赤い風車 04

ホッチは机の上に置いた、赤い封筒をそっと撫でた。ムーラン・ルージュへの招待状。友人に連れらて赴いたそのキャバレーで、ホッチは美しい踊り子と出遭った。また、会いたい。そうは思ったが、今の自分の稼ぎでは、そうそう何度も行ける場所ではない。けれども、その思いは捨て難く、彼の踊り子を思い出して、原稿用紙にその思いを綴るだけが精一杯だった。ところが、その踊り子が目の前に現れたのだ。薔薇のような赤いドレスを着て。そして自分の書いた物語を読み、好きだ、面白いと言ってくれたのだ。それは奇跡のような出来事だった。夢ではないかと思った。昨夜、ベッドに入り、今朝、目が覚めて、ホッチが一番最初にしたことは、机の上に赤い封筒があるかどうかを確認することだった。机の上にそれを見つけて、安心した。ムーラン・ルージュの踊り子、スペンサー・リードが自分の前に現れたのは夢ではなかったのだ。それからホッチは落ち着かなかった。原稿用紙に向かうものの、気もそぞろだった。また、リードに会えるという喜びで、ホッチは集中して原稿用紙に向かえなかった。向かってはいたが、ついつい、横に置いた赤い封筒を見てしまうのだ。貰った時は気づかなかったが、微かに良い香りがする。きっと、リードが使っている香水の香りなのだろう。確か、今日から新しい演目が始まると言っていた。何か、楽屋に差し入れをした方がいいだろうか。リードは何を貰ったら喜んでくれるだろうか。朴訥なホッチは流行り物にをあまり知らなかった。花かお菓子かくらいしか思いつかない。コラムの原稿料が入ったばかりなので、少し懐は暖かい。少しの時間をかけて悩み、ホッチはようやく椅子から立ち上がったのだった。

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「綺麗!綺麗よ!リード!」

「銀色のスパンコールが照明に映えるわね。それにデザインもいい。前は普通のレオタードに見えるけど、後ろがドレスみたいになってて・・・」

「そうそう。それで空中ブランコに乗ったら、裾が翻って、絶対に綺麗よ!」

「さすが、ガルシアのデザインだわ」

新しい衣装に身を包んだリードを見て、JJとエミリーが感嘆の声を上げる。ショー前半のラインダンスとリードのソロの歌が終わり、次の出し物に向けて準備をしているところだ。

「今夜、来てくださっているんでしょ?」

JJがリードの頰を軽く突きながら尋ねる。リードは恥ずかしそうに俯きながらも、「うん」と返事をした。

「僕、昨日、お願いしに行ったんだ。来てくださいって。招待状を持って行ったんだ。・・・だって・・・今日から、あの新しい出し物だし・・・僕、怖くって。でも、あの方が観てくださるなら、頑張れるかなって・・・」

「可愛いー!リードったら!」

「そして、ちゃんと来てくださるホッチナー様も素敵よね」

そんな話で盛り上がっている楽屋にガルシアが入って来た。

「リード!」

「あ、ガルシア、もう出番?」

「そろそろよ。それよりも、これ!」

「うわぁ・・・綺麗。すごいボリュームの薔薇の花束だね。赤色がとっても綺麗」

「これ、あなた宛よ、リード」

「え?僕?」

「そう。しかも、あの、アーロン・ホッチナー様からよ。どうやら、開演前に渡したかったらしいんだけど、勝手がわからなくって、今までずっと持ってたみたい。私が声かけをしたら、リードに渡してほしいって」

