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ボン・マルシェ 「赤い風車」外伝

ホッチはいつも決まった時刻に目が覚める。作家業なので、眠りに就く時間はまちまちなのだが、それでも毎日、同じ時刻に起きることができた。ベッドサイドの小さな台に置いてある懐中時計で時刻いを確認すると、やはり、いつもと同じだった。懐中時計を持つ自分の手と反対側の腕は、リードの頭に占領されていた。くうくう、と寝息を立てている。今日はカフェの仕事は休みだった。だから、本当はこのまま寝かせておいてやりたいと思う。しかし、以前、リードが休みの時にそのまま寝かせていたら、起きた時に可愛らしい唇を物凄く尖らせて、拗ねたのだ。「どうして、一緒に起こしてくれなかったの!」と。どうやら、休みの日に、ホッチと一緒に過ごす時間はとても貴重なものらしい。こうして一緒に暮らしているのにも関わらず。

ホッチは懐中時計を置くと、空いた手で、リードの柔らかな短い髪を撫でた。

「リード」

そっと名前を呼ぶと、もぞっと身体が動いた。そして、うっすらと瞳が開く。

「・・・起きるか?」

「ん・・・」

まだ寝ぼけているような返事。けれども、緋牡丹の襦袢で包んだ身体をホッチに擦り付けながら、少しずつ覚醒しつつあるようだった。そんなリードの髪を何度も撫でる。まるで、猫を撫でているような感じだった。

「・・・気持ちいい・・・。ホッチの手は、いつだって、暖かいね・・・」

「まだ、寝ててもいいんだぞ?」

「嫌だ・・・起きる・・・」

リードは両手をベッドに付いて、身体を起こした。

「ふあ・・・」

腕を大きく伸ばして、欠伸をする。肌蹴た襦袢から覗く白い肌が綺麗だった。

「んー・・・おはよ、ホッチ。起こしてくれてありがとう」

「そうしないと、君は怒るからな」

「当たり前でしょ?ホッチとお家で一日中のんびりできるんだよ?貴重だもん。寝てるなんて、もったいないもん」

「そんなものか?」

「そういうものなの。・・・今日は、お天気が良さそうだね。お散歩とか、行く?シャンゼリゼのカフェ・コンセールとか」

「リードの好きなことでいい」

「・・・ホッチは、今日は物語を書かないの?」

「昨日、だいぶ筆が進んだからな。今日は、君に付き合う」

「嬉しい。・・・どこがいいかなぁ・・・」

ベッドの上で考えを巡らせているリードを見ながら、ホッチは、ふと思い出した。先日新聞社に行った時に見た広告のことを。

「リード。もし君が嫌でなければ、ボン・マルシェに行ってみようか」

「え?あの百貨店?カフェのお客さんも凄い話題にしてるところだよ?」

「俺は新聞広告で見ただけだ。しかし、売り言葉が面白くてな」

「うん。買い物って、すごく敷居が高いんだけど、ボン・マルシェは大衆的な百貨店だから、入りやすいんだって。ショーケースに品物が並んでいたり、セールをやっていたり」

「ああ。そうだ。セールの広告だった。小説にネタになりそうだし、どうだろうか?」

「行ってみたい!」

「じゃあ、決まりだな。ああ、リード。赤いドレスを着て行くといい」

「いいの?それって助かる。僕、このアパルトマンとカフェの往復くらいしかしないから、外出用の服ってドレスくらいしかないんだよね。まさか、ギャルソンの格好で百貨店なんて笑えちゃうし」

「君はどんな格好をしていても素晴らしい」

「ホッチ・・・もう、褒め上手!何にも出ないよ!」

笑いながらリードがベッドから降りた。部屋の中を緋牡丹が舞う。ホッチもベッドを出て、身なりを整えることにした。

********************

もう秋は終わり告げ、冬と言っておかしくないくらいの季節になった。天気は良いが、空気は冷たい。リードは長袖の赤いドレスを小さなクローゼットから出して身につけた。それから絹の長靴下を履き、ドレスの中に手を入れて、ガーターを留める。そして、黒いショールを肩から掛けた。ホッチはいつものフロックコート姿だ。

「ドレスを着ろと言っておいてなんだが・・・寒くないか?コートは?」

「持っていないよ?仕事に行くときのコートは男物だから、変でしょ?。大丈夫。今日はお日様も出てるから」

リードは笑いながら言うと、赤いハイヒールを履いた。

「ショールが黒だから・・・やっぱり、ガルシアからもらった黒のバッグにしよっと」

リードは小さめの黒いハンドバッグに必要なものを詰めると、「できたよー」と言ってホッチを見た。赤と黒は相性がいい。シックでありながら、リードが着ると可愛らしさも醸し出していた。ビーズ刺繍であしらわれた黒いバッグのせいもあるのかもしない。赤いルージュを引いた唇が、ムーラン・ルージュの踊り子を思い出させる。髪は短くなっても、ドレス姿が似合う。

「僕がお休みの日にエッチしないって珍しいよね」

赤い唇がとんでもないことを言う。しかし、事実なので、ホッチも苦笑するしかない。一緒に部屋にいれば、ついつい、お互いを求めてしまうのだ。ホッチはリードの腰に手を当てると、その頭頂部に軽くキスを落とし、部屋を出たのだった。

********************

パリ7区のバック通りにあるボン・マルシェは、世界初の百貨店と言われている。その販売方法はそれまでと大きく異なり、非常に大衆的で、庶民にも買い物がしやすいとい評判だった。価格も安かったし、ショーウィンドウに陳列された商品を自由に見ることができた。来月がノエルということもあって、それに向けた商戦もしかけているらしかった。リードはホッチの腕に自分の腕を絡めて、寄り添うようにして歩いた。その手に手袋は嵌めていない。持っていないのだろう。「赤いドレスで」と言ったことをホッチは後悔した。別にいつもの姿のリードでも良かったのだ。ただ、極たまに、リードのドレス姿を見たくなる自分の欲を押し付けただけだ。申し訳ないと思う。ボン・マルシェに着いたら、まずは1階のカフェ・ド・ラ・ペに入って、暖かいカフェ・オ・レを飲ませてやろうと思った。しかし、隣を歩くリードの表情はひどく嬉しそうで、楽しそうで。

「ホッチ?僕ね、前にも言ったけど、貴方と一緒にいると、とっても暖かいの。嘘じゃなくて、それって本当のことなの。きっと幸せで、心が暖かいからだと思う。だからね、ありがとう、ホッチ」

リードはギュッとホッチにしがみついた。

「おいおい、リード。それじゃあ、歩けないぞ」

「あはは。そうだね」

腕を絡めることはやめず、リードはほんの少しだけホッチから離れた。一瞬ホッチの手に触れたリードの手は、とても冷えていた。

********************

ボン・マルシェの外観を見て、それまでおしゃべりだったリードの口数が少なくなった。それは今まで見たこともないほどに大きな商業施設だったからだ。ようやく、絞り出した言葉が「僕、ここに入ってもいいの?」だった。ホッチは苦笑して、「客なんだからいいに決まってる」と返した。尻込みしているリードを少し引きずるようにして、暖かな店内に入った。吹き抜けのホール。上のフロアに繋がる螺旋階段。明るさと品物に圧倒されるような空間。ホッチはまず、リードをカフェ・ド・ラ・ぺへと連れて行った。冷え切った身体をカフェ・オ・レで暖めてやりたかったのだ。脚が竦んでいるリードを無理矢理、椅子に座らせて、勝手にカフェ・オ・レを2つ注文した。

「保、ホッチ・・・僕、こんなところに座っていいのかな・・・?」

「いいに決まってる。客なんだから」

さっきと同じ言葉を言った。

「で、でもさ・・・ホッチはちゃんとした貴族だからいいけど・・・僕・・・庶民なんてもんじゃない、庶民だし・・・」

「今の俺は貴族じゃない」

「でも、なんか、すごく堂々としてて、落ち着いてて、ものすごく何ていうか、その・・・こういうところに居てもおかしくない・・・ホッチは・・・やっぱり、血は争えないっていうか・・・」

「リード」

ホッチは口調をきつくした。ようやく、リードは口を閉じた。ホッチを怒らせたと思ったらしい。しかし、ホッチは怒ってなどいない。確かに自分は貴族の出自ではあるが、その身分はもう捨てたのだ。その力を使って、リードを失いかけた。同じ失敗は二度としたくない。

「ほら、温まるから。飲んでごらん」

「・・・うん」

リードはカフェ・オ・レ・ボウルを両手で持つと、そっと傾けて一口飲んだ。

「んんっ!・・・美味しい・・・」

「そうか。それは良かった。ゆっくり飲んで、身体を温めるといい。店の中を回るのはそれからだ。リードは甘いものが好きだから、このマドレーヌも好きだろう?美味しいぞ。まあ、これは新聞社の人間に聞いた話だが」

「評判なの?」

「そうらしいぞ」

「・・・物語のネタになりそう?」

「そうだな。君が傍にいてくれたら、俺が話をかけなくなることなどないだろうがな」

「何、言ってるの、ホッチ」

リードは恥ずかしげに俯いて、ボウルに口を付けた。そんなリードの姿を、ホッチは柔らかな笑みで眺めていた。

********************

甘いマドレーヌを食べて、温かなカフェ・オ・レを飲んで、少しはリードの心は解れてきたらしい。笑顔でホッチとの会話を楽しめるようになっていた。しかも、「カフェ・オ・レとマドレーヌのお代わりをしてもいい?」とまで言うようになった。もちろん、ホッチに「「否」はない。すぐにギャルソンを呼んでオーダーした。リードの姿は完璧で、この空間の中で、艶やかな貴婦人のようだった。美しくて、可愛らしい。もっと良い生活をさせてやりたいと思う。しかし、だからといって、貴族の力を使うつもりは全くない。自分の努力で成功したい。そして、リードを喜ばせてやりたい。

「はぁ・・・美味しかった・・・幸せ・・・」

「そうか。それは良かった」

「あ、でも、一番の幸せは目の前にホッチがいることだからね!」

「そうだとありがたい」

「それしかないの」

「そろそろ、店内を回ろうか?」

「うん!」

ホッチはテーブルでチェックを済ませ、リードを伴って、カフェ・ド・ラ・ぺを後にした。リードがそっと腕を絡ませてくる。ホッチはそのままにしておいた。嫌ではない。むしろ歓迎だ。この可愛らしい子羊が自分を必要としてくれるのは。

ボン・マルシェの店内は、すでにノエル仕様となっていた。ノエルのプレゼントとは別に、今日はリードに買ってやりたいものがあった。散歩するように店内を巡りながら、ホッチは売り場やショーケースをチェックした。そして。

「リード。ちょっとこっちへ」

「なあに?」

そこには婦人物がたくさん並んでいた。ホッチは素早く、視線を走らせた。

「ああ。あれがいい」

ホッチが動くのに合わせて、リードも歩く。

「何?何なの?ホッチってば」

「これだ」

ホッチはハンガーかけて展示されている赤いコートを手に取った。そして、それをリードの身体に当てる。

「ああ。やっぱり、君は赤が似合うな」

「え?ええ?コート?僕に?え・・・だって、僕、お金を持ってきてないよ?っていうか、元々持ってないけど・・・」

「俺が買ってやるんだ。やはりコートは必要だ。パリの冬は寒い。ショールだけじゃダメだ」

「だけど・・・」

「いいから。・・・サイズは・・・こっち方だな」

ホッチは同じデザインの別なコートを手にして、リードから黒いショールを取ると、背後に回ってコートを着せかけた。

「こっちを見てごらん」

リードはホッチに向き直った。

「似合うな」

「まあ、本当にお似合いですこと」

いつの間にか、店員が傍に来ていた。

「この娘にコートを、と。赤が似合うと思ったんだが、どうだろう」

「お客様。お見立てがよろしゅうございます」

「じゃあ、決まりだな。コートはこのまま着て帰りたい」

「素敵ですね。ちょうどその黒いショールを首回りに巻くのも素敵です、お客様」

「そうだな。ああ、それと、手袋を見たいんだが」

「それでしたら、こちらに」

ホッチが案内されて手袋を物色する。その姿、唖然とリードは見ていた。

「お色は黒をお勧めします。赤いコートとのコントラストが良いですわ。こちらの手首にファーの付いたものはいかがでしょうか」

「いいな。じゃあ、それを貰おう。今日はうっかりと手袋を忘れて外出してしまってね」

「そうでしたか。それでは、コートと手袋の値札をお取り外ししますね」

そう言った店員は、手早く値札を切り、手袋をリードに渡した。

「あ・・・ありがとうございます」

「ちょっと嵌めてごらん」

ホッチに促されて、リードは恐る恐る、自分の手を手袋の中に滑り込ませた。いつも嵌めている、毛糸のほつれた手袋とは全然違う。滑らかな手触り。コートも暖かい。ホッチが、リードの首回りに、黒いショールを巻いた。

「ああ。店員が言う通りだな。さすが専門家だ」

「恐れ入ります」

ホッチは支払いを済ませて、リードと一緒に売り場を離れた。

「ねえ・・・ホッチ・・・ごめんなさい。何だか・・・お金を使わせちゃって・・・」

「最近、小説の評判がいいんだ。それなりに稼げるようになってきた。・・・君のおかげだ」

「僕、何にもしてないよ?」

「俺なんかと一緒に居てくれている」

「何を言ってるの!僕が居させてもらってるんだよ?」

驚いたようにリードが言った。

「僕が貴方を必要としている!」

「俺もだ」

ホッチとリードは、顔を見合わせて、一瞬、黙った。そして笑い合う。

「一緒だね、僕たち」

「そうだな。さあ、見るものはまだまだありそうだ。品物もそうだが、ここの建築様式も見る価値があるそうだ」

「うん。僕もそれが気になってた」

「一周りして、最後は食堂で食事をして帰ろう」

「あ、そこは僕が払うからね!」

「大丈夫か?」

「だって、ここは大衆的な百貨店なんでしょ?2フラン・・・んー3フランくらいあれば大丈夫かな」

「たぶんな」

「それなら、大丈夫。持ってる!」

「わかった。じゃあ、そこはご馳走になることにしよう」

「でも、もし、足りなかったら・・・貸してね?」

「任せろ」

もう一度、二人で笑いあった。そして、腕を組むと、ボン・マルシェの中の探索を再開したのだった。

END

侍女の物語 04

ウィンナコーヒーとは、コーヒーに真っ白なホイップクリームを乗せたものだった。コーヒー自体、飲んだことがなかったから、そのコーヒーとクリームがどのような相性となるものなかはわからなかったが、とても美味しい飲み物だとリードは思った。本当に、この屋敷では新しいことが次々と起こる。リードの思考はついて行きそうになかった。けれども、皆がウィンナコーヒーを飲み終わったところで、ストラウスが女中部屋へと入って来た。

