは・・・ダディのコスプレ?」

「そう!お姫様を守る、FBIエージェントだよ!だってダディはヒーローだもん!ヒーローはお姫様を守るんだよ!」

いや、FBIとシンデレラ・プリンセスは絡まないと思うよ・・・というセリフをどうにか飲み込んで、リードは笑顔を作った。

「じゃ、じゃあ、かぼちゃのバケツを持って、早速行こうか?」

「うん!」

部屋を出るとき、リードがホッチを見ると、彼は肩を震わせて笑っていたのだった。

********************

「トリック・オア・トリート!」

賑やかな子どもたちの声があちらこちらで響いている。昨今の事情から、皆、保護者同伴だ。しかし、仮装をしている大人はリードくらいだ。しかも、プリンセスのフル装備。しかも、男。けれども、何故だか、奇異の目で見られることはなかった。どうやら、仲睦まじい母と息子のように周囲には映っているらしい。それがいいのか、悪いのか。リードとしては、非常に複雑な心境だ。

かぼちゃのバケツはあっという間に満杯になった。

「どうする?まだ、回る?それとも・・・」

「僕、満足。お家に帰ろう?」

「いいの?もらったお菓子を別な袋に入れて空っぽにしたら、まだお菓子は入るんだよ?」

「いいんだ。早く帰ろう。今夜はダディがハロウィン。ディナーを作るって張り切ってたから。僕、お腹すいちゃった。だから、お家に帰って夕食にしようよ。きっともう、できてるよ!だって、リードの携帯、鳴らなかったでしょ?」

「ああ、確かに・・・」

電話が鳴らない、ということは、事件が起きていないということだ。だからきっと、ホッチはディナーの準備に専念できただろう。

ダディのパンプキン・スープとか、絶品だから!お肉は、ジャックボーンローストビーフだといいな。僕、ハロウィン好き。だって、僕の名前、ジャック・オー・ランタンと同じ名前!」

「あはは。そうだね」

リードはかぼちゃバケツを持っていない方の手を繋いで、ゆっくりと歩いた。ドレスで隠れるから、靴はコンバースでいいかな、と思っていたが、それはマダム・ブーヴィエが許さなかった。ヒールは低いものの、ちゃんとシンデレラのガラスの靴を模した、パンプスを履いているのだ。だから、そう早くは歩けなかった。それをわかっているのか、ジャックもリードを急かすようなことはしなかった。父親に似て、紳士的な息子だ。シンデレラをエスコートする、非常に紳士的なFBIヒーローだった。

********************

ジャックボーンローストビーフ、パンプキンスープ、ゾンビのオムライス、ハロウィンサラダ、カラフルジェリーポンチなど。二人が帰ると、ホッチの手料理がテーブルに並べられていた。

「凄いね。ホッチが料理できるって知ってたけど・・・本格的」

「ああ。事件の電話が鳴らなかったからな。品数を減らさずに作ることができた」

「座って、リード。リードはお姫様だから、ダディがぜーんぶやってくれるから!」

ジャックがテーブルの椅子を引き、リードを座らせる。

「あ、ありがと」

「ローストビーフを切り分けるから、ちょっと待っててくれ、リード。腹が減ったろう?」

「ううん。大丈夫。それよりも、ジャックの方がきっといお腹をすかせてるよ。凄く、ホッチのハロウィン・ディナーを楽しみにしてた」

「そうか。・・・ジャックはブドウジュースとして、リードは?ワインを飲むか?」

「ホッチが飲むなら」

「じゃあ、ボトルを開けよう。ハロウィンだから、赤だな」

「血の色だね。それって、とてもハロウィンっぽい」

リードが笑いながら答えた。そして、楽しいディナーが始まる。ジャックは子どもらしく、もりもりと料理を頬張った。仕事の忙しい父親の手の込んだ料理はなかなか食べることはできない。それもあって、嬉しいのだろう。終始笑顔で、学校のことや友達のことを話している。ホッチもリードも笑顔で頷きながら、耳を傾けた。「なんとなく、楽しい一家団欒だなぁ」とリードは思った。自分が子どもの頃は、こんな風景を体感することはできなかった。父はあまり家にいなかったし、母はベッドにいることの方が多かった。食べるものは、自分で料理とも言えないようなものを、とりあえず食べられそうなものを作って食べた。温かい食卓というものを知ったのは、JJやホッチの家での夕食に誘われるようになってからだ。

