赤い風車 01

しがない物書きであるアーロン・ホッチナーは、静寂を好む男だった。故に、喧騒に塗れたそのような場所に自ら訪れようなどとは思ってもみなかった。しかし、古くからの友人である、デヴィッド・ロッシに熱心に誘われたため、無下に断るわけにもいかず、クローゼットの中から粗末ではあるが丁寧にブラシをかけてある一張羅を着て、その店の前で彼の友人と待ち合わせたのだ。待ち合わせの時刻よりも数分早くついたホッチは少々後悔した。店の前に立っている店の青年に声をかけて、「帰ります」というメモをロッシに渡してもらろうか、などと考えもした。それほどまでに、その場所は明るく、華やかで、目に痛いほどのネオンで装飾されていたからだ。行き交う人々はキラキラと笑っていて、これから飛び込もうとする衝撃と快楽の場所に、大きな期待を持っているようだった。しかし、そのような思いをホッチは持ち合わせていなかった。ホッチは小さく溜息をつくと、懐に手を入れて、いつも持ち歩いているペンと手帳を取り出そうとした。いつ舞い降りてくるかわからない物語のアイディアを、書き留めるためのものだった。そうだ。一言メモを書いて、青年に伝言を頼めばいいのだ。そして自分は、あの屋根裏部屋に帰っ裏、古びた机に向かって、途中の物語を書くのだ。そう思った決心したとき、肩が叩かれた。

「待たせたかな」

「・・・デイヴ・・・」

これでホッチが、この場から逃げ去ることはできなくなってしまった。ホッチは無理に笑顔を作ると、「こんばんは」と挨拶をした。決して、この友人が嫌いなわけではないのだ。ただ、この場所が自分にそぐわないと感じているのだ。

「さあ、行こうか。ショーの前に食事を済ませてしまおう。美しい踊り子たちは、ゆっくりを酒を飲みながら眺めたいからな」

背中を押されるようにして、ネオンの中へと赴く。

そこは。

ムーラン・ルージュ

という、キャバレーだった。

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「相変わらず眉間に皺が寄っているなぁ、ホッチは」

「・・・すみません・・・」

「まあ、こういう場所が苦手なんだろうが、君の物語に華を添えるためにも、必要な経験だと思うぞ」

「・・・つまらない・・・ですかね。自分が書く物は」

「そんなことを言ってるんじゃない。君の物語は緻密で計算されていて美しい。しかし、読者を惹きつける華が必要だと言ってるだけだ。まあ、簡単に言うとだな、君には難しいかもしれんが、俗っぽいところも、時としては必要だ、と言うことだ」

食事をしながら、文学の話をする。向学心も向上心もあるので、ホッチはロッシの言葉を否定はしない。確かに、つまらないのだ。自分の物語は。その自覚は十分にあった。

「まあ、今夜の見世物を1つの糧にするといい」

食事が酒に変わり、ロッシとホッチはステージに身体を向けた。薄明かりで照らされていたステージが一瞬、真っ暗になる。しかし次の瞬間、それまでの何倍もの光量で照らされた。そして音楽。シルクハットを被った恰幅の良い男が、前口上を述べる。そして暗転。ボリュームを絞られた音が、また次第に大きくなる。徐々に明かりがステージを照らす。左右から大勢の踊り子たちが登場し、フレンチ・カンカンを踊り始める。フランスの国旗を模した色のドレス。自由・平等・友愛の色がステージ上で踊る。

「ホッチ。センターで踊っている子がいるだろう?」

「センターですか?ああ・・・わかります」

「何か思わないか?」

女性のわりに長身な金髪の踊り子が満面の笑みで踊っている。しかし、ホッチは、赤く彩られた唇を見ながらも、「おや?」と思った。平らな胸。細くはあるが、他の踊り子たちよりはくびれてはいないウエスト。

「あれは・・・女性ではなく、男性ですか?」

「ああ。名はスペンサー・リード。れっきとした男だが、このムーラン・ルージュの看板娘だ。まあ、男なのに娘・・・というのも矛盾しているんだがね。しかし、美しいだろう?」

ロッシが軽く笑いながら言った。しかし、そこに嘲りの意味合いはなかった。美しいものを美しいと素直に賞賛する声だった。ホッチは再度、今度は物凄く注意深くステージを見た。いや、スペンサー・リードという踊り子を注視した。何度か曲と衣装が変わる中、彼は非常に表情豊かで、曲想に合わせて、コケティッシュだったり、妖艶だったりする表情を見せた。ホッチの目には他の踊り子は、最早、映らず、ムーラン・ルージュの看板娘だけを追い求めていた。

