「ん・・・んぅ・・・ん?」
リードは柔らかなベッドの上で目が覚めた。自分の部屋のベッドとは違う、ふかふかでシーツの肌触りも良いベッド。
「あ・・・あっ!」
リードは慌てて身体を起こした。朝だった。緋色のカーテンの隙間から太陽光が差し込んでいる。部屋も薄明るい。周囲を見回したが、自分を買った紳士の姿はなかった。
「ああ・・・どうしよう・・・僕・・・」
リードは手触りの良いシーツを指先でぎゅっと握りしめた。そして記憶に刻まれた昨夜のことを思い出す。ホッチナーという紳士は、リードを抱き上げてベッドに運び横たえた。そして、カウチでしたのよりも柔らかくて、それでいて深いキスをリードに与えてくれた。舌を絡ませ合うことをリードは覚えた。そして、その心地良さを知り、それが自分の体に変化を及ぼすことも理解した。下半身が熱くなり、カウチでの時と同じように、両方の太腿を無意識に擦り合わせてしまうのだ。腰が揺れているのも意識の向こうの自覚していた。もちろん、自分の分身の異変も。唇の隙間から小さな喘ぎ声を溢す自分をあやすように、紳士はレースの布地の上から、膨らんだリードを指や掌で触ったり、擦りあげたりしてくれた。それが、堪らなく気持ちが良かった。初めての刺激に戸惑うこともあったが、リードはすっかり安心して、真摯に身体を委ねたのだった。
小さな叫び声を上げて、下着の中で弾けたことも覚えている。本当は自分が紳士に奉仕しなければならないのに、自分ばかりが快楽を感じてしまっていた。弾けた後、恐れ慄きながら紳士を見たが、彼は優しく笑いながら、リードに「いい子だ」と言ってくれた。そして、ぐったりとなってしまった自分が眠りに落ちるまで、きっと傍にいてくれたのだ。
「・・・せっかく・・・僕を買ってくださったのに・・・」
娼館の女将のストラウスや、先輩の娼婦たちから教わったことを、何一つできずに、リードは紳士を帰してしまったのだ。何という失態を犯してしまったのだろう。
リードはベッドから降りると、床に落ちていた黒の薄衣を拾い、肩に掛けながら緋色の部屋を出た。そして、足早に自分の部屋へと戻ったのだった。
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この娼館の娼婦たちは、2人で1つの部屋を充てがわれていた。1つの部屋に小さなベッドと小さなチェストがある。個人的な持ち物は箱や缶に入れて、ベッドの下の置いておくのが常だった。けれども、娼館の男はリードだけだったので、1人で部屋を使わせて貰っていた。客を取るときに、特別な部屋へと赴くのだ。リードが先刻までいた緋色の部屋は娼館の中で最高級の客を取る部屋だった。リードも初めて入った部屋だ。全てが豪奢で、そして扇情的で、背徳的な設えだった。今夜は、一体どんな客が自分を買うのだろうか。・・・もし、客があったとしての話だが。自分は男だから、需要はさほど多いようには思えなかった。客が取れなければ、借金は返せないし、それに食べることだってできない。娼館の中にもヒエラルキーはある。上客がつけば、ストラウスはその娼婦を可愛がり、特権すら与えてくれる。けれども、男である自分は、その日その日を何とか食いつないでいければいい方なのかもしれなかった。リードは溜息をつくと、黒いランジェリーを脱ぎ、濡れたタオルで身体を拭いた。顔も洗って服を着る。娼館で充てがわれた、白いゆったりとしたブラウスと濃い紫色のベルベットのパンツ。
身支度を整えると、リードは唇を噛んだ。まずは、女将のストラウスに謝らなければならない。昨夜の紳士の不興を買ったであろうことは間違いない。そしてそれは娼館の評判にも繋がる。もしかしたら、今日は食事抜きかもしれない。リードは緊張した面持ちでストラウスの部屋と向かった。
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「なかなか楽しげな表情をしているな、ホッチ」
「貴方のおかげですよ、デイヴ」
ホッチの屋敷に訪れたロッシが、その顔を見るなり言ってのけた。どうやら、この若い貴族は昨夜の催しをお気に召したらしい。
「よほど気に入ったんだな、あの珍しい物を」
「ええ、非常に。楽しい時間を過ごさせていただきました」
「毎日、退屈そうな顔をしているホッチの良い刺激になったというわけか。連れて行った甲斐があったというものだ。それで?」
「何ですか?デイヴ」
「高値で競り落として、それっきりか?」
「まさか。ストラウスには話をつけましたよ。あの青年を自分の専属にすると」