「美味いか?リード」

「うん。とっても。ジャック、君のダディは最高だね。仕事もできるし、料理もできる」

「でしょう?リードの言う通り、最高のダディ。でも、今日のリードは最高のお姫様だよ」

「あ・・・ああ・・・あはは・・・」

苦笑するしかない、リードだった。

********************

食卓や食器の片付けはホッチ親子がすることになった。リードも手伝いを申し出たのだが、お姫様は何もせずに座っていなければならないらしい。「男の沽券」に関わるそうだ。ジャックがそういった。「僕も男なんだけどな・・・」と思いながらも、リードはソファに座らせてもらっていた。シャツの袖を捲り上げて食器を洗う男二人の姿は、それがキッチン仕事であっても、格好いいなぁ・・・と感じる。そして、二人の仲の良さが伝わってくる。そんな姿をリードは微笑ましく眺めていた。食器を洗い終えて、手をタオルで拭きながら、ジャックが言った。

「じゃあ、僕はもう、お風呂に入って、歯を磨いて寝るね。ダディ、今からお姫様を守るのはダディの仕事だからね。わかった?」

「ああ、わかってる。任せておけ。おやすみ、ジャック」

「おやすみなさい、ダディ。それとお姫様リード。今日は僕のためにありがとう。リードが素敵なお姫様になってくれて、僕は嬉しかった。・・・僕、ちゃんとヒーローになれてた?」

「もちろん!とっても頼もしいFBIエージェントだったよ!」

「よかった!じゃあ、おやすみ!リード!」

「おやすみなさい、リード」

ジャックは破顔しながら、自分の部屋へと消えていった。

「えっと・・・じゃあ、僕も帰ろうかな。でも、この格好じゃマズイから、ちょっと着替えるね」

リードはソファの横に置いておいた、自分の服とコンバースの入っている紙袋に手を伸ばした。しかし、すぐに腕をホッチに取られる。

「ホッチ?」

「大人のハロウィンをしようか?シンデレラ」

「え・・・」

ソファの隣に座ったホッチの両手が、ドレスを着たリードの体を弄る。

「ちょ・・・ダメ・・・ジャックが・・・」

「そうだな。寝室に行った方がいいな」

そう言うと、ホッチはリードを軽々と抱き上げた。ドレス姿にふさわしい、お姫様抱っこだ。そして、器用にドアを開けて、リードを寝室のベッドに運び込む。静かに横たえると、少しだけドレスをたくし上げて、脚にキスをしながら、パンプスを脱がせる。