「スペンサー・リード」

厳しい口調で名前を呼ばれて、反射的にリードは立ち上がった。かちゃんっとコーヒーカップの音が鳴る。

「ついておいで。ご主人様の居室に行くから」

「・・・はい」

いよいよだ、とリードは思った。そのために、自分はこの屋敷に連れてこられたのだから。子を孕む器としての役目を果たすたために。

腕をキュッと掴まれた。エミリーだ。その唇は「大丈夫よ」と動いていた。リードは小さく頷くと、ストラウスに近づいた。

********************

電灯に照らされた、とても明るい階段を昇る。そして長い廊下の突き当たり。ストラウスは扉をノックした。中から何やら返事が聞こえ、ストラウスは扉をあけて、中に入った。おずおずとリードも続く。

「ご主人様、侍女を連れてまいりました」

「・・・ああ・・・そうか。今日か。そうだったな・・・」

パサリ・・・と書類を置くような音がした。リードは絨毯の敷き詰められた床を見ていた。顔を上げていいのかどうか、わからなかったからだ。

「ストラウス、君は下がっていい」

「わかりました。・・・神の御心の前に」

バタンッと扉が’しまった。そして静寂。センターでは、侍女が自分から主人に話しかけることをしてはならないと教わった。だから、リードは絨毯の織り模様を見て、黙っていた。

「・・・君の名は?」

きつくもなく、柔らかくもなく、何処か耳障りの良い声が聞こえた。

「・・・ス、スペンサー・リード・・・と申します・・・」

「ふむ。男で、メイドの格好か。まあ、侍女だからな。そういうものなのかもしれないな。リード。いつまでも床を見ていないで顔を上げろ」

リードは恐る恐る顔を上げた。

この屋敷の主人は上質なスーツを着こなし、リードから少し離れた所に立っていた。背が高く、黒髪で、端正であり、男らしい顔。そう。典型的なαの顔だった。

「女の格好をしていても違和感がないとはな。化粧はしているのか?」

リードは首を横に振った。肌は風呂上がりにローションとクリームで整えただけだ。

「なら、元がいいのか。まあ、男のΩは、中性的な容姿をしているとは聞いていたが。悪くはないな。化粧を塗ったくった顔よりも、そっちの方がいい。リードは化粧はするな」

「あ、はい・・・」

「服を脱げ」

どきんッとする。けれども、自分はそのために連れてこられたのだから、その命令に従うことは必須だ。ただ、センターでは、服を着たまま、下着だけを脱いで、子を成す儀式をすると聞いていた。そそて、ハッとする。そう。今は、ガーターとパンティの身につけ方が逆なのだ。あれから直さなかった。これでは不興を買ってしまうと思ったが、時すでに遅しだった。叱られてしまうには仕方がないと諦め。リードは真っ白なエプロンのリボンを解いた。エプロンを外し、軽く膝を曲げて、丁寧に床においた。今度は手を後ろに回してメイド服のファスナーを下ろす。ジジっという音を立てながら、腰までファスナーを下ろすと、両腕を抜いた。すると、黒いメイド服は、ストンっと床に円を描くように落ちた。絹のスリップの肩紐も落とした。そして、脱いだメイド服とスリップを跨ぐようにして移動した。次はガーターだ。リードが留め金に指をやった時、声が降ってきた。

「そこまででいい」

「え?」

驚いてリードが主人を見ると、彼はすぐ近くまで迫ってきていた。

「細いな。細すぎるくらいだ。これで、俺の子が腹めるのか?胸はともかくとして、このウエストと尻の小ささは何なんだ。子を孕める体とは思えん」

「すっ・・・すみませんっ」

リードは謝るしかなかった。きっとすぐにこの屋敷は追い出されるだろう。そうして、もっと体格の良いΩが連れてこられるのだろう。せっかく仲良しなったメイドたちと別れるのはさみしいが、仕方がない。自分は子を孕むい器としては不適合なのだ。

けれども。

「ブレイクは分かっているだろうが、君はもっと栄養のあるものを時間をかけて食べなくてはいけないな。そして適度な運動。散歩がいいだろう。エミリーやJJの買い物についていくといいし、エミリーなら、君を軽く鍛える術を知っているだろう。それと君は俺の侍女だから、身の回りの世話をしてくれると助かる」

「え・・・」

「どうした?」

「僕・・・こんな体だから、追い出されるんじゃ・・・」

「そんなことはしない。おそらく、君がこれまで暮らしていた環境に起因するのだろう。その身体の細さは。そんなものはこれからどうとでもなる。ほら、風邪をひくから服を着ろ。

その言葉にリードは慌てて脱いだメイド服を掻き集めた。

「君の部屋は、この部屋を出たすぐ隣だ。侍女は俺の身の回りの世話をしてもらうから、居室は近い方がいい」

「え・・・その・・・1階じゃ・・・」

メイドの部屋は大抵、地下か1階が居室になっている。

「何度も言わせるな。君の部屋は隣だ。で?着替えないのか?着替えられないのか?手伝いが必要か?」

「あっ・・・亜ああ・・・・だ、大丈夫です!」

リードは慌ててスリップを着て、黒いメイド服を着た。後ろのファスナーを上げるのに手間取っていたら、いつの間に主人が来て、手伝ってくれた。

「すっすみません!!!!」

「別にいい。男が女物の服を着るは大変だろう。ふむ・・・石鹸とローズの香り・・・他には何だろう・・・」

主人の鼻がリードの項に触れた。

「ひゃ・・・」

「屋敷にあるものは何を使ってもいい。君が侍女だからではない。メイドたちには自由にさせている。それと同じだ」

主人はエプロンを腰の後ろで結ぶことも手伝ってくれた。

「あ、ありがとうございます。今度から、ちゃんと自分でできるように練習します」

「そうか。ああ・・・忘れていた。俺の自己紹介がまだだったな。俺は、アーロン・ホッチナーだ」

「ホッチナー様」

「疲れたろう。今日はゆっくりと休め。何が不都合なことがあればすぐに言ってくれ」

リードは首を横に振った。

「僕が今までいたところに比べたら、ここは天国です。不満なんか・・・ないです」

「そうか。ならいい。・・・とにかく、食べろ。運動しろ。そして、俺が読んだときにはすぐに来い。それが君の当面の仕事だ」

「あの・・・僕・・・その・・・このお屋敷に来たのは・・・Ωで・・・それで・・・」

リードは一生懸命で閨のことを言おうとしたが恥ずかして言えなかった。しかし、ホッチナーはそれを悟ったのか、

「君がいい感じにふくよかになったら考えよう。しかし、必要以上に太るのはダメだぞ」

と言った。そして、リードを部屋から優しく押し出すと、扉を閉めた。廊下に出されたリードは、逡巡した後、隣の部屋の扉を開けて、電気を点けた。

「ふわぁ・・・」

メイドの部屋だからもっと質素だと思っていたが、まるでお姫様が住むような部屋だった。

「どうしよう。汚すのが怖くて、ベッドなんかで寝れない・・・」

しかしちょうど良いカウチがあった。リードは、今夜はそこで寝ようと決めたのだった。

********************

リードの部屋の外へ送り出した後、ホッチは抑制剤をスコッチで胃の中に流し込んだ。キツくはなかったが、確実にリードからはΩ特有の匂いがした。しかも自分好みの。石鹸と薔薇の香りの奥底から、リードの体が放つ、蜜のような香り。それをホッチの鼻は的確に捉えていた。抑制剤を飲み、少し落ち着いたところで、ホッチはようやくため息をついた。そして、笑う。政府が決めた機械的なマッチングとは言え、こんな奇跡があるだろうか。幾度かΩの匂いを嗅いだことはあるが、ここまで身体にズシンとくるものはなかった。リードの体はまだ未熟だから自覚はないのかもしれない。しかし、ホッチは確信していた。心の何処かで。それは希望とも言えるものだった。

運命という名の希望だった。

to be continued

侍女の物語 03

「さあ、食べて」

台所女中のブレイクが、女中ホールのテーブルに並べた料理を披露した。リードが見たことのない料理が所狭しと湯気を立てている。

「ほらほら、リード。遠慮しないで」

「そうそう。ストラウスが来たら、お喋りもできやしない。だから、今がチャンス。まあ、基本的にストラウスは自分の部屋で食べるけれどもね」

「お肉とお魚、取り分けてあげるわね。ブレイクの白身魚のフリッターは絶品よ。お腹にも優しいわ。このタルタルソースが美味しいの」

「この部屋ではテーブルマナーなんて気にしなくていいわ。食べたいものをフォークで突き刺して食べるの。ああ、もちろんスープはスプーンでよ。ふふふ」

エミリーとJJ、ガルシア、そしてブレイクが色々とリードに食事の世話を焼く。そんな時、キュウ

・・・とリードのお腹が鳴った。風呂の後にお菓子は食べたけれども、こういった食事はまた別だ。どれも美味しそうで、良い香りがする。今まで食べる物は、何処かゴミの匂いがした。

リードはそっとフォークを握りしめると、恐る恐る白身魚のフリッターに突き刺し、口に運んだ。

「!」

ゆっくりと咀嚼すると、リードはため息をついた。

「美味しい・・・とても・・・温かくて・・・美味しい・・・」

思わず泣きそうになった。実際、目尻に涙が浮かんでしまった。

「大丈夫?リード。美味しすぎて、感動しちゃった?でもブレイクの料理の腕はこんなものじゃないのよ?」

「す・・・すごく・・・美味しい・・・です」

「やあねえ。さっきも言ったでしょ?私たち相手に敬語は不要よ。まあ、ストラウスには丁寧語を使っておいた無難だけど。もちろん、ご主人様には絶対敬語だけれどもね。ほら、リードサラダもどうぞ。家庭菜園で作った新鮮な野菜のサラダよ」

「うん・・・ありがとう・・・」

「ずっと食べていなかったみたいだから、ゆっくりね。よく噛んで。料理は逃げやしないから。一度にたくさん食べたからと言って、身体は正常にはならないわ。時間をかけて、体調を整えていきましょうね」

ブレイクが母親のように言いながら、リードの綺麗に結い上げられた栗色の髪を撫でた。

********************

「えっと、一応、この屋敷の仕組みを教えておくわね。リードをこの屋敷に連れてきたのが、女中頭のストラウス。使用人の中で一番偉いの。偏屈だから、逆らわない方が面倒が少ないし、さっきも言ったけど行儀作法に煩いから、丁寧語で話した方がいいわ。まあ、私はかなり右から左にお小言は聞き流してるけど」

ガルシアがケラケラと笑いながら言った。

「私たち3人はハウスメイド。料理以外のことはなんでもやるわ。そうそう。ブレイクは台所女中で、この屋敷の人間の胃袋をがっつりと掴んでるわ」

夕食の後、リードは、エミリーとJJ、ガルシア、そしてブレイクに囲まれてお茶をしていた。紅茶ではなく、カモミールティーだった。リードにとっては初めての飲み物だ。というか、全てが、初めてだ。

「ガルシアは服飾を主に担当しているわ。繕い物もそうだけど、メイド服を作ってるのはガルシアよ」

「あ・・・僕のも・・・」

「そうよ!この屋敷に来る初めての侍女だから、張り切って最高級の黒生地で作っちゃったわ!ご主人様と好きなようにしていいって言ってたし!ホワイトブリムも通常の3倍は生地を使ったの!とっても可愛く仕上がったわ!」

そう言って、ガルシアはリードの頭の上に乗るホワイトブリムをツンっと触った。

「エミリーはメイドでもあるけど、ご主人様の近衛兵でもあるの。何かと政敵の多いご主人様だから、ボディガードも兼ねてるの。だから、さっきも言ったけど、エミリーのコルセットは防弾防刃繊維で作ってあるのよね。そしてブーツもごついでしょ?爪先に鉄板が入っているのよ」

「・・・戦うの?」

「まあね。もちろん、こちらから仕掛けることはあまりないわ。ご主人様が狙われた時だけ。ご主人様を守るために戦う。でも、ご主人様自体が強くていらっしゃるから、最近、出番がなくてつまんないわー」

エミリーが唇を尖らせた。

「まあまあ、いいじゃないの。ご主人様も運動不足解消になってるんだから。あ、ちなみに私のコルセットも防弾防刃仕様よ」

金髪のエミリーが笑って言った。

「え?」

「とは言っても、私の場合は、この屋敷を守るため。エミリーがいない時にね。 もちろん、エミリーと一緒にこの屋敷を守ることもあるわ」

「・・・強いんだ・・・二人とも。・・・僕、男なのに・・・変だよね」

「ねえ、リード。男も女も関係ないわよ。神様が与えてくれた役割を、果たせばいいの。だから、私もエミリーも自分の生き方を残念に思ったり、否定したりはしないわ。満足してる。それに、ホッチナー家に雇われたって最高よね」

「そうそう。ちょっと気難しいところがあるご主人様だけど、待遇がいいもの」

「そうよねぇ。薔薇のローションに、薔薇のクリーム。普通なら奥方様しか誓えないようなコスメを使わせてくれるものね」

「料理に使う食材だって、お金に糸目はつけないから、作り甲斐はあるしね」

ブレイクが言った。とても料理をすることが好きらしい。

そして、4人とも暖かな雰囲気を見に纏っている。リードの緊張も次第に解けてきた。

「僕・・・その・・・こんな素敵な場所、初めてで・・・ずっと、貧民窟にいたから・・・。最初に僕を見た時、とっても汚かったでしょ?」

「人は何処で生きたかじゃないわ。どう生きたかよ。ねえ、リード。貴方は神様に背くような生き方をしてきたの?」

リードは逡巡した。そして首を横に振った。盗みはしなかった。身体も売らなかった。ただ、寒さとひもじさを我慢した。そうやって、存在していただけだった。

「だったら、いいのよ。確かに、神様は貴方に試練をお与えになったかもしれない。でもリードはそれをちゃんと受け入れて真っ当に生きた。それで充分なのよ。だから、私たちは貴方を歓迎してるわ」

「・・・ありがとう」

リードはようやく、硬くなっていた頰を和らげた。それでも今まで笑うことをして生きてこなかった彼にとっては、かなりぎこちない笑みであったけれども。

エミリーが壁掛け時計を見た。

「そうね。もう1時間くらいしたら、ストラウスが来て、リードをご主人様の部屋に連れて行くと思うわ」

「・・・・・・」

リードは唇を噛んだ。自分が侍女として、この屋敷に連れてこられた理由はわかっていた。数週間の教育を受けた。自分は・・・子を孕む器だ。その役割を果たすために、連れて来られたのだ。

