特に急ぎでもない、持ち帰った書類を眺めながら、ハーヴィーはスコッチを舐めていた。さっきから数度、壁の時計を確認するが、約束した相手はなかなかやって来なかった。今日の自分は彼に仕事や残業を与えてはいない。・・・となると、ルイスか。と、ハーヴィーは溜息をついた。日付はとうに変わっている。来週は絶対にルイスを虐めてやる・・・などと思っていたら、玄関のドアが開く音がした。ハーヴィーはソファーを立って、出迎えることにした。
「マイク?」
玄関に行くと、ドアに手をついたマイクがぼーっと立っていた。目は半分塞がっている。
「おい、こんな所で立ったまま寝るな!」
慌てて、腕を引くと、その細い体が、ぽてんとハーヴィーに体重を預けてきた。
「ね・・・むい・・・」
そう呟いたマイクは、ズルズルとその場にへたり込んで行く。ハーヴィーは慌てて、その体を抱きとめた。ここ数日、マイクはハーヴィーの部屋には来ていない。
「寝ていないのか?」
「・・・んー・・・2日くらい・・・ルイスってば、人使い荒すぎ・・・」
「あいつめ~」
「今日は金曜日だし・・・仕事を持ち帰りたくなかったから・・・ちょっと・・・頑張った・・・」
「それで、力尽きているわけか・・・。シャワーは?浴びれるか?」
「ん・・・浴びたい・・・ちょっと・・・スッキリしたい・・・せっかく、ハーヴィーがいるし・・・」
そんな嬉しいことを言いながら、マイクはくっつきそうな瞼を細めて笑った。そんなマイクを抱えるようにして、ハーヴィーはバスルームへと連れて行ってやった。
マイクをバスルームへ連れて行ってから、15分が経過した。しかし、出てくる気配がない。しかし、水音は聞こえている。
ハーヴィーは嫌な予感がして、バスルームを覗いた。そこにはシャワーブースで、お湯に打たれながら、壁に寄りかかって座って眠るマイクの姿があった。
「マイク!」
マイクを引きずり出すと、傍にあったバスローブを引っ掴んで包み、抱き上げてバスルームをでる。マイクは完全に寝入ってしまってて、起きる気配がない。ベッドに横たえても、もぞりとも動かず、くうくうと寝息を立てている。よほど眠たいらしかった。柔らかいタオルで、濡れた髪を拭っても、されるがままで、眉を潜めることもない。
『これは・・・随分と、大きな人形だな・・・』とハーヴィーは苦笑した。
そして。ニヤリと笑って、クローゼットへと歩いて行ったのだった。
海の、ものすごく深いところに横たわっていたような感じがする。まるで魚みたいに、きちんと呼吸はできている。けれども、まるで深海魚のように、目が退化してしまったみたいに、光を捉えることはない。そのくらい、深く深く、眠っていた。
そんな海の底から、少しずつ、体が自然に浮く感覚。それは、覚醒。
マイクは、ようやく、光を感じることができるようになった。けれども、眩しさが怖くて、目を開けることができない。目が・・・潰れてしまわないだろうか。
さらりと、頰を撫でられる感覚があった。優しい手。自分がとてもよく知っている暖かさ。
マイクは静かに、そっと、目が潰れてしまわないように気をつけながら、瞼を薄く開けた。視界に、眼鏡をかけた大好きな人の顔がある。
『ああ。・・・ここは、ハーヴィーの家だったなぁ・・・』
そう思いながら、再び目を閉じ、さっき目に映った顔を反芻した。
眼鏡のハーヴィー。大好きな眼鏡のハーヴィー。
・・・眼鏡。・・・・・・眼鏡。・・・・・・眼鏡!?