「大変だったろう、この靴は」

「うん。結構、辛かった。でも、ジャックの為だから、頑張ったよ。それに、ジャックは僕に気を遣ってくれて、とってもゆっくりと歩いてくれたんだ。本当に、紳士」

「そうか」

「ホッチの教育がいいんだね」

「そうだといいんだが」

「心配?」

「・・・仕事が忙しくて、あまり構ってやれていない」

「でも、ジャックは確実に貴方の背中を見て成長してるよ。すごくしっかりしてる」

「そうかな」

「それに、カッコいい。ダディがカッコいいからだね」

ふふっとリードが笑った。

「そうか。・・・だったら、美しい母親も必要だな・・・」

ホッチがリードの髪を梳く。

「・・・ホッチ?」

「・・・本物の母と息子みたいだった。ドアのところに立った君たち二人は」

「そんなわけないじゃない。僕は・・・ジャックの母親にはなれないよ。せいぜい・・・お兄さん・・・かな?結構、年齢の離れたね」

「リード・・・ジャックは君を慕っている。ものすごく」

「うん。たまに勉強を教えたりしてるせいかな」

「そうじゃない。ちゃんと、一人の人間として、リードを慕っているんだ、あの子は」

「だったら、嬉しい。ジャックには好かれたいって、僕も思うもん」

「・・・多分・・・ジャックは、俺たちの関係を知ってる」

「え・・・えっ・・・えええええっ!?」

慌てて、リードは上半身を起こした。

「ちょ・・・ちょっと・・・それって・・・魔、マズイよ!」

「そうかな?」

「そうだよ!・・・ああ・・・どうしよう・・・」

「しかし、別にあの子はショックを受けてるような感じじゃないぞ?もし、俺たちの関係に否定的だったら、夕食を一緒にしないだろうし、リードと一緒にハロウィンに行きたいなんて言わないだろうし。それに、あの子は我儘を言った」

「我儘?」

「お姫様のコスプレ。普通なら、断るだろう?しかし、ジャックは、リードは断らない。自分の望みを叶えてくれる・・・そう、信頼してるんだ」

「信頼?」

「ああ。今年のハロウィンで俺は確信した。あの子は・・・ジャックは、リードと家族になりたいんだ。もちろん、俺もだが」

「そんなこと・・・あるの?」

「あるさ。俺の息子だ。趣味は似ている。しかし・・・こんなことができるのは。俺だけだがな」

起こした上体をベッドに押し付けられ、唇を貪られる。

「ふっ・・・んっ・・・」

「ジャックの弟か、妹ができるといいな」

合わせた唇の隙間から、ホッチが不敵に囁いた。それが、大人のハロウィンの開幕だった。

END

ハンプトンにて 02

窓を少し開けていた寝室。そこから、爽やかな風が微かに入り、ハーヴィーの顔を撫でた。軽く身じろぎしながら、自分の隣を手で探る。しかし、そこには誰もいなかった。ハーヴィーは身体を起こし、周囲を見回す。寝室にいるのは自分だけだった。しかし、キッチンの方から音がする。昨夜、あれだけ抱き責めたというのに、元気なことだ、と思いながら、ハーヴィーもベッドから降りた。

