ハーヴィーは普通に歩いているのだが、それに追いつくために、マイクは短い足で走らなければならない。しかし、ハーヴィーはスピードを落とすことはせずに、黙々と歩き続けた。マイクが自分に付いて来ることができなければ、その程度の縁だったということだ。マイクは「待って」などとは一言も言わず、一生懸命付いてきた。それどころか、ハーヴィーのほんの少し前をちょこまかと走るようになった。行き先などわかるはずもないのに。しかし、確実にハーヴィーのウルフパックに向かっていることは事実だった。
「マイク」
「んー何?」
「君は・・・何処へ行くつもりだ?」
「もちろん、ハーヴィーのお家だよ!」
「わかるのか?」
「うん!だって、あっちの方から、ハーヴィーの匂いがするもん!」
通常、狼の嗅覚が効く範囲は半径3㎞と言われている。しかし、今日は遠出したので、パックまではそれ以上の距離があるはずだった。その匂いがわかることにハーヴィーは驚いた。
「あれ?違った?」
「いや・・・合ってる」
「だんだんハーヴィーの匂いが濃くなるよ!絶対にあっちだよね!」
相当嗅覚の鋭い種類の犬が親なのだろう。
「マイク。君の犬の親はどんな親なんだ?」
「んっとね。お父さんは警察で働くの!お母さんは羊のお世話をするの!」
その返答で、マイクがシェパードとコリーの合いの子だということがわかった。マイクの毛色や毛並みからすると、母親はボーダーコリーではないだろう。もしかするとシェルティーかもしれない。しかし、目が青いのは・・・。
「おじいちゃんはシベリアの犬!人間のお父さんとお母さんが言ってた!」
ハスキーの血も流れているのであれば、目が青いことにも頷ける。
次第にマイクの足取りが遅くなった。疲れてきたのあるのだろうが、パックに近づくに連れて、足場が悪くなっているのだ。日もだいぶ翳ってきた。
「マイク。止まれ」
「どうして?」
そう言いながらも、マイクは素直に立ち止まった。相当疲れているのだろう。はぁはぁ息を上げている。そんなマイクの首の後ろを、ハーヴィーは優しく銜えてやる。そして、自分のパックに向かって、走り始めた。
「あら、ハーヴィー。もうちょっと大きいな獲物を狩ってきてくれなくちゃ、お腹いっぱいにならないじゃないの」
マイクを銜えたハーヴィーを出迎えた赤毛の雌多い髪が呆れたように言う。ハーヴィーはそっとマイクを地面に下ろした。
「獲物じゃない、ドナ。犬だ」
「あ、やっぱり?・・・ふんふん。父親はジャーマン・シェパードで母親はコリーかシェルティーってところかしら?でも目が青いから、ハスキーかなんかも混ざってるわね」
赤毛の狼、ドナはクンクンとマイクの匂いを嗅いだ。
「あらやだ。人間の匂いがする。捨てられてから、すぐなのね」
ハーヴィーがマイクから聞き取ったことを、ドナはあっさりと言い当てた。
「わかるわよ、そのくらい。で?どうしたの?」
「拾った」
「やあねえ。何でも拾うなんて、子どもみたい。で?食べるの?」
「だから、獲物じゃない」
マイクは自分の頭上で交わされる会話を見上げるようにして聞いていた。が、
「ねえねえ、綺麗な赤毛のお姉さん!僕、マイクっていうの!」
「!綺麗?坊や、今、私のことを綺麗って言った?」
「うん!言ったよ!綺麗って、貴女のためにある言葉だよね!」
尻尾をパタパタと振って、マイクはドナに挨拶をしようと、一生懸命、鼻を上に上げる。しかし、如何せん体高が違う。そのことに気づいたドナが、自分から頭を下げて、マイクの鼻先に自分のそれをくっつけた。
「うわあ!お姉さん!いい匂い!綺麗な匂いがするね!」
「まあ、なんて可愛い仔なの!うちにいるやんちゃ坊主どもよりもずっといいわぁ」
ドナはかなりご機嫌の様子である。その様子を見て、ハーヴィーは「この調子のいい仔犬が!」と心の中で思う。「さっきまでベソをかいていたのはどこのどいつだ」、と。
「ところで、ハーヴィー。この仔どうするの?」
「こいつには、群れに入れるかどうかはわからない・・・とは伝えた」
「うーん。わんこがパックに入るのは・・・難しいっていうか、無理じゃない?ジェシカがなんて言うか。それに、この仔、牧羊犬の血が混じってるでしょ?本能的に私たちを忌み嫌うはずよ」
「・・・そう見えるか?これが?」
ドナが視線を下にやると、マイクはころんと転がって、腹を見せて服従のポーズを取っている。
「大丈夫そう。じゃ、ジェシカ次第ね」
「あー、頭が痛い。彼女は何処にいる?」
「いつもの玉座の岩よ」
「・・・行ってくる。マイク、ついてこい」
マイクは素早く起き上がると、ハーヴィーの後に素直に従った。
「ハーヴィー。私は犬は食べないわよ」
マイクを連れたハーヴィーを見るなり、黒毛の雌狼、ジェシカが言った。ジェシカは、このウルフパックのリーダーだった。普通なら雄がリーダーとなるが、様々な事情で、今は雌のジェシカがこのウルフパックをまとめている。
「食料じゃない。人間に捨てられて、コヨーテに食われそうになったのを助けた」
「じゃあ、それは貴方の夕食?」
「違う。俺も犬を食う趣味はない」
「じゃあ、何?」
