抱きしめる

公判を終えて、帰り際に相手弁護士を毒舌でいなしたハーヴィーは、颯爽と夕方の裁判所を出た。少し歩くと、石畳のスペースがあり、いくつかのベンチが置いてある。そのベンチに見慣れた蜂蜜色の頭が見えた。こちらには背を向けているので後頭部しか見えない。しかし、ハーヴィーにはそれは部下のものあることがすぐにわかる。

静かにそっと近ずくと、背後から両腕を伸ばしてハグをした。所謂、バックハグ。その腕の中で、蜂蜜色の頭の持ち主の体がびくんっと震えた。

「ハッ・・・ハーヴィー・・・?」

左手に中身はコーヒーであろう紙カップを持ったマイクが、小さく振り向いて、ハーヴィーを視線を合わせた。

「びっくりした・・・」

「それは、こっちのセリフだ」

今日の裁判。本当はマイクも連れてきてやりたかったが、次の公判に備えてどうしても調べてもらいたいことがあった。だから、事務所で留守番にしたのだ。そのマイクがここにいるのだから、不思議には思う。

「んっと・・・そろそろ、裁判が終わる頃かなぁって・・・えっと、貴方に言われた仕事はちゃんとやったよ?この鞄の中に入ってる」

そう言って、マイクはポンポンと愛用のメッセンジャー・バッグを軽く叩いた。

「仕事が早い部下は好きだ」

褒められて、マイクは笑顔を作った。

「ちょっと飲ませろ」

ハーヴィーは片腕を外して、マイクの手から紙カップを取り上げ、一口飲んだ。やっぱり、コーヒー。しかも、温かい。

けれども。マイクが着ているハーフコートが、妙に冷えて感じるのは気のせいか。

ハーヴィーは、マイクの頰をすっと撫でた。

・・・冷たい。よく見れば、鼻の頭もうっすらと赤い。今来たばかりというわけでないことがすぐにわかる。

「マイク。これは、一体、何杯目のコーヒーだ?ん?」

「えっ?・・・そりゃ・・・まあ・・・1杯目・・・だけど?」

「ふうん。・・・じゃあ、あそこのコーヒースタンドに行って訊いてくるか」

「あっ・・・ごめんなさい・・・その・・・3杯目・・・」

マイクがしょんぼりとした声で白状する。

「まったく。君って奴は。そんなに留守番が嫌だったのか」

「ちっ、違うよ!・・・ただ・・・仕事・・・早く見てもらいたくて・・・」

「次の裁判の資料だぞ?明日でもいいんだ」

「・・・うん。そう・・・だよね。・・・ごめんなさい・・・」

「謝れと言ってるんじゃない。ただもう冬がくる。こんなに寒いのに、コーヒー3杯分も外にいたら風邪をひくだろうが」

「だよね」

そんなマイクの言葉を聞きながら、ハーヴィーはもう一度後ろから強くマイクの体を抱きしめた。

「ハーヴィー・・・ここ・・・外だよ?」

「もう、だいぶ暗くなって来てるし、誰も気にしない。それよりも、帰るぞ。ちょうど、車も来た」

ハーヴィーの見る方にマイクも視線を合わせると、レイの運転するレクサスが停まっていた。

「嗚呼、じゃあ、事務所に戻ったら、書類を見てくれる?」

マイクがメッセンジャー・バッグから書類を取り出そうとするのを、ハーヴィーはやんわりと止めた。

「いや、事務所には戻らない」

「そっか・・・ハーヴィーは直帰なんだ。・・・わかった。じゃあ、ハーヴィーのオフィスに置いておけばいい?」

「何を言ってる。君も一緒に帰るんだ。俺の部屋にな。ほら、立て」

ハーヴィーはマイクの方をポンっと叩いた。

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「体を温めるにはシャワーだな」

とハーヴィーに言われて、バスルームに連れ込まれてからもう15分以上がたつ。熱い湯に打たれながら、二人は抱き合っていた。特に何処を触る・・・ということも無しに、互いの腕を相手の体に絡めている。それと、キス。ずっとキスばかりしている。温かいお湯の雨の中で。お互い、中心は随分と高まっているのに、それ以上のことはしなくてもいいかのように、ただ抱き合っている。否、体が離れないように抱きしめ合っていると言ってもいい。2センチメートル程度の身長差しかない二人だから、互いの高ぶり丁度擦れ合う。それだけで、なぜだか、十分に満足な気さえしてくる。