そう言って、ガルシアはリードに真っ赤な薔薇の花束を渡した。リードはそっと受け取ると、花の香りを嗅いだ。

「リード、赤い薔薇の花言葉、知ってる?」

JJがリードを突きながら尋ねる。

「え?・・・何だろう・・・」

「・・・あなたを愛しています」

エミリーがリードの肩に手を置いて教える。

「「「きゃー!!!!ロマンティックー!!!」

JJ、エミリー、ガルシアの声が重なる。リードの顔は真っ赤になった。

「さあ、リード、そろそろ出番よ!」

ガルシアがリードの手を取った。

「あ、ちょっと待って」

リードは丁寧に花束を化粧台の上に置いた。そして、花束の中から一輪の薔薇を引き抜くと、それを浅い胸の谷間に差し込んだ。

「あら。それ、いいアイディア」

JJが褒める。

「・・・僕、頑張る。怖くない。・・・空中ブランコ・・・頑張る・・・」

リードはキュッと両手を握りしめた。

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ステージの天井近く。リードは空中ブランコに座り、目を瞑って静かに呼吸を整えた。キャバレーの喧騒。けれどもリードを包む空気だけは静寂だった。静かに目を開ける。見るのはただ一箇所。彼の紳士が座っている席。もう、そこしかリードの目には映っていなかった。黒いフロック・コートを着た美丈夫。音楽が奏でられる。リードは最高の笑顔を作ると、天井近くに設えられた台を軽く蹴った。リードの座った空中ブランコが、弧を描くようにして、衣装の裾を翻し、観客の頭上を滑る。振り子のように戻るとき、リードは身体を仰け反らせた。片手をロープから離し、胸元の赤い薔薇をスッと引き抜いた。そして、愛してしまった男の頭上を掠めるとき、その一輪の薔薇から手を離した。空中ブランコが最初の位置に戻る。次に、台から足を離すと、ブランコは回転しながら、ステージへと降りて行く。次第に、自分に薔薇をくれた人の顔が明らかになる。そして、リードはもう一度微笑んだ。

何故なら。

彼は。

アーロン・ホッチナーは、自分がわざと落とした一輪を薔薇を手にして、しっかりと自分を見据えてくれていたから。涙が出そうなほど、リードは嬉しくなり、長い睫毛を揺らしながら、歌い始めた。

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ホッチは、ムーラン・ルージュから自分の屋根裏部屋に戻ると、力尽きたようにベッドに座った。手には、一輪の赤い薔薇を持っている。それをくるくると回しながら、今夜の出来事を反芻する。今夜も彼は美しかった。ショーも素晴らしかった。あれほど怖いと言っていた空中ブランコも笑顔で乗りこなしていた。彼のために、何を贈ったら良いのかわからず、結局、花束にしてしまった。自分が持っている金で買えるだけの薔薇を買った。花屋の主人が、「これを貰った方はきっと喜びますよ。これは愛の花ですからね」と言った。リードは喜んでくれただろうか。この一輪の薔薇が、返事なのだろうか。

トントン。

突然のノックの音に、ホッチはヒクリと震えた。もしかして・・・と一瞬思った。しかし、その考えはすぐに打ち消した。もう、夜もだいぶ遅く、夜中と言ってもいい時間なのだ。

トントン。

二度目のノック。ホッチはゆっくりと立ち上がり、ドアへと向かった。

トントン。

三度目のノックで、ホッチは鍵のかかっていないドアを開けた。

「ああ・・・よかった・・・いらっしゃった・・・」

「リード・・・。こんな、夜遅くに・・・」

「・・・ごめんなさい。お店が終わってからだと、どうしてもこの時間になっちゃって・・・。でも、僕、どうしても貴方にお礼が言いたくて・・・」

リードは昨日とは違うデザインではあるものの、赤いドレスを着ていた。しかし、寒いのだろうか。腕を軽くさすっている。自分を抱きしめるように。確かに、夏とはいえ、夜は冷える。そんなリードを追い返すことなどできなかった。

「入るといい」

「ありがとう」

リードは微笑んで、するりと屋根裏部屋に入って来た。

「今、何か暖かい飲み物を貰ってくるから、少し待っててくれ」

「大丈夫だよ、僕」

「いいや。寒そうだ。ムーラン・ルージュの看板娘が風邪などひいたらいけないだろう?」

ホッチはリードの肩を抑えて、ベッドに座らせた。そして、もう一度「待っててくれ」と言うと、足早に屋根裏部屋を出た。宵っ張りの大家は、まだきっと起きているだろう。暖かい紅茶でも貰えたらありがたい。そう思いながら、ホッチは1階まで狭い階段を降りたのだった。

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案の定、1階に住む大家の女性は、好きな読書をして過ごしていた。ホッチは客人に暖かい紅茶を飲ませてあげたい旨を伝えると、大家は快くティーポットに紅茶を淹れてくれた。ついでに、柄の綺麗な茶器も貸してくれた。ホッチは銀盆でそれらを受け取り、また屋根裏部屋へと戻った。