「マイク」

「あ、おはよう、ハーヴィー。まだ寝ててもよかったのに」

「君のいないベッドは寂しい。・・・ああ、もしかして?」

「うん。ハーヴィーのリクエスト。サンドイッチを作ってた。・・・それよりもさあ・・・この服なんだけど・・・」

マイクは手を休めて、キッチンから出てくる。

「スーツケースから出したんだけどっていうか、スーツケースの中の服、全部、僕のじゃないよ?でも、ハーヴィーのでもないよね?なんか、テイストが違う」

「ああ、全部俺が買って入れた。ふむ。やっぱり俺の見立ては間違ってなかったな。その青いシャツは良く似合う。デニムにも合ってるしな」

そう言って、ハーヴィーがシャツの上からマイクの身体のラインをなぞる。

「・・・えーっと・・・下着から、靴まで新しかったんですけど・・・」

「トータル・コーディネートだ」

「お金・・・使いすぎ」

「君に金を使わないで、一体どこに使うって言うんだ。実に楽しい買い物だった」

「仕事、サボったの?」

「昨日の午前中は休みを取ったと言っただろう?君の服を買って、パッキングして、非常に充実した時間だった」

「仕事して」

「帰ったらな。それで?そのサンドイッチは何処で食べる?」

「んー・・・・そうだな・・・やっぱり、できれば・・・ビーチ?」

「思い出もあるしな」

「セックスはしないからね!」

顔を真っ赤にしてマイクが言う。

「スーツケースの中に水着も入れておいたぞ?前は時期外れで泳げなかったが、今日は暑くなりそうだ」

「あ、そういえば、入ってた。・・・中に着て行こうかな・・・」

「そうするといい。俺はシャワーを浴びてくるから、準備をしておけ」

「うん。サンドイッチは、あとはバスケットに詰めるだけ。飲み物はアイスコーヒーと・・・海に入るなら、レモン水も持って行こうかなぁ・・・」

「任せる。君の判断はたいがい間違っていないからな」

「わかった。ありがとね、僕を信頼してくれて」

軽いキスをすると、ハーヴィーはマイクから離れて、バスルームへと行く。マイクは嬉しそうに笑うと、ビーチへ行く準備をし始めた。

*********************

「うわぁ・・・空気が夏だねー・・・」

ハーヴィーが、以前来た時と、ほぼ同じ場所にラグを広げる。マイクはそこに食べ物や飲み物の入ったバスケットを置いて、海に近づいた。

「先に泳ぐか?」

「んー・・・食べる。お腹すいちゃった」

マイクはラグに戻り、すとんと座った。バスケットの蓋を開けて、次々と中身を取り出してラグに並べる。

「アイスコーヒーでいい?」

「ああ。今朝はまだ、コーヒーを飲んでないしな」

紙コップはなかったので、ガラスのコップを持ってきた。マグボトルに入れてきた冷たいコーヒーをグラスに注いでハーヴィーに渡す。それと、サンドイッチを。ハーヴィーはアイスコーヒーで喉を潤してから、サンドイッチに噛り付いた。

「どお?美味しい?」

「最高だ」

「良かった。やっぱりさ、食材がいいと、料理人の腕が悪くても美味しく仕上がるよね。まあ、サンドイッチなんて料理ってほどのものじゃないけど」

「そうか?サンドイッチは案外難しいぞ?具材に水分が多いとパンがベチャベチャになる。そのためにバターやマヨネーズを塗るだろう。まあ、君の場合はタルタルソースだが、それもまたいい。分量もベストだ」

「出来合いのソースだよ?さすが、高級リゾートの品物だから、パストラミだって、チーズだっていいものしか置いてないから必然的にそれを使うことになるでしょ?美味しくなって当然だよ。僕の力じゃなくて、食材のパワー」

「マイク。その言い方」

「え・・・あ・・・ごめんなさい。でも・・・結構、事実だと思うんだけどな・・・」

「君が作ってくれたことに価値がある」

ハーヴィーはグラスを置いて、マイクの蜂蜜色の髪を撫でた。太陽の光に照らされて、今はとても明るい色だった。そして、食べさしのサンドイッチをマイクの口元に近づけた。

「ほら」

サンドイッチでマイクの唇を突く。

「ん・・・」

マイクは口を開けて、サンドイッチに噛り付いた。一口噛みちぎって、口の中で咀嚼する。

「どうだ?」

「・・・美味しい」

「だろう?」

「だって、ハーヴィーが食べさせてくれるから。だから、自分が作ったものでも美味しい」

「そういうことだ、マイク」

「あ・・・そっか・・・」

聡いマイクだ。ハーヴィーの行為の意味がわかる。マイクはハーヴィーに向き直ると口を開いた。

「ごめんね、ハーヴィー。僕、あなたを嫌な気持ちにさせてたね。せっかくのヴァカンスなのに」

「わかればそれでいい」

ハーヴィーは優しく笑うと、再びサンドイッチを食べ始めた。マイクもパラフィン紙に置いた自分のの分のサンドイッチを手に取り食べ始める。

「一緒だから・・・いいんだね」

「そうだな」

それから二人で波の音を聞きながら、蒼い海を眺めながら、空腹を満たすことに専念する。目下、同棲中のハーヴィーとマイクだったが、こうして環境が変わると、気分も変わっていくような気がした。ビルでできたジャングルに囲まれた日常と違って、ここは酷く開放的だ。ずっと居たら、駄目な人間になってしまいそうで怖いが、たまに、こんな風に、過ごすにはいい。コテージ前のプライベートビーチ。周りに、人はいない。

