「走るな!重いものを持つな!高い所に上がるな!寄り道をするな!」
「・・・・・・ハーヴィー。いい加減にしてよ。僕のことを監視してるでしょ!」
「充実した情報網を持っているだけだ。君の体にもしものことがあったらどうする」
「だから!まだ、わかんないって言ってるじゃん!」
「わかってから注意したんじゃ遅いと言ってるんだ!」
「・・・嫌い」
「は?」
「そういう、ハーヴィーのこと、嫌い!」
プイッとハーヴィーに背を向けてマイクはオフィスを出て行った。その背中には『話しかけないで!』と見えない文字が書かれている。
「マイク!」
「あーあ。やっちゃったわねぇ・・・」
秘書専用のデスクで、ドナが頬杖を付きながら呟いた。ハーヴィーに同情した口調ではない。むしろ、同情しているのはマイクに対してだった。
「俺が間違っているとでも?」
「心配するのは間違ってないわ。でも、マイクに嫌われたら意味がないじゃない。もうちょっと、言い方ややり方ってものがあるでしょう?だいたい、本当にマイクは妊娠してるの?」
「・・・・・・99.9%」
「ほらぁ、100%じゃないし。どうせ、バレンタインの夜の話でしょ?受精しても、着床しなくちゃ、妊娠とは言えないの。ちゃんと医学書を読みなさいよ」
「調べた。もう着床時期は過ぎてる」
「時期の問題じゃないんだってば。本当にハーヴィーは生命の神秘をわかってないわねー。ああ、いいこと教えてあげる。ストレスが溜まるとダメらしいわよ。さっきのマイクの様子じゃ、相当、ストレス溜めてるわねー。過保護すぎる旦那のせいで」
「・・・・・・」
「心配と束縛は違うのよ、ハーヴィー」
赤毛の秘書に諭されて、ハーヴィーは一つ、ゆっくりと呼吸をした。
ハーヴィーが図書室に行くと、マイクが資料や書類を広げてペンをクルクルと回しながら、目を通していた。
「マイク」
名前を呼ばれて、マイクが顔を上げる。ハーヴィーの顔をじっと見た後、マイクはペンを書類の上に放り投げた。
「さっきは悪かった」
「・・・・・・いいよ。僕も・・・『嫌い』なんて言ってごめん」
ハーヴィーがマイクの向かい側の椅子に腰を下ろす。
「ハーヴィーが心配してくれてるのはわかるんだ。でも、なんか、ここ2日くらい、調子が悪くて。イライラするし・・・ちょっと憂鬱になることもあるし・・・体も風邪をひいたみたいにだるいんだよね。今もこうして書類を読んでるけど、いつもみたいにクリアに頭に入ってかないんだ。・・・ああ、それでイラついてるのかなぁ・・・」
「腹痛とかは?」
「んー。時々、チクチクする感じが・・・あるかなー。とにかく、変な感じ」
そう言うと、マイクはぽてんっと、机に突っ伏した。
「マイク。君は嫌かもしれないが、これから病院に行かないか?」
「病院には行くよ。来週。予定通りに」
ハーヴィーはザリウム・バンドリングの嵌められた手を取り、できるだけ優しい口調で言った。
「体調が悪いなら、風邪かもしれないだろう。少しぐらい早く病院に行ってもいいんじゃないか?」
「んー」
「Five Leavesのリコッタパンケーキ・・・」
「え!?」
「食べたいって言ってたよな?」
「ハーヴィー。僕を食べ物で釣るの?」
「釣られるだろ、君は」
「うー・・・。わかった・・・行く。・・・ああ、でもこの書類をやらなくちゃ」
「そんなの明日でいい。どうせ、ルイスの仕事だろう?」
「まあ、そうなんだけど」
「車で待ってるから。机を片付けてから降りて来い」
本当なら、自分が片付けを全部やってやりたいが、それをやるとまたマイクのご機嫌が斜めになるので我慢する。
「OK。そうする。・・・大丈夫・・・走って行かないから。安心して待ってて」
悪戯っ子のようにマイクが笑って言った。どうやら、ハーヴィーの考えはお見通しで、そしてハーヴィーの気持ちもわかってはいるのだ。
その2時間後。
リコッタパンケーキを目の前に、マイクは呆然としていた。診察を終えてからずっと呆然としていて、どんな風に店に来たのかも覚えてないし、オーダーはハーヴィーが勝手に済ませてくれたらしい。フレッシュバナナとベリーの乗ったリコッタパンケーキは、間違いなく、目の前にある。