マイクは、パッと目を見開いた。
「なんだ。二度寝を決め込むかと思ったら、起きたのか」
「・・・ハーヴィー・・・眼鏡だぁ・・・」
マイクは両手を伸ばして、ハーヴィーの顔に触れる。ぐっすり眠ったせいもあるが、眼鏡顔のハーヴィーですっかり目が覚めた。そんなマイクの体をハーヴィーが抱き起こす。
「泥のように眠っていたぞ。何をしても起きなかった」
「何って・・・まさか・・・」
「おいおい。寝てる人間を抱くほど終わってないぞ、俺は。抱くなら、意識がある方がいい」
「あ・・・そ。よかった・・・」
ほっと胸を撫で下ろすマイク。
「でも・・・なんで?眼鏡?いつも僕がものすごくお願いしなくちゃ、眼鏡をかけてくれないじゃん」
ぷうっと軽く頰をマイクは膨らませる。そんなマイクをハーヴィーはニヤニヤした顔で見返してきた。
「だってなぁ・・・君にだけコスプレさせるのは、不公平かと思ったんだ」
「・・・は?・・・コ・・・コスプレ・・・?」
マイクは首を傾げた。そして以前、着せられたメイド服のことを思い出す。
「う、嘘!ちょっと待って!」
マイク慌てて、自分の体を検分し始めた。
ふわっふわもっこもこのパーカーにショートパンツ。それはいい。しかし、マイクの足を覆っているのは、ニーハイソックスだった。先日のメイド・コスの時とは違う。これまた、ふっわふわもっこモコのニーハイソックスである。
「・・・何・・・これ」
「うん。かわいいぞ。そうだ、クローゼットに行って、鏡を見て来い」
その言葉で、マイクはベッドを降りて、クローゼットに走る。そして。
「ひゃあああああああ!!!!何っ!何なのっ!これっ!」
すぐさま、クローゼットから出てくる。
「可愛かっただろう」
ハーヴィーはにっこりと笑った。
「どこが!何なの!この・・・ウサギの耳!!!!!」
マイクの頭には、ウサギの耳がついたカチューシャが装着されていた。両耳がピンと立っているものではなく、あえて、片耳が折れている、これまた、ふわっふわもっこもこのうさ耳だった。
「ショートパンツの後ろも触ってみろ」
「?」
マイクは両手をお尻に回す。
「・・・尻尾まで!!!!」
マイクの顔が羞恥に染まっている。
「そんな可愛いウサギになってくれたんだから、俺も眼鏡ぐらいはかけないとなぁ」
くっくっと笑いながら、ハーヴィーはベッドから降りた。
「朝食の支度をしてくる。君はベッドでゆっくりしてろ。ああ・・・それ、外すなよ?」
「・・・僕がこの耳を外したら、ハーヴィーも眼鏡を外しちゃうんでしょ?」
「まあな」
「うー・・・・・・。わかったよ・・・」
今日はウサギ耳と眼鏡を天秤にかけるマイクだった。
ぐっすりと深く眠ったせいか、今週の仕事の疲れは取れたような感じがする。何よりも、自分の部屋のおかしなスプリングのベッドよりも、ハーヴィーのベッドの方が断然寝心地がいい。リネン類も触り心地がいいし、ふかふかだった。
しばらくマイクはウサギの格好でゴロゴロとしていたが、何だかもったいなくなって、ベッドから降りた。何せ、今日のハーヴィーは眼鏡ハーヴィーなのだ。それを、見ないなんであり得ない。ふわもこのニーはいソックスせいで足音は出ない。それどころか、気をつけて歩かないと、滑って転んでしまいそうだった。
「何だ、起きたのか」
マイクが寝室から姿を現したのを認めると、それでも嬉しそうにハーヴィーは笑った。マイクはキッチンカウンターの椅子にちょこんと座った。そこから、ハーヴィーの手元を眺める。
ハーヴィーは本当に何でもできる。仕事はもちろんだが、料理もできる。基本的に掃除や買い物はうハウスキーパーに任せているようだったが、掃除や洗濯だってこなせるんだろう。今でこそ、エグゼクティブなハーヴィーだけれども、生まれはさほど上流ではなかったはずだたった。実力で、今の地位を手にした男だった。
ことんっと、ハーヴィーが白い小さな白いボウルに綺麗なオレンジ色の山を築いた一品とフォークを置いた。朝食ができるまで少し時間があっかるから、それでも食べてろ。
「・・・・・・これ、キャロット・ラペ?・・・あのさぁ・・・確かに、今の僕はウサギの格好をさせられているけど、本物のウサギじゃないんだけど?」
唇を尖らせて、マイクが言った。
「人参1本をそのまま出してもいいんだぞ?ああ・・・人参を丸かじりするウサギはさぞかし可愛いだろうな」
「・・・いいです。キャロット・ラベでいいです・・・」
マイクはフォークを手にとって、千切りにされたオレンジ色のラベを掬って口に運んだ。
「!!!!何、これ!美味しいっ!!!」
「昨日の夜に作ったから、味はいい具合に染みてるはずだ」
「うん!すっごく、美味しい!」
もぐもぐと口を動かしながら、マイクが言う。そして、ペロリと小さなボウルのラベを食べ終えた。
「・・・そういえば・・・僕、昨日、晩御飯を食べてなかったんだよねぇ・・・」
「ルイスを虐めといてやろうか」
「やめてよ。子どものことに保護者が出てくるみたいで、なんかいや」
「その心意気は買うぞ」
「ありがと。・・・それにしてもさぁ・・・この・・・ふわもこ・・・どうしたの?」