「もう、寒くないか?」

ほんの少し離れた唇の隙間から、ハーヴィーがマイクに問う。

「・・・裁判所の前で、貴方に会った時から暖かかったよ?」

「それは気持ちの問題だ。俺が言いたいのはそうじゃなくて」

「ん、わかってる。ちゃんと、体、温まったよ?」

「それなら、いい」

ハーヴィーはお湯を止めると、ガラス戸を開けて先に出る。そしてバスローブをとると、マイクに渡した。そして、自分もバスローブを羽織る。

「素裸はダメだぞ」

「はーい」

「先に寝室に行ってろ」

「うん」

バスルームを出てハーヴィーはキッチンへ。マイクは素直に寝室へ行き、ベッドに潜り込んだ。すぐにグラスを2つ持ってハーヴィーもやって来る。

「あれ。珍しい。スコッチじゃないんだ。赤ワイン?」

「ああ。いいのが手に入ったからな。常温で飲むと美味いんだ」

マイクはハーヴィーからグラスを受け取ると、一口、口に赤い液体を含む。

「・・・僕、ワインのことはよくわかんないけど・・・なんだか、重厚感があるような気がする。・・・あと・・・ふくよかな感じ?」

「ほう・・・そういうことが言えれば上等だ。フルボディのワインだからな。君の表現は間違っていない」

「美味しい。僕が今まで飲んだことのあるワインと違う。もっと水みたいに軽かった」

「それはライトボディだからだ」

「このワインさ、すっごく、長い時間、口の中に味が残るよね。本当に美味しい」

「気に入ったか?」

「うん。ありがとう。美味しいお酒を飲ませてくれて。っていうか、ハーヴィーの部屋には美味しいお酒しかないけどね」

「高級志向だからな」

「でも、ランチはフードトラックのベーグルなんだよね。庶民的」

「それがいいんだ。いつも高級だと飽きる」

「ふうん。・・・だから、僕なんだ。ちょっと納得」

「は?何の話だ」

「だって。僕はベーグルでしょ?」

その言葉にハーヴィーが眉を顰める。そして、マイクからグラスを取り上げた。自分のもサイドテーブルに置いてしまう。

「あ、まだ飲み終わってないのにぃ・・・」

「聞き捨てならないことを聞いたからな」

「え?僕、何か変なことを言った?」

「・・・無自覚か・・・」

「え?え?え?」

ハーヴィーはマイクの体に覆いかぶさり、ベッドに押し付ける。

「誰が、ベーグルだって?」

「ん?僕。・・・だって、貴方が今まで相手にしてきた女の人って、絶対に高級品で身を固めてるタイプかなって・・・。だから、たまには、僕みたいなベーグルもいいのかなって」

「だから。その思考回路は何処から出てきた」

「頭の中」

ハーヴィーは大袈裟に溜息をついた。まるでわかっていない、この子犬には、どう言って聞かせたらいいのか。以前から自己評価の低い子犬だとは思っていたが、ここまでとは。マイクが裁判所の前で寒空の中、ずっとベンチで座って自分を待っていたことの理由は想像がつく。自覚はしていないが、マイクは『評価』という安心が欲しいのだ。もちろん、仕事で結果を出せ、と言っているのは自分だ。しかし、望んだ以上の結果を出していることを、この子犬は理解していない。自分たちの関係についてもだ。

「マイク。君は、ベーグルじゃない」

「・・・じゃ・・・ポテチ?」

嗚呼。このままだと、どんどん、子犬の自己評価が下がっていく。

ハーヴィーは蜂蜜色の髪を撫でながら言った。

「君は、三ツ星レストランのメインディッシュだ。柔らかい、仔牛の赤ワイン煮込みってところだな」

「うわぁ・・・それ美味しそう。でも、高そう」

「そうだ。高い。つまり、君は美味くて、高い、そういうご馳走ということだ。俺にとっては」

「・・・・・・・へ?」

マイクがきょとんした顔をする。わかっていない。自分の価値をまるでわかっていない。

ハーヴィーはマイクの体を引き上げて胡坐をかいた自分の足に座らせると、耳元に口を寄せながら、きつく抱きしめた。

「君がいれば、何処でも三つ星レストランになるってことだ」

「僕・・・ポテチとかベーグルじゃないの?」

「フレンチのフルコースだな」

「頭が良くて、仕事もできて、結果もきちんと出し・・・そして、俺のことが好きだろう?」

「・・・うん。ハーヴィーのこと・・・好き」

「俺もだ」

「・・・僕、ハーヴィーのこと、ずっと好きでいていいの?」

「俺も同じ質問をするぞ」

「そんなの決まってるし。ハーヴィーが僕のことを好きでいてくれたら、すっごく嬉しい」

「・・・今までは何だと思ってたんだ?」

「・・・ごめんなさい。・・・いつもご馳走を食べてたら、たまにはジャンクなものが食べたくなるっていうか・・・まあ、そういうの・・・」

「・・・俺の愛情を疑ってたな。・・・まあ、はっきりと言わなかった俺も悪いが・・・」

「ハーヴィーは悪くないよ。・・・僕が貧相すぎるんだ。・・・ハーヴィーに釣り合わないっていうかさ・・・」

「君はメッセンジャー・ボーイ上がりだが、俺は事務所の郵便室上がりだ。大した違いはない」

「・・・僕もハーヴィーみたいになれる?力のある王様みたいなの」

「ああ、それはダメだな」

「そっか・・・やっぱりダメなんだ」

「そういう意味じゃない。君には俺の王妃でいて欲しいからだ」

「チェスのクイーンはキングを守れるよね」

「そうだな」

「・・・ハーヴィーが許してくれる限り、僕は貴方の傍にいるよ。貴方のために」

「ああ、それなら、君は一生、俺の王妃だな」

ハーヴィーはマイクにキスをして、その細い体を抱きしめる。マイクもまた、同じように抱きしめ返す。抱きしめ合う。

先ほど味わったふくよかなワインの味が、キスの隙間から感じ取れる。絡めた舌がワインそのもののような感じがしたのだった。このままセックスに雪崩れ込むのもいいが、もう少し、抱きしめ合うことで、互いの体温を感じるのもいいと、二人はそれぞれに思ったのだった。

終わり