「落ち着いたら、泳いでくるといい」

「ハーヴィーは?」

「そうだな。君が泳ぐなら、付き合うぞ」

「じゃあ、一緒に海に入ろうよ。海に入るハーヴィーなんて、すごくレア」

「写真は撮るなよ」

「えー。ドナが見たら、面白がるのに」

「やめろ」

笑いながらハーヴィーは言い、マイクの手を取って立ち上がった。

「行くぞ」

「うん」

細かな砂が足裏に気持ちいい。すぐに、ひんやりとした海水が足を撫でた。しかし、それもまた心地よかった。

「急に深くなるかもしれん。ゆっくりな」

「泳げるよ、一応」

「海を舐めるな。プールとは違う。離岸流もあるからな」

「怖くないよ。ハーヴィーが一緒だしね」

海水は膝・・・太腿・・・腰までと、どんどん深くなっていく。そして、胸のあたりまできたところで、ハーヴィーは足を止めた。

「怖くないか?」

「平気」

「そうか」

「ちょっと泳いでみる」

マイクはハーヴィーの手を離すと、ふわりと海水に浮いた。そして手足を動かす。海岸線と平行に泳いでみる。泳ぐなんて、いつ以来のことだろうか。たぶん、両親が生きていた、ずっと幼い頃の話だ。けれども、身体は覚えているらしい。それが少々無様であっても。マイクは、しばらく泳いだ後、一度止まって向きを変え、ハーヴィーのところへ戻ろうかと思った。が、その時、突然身体が海中に引っ張り込まれた。

「えっ・・・ぐっ・・・」

水の中に引きずり込まれる。何が何やらわからなくなってパニックになる。ハーヴィーの名前を呼ぼうにも、水が邪魔をして声は出ない。急に怖くなって、全身でもがく。苦しい。怖い。死ぬかもしれない。・・・そう思ったとき、不意に身体が浮いた。下から誰かに掬い上げられたような感覚。身体が引かれ、頭が海面の上に出た。ようやく呼吸ができる。