「ほう。それほど良かったか」
「まだ、キスしかしていませんが」
「何と。君とあろう人間が?」
「俺をどういう人間だと思っているんですか」
「いやいや」
ロッシが笑った。その時、高らかな笑い声とともに、3人の女性が客間に入ってきた。ホッチの従姉妹たちである。
「やっぱり!屋敷の前に豪華な馬車があったから、ロッシが来てると思ってたわ!」
そう言ったのは、派手な色合いのドレスに身を包んだガルシアだった。その後に、細身の上品なドレスを着たJJと乗馬服姿のエミリーが続いている。
「お前たちか。ノックもせずに、レディの嗜みはどうした?」
「あら、ホッチに言われたくないわ。紳士の嗜みは?挨拶のハグもしてくれないの?」
とJJ。その後ろでエミリーが笑っている。
ホッチは仕方なく立ち上がると、ガルシア、JJ、エミリーの順に歓迎のハグをした。
「それで?今日はどうしたんだ?」
「ちょっと近くまで来たから。顔を見に来たのよ」
ホッチの問いにエミリーが答える。
「最近、仕事にも遊びにも興味がないって噂を聞いたから。ちょっと心配で」
「そんな噂が流れているのか」
「世間は狭いから。でも・・・なんだか、噂よりも楽しそうな顔をしてるわね」
下から覗き込むようにエミリーがホッチを見上げる。
「どうやら、新しい玩具を手に入れたようだよ」
とロッシが言う。
「デイヴ!」
慌ててホッチが遮るが、ロッシは素知らぬ顔で笑うばかりだった。
「新しい玩具?あら・・・まさか・・・ロッシ!」
JJがキツイ眼差しでロッシを見て言葉を続ける。
「ホッチを良からぬ場所に連れて行ったんじゃないでしょうね?」
「娼館通いも紳士の嗜みだよ、JJ」
「まあ!ロッシったら!」
「しかし、ホッチはかなりご執心のようだ。それはそれは綺麗な子でね。君よりは少し暗いが、美しい金髪の子だよ。瞳は青かったかな」
「そうなの?ホッチ」
ガルシアが興味深そうにホッチの隣に座李、尋ねる。
「まあ・・。そうだな。確かに綺麗な子だった」
「でも、娼婦だから、一夜限りなんでしょう?情けをかけるのは」
「それが、違うらしいのだよ、ガルシア。どうやら、ホッチはかなりその子を気に入ってね。専属の契約をしたらしい」
「それって、本気ってこと?ホッチ」
「・・・まあ・・・そうとも・・・言える・・・か」
その言葉に3人の従姉妹たちはそれとなく納得はしたらしい。侯爵家の娘たちではあるが、考え方や生き方はリベラルだ。
JJもエミリーも並んで座り、ホッチを見つめる。否、その思いを見極めているといったところだろうか。
「それで?ホッチはその子をどうやって繋ぎ止めるの?」
とエミリーが問う。
「繋ぎ止める?」
意外な話にホッチが聞き返す。
「だって、貴方は見初めた子なのでしょう?だったら、相当素敵な子に違いないわ。そういう子は引く手数多よ、きっと」
「しかし、専属の・・・」
「ダメダメ!そんな言葉を信じちゃ。娼館だって商売なんだから。ホッチがちゃんとその子を繋ぎ止める手立てをして、娼館にもそれなりのことをしなくちゃ、その子はもっとお金を出してくれる殿方のところに行っちゃうわ。ねえ?ロッシ」
JJがロッシに同意を求める。
「まあ、そうだろうな。あの世界の者を繋ぎ止めるのはなかなか骨が折れる」
「ほらね。遊び人のロッシがこう言うんだから間違いないわ」
「むぅ・・・・・・・・」
ホッチは眉間に皺を寄せた。確かにあのストラウスのことだ。他に上客があれば、そちらにリードを委ねてしまうかもしれない。
「どうしたら・・・いいんだ?」
ホッチがそこにいる従姉妹たちに問いかける。
「あら!そんなの簡単よ!」
隣に座るガルシアがパンと手を鳴らして言ってのけた。
「贈り物よ!素敵な贈り物!ねえ?みんな、そうよね?」
ガルシアの言葉にその場にいたホッチ以外の全員が頷く。
「ねえ、ホッチ、その子にもう贈り物はしたの?」
「い・・・いや・・・まだだ・・・」
「ダメじゃない!その子への贈り物と、娼館への付け届けは必須よ!」
「そうそう。一度、お金を払えばいいってものじゃないわ」
エミリーも腕組みをしながらうんうんと頷いている。
「そういうものか」
「そういうものよ!」
と、断言するガルシア。
「そうねぇ・・・」
JJが宙を見ながら考えて言う。
「まずは、美味しいお菓子がいいわ。それと・・・そういう場所の子だったら、綺麗なランジェリーがいいわね。どう思う?エミリー」
「私もそれがいいと思う。娼館の子の衣装は格付けになるらしいから」