「でも、まだ、時間があるわ。ねえ、今度はコーヒーにたっぷりと生クリームを入れて飲みましょうよ」

「あら!ウィンナコーヒーね!最高!ねえ、ブレイク、作ってくれる?」

「もちろんよ!最高のウィンナコーヒーを淹れるわ!」

「ブレイクの泡立てるクリームって絶品なのよね」

3人のメイドたちはきゃっきゃと笑い合った。それを見ながらリードは「コーヒーにソーセージみたいなのが入ってるのかな?」と心の中で首を傾げたのだった。

to be continued

宝石 「赤い風車」外伝

居心地の良いところを探して、リードの裸身がもぞりと動いた。ホッチは、情事のおかげで、せっかく持った熱が冷めないように、その細い体を抱き締めてやった。季節は秋から冬へと移行している。古いアパルトマンの屋根裏部屋は、小さな暖炉はあるものの、最近は随分と夜が冷えるようになってきた。珍しいテラスのせいだ。夏はいいのだが、この季節は隙間風が入ってくる。リードが風邪をひいてしまわないように、寝間着を買ってやりたいと思う。リードは「ホッチの体温が高いから暖かくていいよ。裸でも平気」とは言うが、原稿を書いて夜が遅くなり、カフェで働くリードを先にベッドへ行かせることもある。やはり、寝間着は必要だと確信する。明日、新聞社に出向く用事があるから、蚤の市にでも足を伸ばしてみようか。本当なら、新品の寝間着を買ってやれたらいいのだが、ホッチの収入はそこまで高くはない。しかし、自分はいくらでも我慢できるが、リードに寒さやひもじさを我慢させるようなことはしたくない。そういえば、手袋も「穴が空いちゃった」と言って、繕っていたことを思い出す。ホッチは腕の中のリードの頭にキスを落としながら、明日の計画を立て始めた。

********************

「え?これ、貰ってもいいの?こんなに?」

「ああ。ちょっと作りすぎた。明日になりゃ、売り物にはならないからな。本当なら給金を上げてやれればいんだろうが、まあ、それで勘弁してくれ」

店のオーナーが、ガハハと笑いながらリードの肩を叩いた。

「ううん!嬉しい!クロワッサンも、ブリオッシュも、パン・オ・レザンも・・・こんなに!このカフェのパンは本当に美味しいから!」

「嬉しいことを言ってくれるなぁ、リードは!」

「だって、本当に美味しいんだもん!」

「そうか、そうか。じゃあ、明日もよろしく頼むな。冷え込むから、暖かい格好をして来いよ!」

「うん!」

リードは少しへたってしまったウールのコートを着て、先日繕った手袋をはめた。そしてパンの入った紙袋を大事そうに持つと、カフェのオーナーに手を振って、店の裏口から外へ出た。寒風が鼻を撫でる。確かに、冬が近づいていて、空気はひんやりと尖るように冷えていた。しかし、リードの心は温かい。ホッチと暮らしているからだ。それだけで、幸せで、心が温かいのだ。リードの働くカフェからアパルトマンへはすぐだ。初めてホッチに抱いてもらった翌朝に連れて行ってもらったカフェ。クロワッサンはもちろんのこと、ブリオッシュも美味しい店だった。リードがモンマルトルを離れ、モンパルナスで働いていたところを、ホッチに連れ戻された。もうムーラン・ルージュに戻ることはないと、髪を短くしたリードは、ギャルソンとして、そのカフェで働くことにした。髪を短くし、化粧もしないリードを、ムーラン・ルージュの元踊り子だということを、カフェのオーナーはすぐに見抜いた。しかし、リードを一人の人間として扱い、雇ってくれたのだった。

「ただいまー!」

物書きのホッチは、基本的にこの屋根裏部屋が仕事場だ。たまの休日に二人で出かけるか、出版社や新聞社に用があるときくらいしか、ホッチは外出はしなかった。リードがいるから、当然、夜遊びもしない。案の定、ホッチは古びた机に座って、書き物をしていたようだった。しかし、リードの姿を認めると羽根ペンを置き、椅子に座ったまま振り向いた。

「おかえり、リード。外は、寒かっただろう」

「ううん。全然!それよりもね、今日はお土産。オーナーがね、パンをいっぱいくれたの。作りすぎちゃったんだって!」

「そうか。・・・おいで、リード」

「うん」

リードは丸テーブルにパンの入った紙袋を置き、コートを脱ぐとホッチに近づいた。ホッチは、自分の膝をポンポンと叩いた。リードはそれを見ると笑顔になって、その膝に跨ぐようにして座った。

「僕の身体・・・冷たくない?」

「大丈夫だ。温かい」

「よかった。今日も、ずっと書いてたの?」

「いや、連載のことで新聞社に行っていた」

「そうか・・・もう、そろそろ最終回?」

「年内にな。しかし、また新しい連載の話をもらった」

「ええ!凄い!凄いね!ホッチ!」

リードは嬉しそうに頬をすり寄せた。物語を紡ぐために、ホッチはイギリスから、このパリへと来たのだ。愛する人が夢を叶えているのを、リードは心から喜んだ。

「だから・・・ちょっとした前祝いに、君に贈り物を・・・」

「そんなの!本当は僕がホッチにおめでとうの贈り物をしなくっちゃ!ああ・・・どうしよう・・・僕に何かできること、ある?」

「素直に喜んでくれるだけで充分だ。それよりも・・・」

ホッチは机の端に置いておいた箱を手に取ってリードに渡した。

「なあに、これ・・・あ・・・ああ!ドゥボーブ・エ・ガレ!!!」

「知ってるのか?」

「うん!パリで有名なショコラトリーだよ!ムーラン・ルージュのお得意様が、時々楽屋に差し入れてくださったりしたんだ。でも・・・どうしたの?」

「リードは甘いものが好きだろう?だから、買った」

「・・・好きだけど・・・でも・・・」

ホッチはリードの髪を撫でた。きっと、金額のことを気にしているのだろう。確かに、そう安いチョコレートではなかった。しかし、新聞社の担当が勧めてくれた店だった。パリの女性たちに人気のショコラトリー。決してリードは女性ではないが、甘いものが好きならきっと気にいるだろう、と。

「ほら。開けてみるといい」

「いいの?」

「当たり前だろう?リードのために買ったんだから」

ホッチは安心させるように笑った。たくさんは買えなかったが、とても美しいボンボンショコラの詰め合わせを買った。

「うわぁ・・・綺麗・・・。ドゥボーブ・エ・ガレのチョコレートは、まるで宝石みたいなんだ。食べることのできる宝石みたいなんだよ」

綺麗な造形の指先でボンボンショコラを1つ手に取ると、それを空中に翳し、美しい造形を眺めた。繊細な装飾を施された1粒のチョコレート。

「ほら」

「うん。ありがとう、ホッチ」

リードはそっとボンボンショコラを口に運んだ。表面のチョコレートは当然、甘い。口の中で大切に転がす。リードはうっとりと目を閉じた。

「美味しいか?」

リードは頷いた。軽く歯を立てると、さらに甘いプラリネが口腔に広がる。自然と笑みが溢れる。そんなリードの表情を見て、ホッチは思わず申し訳ない気持ちなった。もし、リードが’今もムーラン・ルージュの看板娘であったなら、キャバレーの売れっ子の踊り子であったなら、毎日のように、大好きな甘いものを口にできていたかもしれないのだ。そんなささやかな幸せを奪ってしまったのは自分だ。そして、もっと綺麗で暖かな服に身を包み、心身共に暖かな生活をすることもできただろう。カフェのギャルソンであるよりも、キャバレーの踊り子の方がずっと給金は高い。

「ホッチ、変なこと考えてる?」

気づくと、リードがじっと自分を見つめていた。

「・・・そんなこと、ないぞ」

「嘘だ。ホッチ、僕は今の生活がすごく幸せなんだよ?だって・・・貴方が一緒なんだもん。それ以上に幸せなことってある?もちろん、甘いチョコレートは大好物。でもね、僕はもっと甘いものが好きなんだ」

「チョコレート以上に甘いものがあるのか?」

「うん。・・・ホッチとのキス。それが一番甘いの」

そう言うと、リードはホッチに唇を押し付けてきた。チョコレートの甘さが移り伝わってくる。

「大好き・・・ホッチが一番・・・。あ、僕、もっとチョコレートを美味しく食べる方法を思いついちゃった!」

「?」

リードは優雅にボンボンショコラを口に含むと、再びホッチにキスを仕掛けてきた。ただし、少しだけ唇を開けて。器用に舌を使って、溶けかけのボンボンショコラをホッチの口の中に滑りこませてくる。ホッチはそれをひと舐めすると、リードの口の中に戻す。そんなことを繰り返しているうちうに、ボンボンショコラは完全に溶けきった。

「美味しかった?」

「ああ・・・本当に、美味しいな」

「でしょ?。ふふ。・・・ホッチ、チョコレート、ありがとね。また、後で一緒に食べようよ。あ、ホッチは甘いの苦手だったっけ?」

「君とこうして食べるなら、ちょうどいい」

「よかった。今夜は、残り物の野菜でシチューを作るね。ホッチはお仕事してて。ね?」

リードはするりとホッチの膝から降りると、小さな簡易キッチンへと向かったのだった。

********************

「あれ?今夜はもう、お仕事おしまいなの?」

服を脱いだリードがベッドに行こうとすると、ホッチも一緒に来たので、そう声をかけた。

「ああ。新連載の構想を練らなくちゃいけないが、それはもう少し後でいいから」

「一緒に寝れるの嬉しい」

リードは破顔した。赤いルビーのネックレスで首を彩られただけの裸体をベッドに潜り込ませようとしたら、ホッチに腕を掴まれた。

「ホッチ?」

リードが振り向いた。

「もう、寒いから、これを着るといい」

ホッチは後ろ手に隠し持っていた物を前に持って来て、リードの肩にかけてやった。

「なあに?これ・・・なんだから、さらってしてて、肌触りがいいね。それに・・・」

リードは両手で自分に掛けられた布を持って、目を寄せる。

「とても綺麗な花柄。白地に赤やピンクの花って・・・何だか、ムーラン・ルージュを思い出すね。でも・・・何だろう・・・これ異国のもの?」

「ああ。蚤の市で見つけたんだが、日本の着物の中に着るものらしい。詳しいことはわからないが」

「へえ・・・日本の?そういえば、モンマルトルの画家が集まるところに、日本人がいるよ?うちのカフェにもたまにくるんだ。日本で絵を描いていたけど、やっぱりパリで絵の勉強がしたいんだって」

「そうか。そういえば、日本の陶器を包むのに使われた浮世絵が、ものすごいブームだな」

「そう!それ!それもあるんだよね。そっかぁ・・・これ、日本のなんだ。今度、その画家さんに聞いてみようっと」

「言葉は通じるのか?」

「うん。カタコトだけど、フランス語を喋ってるよ、その画家さん。それよりも・・・今日のホッチ、ちょっと僕にお金を使いすぎじゃない?」

リードが少し眉を顰めた。

「毎日じゃない。・・・たまにしか、こんなことをしてやれない。・・・すまないな」

「何を言ってるの?さっきも言ったよ?貴方がいてくれるだけでいいの。・・・僕を・・・捨てないでくれたら・・・それだけで、嬉しい・・・」

「捨てるなんて・・・そんなこと、有り得ない」

「でも、ホッチが売れっ子の作家になったら・・・わからないもん。社交界とか・・・サロンとか・・・そういうとこに出入りするようになったら・・・わかんないもん・・・」

「リード。悪いが、俺の執着心を甘く見るな。君をモンパルナスに連れ戻しに行ったのは、俺だぞ。全く。心配性だな」

「心配にもなるよ?貴方は・・・素敵だもん」

「君もだ・・・。ほら、こうして袖を通して」

ホッチがリードの腕を取って、襦袢を着せる。素材は絹だから、薄いけれども上質で暖かいものだと店の主人が言っていた。花柄もリードによく似合う。緋牡丹・・・と言っていただろうか。首を彩るルビーとの相性も良い。

「専用の紐があるらしいんだが、それは結ぶのが難しいと言っていた。だから、その代わりにこれを・・・」

「これは?」

「なんとか帯・・・と言っていたな。すまん、忘れた。今度、その日本人の画家に聞いて見てくれ」

「うん。そうする」

ホッチがリードのウエストに書きつけたのは赤い兵児帯だった。縮緬の絞りだ。しかし、異文化故に、詳しいことは二人とも分からなかった。

「綺麗で・・・可愛いね・・・こういうの、好き。やっぱり、ムーラン・ルージュで働いていたせいかな。男のくせに変だよね、僕」

「そんなことない」

ホッチはリードにキスを落とした。

「さあ、寝るか」

ホッチはリードをベッドに促した。

「ねえ、ホッチ?」

「ん?」

せっかく着せてくれたけど・・・意味ある?」

「脱ぐ気満々だな」

「うん!だって、幸せだもんだもん!だから・・・もっと僕に幸せをちょうだい!」

「貪欲だな。しかし・・・嫌いじゃない」

ホッチは横になったリードに覆いかぶさると、適当に結んだ兵児帯に手をかけて解いた。緋牡丹の襦袢の中で泳ぐリードの姿が、眼に浮かぶようだった。

END

きらきら 赤い風車外伝

ホッチは、ムーラン・ルージュの特等席で、「ほうっ・・・」と感嘆の溜息を吐いた。その席は、あまりにも値の高い席で、最初ホッチは断ったのだが、スペンサー・リードを、このモンマルトルに連れ戻した功労者として、ガルシアが手を回して用意した席だった。そこはステージのセンターが良く見える席で、つまりはソロで踊るリードが最も良く観える席でもあった。「ムーラン・ルージュの元看板娘、スペンサー・リード、今宵だけの復活!」とガルシアが裏で宣伝をしていたらしい。客席は満員だった。群舞の中でも、リードはセンターに据えられていた。「現役の踊り子ではないのに・・・」と、楽屋でガルシアからショーの構成を聞き、最初は腰が引けていたが、ホッチが「踊り子姿のリードをじっくりと観たい」と言ったら、すぐに承諾した。そう。貧乏なホッチが、頻繁にムーラン・ルージュに通えるわけもなく、リードの踊る姿を見たことはあまりなかったのだ。賢いリードはガルシアの説明する構成をすぐに理解した。踊りは、全て過去に踊ったことのあるものだ。一度、身体に身につけたことは絶対に忘れない・・・という特技のあるリードだ。だから、今、ステージの上で、赤いルージュを引いた口を大きく開けた満面の笑みで、リードは踊っている。ソロも。もちろん、リードが姿を消す直前までの出し物であった空中ブランコも。髪をバッサリと短くしてしまってはいたが、その細い頸は、以前よりも踊り子を美しく、妖艶に見せる効果を生み出していた。

