ムーラン・ルージュの興行では、常に客席は満員御礼だった。それは看板娘であるリードの存在も大きかったが、キャヴバレーのオーナーによる、斬新で大掛かりな演目によるところも大きかった。煌びやかな、非日常の世界を、紳士たちに提供することを、オーナーは目指し、そのためには金に糸目を付けはしなかった。が、しかし。金は無尽蔵にある訳ではない。キャバレーが得る種にゅう以上の金をかけて、オーナーは演目を考えた。故に、実のところ、ムーラン・ルージュの経営は、AMり良いものとはいえなかった。
ところが、そこへ救世主が現れた。フォイエット公爵の登場である。それまで、キャバレーになど興味をもたなかった上流貴族であるフォイエット公爵であったが、友人の誘いにのって、初めてムーラン・ルージュを訪れた際に、美しい空中ブランコ乗りに、一目で心を奪われた。かの空中ブランコ乗りが男だと知ってもなお、その興味は失われることなく、控え室に花や菓子、宝石などの贈り物をしていた。そして、オーナーには、ある条件お出して、パトロンになる話すらしていたのだった。
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「あらまあ・・・今日もドレッサーが大変なことになってるわね、リード」
上品なラッピングで彩られた大小の箱が、リードのドレッサーを埋め尽くしていた。メイク用品が何処にあるかもわからないくらいに。
JJが小さな箱を1つ取り上げてリードを見る。けれども、リードは肩を竦めた。
「こんなにいただいても、リボンも外さないのね」
責めるような口調でもなく、JJは言った。そこへさらにエミリーが被せる。
「そりゃ、そうよ。リードにはもう、大切な人がいるもの。お菓子だって、お花だって、宝石だって、あんなエロ公爵からの贈り物なんていらないわよね」
そこへガルシアも口を挟む。
「この間から、リードがしてる、ルビーのリング、素敵。とっても大事にしてるよね」
「だって。あれは、ホッチが買ってくれたものだから」
リードが嬉しそうに答えた。ホッチの話なら、いくらだってしていて楽しい。
「ショーの時は外して、お店で用意した物を身に付けるけど、普段はずっと、このルビーを嵌めているんだ。いつもホッチが傍にいてくれるような気がするんだよね」
「やっぱり、贈り物は、愛してる人から貰うのが一番よね。でも・・・大丈夫?オーナーから・・・言われてるんでしょ?」
JJが眉を顰めた。
「あ・・・ああ・・・うん・・・まあ・・・そうなんだけど・・・」
リードは俯いた。
フォイエット公爵が、キャバレーに金を出す、パトロンになるといった条件。それはリードの存在だった。リードを自分のものにしたい、という要求だ。先日から、オーナーに言われて、食事を共にするように言われている。しかし、リードはショーで疲労を理由に、オーナーの命令を躱していた。が、それもそろそろ限界だった。ある意味、キャバレーの存続がかかっている。つまり、JJやエミリー、ガルシアたちのお給金にも関わってくるということだ。実のところ、今夜も、ショーが終わったら、フォイエット公爵と食事するように・・・オーナーにと言われている。リードはため息をついた。さすが、今夜は断れないだろう。
「大丈夫?リード」
エミリーが覗き込んでいる。姉のような存在。この3人には、いつも元気付けられる。この3人のためにも、自分一人が犠牲になるのは厭わなかった。ただ、頭の隅で、ホッチの笑顔が、悲しそうに歪んでしまうような気がした。
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非常に美しい。それが、フォイエット公爵のリードに対する第一印象だった。そして、かの踊り子が実は男であるということを知ると、そこに倒錯的な喜びを見出した。相手が男かなら、面倒な後腐れもなく、遊ぶことができる。そう思った。少々、乱暴に。粗雑に扱ったところで、壊れるものでもないだろう。フォイエット公爵は非常に身分が高く、街では人格者として知られていたが、その実、倒錯的な趣味の持ち主でもあった。身分と金に任せ、その陰で泣いた人間の数は非常に多い・・・というのが、闇の噂であった。
その夜。ショーの最後で、踊り子たちがステージに集まり、お辞儀をすると、そこに客席からフォイエット公爵が、突然ステージに上がった。そして、中央に立つリードの手を取ると、花束を渡し、その手の甲にキスを落とした。そう。公衆の面前で。これで、フォイエット公爵がムーラン・ルージュの踊り子にご執心なのは全ての客人に知れ渡ったし、きっと今夜、二人は、二人だけの時間を過ごすのだとも解釈された。リードも、逃げられない・・・と覚悟を決めるしかなかった。精一杯、笑顔を作ると、リードは首を傾げながら、フォイエット後者を見上げたのだった。承諾の意味を込めて。それが、リードがムーラン・ルージュのために、仲間の踊り子たちのために。リードは泣きそうになりながら、笑顔を作り続けた。