「大丈夫か?」

「げほっ・・・げほっ・・・は・・・ハーヴィー・・・げほっ・・・」

気がつけば、腰の辺りの深さのところに立っていた。思わず、自分を支えるハーヴィーにしがみ付く。

「お・・・驚いた。・・・だ、誰かに引っ張られて・・・え・・・?え・・・まさか・・・」

マイクはおずおずとハーヴィーを見た。そこには、申し訳なさそうな表情があった。

「嘘・・・でしょ・・・」

「悪かった。ちょっと悪戯したくなった」

「も・・馬鹿ぁ!怖かったんだから!溺れるかと思った!」

ぽかぽかと拳でハーヴィーの胸を叩く。

「ああ、悪かった悪かった。本当に悪かったって」

「うー・・・」

口を尖らせるマイクをハーヴィーが抱き込む。

「悪かった」

「・・・そんなに謝られたら・・・もう、怒れないじゃん。ハーヴィー、反則」

「どうしたら、許してくれる?」

「・・・んー・・・じゃあ、夕食はハーヴィーが作って」

「美味いレストランでなくていいのか?」

「人がいるところは嫌。ハーヴィーと二人っきりがいい」

「わかった。俺の料理で詫びるとしよう」

「じゃあ、許してあげる。何をリクエストしようかなぁ・・・って・・・ちょっと!ハーヴィー!何してるのっ!!!!!」

海水の中でハーヴィーが器用にマイクの水着を脱がせる。

「ちょっと!!!ここ!海!外!」

「誰もいない。俺たち二人っきりだろう」

「そ・・・だけど・・・あ・・・ちょっとっ・・・!!え・・・嘘・・・」

ハーヴィーはこれでもかというような器用さを発揮して、マイクの体から水着を取り去ってしまったのだ。

「やー・・・もっ・・・こんなところで・・・」

マイクの抗議の声も、ハーヴィーにとっては心地よい喘ぎ声にしか聞こえないらしい。海水で濡れた身体を手のひらで撫でさする。

「あ・・・や・・・」

昨夜、遅くまで抱かれていた身体は反応がいい。

「前も外でしただろう?」

「・・・ここ・・・海の中だよ?・・・水が・・・入っちゃう・・・」

「じゃあ、少しだけ移動するか」

ハーヴィーの動きに合わせて、マイクも足を動かす。海水が足首くらいになったところで、マイクはハーヴィーによって静かに押し倒された。

「・・・ハーヴィー・・・ほんとに・・・ここでするの?」

「嫌か?」

「・・・・・・僕に拒否権・・・ある?」

「あるぞ。本当に嫌なら、しない。君が嫌がることは、絶対にしない」

「・・・・・・そういう言い方って・・・本当にずるいんだから、もう・・・」

マイクは両腕をハーヴィーの首に回すと、下から口付ける。塩辛い、海の味がするキスだった。砂と海水にまみれて抱き合う。熱い陽射しが二人の体を射る。夏。ハンプトン。ヴァカンス。日常とかけ離れた世界。けれども、それでも、そこには変わらぬ愛がある。

「あ・・・ハーヴィー・・・慣らさなくてもいいんだけど・・・水が入るの嫌だから・・・後ろからにして?」

「わかった」

ハーヴィーがマイクの額にキスをすると、マイクは体を起こして両手と両膝を砂についた。そして、軽く振り返る。

「こういうこと許すの・・・ほんと・・・ハーヴィーだけなんだからね」

「俺以外の男に許したら大問題だ」

「だよね」

マイクは軽く笑うと、少し腰をハーヴィーの方へと突き出した。ハーヴィーはその尻たぶに唇を寄せるときつく吸い、所有の痕を付ける。それから尻を割り開いた。

「本当に、慣らさなくていいからね。すぐにちょうだい」

「積極的だな」

「・・・誰かに見られかもしれないって・・・ビクビクしてんの」

「早く終わらせたいか?」

「違う。そうじゃない。・・・僕、結構欲しがってる。ああ・・・昨夜もだったよね。本当にダメ。貴方が相手だと、自制が効かない」

マイクの腰が揺れる。後孔はヒクつき、愛する者の楔を受け入れる準備は整っていた。

「いいか?」

マイクは返事の代わりにコクコクと頷いた。ハーヴィーはその様子を視界に入れると、グッと腰を押し進めた。そして自分の全てをマイクの身体の中におさめると、その背中や頸に口付けた。キツく。痕を残すように。もちろん、心地の良い律動を与えることも忘れずに。

「んっ・・・んっ・・・んっ・・・」

マイクはシーツの代わりに砂を指先で掴んだ。掴みきれない砂。引っ掻くようにして、指を立て、後ろから与えられる衝撃と快感に耐える。手では支えきれずに、マイクは頭も砂に落とした。口の中に砂と海水がわずかに入り込む。

「マイク」

そんなマイクの身体をハーヴィーが逞しい腕で掬い上げた。身体を繋げたまま座り、マイクの両膝裏を掴む。自重で、ハーヴィーに質量がより一層深く、マイクの身体に埋め込まれる。

「くっ・・・」

「辛くないか?」

「・・・だ・・・だい・・・じょ・・・ぶ・・・んく・・・あぁ・・・」

マイクが顔を上げる。濡れた顔が太陽光でキラキラと光る。ガラスの破片のように。ハーヴィーに揺さぶられることで、蜂蜜色の髪が煌めく。

「ハー・・・ヴィー・・・」

マイクは重たい腕を後ろに回し、ハーヴィーの髪を触る。まるで、その実体を確かめるように。

「あ・・・好き・・・ハーヴィー・・・大好き・・・全部・・・好き・・・」

壊れた機械のように、同じ言葉しか発せない自分にもどかしさを感じながらも、マイクは幸せだった。この世の中で、一人ぼっちだった自分を救ってくれた、そして明るい陽射しの下へと連れ出してくれた人。恋人という言葉だけでは、表現しきれない、偉大で尊敬する人。そんな人に選ばれたことを心から光栄に思い、そして愛されたことを誇らしく思う。次第に、自分の心が高揚して行くのを感じる。セックスだけでは味わえない、心の奥底から湧き出る感情。ハーヴィーのためなら、きっと自分は自分の生命を犠牲にすることすら厭わないだろう。それほどまでに、大切で、愛している人。