「待たせた。温かいうちに紅茶を飲むといい・・・あ・・・」

ホッチは一瞬、銀盆を落としそうになった。何故なら、リードはベッドにおらず、ホッチの古びた机の椅子に座り、一心に原稿用紙を読み耽っていたからだ。

「リード・・・」

ホッチは手近な場所に銀盆を置き、踊り子の名を呼んだ。そろそろとリードの顔が上がる。

「・・・これ・・・この物語・・・僕の・・・こと・・・?」

何処に発表する当てのない、物語。ただただ、踊り子を称賛し、踊り子に愛の言葉を書き連ねた物語。

「ごめんなさい・・・勝手に読んでしまって・・・でも・・・これが、僕のことだったら・・・とっても嬉しい・・・」

リードが熱い視線をホッチに送る。その瞳の熱さに、ホッチは観念した。

「・・・申し訳ない。ただ・・・書かずにはいられなかった・・・」

リードは椅子から立ち上がり、ホッチに駆け寄った。

「謝らないで。僕、すっごく、嬉しい。・・・薔薇の花束も嬉しかった。あんなに素敵なお花、初めて貰った」

「君ほどの踊り子なら、贈り物はたくさんだろうに」

「そんなことないよ。貴方が来てくれたおかげで、あんなに素敵な花束を貰えたおかげで、僕、今日のショーを頑張れたんだ」

「・・・怖かっただろう?あの、空中ブランコは」

「最初はね。でも、貴方の顔を見たら・・・全然、平気だった。貴方に、薔薇を贈るくらいにね」

空中ブランコから放たれた一輪の赤い花。籠められた言葉は、「愛」。

静寂が二人を包んだ。花に籠められた意味を深読みすることは心外なのだろうか。お互いがそんなことを考える。しかし、先に動いたのはリードだった。形の良い細い指を、そっとホッチの胸に置く。その指先は美しい赤色で彩られたいた。ドレス、靴、唇。リードには赤がよく似合うとホッチは思った。リードの瞳がホッチを捉える。

「僕が・・・もし、勘違いをしているのなら、ごめんなさい。・・・すぐに、帰ります。でも・・・あの薔薇の意味をそのままに受け取ってもいいのなら・・・」

喋るリードの唇を、ホッチの指がそっと抑えた。

「俺の方こそ・・・いいんだろうか・・・」

リードは、その言葉に笑顔で応えた。そして、軽く背伸びをして、両腕をホッチの首に回したのだった。

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一人用の古いベッドは、二人の体重を受け止めると、ギシリと音を立てた。しかし、そんなことも気にせずに、互いにキスをし合う。ホッチはリードの背中に手を回し、背中のファスナーをゆっくりと下ろし、赤いドレスを肩から落とした。綺麗なレースで飾られた、薄いピンクのランジェリーが現れる。覆われている胸が平らなものであっても、それが赤い唇とちぐはぐなものであっても、ホッチは気にならなかった。ゆっくりとその細い体をベッドに押し倒す。ホッチは忙しなくドレスを脱がせ、リードもまたホッチの着衣を剥いでいく。

「あ・・・ホッチ・・・好きって・・・言ってもいい?」

「こんなことをしてるんだから」

「そうだよね・・・」

リードはくすりと笑うと、鼻先をホッチの顎に擦り付けた。

「でも、言わせて・・・好き・・・。初めてあったときから・・・好き・・・」

「・・・俺もだ・・・。ステージの上の君は、綺麗で・・・」

「踊っていない僕は・・・魅力、ない?」

「そんなことはない」

本当にそうだった。リードの身体を見て、自分が酷く昂っていることがわかる。リードの全身を撫でさすりながら、その滑らかな質感を楽しむ。けれども、ホッチは、ふとあることに気がついた。リードが目を瞑り、軽く唇を噛んでいる。さっき、自分の首に腕を回した時と違って、緊張を感じる。まさか。

「・・・君は・・・もしかして・・・初めてなのか?」

その言葉に、リードは目を見開いた。

「あ・・・ごめんなさい・・・その・・・でも・・・大丈夫だから・・・それとも・・・初めての人間を相手にするのは・・・面倒臭い・・・?それに、僕・・・男だし・・・」

「いや、そんなことはない。しかし・・・」

ホッチはそっと身体をリードから離そうと動いた。が、リードはそれを許さず、ホッチの腕を掴んだ。

「僕・・・初めての相手は・・・貴方がいい・・・好きになった人とがいい・・・」

「リード・・・」

踊り子の熱っぽい瞳を見て、我慢ができるはずもなかった。

「・・・優しくする・・・」

ホッチはそう呟くと、リードの身体に覆いかぶさった。

to be continued