けれども、そんな素敵なパンケーキに呆然としているわけではない。
『まさか』が、『現実』になったことに呆然としているのだ。動揺していると言ってもいい。しかし、そんなマイクの向かい側で、ハーヴィーは満面の笑みだった。
医師の診断は、こうだった。後、3週間ほどしないと、確実なことは言えないが、まず、妊娠は間違い無いだろう、と。マイクの体調不良は、着床時におけるそれと一致していたからだ。
「ほら。早く食べないと、冷めるぞ、パンケーキ。食べたかったんだろう?」
「・・・そう・・・なんだけど・・・」
ようやくマイクがパンケーキをフフォークで突つく。
「マイク?嬉しく無いのか?」
「えっ?・・・あ・・・そんなこと・・・ないよ。ただ・・・びっくりしちゃって。もちろん、ヒートのときの妊娠率がほぼ100%だっていうのは頭では理解してたんだ。・・・ハーヴィーにあんな風に抱いてもらって、本当に嬉しかったんだ。それに嘘はないよ。・・・でも・・・僕が・・・親になるなんて・・・ちょっと・・・怖い・・・かなって」
「俺がついてるだろう」
ハーヴィーがマイクからフォークを取り上げて、リコッタパンケーキを掬うように取ると、マイクの口へ運んだ。
「連れて行きたいところがある。早く食べないと、最後までこうやって食べさせるぞ」
「うっ・・・それは、恥ずかしい・・・。食べる。ちゃんと自分で食べるから、フォークを返して!」
慌ててマイクはハーヴィーからフォークを取り返し、パンケーキを食べ始めた。
「へえ、素敵な住宅街だね。都心部に近いところに、こんな所があったんだ・・・。何?ここって、新しいクライアントかなんかの家?」
レクサスを降りたマイクが、大きな家を見て言う。
「ついてこい」
「うん」
スタスタと歩くハーヴィーは玄関の前に立ったものの、インターフォンを鳴らすことはせず、コートのポケットから銀色に光る鍵を取り出した。
「え?何、ハーヴィー。何で鍵なんか持ってるの?え?勝手に入っちゃうの?」
さっさと家の中に入ってしまうハーヴィーを慌ててマイクは追いかけた。
「どうだ?」
「どうって?」
「俺たちの新しい家だ」
「ふえっ!?」
マイクが目を見開く。
「子どもは庭のある、大きな家で育てたいと思った」
「・・・・・・貴方って・・・指輪といい・・・本当に予測不可能・・・」
ふわっと揺らぐマイクの体をハーヴィーが支える。
「引っ越しは、君の想いがしっかりと固まってからでいい。ただ、これだけは覚えておくんだ。俺も君も、新しく家族を作ることができるんだ。俺たち自身で」
「ハーヴィー・・・ありがとう・・・」
幼い頃失った家族。いまはもういない、祖母。
ハーヴィーもまた、母親のことで悩んでいる。
「・・・新しい家族?」
「そうだ」
ハーヴィーがマイクの腹部を優しく押さえる。
「一緒に作ろう・・・」
「・・・うん。・・・ありがとう、ハーヴィー・・・ありがとう・・・」
青い目を涙で潤ませながら、マイクはやっとの想いで答えたのだった。
「ふうん。リングの次は家。・・・いつ買ったの?」
「16日」
「早っ!バレンタインの翌々日じゃない!」
デスクを挟んでの、ハーヴィーとドナとの会話である。
「着々と準備を進めてるのねー。マイクの承諾もなしに」
「やったもん勝ちだ」
「マイクのリングにGPSを仕込むくらいだから、まさか、家中に隠しカメラなんか設置してないわよねー。まさかねー。あはははははははー」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「え?何?ハーヴィー、その無言って・・・まさか・・・」
「スマホで家の中の様子の確認することができる」
「・・・ハーヴィー。それ、マイクにバレたら、離婚されるわよ」
「バラすなよ、ドナ」
「そうねぇ・・・。あ、そうだ!エルメスの新作バッグが出たのよねー」
「よし、買いに行こう」
「商談成立ね!」
いそいそと仕事をサボって、買い物に出かける、上司と秘書であった。
END