5:30 pm
本当はもっと早くに、ハーヴィーに書類を届けるはずだったのに、随分と遅くなってしまった。でも、半分はハーヴィーのせい。ランチはベーグルで済ませようとしたのに、レストランでゆったりとミニコースを楽しんでいたから。でも、悪くない時間だった。昼日中、仕事を抜きにして見るハーヴィーは何だかとても新鮮だった。ある意味、「惚れ直した」と言っても過言ではない。けれども、やたらと人前で触りたがるには辞めて欲しいとマイクは思う。やっぱり、公私混同はダメだと、わりと常識人なマイクは考えているのだ。たとえ、恋人同士とはいってもだ。
マイクは、ハーヴィーに渡す書類を最終チェックしてから、自分のデスクを立った。
********************
ハーヴィーは書類に目を通すと、クールな笑顔でマイクを見た。
「よくまとまっている」
「じゃあ、合格?」
「ああ。それじゃあ、ご褒美に・・・」
そう言って、デスク越しにマイクの腕を引く。マイクは体勢を維持するために、ハーヴィーのデスクに手をついた。が、咄嗟に、空いた手のひらでハーヴィーの動きを遮った。
「ダメ!」
「・・・ドナはいないし、誰も通らない」
「でも、オフィスだから、ダメ!」
「手の甲は?」
「それでもダメ!」
「・・・ランチの時もお預けを食らったのに、ここでもか」
ハーヴィーはわざとらしく溜息をついた。
「貴方って、どうしてそう、人前で触ったり、キスしたりしたがるの!」
「我慢できないから」
「そんな・・・出来の悪い駄犬みたいなこと言わないの!」
マイクは完全に呆れている。嬉しくないことはないのだが、やはり時と場所を考えて欲しい。
「深夜のオフィスでセックスは?」
「最低なこと言わない!!!!」
「最低か?」
「最低だよ」
「男の夢やロマンだと思うが?仕事場でセックスなんて」
「仕事に対する冒涜だよ!もうっ!じゃ、僕、まだ仕事があるから!」
マイクが踵を返してオフィスを出て行こうとする。それをハーヴィーが呼び止めた。
「マイク、夕食は?」
マイクは立ち止まって振り返った。
「ん・・・まだ、片付けていない書類があるから・・・後、2時間はかかるかな」
「ふ・・・ん。じゃあ、君の仕事が終わったら食事に行こう。これは命令だ。拒否権はないからな」
「・・・めっちゃ、上司風を吹かすんだからぁ・・・。えっと、仕事がらみ?」
「いや。完全なるプライベートな時間だ」
「・・・わかった。じゃあ、僕の仕事が終わったらメッセージを送るね。下のエントランスで落ち合うでいい?」
「構わない」
「じゃ、後でね」
マイクは、ハーヴィーのオフィスを出ると、上着のポケットからスマホを出して、電話をかけ始めた。
********************
結局、ハーヴィーとマイクがエントランスで落ち合ったのは、8:00頃だった。
「ごめん、遅くなっちゃって」
「どうせ、アソシエイト・オフィスに戻ったら、ルイスの書類がどっさりと置いてあったんだろう?」
「あ、わかる?」
「あいつなら、やる。安心しろ、明日、ルイスを虐めといてやるから」
「いいよ。今に始まったことじゃないし。それに・・・仕事がもらえることはありがたいことだと思ってる。自分のためになるしね」
「ふむ。まあ、いい心がけだな。しかし、俺よりもルイスを優先するなよ」
「わかってるってば。ハーヴィーの仕事は第一にやるから」
「そうじゃない。時間の使い方も俺を最優先にしろってことだ」
「・・・ごめん。30分、遅れたこと、怒ってる?」
「そうでもない。さて、行くか」
「あ、待って、ハーヴィー」
「どうした?」
「ご飯食べる店って・・・もう決めてる?」
「いや?歩きながら考えようかと思っていた」
「だったら!・・・えっと、僕の知ってるお店でもいい?そんな高級なお店じゃないけど、でもイタリアンで味は保証する。それと・・・夕食は僕にご馳走させて?」
「君の知ってる店に行くのは構わないが・・・別に夕食代ぐらい・・・」
「ダメ!・・・その・・・最近の僕、ちょっとハーヴィーに甘えすぎだと思うんだよね。確かにアソシエイトで薄給だし、高いお店へはハーヴィーを連れては行けないけど、でも・・・」
マイクが俯いて何か言葉を続けようとしたのをハーヴィーは遮った。
「いいだろう。今日は君の薄い財布にご馳走になるとしよう。君と一緒なら、それでいい」
「いやいや、僕と一緒でなくても、味は美味しいから!絶対だから!」
「わかった。早く連れてけ」
「うんっ!」
マイクはハーヴィーを促すように歩き出した。
********************
「ほう。『マルコの店』か。確かに名前からしてイタリアンだな」
こじんまりとした、少し古めかしい店構え。マイクはドアを開けて中に入った。ハーヴィーもそれに続く。
「あ、マイク!久しぶりだな。奥のテーブルを確保しておいたぞ」
「サンキュ。えっと、この人、僕の上司」
マイクがハーヴィーの存在を紹介する。
「へえ。さすが大手の弁護士事務所のエリートって感じだなぁ。こんばんは、俺はこの店のオーナー兼シェフの・・・」
「マルコ・・・だろう?店の名前通りに」
「その通り」
マルコはニヤリと笑った。