きらきら、していた。

ステージが。人々が。

何よりも、リードが。

とても、きらきら、していた。

********************

一通りのショーが終わると、踊り子たちは、馴染みの客の席へと足を運んだ。当然のように、ホッチのところにはリードがやってきた。頰を紅潮させて。瞳をきらきらさせて。

「ホッチ!」

軽く息の上がった呼吸を整えながら、ホッチの身体にぴったりとその細い身体を擦り付けるようにして座った。

「喉が渇いただろう?」

「うん」

「赤ワインでいいのか?それとも、冷たいシードルとかの方がいいか?」

「ううん。ホッチが今、飲んでるワインがいい」

そう言うと、リードはホッチの手から飲みかけのワイングラスをそっと取り上げて、口を付けた。視線をホッチから離さず、見上げるような上目遣いで。「ああ・・・」と、ホッチは思った。この瞳は、ステージでは絶対に見ることのできない瞳だった。リードがきっと、唯一、自分だけに向ける瞳だと信じたい、そんな視線。ホッチは思わず、剥き出しの項に掌を当てた。火照った熱が伝わってくる。リードはワイングラスを両手で持ったまま、赤い唇をホッチの耳に近づけた。

「ホッチ・・・セックスしたい・・・」

熱い吐息と共に吐き出された言葉は、ホッチの心と身体を昂ぶらせるには、充分すぎたのだった。

********************

屋根裏部屋に戻ると、リードはバッグをカウチに放りなげて、背中をホッチに向けた。その意図を察して、ホッチは背中のボタンに指をかけた。1つ1つ、丁寧に外していく。それがもどかしいのか、リードは身体を燻らせた。赤いドレスを破いてしまいたいほど、本当はリードを欲していた。しかし、何とか自制して、丁寧にドレスを脱がす。項にキスを与えながら、スルリと肩からドレスを落とした。

「ふ・・・うん・・・」

リードは頭を振った。そして、体重をホッチに預ける。ホッチはその身体を受け止めて、背後から抱き締める。

「身体が熱いな。・・・酔ったか?」

「うん。酔ったよ・・・でも、ワインじゃない。貴方に酔ったの。客席からの貴方の視線を感じた。だから・・・身体が反応しちゃった・・・。それに、出かける前にホッチが僕の身体の中に出したものが、踊ってるうちに染みてきちゃって・・・。もう・・・本当は踊りながら大変だったの。それに客席の貴方を見てたら・・・もう・・・や・・・」

リードはホッチの手を取ると、レース越しにパンティの上から、自分自身を触らせた。・・・そこは、じっとりと、濡れていた。

「・・・もう・・・パンティがビショビショなの・・・。責任、とって?」

「そうだな。そんな状態で、あのステージを頑張ったんだしな」

ステージ上のリードが、とても妖艶だった理由がわかったような気がした。ホッチはリードの身体を掬い上げると、ベッドの上へと運んだ。体液が染みてしまったパンティを脱がすと、床に落とす。リードを俯せに寝かせ、腰に腕を回して、尻を高く上げさせる。数えきれないほど、ホッチを受け入れて、すっかり形が変わってしまった後孔に舌を這わせる。まるで女性器のような形の排泄器官。しかし、そこはホッチを受け入れる場所となり、快楽を享受するのだ。

ホッチの唾液の刺激で、リードは尻を揺らした。早く、欲しいのだろう。ホッチも早く、リードの中に入りたかった。ムーラン・ルージュでリードに囁かれたときから、我慢していたのだ。もう、限界だった。数時間前にホッチが放ったもので、そこは十分に柔らかい。ホッチは己を当てがい、腰を進めながら、剥き出しのリードの項に吸い付いた。

「あんっ・・・それ・・・好き・・・」

髪を切ったせいか、リードの首に愛撫を施すことが多くなった。それをリードは気に入ったらしい。首を愛しただけで、絶頂を迎えることも幾度かあった。酷く気分が高まっている状態のリードだから、きっと今夜もそうだろう。痕が残るほどに、ホッチはキツく吸い付いた。

「ふあ・・・あんっ・・・あ・・・あ・・・ゾクゾク・・・する・・・」

「気分が悪いか?」

「そんなわけない。その逆・・・すごく・・・気持ちいい・・・も、すぐにイっちゃいそう」

「何度だって、イっていいんだぞ」

「イキ過ぎるのも、怖いの・・・」

「でも、嫌いじゃないんだろう?」

「・・・ん・・・好き・・・」

甘えたように鼻を鳴らすリードが可愛らしかった。この元踊り子が、自分のものになったとは、時々信じられなくなる。こんなにも、美しい、人間が。離せないと思った。もう、離したくないのだ。美しく、可愛らしく、才能があり、己の創作意欲を掻き立てる人間の存在を。

ホッチは、リードの項を愛撫しながら、ゆっくりと後ろを犯し始めた。次第に舌を背中に這わせ、器用に歯を使って、ブラジャーのホックを外す。そのまま頭を下ろして、リードの肢体を見る。ウエストにはガーターベルト。剥き出しの白い尻。しかし、その形の良い両脚は、絹の長靴下で覆われている。赤いヒールも、まだ履いたままだ。その姿は艶かしく、美しかった。ホッチは長靴下の上から、じっくりと脚を撫でると、腰をグッと密着させて、深く突いてやった。

「ひゃっ・・・ああんっ・・・」

「くっ・・・リードっ・・・」

「好き・・・大好き・・・も・・・わけがわかんなくなるくらい・・・好き・・・僕、どうしたらいいんだろう・・・貴方がいなくちゃ、生きていけないよ・・・」

泣きそうな声を上げながら、リードは喘いだ。

「ああ・・・俺もだ・・・。君がいなければ・・・生きる意味はない・・・」

「・・・一緒だね・・・」

「ああ・・・一緒だ」

「・・・ホッチ・・・お願い・・・貴方を抱きしめたい・・・」

ホッチは器用にリードの身体を裏返した。楔を打ち込んだまま。リードも、その動きに自然に合わせる。向かい合わせになった二人は、抱き締めあった。きつく。深く。そして、貪るようなキスをする。

「朝まで・・・こうしていたいの。・・・朝まで、ずーっと僕の中にいて・・・」

「いいのか?辛いぞ?」

「そんなことないよ。貴方で満たされて・・・すごく、嬉しいから・・・」

ぎゅっとリードは、ホッチの身体を抱き締める腕に力を込めた。愛する人を逃がさないように。

「は・・・あ・・・はぁ・・・はぁ・・・」

ホッチを受け止めながら、額に滲む汗は・・・きらきらと・・・蝋燭の光に輝いていた。

END

留め金 赤い風車外伝

「どうした?リード」

ホッチが出版社から打ち合わせを終えて屋根裏部屋に戻ると、リードがベッドを見詰めて腕組みをして唸っている。それで、ホッチは視線を古びたベッドの上へと移した。そこには、赤いドレス。レースの下着。ストッキング。赤いハイヒール。リードがムーラン・ルージュの踊り子だった時の普段着だ。リードが住んでいたアパルトマンは、一部の思い出の品を除いては、全て処分し、ほとんど身一つで、ホッチの屋根裏部屋の越してきたのだ。しかも、今は元来の性である、男のなりをしている。近所のカフェでギャルソンとして働いてもいる。それなのに、どうして、赤いドレスがあるのか。

「・・・あ。・・・ホッチ?ごめん、気づかなかった。えっと、お帰りなさい」

リードは、慌ててホッチに近づくと両腕をその逞しい首に回してキスを強請る。それはいつもの儀式だ。先に部屋にいる方がキスを強請る。どちらかというと、物書きをしているホッチの方が屋根裏部屋にいることが多い。だから、カフェから帰ってきたリードに、ホッチが「お帰り」のキスを送る方が多いのだ。今日は、ホッチが出版社に行っていたために、こういうことになった。というか、リードもいつもより帰りが早い。

「何かあったか?・・・その、ドレス」

「んー・・・。あのね、カフェにモーガンが来たんだ。エミリーとJJとガルシアのお願いを伝えに来たって」

「お願い?どんなお願いだ」

「・・・その・・・今夜だけでいいから、もう一度、ムーラン・ルージュの舞台に立って欲しいって」

「何か、理由がありそうだな」

「そうなんだ。理由はね、今夜はムーラン・ルージュのお祝いの日なんだ。なんていうのかな、ムーラン・ルージュのお誕生日的な?」

「ああ・・・ムーラン・ルージュが開店した日なのか」

「ああ・・・本当はね、先月なんだ。10月6日。でも、オーナーが体調を崩したりとか・・・その僕のこととかで・・・10月にはしなかったんだ。それを1ヶ月延ばして・・・」

「今夜になったということか」

「うん。10月6日にはさ、毎年、歴代の踊り子が来たりしてお祝いするんだ。それで・・・その・・・」

「元看板娘の君のところにも、話が来たんだな?」

「うん・・・そういうこと。・・・ねえ、ホッチはどう思う?」

「そうだな。・・・悪い話ではないと思うが?何せ、俺たちはムーラン・ルージュで出会った。思い出の場所と言ってもいい。それに、リードは、エミリーやJJ、ガルシアに恩義があるから、彼女らの頼みを断りたくないんだろう?」

「そんなことまで、分かっちゃうんだ・・・すごいや、ホッチ」

「せっかくの話だ。その赤いドレスに着替えて、一緒にムーラン・ルージュに行こう。君を送って、そして俺は客として君を観る。どうだ?」

「いいの?ホッチ、一緒に行ってくれるの?」

「構わない」

「うわぁ・・・嬉しい!ありがとう、ホッチ!」

「俺が嫌がると思って悩んでいたのか?」

「え?あ・・・ん・・・それもあるけど・・・」

「他には?」

「ほら、僕、髪を短く切っちゃったでしょ?それで、このどれを着たら変かなって」

「そうだろうか。髪の長さなど関係なく、君は美しいと思うが。最近は髪を短くする女性も増えた。いいんじゃないか?きっと似合う」

「本当に、そう思う?」

「ああ。君はどんな格好をしていても綺麗だ」

「・・・恥ずかしなぁ・・・もう・・・」

リードは俯いて恥ずかしがった。

「着替えるのを手伝おう。まあ、化粧はちょっと無理だが」

「ありがとう」

リードは嬉しそうに顔を上げて微笑んだ。

********************

リードはギャルソンの服を脱ぎ、全裸になると、レースのパンティを穿き、ブラの肩紐に腕を通した。後ろに立ったホッチが、そのホックを優しく留めてやる。ついでに頸に、軽くキスを落とす。

「ん・・・」

ホッチに触れられれば、自然に声が出る。日々の閨でそういう身体になった。これからムーラン・ルージュに赴かなければならないのに、困ってしまう。リードがもじもじしていると、ホッチはガーターベルトを取り、そのウエストに巻きつけて、そのホックも留めた。

「・・・ホッチ・・・」

くるりとリードが身体の向きを変えて、ホッチと向かい合う。

「駄目だろう?これから出かけるんだから」

「ホッチの意地悪ぅ・・・」

ホッチはリードをベッドに座らせると、絹の長靴下を履かせる。しかも綺麗な形の脚にキスをしながら。

「やぁ・・・も・・・ホッチ・・・」

リードがベッドに座りながら、身体をよがらせる。それを無視して、ホッチはリードの両脚を長靴下で覆ってしまった。後はガータベルトの留め金で固定するだけとなった。

「んー・・・もっ・・・やっ!」

リードはホッチの胸を押し、二人の間に隙間を作ると、急いで履いたばかりのパンティを脱いだ。そしてベッドの端に放ってしまう。

「お願い。ホッチ。我慢できないの。責任、とって!」

「これからムーラン・ルージュに行くんだろう?」

「こんな状態で行けるわけない!!身体が火照っちゃったの!ホッチのせいなんだから、ホッチがどうにかして!」

視線を落とすと、リードの果実は勃ち上がっていて、先端には蜜が溢れている。こういう身体にしてしまったのは、確かに自分だ。

リードはころんとベッドに転がると、自分の両膝裏を抱えて、自分で脚を左右に割り開いた。そこまでされて、何もせずにいられるホッチでもない。リードの股間に顔を寄せると、その果実を口に含み、転がし始めた。

「あっ・・・んあ・・・あ・・・気持ち・・・いい・・・」

言うまでもなく、ホッチは気持ちのいいことしか、リードにはしない。嫌なことは絶対にしない。恥ずかしいことはたまにするけれども。ホッチは口と指を使って、リードの快感を追い上げてやった。いつも抱いているにに、飽きることはない。リードも与えられる快感に飽きることはない。いつだってホッチとのセックスは新鮮だった。それに、今は、久しぶりに女性の下着を身に付けている背徳感もあるのかもしれない。

「い・・・く・・・」

リードは緩く、腰を上げた。それに合わせて、ホッチは果実を強く吸ってやる。

「ひゃ・・・ああ・・・ああああああ~っ!!!」

小さな叫び声とともに、背中がしなる。ホッチの口腔に甘い蜜液が広がる。ひくひくと弛緩した身体が、ゆったりとベッドに沈んだ。

「満足したか?」

リードは首を横に振った。

「ホッチが、まだ、だもん。僕の中で気持ち良くなって」

「そんなことを言って。出かけるのに」

「いいの。大丈夫なの。ホッチが欲しいの。くれなきゃ、行けない。そうしたら、エミリーたちに叱られるのはホッチだよ」

「それは・・・少々、怖いな」

「じゃあ、抱いて。僕の中に来て」

「わかった」

ホッチは手早く衣服を脱ぐと、待ち受けるリードの身体に覆い被さった。貪るようなキスを与えると、己の切っ先をリードの後孔に当てがった。いつも不思議に思うが、そこはすでに濡れていて、柔らかくなっていた。

「ホッチ、早く・・・」

「ああ・・・わかってる」

ホッチは両手でリードの両脚を抱え、折り畳むようにすると、ゆっくりと体重をかけていった。くちゅり・・・と言う音の後に、ズブズブと自分が飲み込まれて行くことがわかる。そして、柔軟な締め付けと。それはそのうちキツいものに変化する。