「あ・・・イく・・・イっちゃう・・・も・・・イっちゃいそう・・・」

ハーヴィーはマイクの耳朶を舐り、身体を追い上げた。自分も絶頂が近い。

「も・・・ダメ・・・」

「くっ・・・」

ハーヴィーとマイクが同時に達する。収縮と弛緩。

「ああ・・・あ・・・」

ハーヴィーが身体をぶるりと震わせると、マイクの後ろがキュッと締まった。まるで最後の全てまでを搾り取ろうかとするように。そんなマイクに感動し、ハーヴィーはその身体を力強く抱きしめたのだった。

********************

「もう・・・とんだ海水浴。僕の海パン、どっかに行っちゃった」

海の中で脱がされた水着は波にさらわれて沖まで行ってしまったのだろう。ハーヴィーがマイクの身体から離れて周囲を見回したが、何処にもなかった。

「悪かった。午後から、買いに行くか?」

「んー・・・いいや。こうやって、ビーチでダラダラしてるのもいい」

マイクはラグの上で裸体を横にしていた。ただし、腰の辺りにはバスタオルをかけてある。

「・・・気持ちいいね・・・太陽の光が気持ちいい・・・まさに、ヴァカンスだね。青い空が・・・高い・・・」

マイクは空中に腕を伸ばした。掴めるはずもない、空。けれども、そうしたかった。本来なら、ハーヴィーも、この空と同じはずだった。自分には決して手の届かない存在。けれども、ハーヴィーは降りてきてくれたのだ。そして自分の手をとってくれた。

マイクは伸ばした手をハーヴィーに向けた。それを察知したハーヴィーが、すかさず掴む。そして、その手の甲にキスをする。女の子じゃないのに・・・と思いながらもマイクは嬉しそうに笑った。

「ハーヴィー・・・僕、幸せだからね。本当に、幸せ。ここに連れて来てくれてありがとう」

「いつでも来れる。あのコテージは俺たちのものになったんだから」

「ハーヴィーのでしょ?」

「ああ・・・正確に言うと、俺と君の共同名義だ」

「え・・・?僕、書類とか、サインした覚えないけど」

「そこは、まあな。俺はプロだから」

「まさか・・・偽造?」

「君のサインをちょっと真似しただけだ」

「うわぁ・・・通報ものだよ、それ。・・・でも、いいの?僕と共同名義なんて・・・面倒にならない?」

「別に・・・俺は君と離れる気も、別れる気もないからな。それが一番いい形だと思った」

「だったら、今度からそういうときは相談して。もう・・・何でも僕の知らないところで決めるんだから・・・」

「そうだな。君をないがしろにしたらいけないな。悪かった。反省する」

「いいよ。許してあげる。・・・だって、僕がいけないんでしょ?いつも遠慮ばっかりしてるから。だから・・・ハーヴィーは先手を打っちゃうんだよね?僕も悪いんだ」

「いや。君は悪くない。俺はもう少し君の気持ちを考えるべきだった」

「・・・じゃ、二人とも悪いってことにしておこうよ。でも・・・僕も、もっとちゃんと前向きに生きることにする・・・」

そう言って、マイクはペロリとハーヴィーの指を舐めた。

「ねえ・・・夕食は、ボンゴレ・ビアンコがいいなぁ。ハンプトンだもん。新鮮なシーフードが手に入るよね」

「そうだな」

「それと、サラダと・・・ああ、昨日買ったワインも開けようよ」

「いいな。もう少ししたら、買い物に行くか」

「うん。・・・でも、ごめん。もうちょっとだけ休ませて。腰・・・だるい・・・」

マイクが顔を赤らめてハーヴィーをチラリと見る。

「もちろんだ。君の体調に合わせよう」

「ありがと」

乾き始めた蜂蜜色の髪。キラキラと光る青い瞳。まだ日に焼けていない白い肌。この上なく美しいと思える身体を目で堪能する。

これからも、ハンプトンでの思い出を、愛するマイクと共に、二人で作っていこうと思うハーヴィーだった。

END