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「げほっ・・・げほっ・・・はぁ・・・はぁ・・・く・・・くるし・・・」

「大丈夫?スペンス。ほら、お水よ」

楽屋の床に蹲って咳き込んでいたリードが、仲間のJJから水の入ったグラスを受け取った」

「あ・・・ありがと・・・JJ・・・はぁ・・・」

肩で呼吸をしているリードの背中を、エミリーが優しく撫でさすった。

「次はリードのソロだけど・・・咳はおさまりそう?」

「ん・・・だ、大丈夫・・・僕、頑張る・・・はぁ・・・」

「後、10分は休めるわ。無理はしないで」

踊り子仲間のJJとエミリーがリードを労わる。リードは手の甲で額の汗を拭いながら、懸命に呼吸を整えた。

「はぁ・・・僕、苦手だから・・・踊るの。あんまり運動神経がよくないから、無駄な動きをしてると思うんだよね。だから、疲れちゃうんだ・・・」

そんなことを言うリードの金髪を撫でながら、これまた長い金髪をもつJJは元気づけるように言った。

「何を言ってるの、スペンス。貴方のダンスはとても上手よ?それにレッスンだって、人一倍努力してる。だから支配人だって、貴方をセンターに据えるのよ?」

「でも・・・苦手。けど、仕方がないよね。生活のためには働かなくちゃだし・・・」

黒髪のエミリーが冷たく濡らしたタオルをリードの首の後ろに当てる。

「貴方のおかげで、このムーラン・ルージュの評判は上がってるし、お客も増えてる。貴方は稼ぎ頭よ」

「僕、男なのに、変だよね」

リードは笑った。そこへ、衣装と演出担当のガルシアが現れる。

「大丈夫?リード。もし辛かったら、クルーンで繋いでおこうか?呼吸が整うまで」

「ありがとう、ガルシア。でも、大丈夫。結構、落ち着いてきたよ」

「なら、いいけど。次はリードのソロで、穏やかな曲目だから」

「うん」

「それとね、一つ、報告」

「何?」

「スペンサー・リードに新たなるファンが出現」

「何、それ」

「デヴィッド・ロッシ様は知ってるでしょ?」

「うん。ここの常連さんだよね」

「私、袖からずっと見てたんだけど、そのお連れの方がね、もうリードに釘付け。瞬きもしないで、リードを凝視してたわ」

「・・・初めてのお客様?」

「たぶん、そう。そんな上等なお召し物ではなかったけれども、清潔感があって、かなり凛々しい顔立ちの方。気づかなかった?」

「僕、踊るだけで、いつも精一杯だよ」

「じゃあ、ソロの時は、その殿方を探してみて。ロッシ様と一緒だからすぐにわかるわ。そして、リードもじっと彼を見つめて歌うといいんだわ」

「えー・・・」

「じゃ、そろそろ出番よ」

ガルシアがドレスをリードに差し出す。薄紫のスパンコールで装飾された、身体にフィットするドレスだった。

「手伝ってあげるわ」

立ち上がったリードの両脇に、JJとエミリーも立ち、今来ているドレスのファスナーを下ろしたり、新しいドレスを着せたりするのを手伝ったのだった。

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暗闇の中、リードは慣れた足取りでステージの中央へと歩いた。そこには脚の高い椅子が、一脚用意されているはずだ。ドレスの裾を綺麗に捌きながら、リードは座った。それと同時に、照明が煌めく。一瞬の眩しさ。それと同時に、音楽が流れる。One Day I’ll Fly Awayだ。踊り疲れた身体には優しい歌。ガルシアが考えてくれる構成は、リードに優しかった。リードは、スッと一呼吸すると、前奏に身を委ね、それから歌い始めた。いつもなら、客席のずっと奥の方を見て歌うのだが、今夜はステージに近い客席にデヴィッド・ロッシを探した。有名な彼はすぐに見つけられた。そして、その隣。黒髪の男性。リードは歌いながら、心臓がドキリとした。まるで、自分を射すくめるような視線だったからだ。放たれた矢で、身体を押さえ込まれるような感覚がした。それでも、リードは歌う。歌声を、彼に向ける。リードもまた、彼を見て歌った。いつもなら、演技で媚びるような視線を客席に送るが、そんなことはしなかった。できなかった。真面目で、真剣な視線には、其れ相応の態度で応えなくては・・・と思ったのだ。だから、リードもいつも以上に心を込めて歌った。この場にいる客、全てのためではなく、自分を見据える、一人の男のために。

そう。

たぶん。

リードは、恋に堕ちたのだ。

to be continued

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注釈

クルーン・・・ピエロ