「は・・・い、いい・・・ホッチの・・・好き・・・大好き・・・もっと・・・トントンして」

奥を突いて欲しい時のおねだりだ。ホッチはそれに応えて、小刻みに突いてやる。

「あ・・・ひっ・・・ふあ・・・ああ・・・あんっ・・・」

甘ったるい声が、屋根裏部屋に響く。そんな声を誰にも聞かせたくなくて、ホッチはその唇をキスで塞いでやる。

「んぐっ・・・んんぅ・・・」

呼吸は苦しそうだが、気持ちはいいらしい。腰を揺らめかせて、ホッチを受け入れている。そんな姿が可愛らしい。幾度、抱いても、飽きることなどないのだ。スペンサー・リードは。愛しているが故に。ホッチが動く度に、ガーターベルトの留め金が揺れた。扇情的に、それは揺れていた。

********************

温い湯に浸して絞ったタオルで、脱力したリードの下半身を優しく拭いてやる。

「大丈夫か?ムーラン・ルージュには行けるのか?」

「ん・・・大丈夫。久しぶりに、ランジェリーを身につけたせいかな。変な気分になっちゃった」

拭いてもらった後、ゆっくりと起き上がると、リードは腕を伸ばして、さっき放ったレースのパンティを探すと、それを穿いた。そして、長靴下とガーターベルトを停めようとする。

「それは俺がやってやろう」

「また、変な気分になっちゃう」

「そうなったら・・・続きは帰って来てからだな。俺は久しぶりに踊り子の君の姿も見てみたい」

「ホッチが見たいなら、がんばろっと」

キュッっと留め金で靴下を挟み留める。4箇所の留め金。思わず、パンティと長靴下の間の皮膚、ある意味、絶対領域とも言えるその場所にキスしたくなる。けれども、それは、祝いのショーの後でもいいだろう。楽しみを後に取っておくのも悪くはない。

赤いドレスを着たリード。その後ろのボタンも留めてやる。もう一度、リードをベッドに座らせ、その足に赤いハイヒールもホッチの手で履かせる。まだ、化粧はしていないが、情事の後で、火照り、潤んだ瞳だけで、美しいと思う。

「今日はムーラン・ルージュのお祝いの日だけど、僕は貴方のために、踊るね。ちゃんと見ててね」

「ああ。俺には、君の姿しか目に入らないからな」

「そう言ってもらえると、とても嬉しい」

リードはホッチの手を取って、頬ずりをした。本当なら、腕を回してキスをしたいところなのだが、いい加減出かけないと遅れてしまう。リードは手早く化粧をすませた。しかし、最後の赤いルージュだけは、時間をかけてきちんと引いた。

「ホッチ、僕、大丈夫かな?」

「ああ。誰よりも、どんな踊り子よりも美しい。そうだな、また、何か物語を書きたくなるほどに」

「・・・ダメ・・・やっぱりキスしたいよ・・・軽いのでいいから」

ホッチはリードの意図を汲み取ると、その小さな顎に指をかけて、本当に軽いキスを送った。

「さあ、出かけよう」

今夜はホッチもクローゼットから、少し上質なフロックコートを出した。美しい踊り子と釣り合うように、原稿料で誂えたものだ。もう、踊り子を辞めてしまったリードだが、こんな時に役立つとは思わなかった。

ホッチの腕に、リードが細い腕を絡ませる。そして、屋根裏部屋の古びたドアを開けると、二人で仲睦まじく、ムーラン・ルージュへと赴いたのだった。

END

侍女の物語 02

リードが扉を開けると、そこには3人のハウスメイドたちが待ち構えていた。

「まあ!綺麗な肌!」

「ボディ・ローションはちゃんと塗った?」

「綺麗な栗色の髪ねぇ!」

あっという間に3人に囲まれる。しかし、驚くだけで、「怖い」という感情はなかった。3人とも、とても朗らかで優しい笑みを浮かべていたからだ。

「ご、ごめんなさい。ボディ・ローション・・・よくわからなくて。・・・それに着替えも・・・」

「大丈夫よ!私たちに任せて!」

リードが両手に抱えていたよく分からない下着らしきものを、金髪のメイドが受け取った。

「私はJJよ。そして彼女がエミリー。そして、ガルシア」

「よろしく」

「よろしくね、リード」

「あ・・・よろしくお願いします・・・」

「まずは、ボディ・ローションね」

「これを見ると・・・パンティとメイド服だけなのね。じゃあ、まずは下着の付け方を教えてあげる。でも、恥ずかしくない?大丈夫?」

リードは頷いた。自分ではどうしようもないのだ。教えてもらうしか。

「じゃあ、メイド服を脱ぎましょう。手伝うわ」

エミリーが背中のファスナーを下ろしてくれた。そうすると、ストンっと黒いメイド服が床へと落ちる。皮膚の汚れは落としたものの、痩せ細った身体はどうしようもない。うつむけば、肋の浮き出た腹がわかる。けれども、3人のハウスメイドたちは、リードの体つきのことは何も言わなかった。眉を顰めることもなく、笑顔のままで、リードの背中や腕にボディ・ローションを塗り始めた。

「とても良い香りでしょう?薔薇よ。ブルガリアン・ローズ。とても貴重なものなの」

ガルシアが言った。

「それにね、ご主人様はとても気前が良くて、こういったローションを私たちメイドにも使わせてくださるの」

「ホッチナー家のメイドでよかったわよね、私たち!」

「さあ、これでボディ・ローションはおしまい。今度はコルセットね」

「リードは侍女だから、あまり締め付けないタイプのコルセットにしたわ。ちなみにエミリーとJJのコルセットは、防弾防刃繊維で作られてるの」

「ぼ・・・防弾?防刃?」

物騒な言葉が出てきて、思わずリードは聞き返してしまった。

「まあ、詳しいことは、そのうちわかるわ。まずはリードの身なりを整えましょうよ」

「そうね」

「男の子にはちょっと苦しいかもしれないけど、我慢してね。そんなに強く占めたりしないから」

背後に回ったエミリーが、JJがリードに巻きつけたコルセットのリボンをキュッと引っ張った。一瞬、「うっ」となってしまったが、苦しくはなかった。

「これがストッキングよ。自分で履ける?太腿まである長い靴下と思えばいいわ」

「椅子に座ると履きやすいわよ」

リードは促されるままに、椅子に座ってストッキングを受け取った。いまにも破けてしまいそうな薄い生地。

「大丈夫よ。心配しないで。見た目よりも結構丈夫だから。丸めて足先を入れると履きやすいわ」

リードは言われたように片方のストッキングをくるくると丸め、靴下を履くように、足先を入れた。そうして少しずつ、痩せぎすの脚を隠すようにストッキングを履いていく。

「上手よ。リード」

「さあ、同じように、もう片方も」

リードは破かずにストッキングを履けたことに安堵しながら、もう片方も同じように履いていった。

「そしてね、このコルセットについてるガーターベルトでストッキングを固定するのよ。こうして、パチンって」

JJが左後ろの留め金をやってくれた。

「自分でできそう?」

リードは頷いて、残りの留め金でストッキングを留めていった。

「ただし、注意が必要よ。本当はね、こうしてストッキングを留めた後にパンティを穿くの。どうしてかわかる?」

リードは首を傾げた。

「それはね、トイレで困っちゃうからよ!」

リードは想像した。トイレのことを。確かに。パンティの上から留めてしまったら・・・。それは非常に面倒だった。

「まあ、それは後で直せばいいわよね。次はスリップを着て、メイド服ね」

先ほど脱がされた黒いメイド服をもう一度着る。

「仕上げはエプロンとホワイトブリムね」

真っ白なレースとフリルのエプロン。腰の後ろで大きなリボン結びにされる。そして、頭にもこれまたたっぷりなギャザーの寄ったホワイトブリムを付ける。これはカチューシャのようになっているので簡単だった。

「そして、ブーツ。貴方はご主人様の侍女だから、ヒールのないブーツね。骨盤や脊椎が歪まないように、こういうブーツを履くことになってるの」

健康な子を産むには、健康な器が必要だった。だから、どこの家の侍女もこのような平らなブーツを履課されるのだ。

「これで、いいわ。後は、髪ね。とても綺麗な髪だわ」

「あ!私が結いたい!」

「じゃあ、ガルシアに任せるわね」

ガルシアは一度ホワイトブリムを取ると、リードの髪をいくつかのピンを使って、ふわりとしたハーフアップに結い上げた。そしてもう一度ホワイトブリムを付ける。

「完璧じゃない?」

「そうね」

「じゃあ、お茶にしましょう」

「そうしましょう」

エミリーがリードの背にそっと手を当てて、丸テーブルに誘った。そこには綺麗な色や形のお菓子がたくさん並べられていた。薔薇の模様が描かれた、ティーポットにティーカップ。

「さあ、座って」

「いただきましょう」

リードは、テーブルの上に並んだお菓子たちに気後れしてしまった。こんなにたくさんの食べ物を見たことなどなかった。

「ほらほら、遠慮しないで!これはマカロン。最近の私のハマってるお菓子なの!」

ガルシアが、ピンク色のマカロンを1つ摘むと、それでリードに差し出した。リードは恐る恐る受け取り、他のハウスメイドたちがするように、1口齧ってみた。すぐに、甘い味が口の中に広がる。美味しかった。初めて食べる味だが、美味しいと感じた。

「どう?」

「・・・お、美味しいです」

「やだ!私たちに敬語なんてやめてよね」

「そうそう。メイドなんだから。侍女のリードの方がずっと格上なんだから!」

「でも、この屋敷に来たばっかりで不安よね。でも大丈夫。ちゃんと教えてあげるから!」

「リードはお肉とお魚、どっちが好き?」

「え?」

肉とか魚とか言われても、答えられなかった。食べたことがなかったからだ。それらしきものを口にしたことがあったような微かな記憶はあったけれども。

「やっぱり、両方じゃない?でも、いきなりいっぱい食べたらお腹がびっくりしちゃうわね。そうだ、今夜の夕食は少しずつ色んなものを作りましょうよ」

「そうね。それがいいわね」

「ねえ、リード。今夜は私たちと一緒に夕食を食べましょうね。もちろん、ご主人様が貴方と一緒に食べるって言ったらそうはならないけど、でも今日は初日だから、それはないわね」

リードはぼうっとしてしまった。話が急展開すぎるのだ。風呂にしても、服にしても、お菓子にしても、夕食の話にしても。今まで自分が暮らして来た世界とはまるでかけ離れているのだ。そんなリードの肩にJJがそっと手を置いた。

「大丈夫よ。貴方は選ばれた。神に。そして、きっとご主人様も貴方を気にいる」

JJの笑顔に、リードもぎこちない笑顔で返した。本当はもっと笑いたかった。けれども、笑うことをしてこなかったリードの表情筋は、それを上手にできなかったのだ。

to be continued

侍女の物語 01

「ふわぁ・・・」

粗末な服を着たスペンサー・リードは、その大きな屋敷を見て、思わずおかしな声を上げてしまった。下級層で暮らす自分には、まるでお城のように映ったのだ。

「みっともない声を出すものではありません」

隣に毅然と立っていた、この屋敷の女中頭であるハウス・キーパー、ストラウスに窘められる。

「はっ・・・はいっ!」

リードは、その厳しい声に背筋をシャンっと伸ばした。

「お前の立場は、自分できちんとわかっているね?」

「・・・はい」

リードは神妙に答えた。

「それなら、いい。この屋敷に入り、まずは身体を洗い、身なりを整えることが先決だ。お前からは、貧民窟の匂いがする」

「ご、ごめんなさい・・・」

「まあ、そういうものなのだろうね。Ωが生きる世界というのは・・・。私には理解しがたい世界だがね」

「・・・すみません」

「ふん。しかし、今の世の中では、男だろうが女だろうが、子を孕める器は非常に貴重なものさ。せいぜい、この家に貢献するがいい」

そう言い放つと、ストラウスは足を進めた。鉄の門を潜り、それから数分歩かないと、屋敷の玄関には辿り着かない。

庭。

美しい庭だ。庭師に手入れされているであろう、整えられた、花や木。リードは、純粋に「綺麗だな」と心の中で思った。貧民窟では見ることのない景色。風景。ここは、何もかもが美しに違いない。

ストラウスは、表ではなく、裏口へとリードを導いた。裏口といっても、リードにとっては充分に立派すぎる玄関だった。

「エミリー!JJ!ガルシア!」

ストラウスが、3人の名前を呼んだ。すぐに、お仕着せに身を包んだハウスメイドたちが現れた。

「この子が、今日から、この屋敷の侍女になるスペンサー・リードだよ。まずは、この汚らしい身体を綺麗にしてやっておくれ。このままでは、ご主人様に引き合わせることができないからね」

「かしこまりました」

エミリーが無表情に答え、前に進み出るとリードの腕を掴んだ。

「あっあの・・・僕、汚いから・・・触らない方が・・・」

「すぐに綺麗にしてあげるから。ご主人様好みに」

いつの間にかリードの隣に立った金髪のメイドがリードの耳元で囁いた。

「行きましょう」

眼鏡をかけたふくよかなメイドが促した。

「後は任せたよ。私はご主人様にご報告に行ってくるから」

ストラウスは、返事を待つこともなく、その場を去った。

扉が、バタンッと閉まる。そして遠ざかる足音。その足音が消えた瞬間・・・。

「きゃあっ!待ってたわ!えっとリード?スペンサー・リードって言ったかしら?」

「ほんっとに細いわねぇ!まあ、いいわ。これから美味しいものをいっぱい食べたら、身体もしっかりと丈夫になるから!」

「そうそう。貴方のメイド服は私が最高級の生地で誂えたから!」

3人のハウスメイドたちは、さっきとは打って変わって、朗らかな声を出してリードに話しかけてきた。

「えっ・・・えっ・・・」

「まずは、お風呂ね。さあ、こっちよ1こっち!」

「お湯の温度は適温!素敵な香りのシャンプーや石鹸も用意しておいたから!」

「バスタオルはこれを使ってね。小さめのタオルはこれ。それからブラシ。着替えはここよ」

「本当なら、私たちが磨き上げてあげたいところだけど、流石にリードは男の子だから、恥ずかしいわよね」

「私たちは隣の部屋で待ってるわ。冷たい飲み物を用意してね」

「それに甘いお菓子もよ」

「もし着替えに困ったら、遠慮なく声をかけてね?手伝ってあげるわ」

「メイド服って、結構、複雑だものね」

「あはは。それはエミリー、貴女の場合はでしょ?」

「そうそう。ホッチナー家のメイドにして、ご主人様の近衛兵なんだから」

「じゃ、リード。お風呂はゆっくりでいいから」

かしましく、捲し立てて、3人のメイドたちはリードを風呂場に残し、出て行ったのだった。風呂場に取り残されたリードは、

「ふわぁ・・・」

と、屋敷を見たときと同じような声を出してしまったのだった。

********************

ボロボロで汚い服を脱いだリードは、それを何処に置くか迷ってしまった。おそらく、この服を着ることはないかもしれない。あるとしたら、この屋敷を追い出されるときだ。だから、「捨てる」という選択肢はなかった。風呂の後で、こっそりと洗うしかないな、と思った。しかし、まずは自分の身体を少しでも綺麗にすることが先決だった。隣の部屋には3人のハウスメイドたちを待たせているし、それに、この汚い身体では自分の役目を果たすことはできない。