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リードは、楽屋でステージ用の濃い化粧を落とし、そして、夜の会食用のメイクを施した。赤いルージュをキリッと引き、オーナーが用意した紫色のドレスを着る。ホッチから貰ったルビーのリングは、小さな布袋に大切に入れて、小さなバッグの中に入れた。愛する人から貰った大切な物を、嫌な相手に見せたくはなかった。それに、オーナーが身に付けるようにと用意した宝石もある。
「リード。本当に・・・行くの?」
ガルシアが心配げに尋ねる。
「うん」
「お店や私たちのことなんか、気にしなくていいのよ?」
エミリーがリードの両肩に手を置き、優しく言う。
「そうよ。ムーラン・ルージュがなくなったって、どうにかなるわよ、人生なんて」
「ありがとう。みんな。心配してくれて。・・・でも、いいんだ。大丈夫だよ。ちょっと食事をするだけなんだから・・・さ?ね?」
リードが姉たちを慕うような笑顔を向ける。
「でも・・・」
3人は、悲しげに俯いた。ムーラン・ルージュのために、自分たちのために、この可愛い弟のような存在の踊り子が犠牲になることが納得いかないのだ。しかも、相手は、あのフォイエット公爵だ。あまり、良い噂は聞かない。
「大丈夫だってば!・・・もし、何か嫌なことをされそうになったら、全力で逃げるから!」
「せめて、モーガンを連れていけたらいいのに」
「それはオーナーに止められているからね。本当に、大丈夫だよ」
リードは、皆を安心させるように、もう一度笑ったのだった。
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リードが、フォイエット公爵の使い者に案内されたのは、レストランではなかった。「ル・ムーリス」というパリ屈指の高級ホテルの一室だった。その大きなダイニングテーブルで待っていたのが、フォイエット公爵であった。公爵は席を立ち、リードの背中に手を添えてエスコートする。ぞわりとした感触を、リードは必死で我慢した。
「特別にシェフを呼んでね、こちらで食事をしようという趣向だ。お気に召したかな?
「・・・こんな高級ホテル・・・初めてです。僕のお給金じゃ、一生来れませんから」
「そうか。しかし、その生活も一変する。そう・・・君のアパルトマンを引き払っって、この部屋に住むことだってできる」
「それは・・・分不相応ですから・・・」
「そうかな。君のように美しい人間には、美しい場所が必要だ。そうすれば、君の美しさは、その何倍にもなる」
「・・・そんなこと・・・ありません・・・。僕は、ただの踊り子です・・・」
「君をパリで一番の踊り子にすることだって可能だ」
「・・・・・・」
「まあ、仕事の話はつまらないね。食事にしよう。君は身体が細い。もっと食べて、グラマーになってもいい。デブとグラマーは違うからね」
「・・・すみません。みすぼらしくて」
「そんなことは言ってない。私が、君を育て上げようといってるいるだけだ。うむ。その紫色のドレスも非常に居合っている。私の見立てなんだがね。気に入ってもらえたかな?」
「そうでしたか。ありがとうございます」
リードは精一杯の笑顔を見せた。フォイエット公爵はリードを座らせ、自分も席についた。豪華な、ドレス、宝石、美味しい食事。そういったものが美しい人間を作るものだよ。さあ、食事を楽しもう。フォイエット公爵はシャンパングラスを掲げた。リードもそれに習う。そして、フォイエット公爵が金色に輝くグラスの中身を飲み干すのを見届けてから、リードもグラスに口をつけたのだった。
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味などわからなかった。美味しいとも思えなかった。きっと高級食材で、高級料理なのだろうが、リードにはわからなかった。ホッチと食べた、カフェのクロワッサンやブリオッシュの方がずっと美味しかった。フォイエット公爵がずっと遠くの方で話しているのが聞こえた。何だか、眠たかった。身体が怠かった。ショーの疲れのせいだろうか。しかし、ここで眠って、フォイエット公爵の不興を買うわけにいかなかった。リードは必死に目を開けようと努力したが、とうとう、グラスをテーブルに落としてしまった。金色の液体が白いテーブルクロスを濡らして行くのが見える。それを見ながら、リードは静かに目を閉じたのだった。