「マイク。料理はこっちのお任せでいいんだったよな?」
「うん。頼むよ。ハーヴィー、こっち」
マイクがハーヴィーの袖を軽く引っ張って、奥のテーブル席へと連れて行った。座るなり、ハーヴィーが尋ねてくる。
「知り合いの店なんだな」
「うん。・・・僕がハーヴィーが出会う頃よりも前に、悪いことから足を洗った昔の仲間」
「ほう・・・あいつ絡みの友人か」
ハーヴィーは眉を顰めた。
「そんな顔しないで。・・・マルコは賢くて、いい奴だよ。だから、かなり早い段階でトレヴァーとを縁を切ったんだ。・・・僕は・・・馬鹿だったからさ」
マイクはテーブルに寂しそうに目を落とした。
「別に君を責めてるんじゃない。悪かった」
「・・・僕にもちゃんとした友達がいるってこと、ハーヴィーに知って欲しかったんだ。それにマルコにもハーヴィーのことや、今の僕のことを見てもらいたかったし」
「ちゃんとした生活をしてるってことをか?」
「うん。・・・マルコは、いつまでもトレヴァーといる僕を心配してくれて、何度も忠告してくれてたんだ。だけど、僕、馬鹿だから・・・」
「・・・君は馬鹿じゃない。ただ・・・本当の馬鹿と縁を切るきっかけを掴めなかっただけだ」
「ドナとハーヴィーのおかげでだよ。トレヴァーと縁を切ることができたのは」
「マイク。俺はあえて、あの馬鹿の名前を口にしていないんだが?」
「あ、ごめん。聞きたくないよね、トレヴァーの名前なんて」
「言ってるそばから・・・」
「あ、言っちゃった。ほんと、僕、馬鹿だ・・・」
そこへ、マルコが数種類の料理を持って現れた。どれもイタリアの素朴な家庭料理だ。
「えっと、ミスター・・・」
「ハーヴィーでいい」
ハーヴィーはマルコに言った。その表情に険しさはない。どうやら、マイクの良き友人と認識したらしい。
「マイクを助けて・・・そして、まともな仕事に就かせてやってくれてありがとうございます。・・・俺、すっげえ、心配してて。でも、二人の様子を見て安心しました。これからもマイクをよろしくお願いします」
マルコはぺこりと頭を下げ、そして笑って厨房へと戻って行った。
「ああいう人間の作る料理は美味いと相場は決まってるな」
「食べる前にわかるの?」
「人柄が味を生み出すんだ」
「ああ・・・だから、ハーヴィーの作るご飯って美味しいんだ」
「それは君が食べる・・・という前提だがな」
「どういうこと?」
「愛情は最高の隠し味だろう」
「・・・だから・・・公衆の場でやめて・・・」
「その割には、随分と奥まったテーブルを予約したみたいだが?」
「うー・・・そういう意地悪も言わないで。もう・・・自信がないんだから。ハーヴィーみたいな素敵な人を目の前にして、ポーカーフェイスでいるのって!だから・・・その・・・ランチの時もドキドキだったんだから・・・」
顔を赤く染めて、プイッと横を見るマイクに、ハーヴィーは思わず微笑んだ。やっぱり、自分の恋人は可愛らしい。
「さて、冷める前に食べるか」
「ああ、うん!本当に絶対に、マルコの料理は美味しいから!」
こうして二人は、料理をシェアしながら食べたのだった。
********************
「あー・・・やっぱり秋なんだね。空気が冷たいや・・・」
マイクが夜空を見上げながら言う。
「そうだな」
ハーヴィもチラリと空を見る。けれども、すぐにマイクに視線を移した。
「歩くか?それともタクシーを拾うか?」
「僕の家はここからわりと近いけど・・・貴方はタクシーの方がいいかも」
「じゃあ、タクシーだな」
「それじゃ、また、明日。ハーヴィー、おやすみなさい。今日は裁判所も連れてってくれて、ランチもご馳走になって・・・それと、夜はこの店に来てくれてありがとう」
「礼は受け取るが、勘違いするなよ。君も一緒にタクシーに乗って、俺の部屋に帰るんだぞ」
「えっ・・・ダメだよ。僕もう、1週間近く自分のアパートに帰ってない・・・」
「それは俺の部屋に来ない理由にはならないな」
「また同じスーツを着て、明日、出勤しろって言うの?」
「ああ、君のスーツならちゃんとクリーニングに出してあるから大丈夫だ。ほら、これで心配はゼロだろう」
「そうじゃなくてさぁ・・・僕、ハーヴィーの甘えすぎだってば」
「違う。俺が君と一緒にいたいと甘えてるんだ。我儘すぎるか?」
「・・・嬉しい・・・けど・・・」
「なら、決まりだ」
ハーヴィーはマイクの腕を掴んで、タクシーを止めた。
「迷惑じゃないの?」
「迷惑なら、誘わない。・・・本当なら、一緒に暮らしたいくらいだ」
「うわぁ・・・そんなことしたら、僕、ダメ人間になっちゃうよ・・・」
「ほら、早く乗れ」
ハーヴィーはマイクの蜂蜜色の撫でると、タクシーの押し込んだ。マイクもさほど抵抗することはなく、おとなしく乗り込んだ。ハーヴィーの側にいるのは好きだ。仕事でも、それ以外でも。ただ。自分の世界がハーヴィー一色になってしまうことが怖いだけだ。
タクシーの中で、ハーヴィーが手の指を絡めてきた。マイクはそれを離すことはせず、自分の指にも力を込めた。視線は窓の外を流れる景色を追いながら。たった指を絡ませているだけなのに、体が熱くなる。きっと今夜も離して助らえない。けれどもそれは、どこか甘美な予測でもあった。