リードは温かな湯船に浸かった。石鹸を海綿に擦り付け泡立てる、その泡を腕に滑らせると、白い泡はあっという間に黒くなった。それほどまでに自分の身体は汚らしいのだ。慌てて力を入れて身体を擦った。このままでは、自分の役割は果たせない。あの貧民窟から救い出された理由はただ1つ。自分が、この世界の中で、非常に貴重な、子を孕める器だからだ。

撫でるだけでは、この身体は綺麗にはならないだろう。擦り傷を付けるわけにもいかない。難しい力加減をしながら、リードは一生懸命、自分の身体を擦り続けた。

******************

20××年。

原因が何かはわからない。何処の国の生物兵器か、それとも異常気象か、もしかしたら人間の神への冒涜に対する罰なのか。世界中の出生率が激減した。それまで、出産と育児を担っていたβの出生率が減少したのだ。街の中で、子どもの姿を見ることは少なくなった。子を持つ過程は優遇される社会になった。特権階級。β同志の結婚ではなく、とりわけ出生率が高くなる、αとβの結婚が推奨された。しかし、それでも出生率の低下を防ぐことはできなかった。そこで注目されたのが、Ωの存在だった。卑しまれ、蔑まれ、社会的地位などないにも等しかったΩは子を孕む確率が高いことは科学的にも証明されていた。しかし、卑しい身分であるΩを妻として家に迎え入れる男はいなかった。そこで考え出されたのが、Ωをメイドとして雇い、秘密裏に孕ませ、出産させる・・・というものだった。αとβの夫婦は、Ωをメイドとして雇い、子を孕ませ、そしてあくまでも自分たちの夫婦の子として登録し育てるのだ。そして、何度も子を産み、年が嵩み、用済みになったΩは、再び貧民窟へと捨てられる。

Ωは国に管理されている。もちろん、Ω登録されているだけで、社会的な保障は何もない。政府の黒いバンが突然貧民窟に現れ、Ωを連れ去り、必要としている家庭へと繋ぐのだ。

スペンサー・リードもある夜、突然現れた政府の人間に黒いバンに詰め込まれた。他にも数名のΩがいた。体育館のようなところに集められたΩたちは、教育を受けた。メイドとしての教育。実践を伴わない、子を孕む教育。主人に仕える教育。そして、神の御霊に従う教育。必要最小限の食事を与えられながら、数週間の教育を受けた。社会的地位に低いΩは、学校に通い、学ぶということはできなかった。生きるために食べる。生きるとは、そういうことだった。ひもじい思いをしながらも、死なない程度に食べるものを得ることが、生きることだった。見目の良いΩは、わずかなお金で少しでも自分を身綺麗にし、身体を売ることで、生きながらえる者もいた。けれども、リードにはそういった道は選べなかった。毎日、お腹を空かせながら、路地裏の隅っこで身体を丸めて座っていた。

その生活が、変わる。

それが幸福なのかどうかはわからない。Ωの自分には人生の選択肢はない。ただ、流れる川に落ちた葉のように生きるだけだ。

髪も顔も身体も。完璧ではないかもしれないが、自分ができる得る限り擦り終わると、リードはようやく風呂を出て、バスタオルで身体を拭いた。ドライヤーで髪も乾かす。整え方はわからなかった。後で、あの3人のメイドに聞いてみようと思った。彼女たちから教わることはきっとたくさんあるだろう。

置かれた着替えを手に取る。黒いメイド服。白いエプロン。けれども、それ以外のものがよくわからなかった。おそらく下着なのだろうが、リードに理解できるのは白いパンティだけだった。仕方なく、パンティを穿き、メイド服を着ると、それ以外のものを両手に抱えて、リードはそっと隣の部屋へ続く扉を開けたのだった。

to be continued

赤い風車 09

ホッチは、古びて少々ガタついた机に座り、深いため息をついた。新聞の連載。美しい踊り子の物語。評判は上々で、読者もついた。しかし、モデルとした踊り子は、もうムーラン・ルージュにはいなかった。そう。スペンサー・リードは、消えてしまったのだ。あの朝に。赤い林檎と共に。ホッチは哀しみにくれた。探しもした。しかし、見つからない。ただ一つ、あの夜リードが左の薬指に嵌めた赤い石の指輪も、一緒に言えていたことだけが救いだった。彼が、あの贈り物を持っている・・・そう思っただけで、ほんの少しだけ、安堵した。とはいうものの、物事の本質が解決したわけではなかったのだが。

ホッチは、爵位は捨てたも同然ではあったし、領地から得る収入にもずっと手を付けずにいた。しかし、フォイエット公爵がムーラン・ルージュのオーナーに約束した分の金子は、支援し続けていた。いなくなってしまったリードのために。そして、リードが大切にしている踊り子仲間達のために。看板娘であるリードがいなくなってしまい、キャバレーの客足は少々減ったようではあったが、それでも、夜は賑やかな店であった。・・・しかし、キャバレーを美しく彩る、空中ブランコ乗りは、もういない。

ホッチは、再びため息をつくと、羽根ペンを静かに原稿用紙の上に置いた。リードが、ヴァンヴの蚤の市で買ってくれた贈り物。ブルーブラックのインク。ホッチは、引き出しの中から、便箋を取り出すと、今度は羽根ペンで手紙を書き出した。宛先のない手紙。そんな手紙・・・恋文が、机の引き出しに、たくさん入っていた。愛するリードへの恋文だった。

あの朝以来、八方手を尽くしてリードを探したが、未だ見つかってはいない。ガルシアの情報網をもってしても、スペンサー・リードの消息は不明であった。まだ、このパリにいるのか。それとも違う街へ行ってしまったのか。そもそも、フランスにいるのか。ホッチには検討もつかなかった。また、何処かのキャバレーで働いているのではないか。そう思い、場末の店まで足を運んでみたが、リードの姿はなかった。ガルシアも苦労して探してくれているが、この数ヶ月、風の噂にも、彼のことを聞くことはなかった。

一体。何処へ消えてしまったのか。スペンサー・リードは。

********************

そのギャルソンは、6人の客の注文をオーダー票に書くこともせずに、覚えた。

「すごい。全部、覚えちゃうの?」

一人の客が驚いた声をあげた。

「ええ。覚えられますよ。なんだったら、もっとオーダーしますか?」

ギャルソンは笑顔で言った。

「そうしたいところだけど、それだけオーダーしたら充分よ。でも・・・とても雰囲気のいいお店だから、追加注文しちゃうかも。それに、貴方も感じがいいわ」

「ありがとうございます。それじゃあ、料理が出来上がるまで、少々お待ちを」

ギャルソン・・・リードは、笑顔を客に見せると、厨房へと向かった。覚えた料理を伝え、それからキャッシャ~のために、伝票に注文を書いた。それがリードのやり方だった。それで店も困りはしなかった。オーダーミスが一度もないからだ。

「リード。今日は早く上がる日だろう?今受けた注文をお出ししたら、帰っていいぞ」

店長がリードに、そう声をかけた。

「ありがとうございます」

リードはあまり店を休むことをしない。休みを取りたがらない従業員だった。それはそれで店にとっては都合はいいのだが、こう1ヶ月以上も休みを取らせないと、店長としても具合が悪い。それに、働き者のリードに与える休日は別に惜しくはなかった。

「でも・・・僕、全然疲れてないから、明日も働いたっていいんですよ?」

「いやいや。休んでくれ。たまには、リフレッシュだ。そして、明後日から、また頑張ってくれればいい。別に君の働きが悪くて、クビにしようってわけじゃない。長く働いて欲しいからこそ、休ませたいんだ」

「・・・本当にありがとうございます。・・・それじゃあ、お言葉に甘えて、明日は休みます」

「ああ、そうしてくれ」

店長もホッとしたように微笑んだ。

そしてリードは、出来上がった6人分の料理をテーブルに運ぶと、店の裏へと行き、エプロンを外した。店の裏通りに付いている螺旋階段を上がる。そこに充てがわれた一室にリードは体を滑り込ませた。そこが、リードの住まいだった。パリ14区。セーヌ川の南。所謂「モンパルナス」と言われる地区である。ムーラン・ルージュのあるモンマルトルは、丁度、相対する場所にリードは移り住んだ。一度は、パリを出ようかとも思った。けれども、パリでしか生きたことのないリードには、他の県や国に行くことが怖かった。だから、せめても、反対側に・・・と、行き着いたところがモンパルナスだった。髪を短く切った。古着屋で男物の服を買い、あの日着ていたお仕着せの紫色のドレスは捨てた。そしてたまたま、ギャルソン募集の張り紙を見て入った店で雇われることになった。その頃、モンパルナスは世界中から芸術家たちが集まる場所となっており、フランス語だけでなく、英語やドイツ語も話せるリードはひどく重宝された。店の入っている建物の上に従業員用の部屋が1つ空いており、格安で住まわせてもらえることになった。着の身着のままで、ホッチのアパルトマンをs出て、自分の部屋に寄ることもせず、パリの反対側にやって来たリードには、とてもありがたい話だった。給料の前借りもできて、なんとか、最低限の生活の基盤を整えることができた。そして今はもう、前借りした金も返し、慎ましいながらも、安定した生活を送っていた。そう。心の平穏以外は。

リードは部屋の窓辺に置いた椅子に座って溜息をついた。窓の外は、喧騒。モンパルナスは、何処となくモンマルトルに似ていた。けれども、もう、ムーラン・ルージュの踊り子はいない。今の自分は、小さなビストロのギャルソンだった。あえて、キャバレーのような店は避けた。数ヶ月前まで続いた、とても幸せな生活。ホッチと愛を交わし合った日々。それは、あの夜、打ち壊された。フォイエット公爵のせいではない。あれは、ある意味、ムーラン・ルージュを救うために仕方のないことだった。ムーラン・ルージュを、仲間たちを救うために、自分が犠牲になることは別に構わなかった。フォイエット公爵に鞭打たれたことも。リードは、自分の腕をシャツの上から撫でた。クラバッシュの傷はとっくに癒えていた。傷も、残っていない。ホッチが助けてくれた。嬉しかった。傷つけられる自分を助けてくれたのが、愛する人だったのだ。それ以上に嬉しいことなどなかった。

けれども。

そう。けれども、ホッチは貴族だったのだ。

安普請のアパルトマンの屋根裏部屋に住んでいた、売れない作家の正体は、イギリスの貴族だった。

リードは、モンパルナスにある図書館でイギリスの紳士録を閲覧した。そこには、ホッチナー侯爵の名が、仰々しく綴られていた。

「ああ・・・身分違いだったんだ・・・」

リードは、そう呟いて、紳士録を閉じた。イギリス貴族と場末のキャバレーの踊り子との恋など、神様が許すわけがない。しかも自分は男だ。キスしたことも、身体を重ねたことも、本当は全てが間違いだったのだ。自分が贈った、ヴァンヴの蚤の市で買った羽根ペンやインクだって、ホッチにとってはただの安物で、取るに足らない物だったのだ。

リードは、黒いズボンのポケットに手を入れて中身を探った。何度も触ってボロボロになりかけている小袋。その中から、指輪を取り出す。赤い、ルビーの指輪。たった1つ。リードがモンマルトルから持って来た物。今は男のなりをしているから、指に嵌めることはなかったが、毎日のように取り出しては眺めていた。未練がましい・・・。そう思いながらも、見ることをやめられなかった。たった1つの、自分とホッチとの繋がりだった。しかし、本当のホッチは・・・否、ホッチナー侯爵は、本物のでレディに、本物の宝石を贈るのだろう。きっと。

涙が溢れる。愛しくて。悲しくて。寂しくて。

けれども。もう二度と、会うことはないのだ。会える日など、来ないのだ。・・・一生。

リードは赤い石を握りしめながら、膝を抱えて、ぐすりと涙を流した。

********************

「ブイヨン・シャルティエ?」

「そう!ブイヨン・シャルティエ!」

ホッチは自分の屋根裏部屋の訪れた、ガルシア、JJ、エミリーの言った店の名前を繰り返した。その言葉にエミリーが続けた。

「昨夜ね、夕食を一緒にしたお客様とリードの話になったのよ。ムーラン・ルージュの看板娘がいなくなって寂しいって。そうしたらね、そのお客様の連れが言ったの。モンパルナスの大衆食堂でリードに似た青年を見かけたって。兄か弟かって話になって」

「それで、色々と情報を集めたのよ」

ガルシアが言った。

「ついつい、キャバレーとか、夜のお店とか、それと本の好きな子だったから、本屋とか。そういうところばかり探してたけど、もう少し探す対象を広げたの。お客様に色々と聞き込みをしたりしてね。そうしたら、モンパルナスにあるブイヨン・シャルティエっていうお店でリードに似たギャルソンを見かけたっていう情報がいくつか入ったの」

「有力情報だと思わない?」

エミリーが眼光鋭く言う。

ホッチは唇を噛んだ。

「・・・行ってみる・・・価値は、あるな」

「「「でしょ?」」」

3人が口を揃えて言った。

「しかし・・・わからないんだ。どうして、リードが何も言わずに、俺の元から去ったのか。もし、そのギャルソンがリードだとして、俺が行って・・・また消えてしまうことはないだろうか」

「それは・・・・・・」

JJが口籠った。そして、気まずそうな表情する。

「JJ?」

ホッチがJJに声をかけた。

「・・・・・・リードが消えた気持ち・・・わからないでも・・・ないのよね・・・実は」

「なんだって?」

ホッチは、JJだけではなく、エミリーとガルシアの顔色も伺った。

3人とも、微妙な表情をしている。

「頼む。理由を聞かせてくれないか?」

ホッチは話を促した。暫くの沈黙の後、ようやくJJが口を開いた。

「あの・・・気を悪くしないで聞いてもらいたいんだけど・・・」

「何でも言ってくれ」

「・・・わかった。じゃあ、言う。・・・貴方が、貴族の力で、リードとムーラン・ルージュを助けてくれたことは、とてもありがたいって思ってる。感謝してもしきれない。でもね、もしかしてだけど・・・リードは、そんな貴族の貴方に引け目を感じてしまったんじゃないかと思う。私たちは、決して売春婦じゃないけど、お客様と恋仲になることなんて絶対に許されない。所詮は遊び。楽しいひと時を過ごしていただくために存在している人間だから」