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頭が痛く、全身が重たい。身体を動かそうとしたが、それはできなかった。両手も両足も自由が聞かない。恐怖。リードは何とかを目を開けて。自分が置かれている状況を把握しようとした。蝋燭の灯りだけの薄暗がりの部屋。どうやら、自分はベッドの上に寝ているらしい。しかし、自分の手を見て驚愕した。両手首が麻縄で縛られているからだ。まさか、と思って、自分の足をみると、やはり両足首も縛られていた。そして、紫色のドレスは脱がされ、下着姿だった。味ではわからなかったが、どうやら、自分は薬をもられたらしい。きっと、シャンパンの中に入っていたのだろう。リードは縛られた両手を使い、なんとか上半身を起こした。
「おう・・・目が覚めたかね?眠り姫」
下卑た笑いを含んだ声が聞こえた。
「フォイエット・・・公爵・・・様・・・?」
リードは声を絞り出した。
「紫色のドレス姿の君も美しいが、そうやって戒められてる方が数段美しいね」
ペシンっと何かが、肩に当たった。軽い痛みを感じる。目をやると、それはクラバッシュ(馬用の鞭)だった。思わず、息を飲む。まさか、と思う。その瞬間、クラバッシュが振り上げられた。そして、その直後、腕に鋭く、酷い痛みを感じた。
「ひゃあっ・・・ああっ・・・!!!」
「ほう・・・いい声で鳴くね。これはいい」
フォイエット公爵は、目をギラギラさせながら、再びクラバッシュを振り上げた。脇腹、背中、太腿を打ち据える。その度に、リードは悲鳴を上げた。フォイエット公爵の、表には出ない悪い噂は聞いていた。しかし、自分が、こんな風にターゲットになるとは。鞭打たれて身体に傷がつけば、もうキャバレーのステージに立つことはできない。それでもいいと、オーナーは考えたのだ。おそらく、リードがステージに立たなくてもいいだけのお金を、このフォイエット公爵から得たに違いなかった。
「顔につけないよ。しかし、これからは、長袖のドレスが必要になるだろうね。それと裾も長いもの。しかし、心配することはない。全て、私が用意するからね。君を閉じ込めておく、美しい籠もね」
フォイエットはくつくつと笑うと、何度もクラバッシュを振り上げて、リードの悲鳴を楽しんだ。所々、血が滲み始めているのも良い眺めだった。加虐心を唆られる。ベッドの上もいいが、天井から吊り下げて鞭打つのも楽しそうだった。屋敷の地下室に連れていった時に、是非、試してみたいと思った。
フォイエット公爵はクラバッシュを床に放ると、ベッドの上で蹲り、震えているリードの身体を仰向けにした。そしてその顎を掴む。
「非常に美しい玩具を得たよ、私は。その代償はちゃんとキャバレーに支払ってある。もちろん、これからもだ。だから、その分、君は私を楽しませる義務がある。わかるだろう?良かったね。君にはキャバレーを守るだけに価値があるということだよ。さて。今夜のメインディッシュをいただくとしよう」
フォイエット公爵は、ナイフを取り出すと、リードの足首の麻縄を切った。そして、両足を左右に大きく開く。
「邪魔な下着も切ってしまうことにしょう」
ナイフの刃を、パンティと肌の間に潜り込ませる。ナイフの冷たさをリードは感じた。
殺されることはないのだろう。けれども。自分はこの公爵の慰み者になって生きて行くのだ。これから。自分が飽きられるまで。リードは唇を噛んで、泣きそうになるのを堪えた。
その時。
バンッという音と共に、部屋の扉が開いた。
「リードを離せ!!」
自分に覆いかぶさっていたフォイエット公爵の体が離れていく。そして、その体が飛び、部屋の壁に叩きつけられるのを見た。そして、次に自分の視界に入ってきたのは、ホッチの顔だった。
「大丈夫か?リード?」
「・・・ホッチ・・・?」
すぐに身体がホッチのフロックコートに包まれた。そして、抱き上げられる。
「さあ、帰ろう」
「ホッチ・・・ホッチ・・・ホッチ・・・」
愛する者の名前を呼びながら、リードは気を失ってしまった。
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ホッチは、自分の古びたベッドの上に、静かに、優しく、丁寧に、リードの体を降ろした。手首の戒めは既に解いてある。リードの金髪を梳くと、ガルシアが用意してくれた軟膏の瓶を取り出し、それをたっぷりと指に取ると、擦らないようにして、クラバッシュで傷つけられたリードの皮膚に、置くように塗っていった。
トントン、と小さな音でドアがノックされる。ホッチはリードの身体に毛布をかけると、「どうぞ」と言った。現れたのは、エミリー、JJ、ガルシアの3人だった。