「こいつを群れに加えられないか?」
「・・・・・・馬鹿なこと言わないで。それ、狼じゃないのよ?」
「それはわかってる」
2匹の会話を聞きながら、マイクは空気の中に混ざる嗅ぎ慣れた匂いともう一つ、嫌な匂いを嗅ぎ分けた。
「ねえ、ハーヴィー」
「ちょっと黙ってろ」
「だって、人間の匂いがするよ?」
「何?」
「何ですって?・・・ハーヴィーわかる?」
「いや・・・。しかし、こいつは俺たちよりもずっと鼻がいいらしい」
「それとね!んっとね!嫌な匂いがする!」
「何の匂いだ」
「名前、わかんない。でもさ、人間が持ってて、バーンってすっごい音がするやつ!」
マイクは一生懸命説明した。
「猟銃だわ。最近、違う別なウルフパックが人間に駆除されたって聞いた・・・」
ジェシカが総毛立つ。自分のパックを守らなければという意思。
「マイク、どの方角からその匂いは来る?」
「あっち!僕たちが来た方!」
「ジェシカ、俺が見て来る。仲間を守りの奥へ移動させろ。悪いが、こいつも連れてってくれ」
「・・・仕方がないわ。いらっしゃい・・・」
「マイク!僕、マイク!美人のお姉さん!」
ジェシカも美人と言われて悪い気はしなかったらしい。ふっと笑って、マイクを連れて仲間の方へ歩き始めた。
「ハーヴィー、気をつけて」
「わかってる」
ハーヴィーは風向きに気をつけながら、マイクが示した方角へと走った。
人間。火薬。犬。その匂いが入り混じった匂いをようやく感じる。自分の嗅覚はかなりいい方だと思っていたが、どうやらマイクの嗅覚は自分以上らしい。それも、かなり。
ハーヴィーは立ち止まり、匂いの動きに注意する。下手に動いて、犬にでも感づかれたら面倒くさい。風下に回り込んで、じっと動かない。匂い。人間。火薬。犬。それは確実に、そして次第に離れて行った。万が一、気づかれたら、殺すしかないと思ったが、それをやると後々面倒だった。しかし、同時に、これまでの縄張りが安全ではなくなったこともわかる。ハーヴィーはそっと、その場を離れた。
ウルフパックはすでに移動を終えたらしい。匂いを辿ると、岩山を一つ越えた向こうの森に行ったらしい。あそこはまだ、どの群れの縄張りでもなかった。しかし、ジェシカが以前から目をつけていた場所でもあった。
「ハーヴィー!」
ドナが駆け寄って来た。その後ろにはマイクとジェシカがいる。
「どうだった?」
「マイクの言った通りだ。犬を連れた人間が3人。猟銃も持っていた。しかし、こっちへ来ない。逆方向へ去って行った」
「とりあえず、安心ってことね」
ジェシカが言う。
「ああ。岩場を超えてまで、こっちには来ないと思う」
ハーヴィーは答えた。そして、マイクを見る。
「お手柄だな、マイク。そのいい鼻のおかげだ」
「僕、役に立ったの!?」
「どう思う?ジェシカ」
「そうね。・・・確かに、今回は役に立ったわ。でも・・・貴方は狼ではないの。犬なの。私たちと種類が違うの。それなのに、ここにいたいって思う?」
「うん!僕、ここにいたい!」
「・・・いいわ。でも、他の狼から認められるかどうかは、貴方の努力次第だから。それは覚えておきなさい」
ジェシカは毅然と言うと、一番高い場所に陣取って、優雅に座った。
「ハーヴィー。僕、ここにいてもいいってこと?」
「まあ、とりあえずはな。ただし、追い出される可能性もあるってことだ」
「僕、追い出されないように頑張る!」
マイクはパタパタと尻尾を振って、喜んだ。
「マイク。あんまり尻尾をふるな。バカっぽく見える」
「え?だって、自然に振っちゃうんだよ!これって、止められるのかなぁ・・・」
困ったように、、マイクはパタパタと動く自分の尻尾を見つめた。どうやら、嬉しい気持ちが収まらないらしい。
「ハーヴィー。今夜はルイスが見張り役を買って出たわ。貴方はマイクと一緒に休むといいわよ。疲れたでしょ?ね?マイク」
「俺じゃなくて、マイクか」
「だって、マイクは仔犬よ。それにね、この場所に移動するとき、マイクが匂いのない場所を教えてくれたから、仲間を危険な目に合わせずに移動できたのよ。ジェシカはマイクの嗅覚を認めたわ。もちろん、だからといって、マイクが狼になれるわけじゃないけど」
「そうだな」
ハーヴィーはそう言って、マイクを銜えると、自分の新しい寝床を探し始めた。いい場所を見つけると、マイクを下ろし、自分も横になった。鼻先を使って、マイクを自分の腹毛の中に押し込む。
「きっと腹が減ってるだろうが、狩は明日だ。空腹は我慢しろ」
「うん!うわぁー!ハーヴィーのお腹、ふかふかしてあったかいね!」
マイクも居心地よく態勢を整えると、丸くなってハーヴィーの腹毛の中に収まった。すぐに、クゥクゥと寝息が聞こえ始める。
この仔犬にとって、今日は一番の大冒険だっただろう。けれども、本当の試練はこれからだと思う。犬が狼の仲間として認められるか。答えが出るのはずっと先のことだろう。
ハーヴィーは眠るマイクを静かに舐めて毛繕いしてやりながら、先のことは明日にでも考えることに決めた。そして、自分も目を閉じて、浅い眠りについたのだった。
END