「詳しいな、エミリー」
「上流階級の嗜みとしての知識です」
にっこりとエミリーが微笑む。
「お菓子は、ショコラ・ド・オランジュがいいわ。今、街で流行っているのよ」
情報通のガルシアが言った。
「なんだ、それは」
「チョコレート菓子よ。チョコレートがけのオレンジピール。高級な物はチョコレートの部分に金粉がまぶしてあるの」
「ランジェリーは・・・プリマ・ドンナのがいいわ。ベルギーの高級レースを使ってるの。手触りが最高で、デザインも最先端よ!」
「詳しいな、JJ」
「あら、こんなの、女子の常識だわ。じゃあ、これからみんなで買い物に行きましょうよ。お菓子とランジェリー!ね、ホッチ。ロッシも行くでしょ?」
「もちろんだとも」
ロッシは即答だった。ホッチは少し考えた。自分が選んだランジェリーを見つけたリードの姿を見るのも悪くはない。そしてホッチは静かに立ち上がった。
「せっかくだ。外で食事もしよう。ご馳走する」
「あら、嬉しい」
「君たちのアドバイスの礼だ」
「相談なら、いつでも乗るから!」
ガルシアが元気よく言った。ファッションもさることながら、食べることも大好きなガルシアだった。
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「え?・・・専属?・・・あの・・・ミスター・ホッチナーの?」
叱られると思ってストラウスの部屋に行ったリードだったが、予想に反して女将は上機嫌だった。
「そうだよ。よっぽど、あんたは気に入られたんだね。昨晩、あんたを専属にしたいと、お金を積んで帰ったんだよ。娼館に男なんて、どうしたものかと思ったけれどもね。これはいい買い物をしたよ、リード。せいぜい、あの貴族様に飽きられないように頑張るんだね」
「え?貴族?」
「おや、知らなかったのかい?あの方は、アーロン・ホッチナー侯爵様だよ」
「え・・・ええええええっ!!!」
「まあ、貴族の気晴らしだろうけれどもね。稼げるときはしっかりと稼ぐといい。それにしても、昨夜は随分と首尾よく、貴族様のご機嫌を取ったんだねぇ。いい子だ、スペンサー・リード。今日は美味しいものでもお食べ。食堂に用意させるから・・・いや、アンダーソンに部屋に運ばせることにしよう。他の娘たちの手前もあるからね」
そう言うと、ストラウスは、にんまりと笑った。その表情を見ながら、訳のわからないまま、リードはストラウスの部屋を辞した。本当に訳がわからない。昨夜はキスしかしなかった。本当は自分があの紳士に奉仕しなければならなかったのに、自分だけが気持ちの良い思いをして、その上朝まで寝入ってしまったというのに。
リードは自分の部屋に戻ると、ぽすんっとベッドに腰掛けた。すっかり自分は不況を買ってしまったかと思っていたのに。けれども、あの紳士に再び会えるのは正直嬉しかった。今度はちゃんと奉仕しようと思った。上手にできるかどうかわからなかったけれども。
トントン、とドアがノックされた。リードはベッドを降り、ドアを開けた。そこには、銀盆と箱を持ったアンダーソンが立っていた。
「リードさん。女将さんが食事を持って行けって。それと、これはお届けものです」
リードは最初に銀盆を受け取ると部屋の中の小さなテーブルに置き、再びアンダーソンの所に戻った。
「それは?」
「多分、贈り物だと思いますよ。手紙も付いています」
ピンク色の綺麗な箱で、可愛らしいリボンがついていた。その箱の上には上質な紙の封筒が置かれていた。仰々しく、封蝋がしてある。「H」という文字が押されている。おそらく、ホッチナーのHなのだろう。
「ありがとう、アンダーソン」
「それじゃ」
ドアを閉め、リードはベッドに戻った。ちらっとテーブルの上に銀盆を見たが、見たことのない美味しそうな料理が乗っていた。今までは、ずっとパンとスープだけだったのに。お腹は空いていたが、それよりも手紙が気になった。丁寧に封を切ると、便箋を取り出した。これも上質な紙だ。手紙には、今夜またこの娼館を訪れるということと、贈り物のランジェリーを身に付けて迎えて欲しい旨が書いてあった。たったそれだけの素っ気無い手紙ではあったが、リードは思わず、その便箋を抱き締めてしまった。また、あの紳士・・・貴族に会えるのかと思うと胸が高鳴る。今夜はちゃんとご奉仕しようと、思った。教わったように。教えられたように。そして、手紙をベッドに置くと、綺麗な箱のリボンを解き、中身を確かめた。そこには、白い、美しいレースで彩られたランジェリーが入っていたのだった。