「リードは大丈夫?」
JJが心配そうな声を出す。
「今は・・・眠っている。気を失ってしまったんだ。それよりも、とても助かった。危ないところだったから。・・・どうやら、薬を盛られたらしい。あのホテルで働く従業員に確かめた。それと、ガルシア、君の予想通りだった。随分と、傷つけられていて」
「やっぱりね。徹底的に調べたのよ。あのクソ公爵のことを。これまでに、何人もの人間が、あのクソ公爵の餌食になってるのよ」
ガルシアは怒りに任せた声を上げた。
「やっぱり・・・軟膏は必要だった?」
ホッチは頷いた。
「ああ。随分と、鞭打たれていた」
「やっぱりね。あのクソ公爵の趣味なのよ。サディズムは」
「それにしても・・・」
エミリーは感心したように言った。
「貴方が、イギリスの貴族だったとはね。ホッチナー公爵様」
「やめてくれ。爵位は捨てたも同然なんだ」
「でも、貴方が、フォイエット公爵以上の出資金を出してくれたから、うちのオーナーだって、ホテルを教えてくれたのよ。それに、これからもずっと、援助をしてくれるって。しかも見返りもなしに」
「・・・ムーラン・ルージュはリードのとって家のようなものなんだろう?それに、君たち3人を姉のように慕っている。ただ・・・その場所を、残したかっただけだ。リードの役に立ちたかっただけなんだ」
「ありがとう。ホッチ。いえ、ホッチナー公爵様」
JJが心からの礼を言った。
「やめてくれ。本当に、爵位は捨てたようなものなんだ。家の後継はもう、弟になっているし」
「それでも、大金を自由に動かせるんですもの。さすがだわ。そして、リードを助けてくれて、本当にありがとう」
「それは、ガルシアの情報がなければ、難しかった。君は本当に情報通なんだな」
「私の得意技ですから。じゃ、今夜は・・・いえ、これからもリードのことをよろしくお願いします。もし、リードの目が覚めて、食欲があったら、これを食べさせて上げて」
ガルシアが籠に入った真っ赤な林檎をホッチに渡した。
「ああ。確かに受け取った。ありがとう」
「お礼を言うのは、私たちの方よ。本当にありがとう。ホッチナー公爵様」
ホッチは諦めたように籠を持っていない方の手を上げた。おそらく、しばらく間は言われ続けるのだろう。3人が、部屋を辞すと、ホッチは籠をテーブルに置き、ベッドに近づいた。リードはまだ、眠っていた。しかし。
「・・・ホッチって・・・貴族様だったんだね・・・」
掠れた、小さな声が、唇から溢れた。
「リード・・・気付いたのか。良かった。・・・身体・・・痛むだろう?」
「・・・平気。・・・ホッチが・・・助けてくれたんだね・・・僕のこと。そして、ムーラン・ルージュも」
「聞こえていたのか?」
「うん。聞こえてた」
そう言って、リードはようやく、目を開けた。
「・・・ありがとう、ホッチ。助けてくれて」
ホッチは毛布の上のリードの手を取ると、その手の甲に口付けた。
「本当なら、こんなに傷つけられ前に助けたかった。痛いだろう?」
「大丈夫。ホッチの顔を見たら・・・すぐに、治っちゃうよ。あ、でも・・・僕のバッグ」
ホッチから貰ったルビーのリングに入っているバッグのことを思い出す。
「大丈夫。ちゃんと持ってきた」
「本当?良かった。あれには、とっても大切なものが入ってるんだ」
「確かめるか?」
「うん」
「待ってろ。持ってくる」
すぐに、ホッチが、リードの小さなバッグを持ってくる。リードはそれを受け取る、その中からベルベットの小袋を取り出した。
「それが?大事な物か?」
「うん。だって、ほら」
リードは小袋から赤い指輪を取り出した。そして、左手の薬指に嵌める。
「僕ね・・・これがあったら、生きれいられるよ。きっと・・・ずっと・・・。ホッチのとの思い出が詰まっているから」
「安物だ」
「そういう問題じゃないんだ。・・・僕にとって、大事な大事なものなんだ」
リードは赤い石にキスをした。
「林檎は・・・どうする?明日にするか?」
「うん。明日・・・食べる」
「そうだな。今夜はもう、ゆっくりと休むといい。明日、一緒に食べよう」
「うん」
そう言って、リードは静かに目を閉じた。クラバッシュで打たれた傷は痛い。けれども、それ以上に、何処か、心が痛んだ。
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翌朝。
ホッチはソファで目を覚ました。ベッドのリードの容体を確かめようと、起き上がった。そして驚愕する。ベッドに、リードの姿はなかった。狭い、アパルトマンの屋根裏部屋。見回しても、リードの姿はなかった。
ただ。籠から赤い林檎が1つだけ、消えていたのだった。