「俺は・・・客じゃない」

「そうね。ホッチは客じゃなかった。でも・・・貴族でしょ?身分違いだって・・・そう、思ったんだと思う」

「・・・リードを助けるために、貴族の力を使ったことが裏目に・・・と言うことか?」

JJが済まなそうに頷いた。

「そんな・・・」

「でも、ホッチは貴族の身分を捨てて、このパリに来たのよね?」

「ああ」

「それを、ちゃんとリードに伝えたら、きっとわかってくれると思う。その話をする前に、リードは消えてしまったんでしょう?」

「ああ・・・・。朝になったら・・・もう、いなかった。何の話もできなかった」

「だったら、リードは誤解したままなんだわ。その誤解を解けば・・・」

「・・・行ってくる。・・・ブイヨン・シャルティエ」

「でも、そのギャルソンがリードだっていう確証はないわ」

「構わない。やっと・・・初めて得た手がかりだ。行ってみる価値は・・・ある」

ホッチは決意したように、拳を握りしめた。

********************

「ん・・・んん・・・」

リードはミシリ・・・というベッドの音を立てながら寝返りを打った。そう。今日は店を休んでもいい日だった。モンパルナスに来てから、図っちお働き通しだった。あえて、そうした。余計なことを考えないために。だから、こんな風に休日を与えられると、何をしていいかわからず、困ってしまう。それでも、リードは二度寝する気にもならず、ベッドを出て、顔を洗った。いつものギャルソン服ではない、別な格好をする。といってもワードローブはほとんどない。シャツとズボン。それに靴を履いていおしまいだった。そうすると、本当にすることが何もない。食欲もない。やはり、店に出ようかとすら思ってしまう。しかし、せっかくの店長の好意だ。それを無下にするのも失礼だ。リードが働く、ブイヨン・シャルティエは、「早い・安い・美味い」が売り文句の大衆食堂だ。世界中から芸術家たちが集まり始めたモンパルナスにある食堂ということで、様々な言葉が飛び交った。英語やドイツ語は難なく話せるが、もう少し、ロシア語を勉強したいとも思っていた。それなら、図書館に行くのがいいだろう。それはいい考えだと思った。リードは上着を取り、古びた斜めがけの鞄を手にして部屋を出ようとした。朝食は通りすがりのカフェで何か食べればいいだろう。

リードが部屋のドアを開けようとした時、トントンと、ノックの音がした。店長だろうか。やはり、人手不足で店に出て欲しいということだろうか。それならそれで、別に構わなかった。「はーい」とリードは返事をしてドアを開けた。そして、そこに立つ人を見て、全身が固まる。

「・・・リード・・・。ああ・・・やっぱり、リードだったんだな・・・」

「・・・ホッチ・・・?」

久しぶりにその名を呼んだ瞬間、抱きしめられた。

「な・・・何で・・・何で・・・どうして・・・」

疑問符しか、リードの頭には思い浮かばなかった。

「会いたかった・・・ずっと、探していた・・・君を・・・」

ホッチの指が、短くなってしまったリードの金髪に差し込まれる。

「もう・・・消えないでくれ・・・俺の前から・・・頼む、リード」

絞り出すな、切ない声で、ホッチが言った。

********************

いつまでもドアで抱き合ってるのも具合が悪い。誰かにお見られたら・・・そう思い、リードはホッチの部屋の中に引き入れた。しかし、少し身体の距離を取るようにして立った。ホッチも、それ以上近づくことはしなかった。

「ここ・・・どうして・・・わかったの?」

「JJが、ムーラン・ルージュの客から聞いた。君らしいギャルソンが、食堂で働いていると。それで・・・来てみた」

「・・・モンマルトルとは反対側だし・・・僕、女の格好をしてないのに・・・」

「踊り子の兄か、弟か・・・そんな話になっていたらしい」

「そうなんだ。・・・世間って狭いね。やっぱり・・・他の県か外国に行くべきだったな、僕」

「リード。すまなかった」

「・・・何が?・・・あなたは・・・何も悪くない。・・・僕を、ムーラン・ルージュを救ってくれた・・・。ありがとう」

「しかし・・・君は、消えた。俺の前から」

「だって・・・そんなの当たり前でしょ?僕はキャバレーの踊り子で・・・貴方は・・・イギリスの貴族様だもの・・・。僕は、貴方の傍にいちゃいけないもの。身分が・・・違いすぎる」

「君を騙すつもりはなかった。・・・本当に、爵位は捨てたも同然だった。ホッチナー家は、弟が継ぐことになっている。俺は、このパリで作家になりたかった。だから、イギリスを出た。決して物見遊山じゃない。パリに骨を埋める気で来たんだ。そして、君と出会った。君と一緒にいると創作意欲が湧いた。・・・確かに、貴族の力を使ったことは認める・・・しかし・・・」

「わかってる。僕と、ムーラン・ルージュを救うためでしょ?でも・・・貴方が貴族であることに変わりはないんだ。僕と貴方とじゃ、流れる血が・・・違うんだ」

「そんなことはない。同じだ。同じ・・・赤い血だろう?」

「・・・でも・・・貴方はきっと・・・いつか・・・帰る。きっと、イギリスに帰ってしまう・・・」

「それはない。誓う。絶対にイギリスへは帰らない。二度と、貴族の力など使わない。そもそも・・・君を助けるために、ムーラン・ルージュを救うために、貴族の力を使ったことが間違いだった。俺は・・・ちゃんと、一人の男として、あの公爵と向き合うべきだった。俺が浅はかだった。許してくれ、リード。俺は、きっと酷く、君を傷つけた。しかし、今も、君を愛している。心から・・・愛し続けている」

「ホッチ・・・」

「君は・・・もう、俺のことなど、嫌いになったのか?」

「・・・そんな・・・そんなこと・・・あるわけない。・・・ずっと貴方が恋しかった。毎晩、指輪を眺めながら、貴方のことを思ってた!」

「やっぱり・・・持っててくれたんだな・・・あの指輪」

「だって。・・・だって、あれだけが、僕だけのい持ち物だったから・・・貴方が選んでくれたものだったから・・・」

「俺も、ずっと、君から貰った羽根ペンとインクを使っている。まあ、インクはこの数カ月で使い切ってしまって、ヴァンヴの蚤の市に行って、同じものを買ったんだが・・・」

「・・・書き続けてたんだよね?・・・新聞を読んでたから・・・それは知ってた」

「物語だけじゃない。毎日のように、君に手紙を書いていた」

「手紙?」

「ああ。いつかきっと、渡せると信じて、書いていた」

リードの胸が熱くなる。この目の前の逞しい胸に飛び込めたら、どんなに嬉しいだろうか。けれども、それはできなかった。躊躇いがあった。

身分違いの恋。

しかし、ホッチが動いた。リードの手を引き、自分の腕に中に抱き込んだ。

「悪いが、俺は、もう君を離さない。君が俺という人間を信じてくれないというのなら、信じてくれるまで、いつまででも待つ。しかし、君のことは傍に置く」

「・・・随分と・・・強引だね。やっぱり・・・貴族だから?」

「そんな意地悪を言わないでくれ。貴族の力で君を引き止められるとは思っていない。ただ、ひたすらに、君の傍で愛を語るだけだ。・・・だから一緒に帰ろう・・・モンマルトルへ」

「・・・・・・僕・・・ホッチの傍にいていいの?ホッチと一緒にいていいの?」

「いてくれないと困る。心が張り裂けそうだ、リード」

「ホッチ・・・」

リードはようやく、ホッチの腕の中で顔を上げた。

「・・・短い髪もよく似合う。下の店で聞いた。語学に堪能な評判のギャルソンだそうだな」

「ちょっと・・・外国語ができるだけだよ・・・」

「しかし、店には悪いが、ブイヨン・シャルティエからは、君に消えてもらおう。君がいる場所は、俺の隣だから。・・・愛してる、リード」

「・・・僕も・・・ずっと・・・ずっと・・・愛してる・・・」

リードは両腕をホッチの首に絡めた。久しぶりの抱擁と口づけ。互いの熱の交換。

「幸せだな」・・・とリードは心の隅で思ったのだった。

********************

「リード・・・もう、起きるのか?」

「そうだよ。だって、もうすぐカフェの開店の時間だもん。ちゃんと働いてお給金を貰わなくっちゃ。ホッチもちゃんと起きて、お仕事して。ね?」

モンマルトルのアパルトマン。その中でも一際古びた屋根裏部屋。そのホッチの部屋でリードは暮らしている。しかし、最早ムーラン・ルージュの踊り子ではなかった。リードがホッチに連れられて行った、クロワッサンとブリオッシュの美味しいカフェで、リードは働いている。モンパルナス同様、このモンマルトルも芸術家が集まる場所となっており、リードの語学力は買われていた。

リードはベッドから降り、顔を洗うと、選択したばかりの白いシャツに袖を通した。下から順にボタンを留めていく。その姿をホッチはベッドから眺めていた。良い眺めだ。残園なのは、昨夜、執拗に付けた朱痕が隠されてしまうことと、ネックレスに作り変えた赤いルビーが隠されてしまうことだろう。しかし、それも仕方がない。物は考えようだ。自分の所有の証を見せつけたい気もするが、リードの白い肌を不特定多数の人間に見られるのも嫌だった。リードはもう、踊り子時代のように、赤いドレスも着ないし、赤いハイヒールも履かない。肌の露出が減ったことは、正直喜ばしいことだった。ホッチはリードに誓ったように、二度と貴族の力を使うことはなかった。物書きとしての収入と、リードのカフェの給金で慎ましく暮らしている。貧しくとも二人は幸せだった。

「リード」

ホッチはベッドから降りると、裸のまま、リードに近づいた。そして背後からその細い身体を抱きしめる。

「君のカフェに評判は随分といいと聞く。だから、たまには遅刻をしても叱られないと思うぞ?」

「ホッチ?」

「だから・・・」

ホッチはリードの白いシャツの裾を捲り上げた。形の良い尻が露わになる。すかさず、それを大きな手が撫で上げる。さらに、双丘を左右に割り広げる。

「やっ・・・も・・・ホッチ!!!!!」

リードは慌てて身体を攀じるが、それに動じるホッチではない。昨夜愛した場所はまだ充分に柔らかかった。すかさず、ホッチはリードの身体を固定し、その両手を壁に付かせた。

「君を抱くと、ものすごく創作意欲が湧くんだ・・・」

「そんなこと言って!!!」

「君のおかげだな。・・・出版社から依頼がきたんだ」

「え?・・・本当?」

「ああ。俺の書く物語を出版したいらしい。今日はその打ち合わせに行く」

「凄い・・・」

「だから、ご褒美の前払い・・・じゃ、ダメか?」

「んもう・・・僕が、ご褒美になるの?」

「最高の褒美だ」

「・・・しょうがないなぁ・・・。僕のお給金が減ったら・・・ホッチ、責任取って稼いでね?」

「わかってる」

ホッチはリードの後孔を開くと、グッと身体を押し進めた。

「は・・・ん・・・」

揺れる身体を一緒に、赤い石のネックレスも揺れる。ホッチはリードの短い髪にキスを与えながら、後ろからその身体を犯した。

幸せに、酔い潰れそうになりながら。

二人で。

愛に、酔いながら。

END

赤い風車 08

ムーラン・ルージュの興行では、常に客席は満員御礼だった。それは看板娘であるリードの存在も大きかったが、キャヴバレーのオーナーによる、斬新で大掛かりな演目によるところも大きかった。煌びやかな、非日常の世界を、紳士たちに提供することを、オーナーは目指し、そのためには金に糸目を付けはしなかった。が、しかし。金は無尽蔵にある訳ではない。キャバレーが得る種にゅう以上の金をかけて、オーナーは演目を考えた。故に、実のところ、ムーラン・ルージュの経営は、AMり良いものとはいえなかった。

ところが、そこへ救世主が現れた。フォイエット公爵の登場である。それまで、キャバレーになど興味をもたなかった上流貴族であるフォイエット公爵であったが、友人の誘いにのって、初めてムーラン・ルージュを訪れた際に、美しい空中ブランコ乗りに、一目で心を奪われた。かの空中ブランコ乗りが男だと知ってもなお、その興味は失われることなく、控え室に花や菓子、宝石などの贈り物をしていた。そして、オーナーには、ある条件お出して、パトロンになる話すらしていたのだった。

********************

「あらまあ・・・今日もドレッサーが大変なことになってるわね、リード」

上品なラッピングで彩られた大小の箱が、リードのドレッサーを埋め尽くしていた。メイク用品が何処にあるかもわからないくらいに。

JJが小さな箱を1つ取り上げてリードを見る。けれども、リードは肩を竦めた。

「こんなにいただいても、リボンも外さないのね」

責めるような口調でもなく、JJは言った。そこへさらにエミリーが被せる。

「そりゃ、そうよ。リードにはもう、大切な人がいるもの。お菓子だって、お花だって、宝石だって、あんなエロ公爵からの贈り物なんていらないわよね」

そこへガルシアも口を挟む。

「この間から、リードがしてる、ルビーのリング、素敵。とっても大事にしてるよね」

「だって。あれは、ホッチが買ってくれたものだから」

リードが嬉しそうに答えた。ホッチの話なら、いくらだってしていて楽しい。

「ショーの時は外して、お店で用意した物を身に付けるけど、普段はずっと、このルビーを嵌めているんだ。いつもホッチが傍にいてくれるような気がするんだよね」

「やっぱり、贈り物は、愛してる人から貰うのが一番よね。でも・・・大丈夫?オーナーから・・・言われてるんでしょ?」

JJが眉を顰めた。

「あ・・・ああ・・・うん・・・まあ・・・そうなんだけど・・・」

リードは俯いた。

フォイエット公爵が、キャバレーに金を出す、パトロンになるといった条件。それはリードの存在だった。リードを自分のものにしたい、という要求だ。先日から、オーナーに言われて、食事を共にするように言われている。しかし、リードはショーで疲労を理由に、オーナーの命令を躱していた。が、それもそろそろ限界だった。ある意味、キャバレーの存続がかかっている。つまり、JJやエミリー、ガルシアたちのお給金にも関わってくるということだ。実のところ、今夜も、ショーが終わったら、フォイエット公爵と食事するように・・・オーナーにと言われている。リードはため息をついた。さすが、今夜は断れないだろう。

「大丈夫?リード」

エミリーが覗き込んでいる。姉のような存在。この3人には、いつも元気付けられる。この3人のためにも、自分一人が犠牲になるのは厭わなかった。ただ、頭の隅で、ホッチの笑顔が、悲しそうに歪んでしまうような気がした。

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非常に美しい。それが、フォイエット公爵のリードに対する第一印象だった。そして、かの踊り子が実は男であるということを知ると、そこに倒錯的な喜びを見出した。相手が男かなら、面倒な後腐れもなく、遊ぶことができる。そう思った。少々、乱暴に。粗雑に扱ったところで、壊れるものでもないだろう。フォイエット公爵は非常に身分が高く、街では人格者として知られていたが、その実、倒錯的な趣味の持ち主でもあった。身分と金に任せ、その陰で泣いた人間の数は非常に多い・・・というのが、闇の噂であった。

その夜。ショーの最後で、踊り子たちがステージに集まり、お辞儀をすると、そこに客席からフォイエット公爵が、突然ステージに上がった。そして、中央に立つリードの手を取ると、花束を渡し、その手の甲にキスを落とした。そう。公衆の面前で。これで、フォイエット公爵がムーラン・ルージュの踊り子にご執心なのは全ての客人に知れ渡ったし、きっと今夜、二人は、二人だけの時間を過ごすのだとも解釈された。リードも、逃げられない・・・と覚悟を決めるしかなかった。精一杯、笑顔を作ると、リードは首を傾げながら、フォイエット後者を見上げたのだった。承諾の意味を込めて。それが、リードがムーラン・ルージュのために、仲間の踊り子たちのために。リードは泣きそうになりながら、笑顔を作り続けた。

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リードは、楽屋でステージ用の濃い化粧を落とし、そして、夜の会食用のメイクを施した。赤いルージュをキリッと引き、オーナーが用意した紫色のドレスを着る。ホッチから貰ったルビーのリングは、小さな布袋に大切に入れて、小さなバッグの中に入れた。愛する人から貰った大切な物を、嫌な相手に見せたくはなかった。それに、オーナーが身に付けるようにと用意した宝石もある。

「リード。本当に・・・行くの?」

ガルシアが心配げに尋ねる。

「うん」

「お店や私たちのことなんか、気にしなくていいのよ?」

エミリーがリードの両肩に手を置き、優しく言う。

「そうよ。ムーラン・ルージュがなくなったって、どうにかなるわよ、人生なんて」

「ありがとう。みんな。心配してくれて。・・・でも、いいんだ。大丈夫だよ。ちょっと食事をするだけなんだから・・・さ?ね?」

リードが姉たちを慕うような笑顔を向ける。

「でも・・・」

3人は、悲しげに俯いた。ムーラン・ルージュのために、自分たちのために、この可愛い弟のような存在の踊り子が犠牲になることが納得いかないのだ。しかも、相手は、あのフォイエット公爵だ。あまり、良い噂は聞かない。

「大丈夫だってば!・・・もし、何か嫌なことをされそうになったら、全力で逃げるから!」

「せめて、モーガンを連れていけたらいいのに」

「それはオーナーに止められているからね。本当に、大丈夫だよ」

リードは、皆を安心させるように、もう一度笑ったのだった。

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リードが、フォイエット公爵の使い者に案内されたのは、レストランではなかった。「ル・ムーリス」というパリ屈指の高級ホテルの一室だった。その大きなダイニングテーブルで待っていたのが、フォイエット公爵であった。公爵は席を立ち、リードの背中に手を添えてエスコートする。ぞわりとした感触を、リードは必死で我慢した。

「特別にシェフを呼んでね、こちらで食事をしようという趣向だ。お気に召したかな?

「・・・こんな高級ホテル・・・初めてです。僕のお給金じゃ、一生来れませんから」

「そうか。しかし、その生活も一変する。そう・・・君のアパルトマンを引き払っって、この部屋に住むことだってできる」

「それは・・・分不相応ですから・・・」

「そうかな。君のように美しい人間には、美しい場所が必要だ。そうすれば、君の美しさは、その何倍にもなる」

「・・・そんなこと・・・ありません・・・。僕は、ただの踊り子です・・・」

「君をパリで一番の踊り子にすることだって可能だ」

「・・・・・・」

「まあ、仕事の話はつまらないね。食事にしよう。君は身体が細い。もっと食べて、グラマーになってもいい。デブとグラマーは違うからね」

「・・・すみません。みすぼらしくて」

「そんなことは言ってない。私が、君を育て上げようといってるいるだけだ。うむ。その紫色のドレスも非常に居合っている。私の見立てなんだがね。気に入ってもらえたかな?」

「そうでしたか。ありがとうございます」

リードは精一杯の笑顔を見せた。フォイエット公爵はリードを座らせ、自分も席についた。豪華な、ドレス、宝石、美味しい食事。そういったものが美しい人間を作るものだよ。さあ、食事を楽しもう。フォイエット公爵はシャンパングラスを掲げた。リードもそれに習う。そして、フォイエット公爵が金色に輝くグラスの中身を飲み干すのを見届けてから、リードもグラスに口をつけたのだった。

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味などわからなかった。美味しいとも思えなかった。きっと高級食材で、高級料理なのだろうが、リードにはわからなかった。ホッチと食べた、カフェのクロワッサンやブリオッシュの方がずっと美味しかった。フォイエット公爵がずっと遠くの方で話しているのが聞こえた。何だか、眠たかった。身体が怠かった。ショーの疲れのせいだろうか。しかし、ここで眠って、フォイエット公爵の不興を買うわけにいかなかった。リードは必死に目を開けようと努力したが、とうとう、グラスをテーブルに落としてしまった。金色の液体が白いテーブルクロスを濡らして行くのが見える。それを見ながら、リードは静かに目を閉じたのだった。

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頭が痛く、全身が重たい。身体を動かそうとしたが、それはできなかった。両手も両足も自由が聞かない。恐怖。リードは何とかを目を開けて。自分が置かれている状況を把握しようとした。蝋燭の灯りだけの薄暗がりの部屋。どうやら、自分はベッドの上に寝ているらしい。しかし、自分の手を見て驚愕した。両手首が麻縄で縛られているからだ。まさか、と思って、自分の足をみると、やはり両足首も縛られていた。そして、紫色のドレスは脱がされ、下着姿だった。味ではわからなかったが、どうやら、自分は薬をもられたらしい。きっと、シャンパンの中に入っていたのだろう。リードは縛られた両手を使い、なんとか上半身を起こした。

「おう・・・目が覚めたかね?眠り姫」

下卑た笑いを含んだ声が聞こえた。

「フォイエット・・・公爵・・・様・・・?」

リードは声を絞り出した。

「紫色のドレス姿の君も美しいが、そうやって戒められてる方が数段美しいね」

ペシンっと何かが、肩に当たった。軽い痛みを感じる。目をやると、それはクラバッシュ(馬用の鞭)だった。思わず、息を飲む。まさか、と思う。その瞬間、クラバッシュが振り上げられた。そして、その直後、腕に鋭く、酷い痛みを感じた。

「ひゃあっ・・・ああっ・・・!!!」

「ほう・・・いい声で鳴くね。これはいい」

フォイエット公爵は、目をギラギラさせながら、再びクラバッシュを振り上げた。脇腹、背中、太腿を打ち据える。その度に、リードは悲鳴を上げた。フォイエット公爵の、表には出ない悪い噂は聞いていた。しかし、自分が、こんな風にターゲットになるとは。鞭打たれて身体に傷がつけば、もうキャバレーのステージに立つことはできない。それでもいいと、オーナーは考えたのだ。おそらく、リードがステージに立たなくてもいいだけのお金を、このフォイエット公爵から得たに違いなかった。

「顔につけないよ。しかし、これからは、長袖のドレスが必要になるだろうね。それと裾も長いもの。しかし、心配することはない。全て、私が用意するからね。君を閉じ込めておく、美しい籠もね」

フォイエットはくつくつと笑うと、何度もクラバッシュを振り上げて、リードの悲鳴を楽しんだ。所々、血が滲み始めているのも良い眺めだった。加虐心を唆られる。ベッドの上もいいが、天井から吊り下げて鞭打つのも楽しそうだった。屋敷の地下室に連れていった時に、是非、試してみたいと思った。

フォイエット公爵はクラバッシュを床に放ると、ベッドの上で蹲り、震えているリードの身体を仰向けにした。そしてその顎を掴む。

「非常に美しい玩具を得たよ、私は。その代償はちゃんとキャバレーに支払ってある。もちろん、これからもだ。だから、その分、君は私を楽しませる義務がある。わかるだろう?良かったね。君にはキャバレーを守るだけに価値があるということだよ。さて。今夜のメインディッシュをいただくとしよう」

フォイエット公爵は、ナイフを取り出すと、リードの足首の麻縄を切った。そして、両足を左右に大きく開く。

「邪魔な下着も切ってしまうことにしょう」

ナイフの刃を、パンティと肌の間に潜り込ませる。ナイフの冷たさをリードは感じた。

殺されることはないのだろう。けれども。自分はこの公爵の慰み者になって生きて行くのだ。これから。自分が飽きられるまで。リードは唇を噛んで、泣きそうになるのを堪えた。

その時。

バンッという音と共に、部屋の扉が開いた。

「リードを離せ!!」

自分に覆いかぶさっていたフォイエット公爵の体が離れていく。そして、その体が飛び、部屋の壁に叩きつけられるのを見た。そして、次に自分の視界に入ってきたのは、ホッチの顔だった。

「大丈夫か?リード?」

「・・・ホッチ・・・?」

すぐに身体がホッチのフロックコートに包まれた。そして、抱き上げられる。

「さあ、帰ろう」

「ホッチ・・・ホッチ・・・ホッチ・・・」

愛する者の名前を呼びながら、リードは気を失ってしまった。

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ホッチは、自分の古びたベッドの上に、静かに、優しく、丁寧に、リードの体を降ろした。手首の戒めは既に解いてある。リードの金髪を梳くと、ガルシアが用意してくれた軟膏の瓶を取り出し、それをたっぷりと指に取ると、擦らないようにして、クラバッシュで傷つけられたリードの皮膚に、置くように塗っていった。

トントン、と小さな音でドアがノックされる。ホッチはリードの身体に毛布をかけると、「どうぞ」と言った。現れたのは、エミリー、JJ、ガルシアの3人だった。

「リードは大丈夫?」

JJが心配そうな声を出す。

「今は・・・眠っている。気を失ってしまったんだ。それよりも、とても助かった。危ないところだったから。・・・どうやら、薬を盛られたらしい。あのホテルで働く従業員に確かめた。それと、ガルシア、君の予想通りだった。随分と、傷つけられていて」

「やっぱりね。徹底的に調べたのよ。あのクソ公爵のことを。これまでに、何人もの人間が、あのクソ公爵の餌食になってるのよ」

ガルシアは怒りに任せた声を上げた。

「やっぱり・・・軟膏は必要だった?」

ホッチは頷いた。

「ああ。随分と、鞭打たれていた」

「やっぱりね。あのクソ公爵の趣味なのよ。サディズムは」

「それにしても・・・」

エミリーは感心したように言った。

「貴方が、イギリスの貴族だったとはね。ホッチナー公爵様」

「やめてくれ。爵位は捨てたも同然なんだ」

「でも、貴方が、フォイエット公爵以上の出資金を出してくれたから、うちのオーナーだって、ホテルを教えてくれたのよ。それに、これからもずっと、援助をしてくれるって。しかも見返りもなしに」

「・・・ムーラン・ルージュはリードのとって家のようなものなんだろう?それに、君たち3人を姉のように慕っている。ただ・・・その場所を、残したかっただけだ。リードの役に立ちたかっただけなんだ」

「ありがとう。ホッチ。いえ、ホッチナー公爵様」

JJが心からの礼を言った。

「やめてくれ。本当に、爵位は捨てたようなものなんだ。家の後継はもう、弟になっているし」

「それでも、大金を自由に動かせるんですもの。さすがだわ。そして、リードを助けてくれて、本当にありがとう」

「それは、ガルシアの情報がなければ、難しかった。君は本当に情報通なんだな」

「私の得意技ですから。じゃ、今夜は・・・いえ、これからもリードのことをよろしくお願いします。もし、リードの目が覚めて、食欲があったら、これを食べさせて上げて」

ガルシアが籠に入った真っ赤な林檎をホッチに渡した。

「ああ。確かに受け取った。ありがとう」

「お礼を言うのは、私たちの方よ。本当にありがとう。ホッチナー公爵様」

ホッチは諦めたように籠を持っていない方の手を上げた。おそらく、しばらく間は言われ続けるのだろう。3人が、部屋を辞すと、ホッチは籠をテーブルに置き、ベッドに近づいた。リードはまだ、眠っていた。しかし。

「・・・ホッチって・・・貴族様だったんだね・・・」

掠れた、小さな声が、唇から溢れた。

「リード・・・気付いたのか。良かった。・・・身体・・・痛むだろう?」

「・・・平気。・・・ホッチが・・・助けてくれたんだね・・・僕のこと。そして、ムーラン・ルージュも」

「聞こえていたのか?」

「うん。聞こえてた」

そう言って、リードはようやく、目を開けた。

「・・・ありがとう、ホッチ。助けてくれて」

ホッチは毛布の上のリードの手を取ると、その手の甲に口付けた。

「本当なら、こんなに傷つけられ前に助けたかった。痛いだろう?」

「大丈夫。ホッチの顔を見たら・・・すぐに、治っちゃうよ。あ、でも・・・僕のバッグ」

ホッチから貰ったルビーのリングに入っているバッグのことを思い出す。

「大丈夫。ちゃんと持ってきた」

「本当?良かった。あれには、とっても大切なものが入ってるんだ」

「確かめるか?」

「うん」

「待ってろ。持ってくる」

すぐに、ホッチが、リードの小さなバッグを持ってくる。リードはそれを受け取る、その中からベルベットの小袋を取り出した。

「それが?大事な物か?」

「うん。だって、ほら」

リードは小袋から赤い指輪を取り出した。そして、左手の薬指に嵌める。

「僕ね・・・これがあったら、生きれいられるよ。きっと・・・ずっと・・・。ホッチのとの思い出が詰まっているから」

「安物だ」

「そういう問題じゃないんだ。・・・僕にとって、大事な大事なものなんだ」

リードは赤い石にキスをした。

「林檎は・・・どうする?明日にするか?」

「うん。明日・・・食べる」

「そうだな。今夜はもう、ゆっくりと休むといい。明日、一緒に食べよう」

「うん」

そう言って、リードは静かに目を閉じた。クラバッシュで打たれた傷は痛い。けれども、それ以上に、何処か、心が痛んだ。

********************

翌朝。

ホッチはソファで目を覚ました。ベッドのリードの容体を確かめようと、起き上がった。そして驚愕する。ベッドに、リードの姿はなかった。狭い、アパルトマンの屋根裏部屋。見回しても、リードの姿はなかった。

ただ。籠から赤い林檎が1つだけ、消えていたのだった。

to be continued