「ああ、それな。日本のルームウェアブランドなんだが、NYにも出店したっていうんで、ドナたちが買いに行った。それでついでに買ってきてもらった。ああ。ウサギの尻尾はドナが作って縫い付けてくれたぞ」
「・・・ちょっと待って!・・・それって・・・それって・・・僕がこういう格好をさせられるっていうのを・・・ドナは知ってるってことだよね!!!」
「まあ、そうとも言うな」
「そうとしか、言わないよ!!もうっ!!!やだっ!恥ずかしいっ!!!」
「怒るなってって。ほら、朝食ができたぞ」
カウンターテーブルに、朝食が並べられる。正直、キャロット・ラペだけでは物足りないマイクだったから、いっぱいに並べられた料理に青い目をキラキラとさせる。
「わーい!いただきまーす!!」
もぐもぐと食べる姿をカウンターの反対側からコーヒーを飲みながらハーヴィーは眼鏡越しに眺めた。なかなかの光景だ。絶景と言ってもいい。ひょこひょこ動くウサギ耳がなんとも可愛い。動物に餌付けをしているかのようだった。
「・・・何?」
ハーヴィーの視線に、マイクが片眉を上げる。
「気にするな。可愛いウサギを愛でてるだけだ」
「気にするよっ!」
『もぐもぐ』と『ほっぺたぷぅ』が混ざって、ますます可愛い。
「ウサギの耳は俺が買ってきた」
「聞いてないよ・・・。・・・この間のメイド服といい・・・ハーヴィーが変な趣味の持ち主だったなんて・・・」
「何を言う。この間も言ったが、マイク限定だからな。喜べ」
「う・・・素直に喜べない」
「俺が眼鏡をかけるのも、君の前だけだ。だから・・・いいだろう?」
「ん・・・それは・・・まあ・・・その・・・嬉しい・・・」
ぽそっとマイクが言う。それは本当に嬉しいのだ。自分しか知らないハーヴィーがいるのは。
「ねえ・・・僕・・・今日は一日中、この格好なわけ?」
「どこか出かけたいのか?」
「んー・・・別にそういうわけじゃないんだけど・・・」
「だったら、そのままだな」
「そう・・・なるよねー。はぁ・・・」
マイクはそっとため息をついた。
ハーヴィーは2杯目のコーヒーを、マイクは食後のコーヒーをソファで飲むことにした。ただし、マイクはハーヴィーの膝の上だった。
「ハーヴィーの家のコーヒー豆が上質だってのはわかってるんだけど、僕が淹れるよりも、ハーヴィーが淹れた方が、絶対に美味しいよね。・・・ハーヴィー、コーヒーの淹れ方教室かなんかに言ったことあんの?」
「まさか。我流だ」
「それで、これだけ美味しいコーヒーが淹れらるって凄い。っていうかさ、ハーヴィーは何でもできて、何でも持ってて・・・狡いよね」
「・・・そうでもないぞ」
「まったまたー。1時間1000ドルが男がよく言うよね」
きゃらっと、笑いながらマイクが空いた方の手で、ハーヴィーの腕を叩いた。
「一番手に入れたいものは・・・なかなか、手に入らない。手に入れたつもりでいても・・・不安になる。・・・いつか、俺の手の中から消えてなくなるんじゃないかと・・・な」
「ふうん。それって・・・どっかの大きなクライアントのこと?」
「・・・・・・随分と鈍いな、君は」
「ほえ?違うの?」
「まったく・・・」
ハーヴィーはマグカップをテーブルに置き、そしてマイクからもマグカップを取り上げた。
「ハーヴィー?」
「・・・君のことだ、マイク」
「僕?なっ・・・何、言ってるの?僕にこんな格好をさせといて、手に入らないも何も・・・」
「きっと、君が自分の思い通りになる・・・いや、自分の思い通りにしたいって思うんだろうな」
ハーヴィーの吐息がマイクの耳にかかった。
「ふあっ・・・」
びくんっと、マイクの体が軽く跳ねる。ショートパンツの裾から、ハーヴィーの大きな手が滑り込んできた。
「あ・・・ああっ!は、ハーヴィー!!今更なんだけど、何で、僕、下着を履いてないの!?」
「そんなの、昨日履貸せなかったからに決まってるだろう」
「そのぐらい、履かせてよ!!んもうっ!あんっ・・・」
マイクの文句を聞きながらも、ハーヴィーの手は動いている。マイクの中心を捉え、刺激を与えるが、その先端はふわもこの布地に擦れて、いつもと違う感覚だった。
「ひゃ・・・あ・・・」
それだけで、背筋がぞわぞわとする。
ハーヴィーは空いた手で、グッとマイクの腰を自分の方へと引き寄せ、その体を自分に寄りかからせた。ぽふんっとふわもこな感触がハーヴィーにとっても心地いい。
「君を抱きたいが・・・これを脱がせるのはもったいないな」
「ウサギがいいの?」
「ウサギなマイクもいいが、ウサギじゃないマイクもいい」
「ああ・・・それわかる。だって、僕、違うベクトルで、眼鏡をかけたハーヴィーと眼鏡をかけていないハーヴィーの両方が200%好きだから」
おや?・・・という表情で、ハーヴィーは後ろからマイクを見た。が、マイクからはその表情ははっきりとは見えない。
「・・・貴方のことが手に入らないって思ってるの・・・僕の方だよ。・・・僕は無資格だし・・・仕事だって、記憶力がいいだけで、本当はハーヴィーの半分だってできてないんだ」
心なしか、ウサギの耳がしょんぼりしたような感じがする。作り物だから、そんなわけはないのだが。
「んー・・・ハーヴィー・・・ちょっと体勢を変えていい?」
言いながらマイクがするりとハーヴィーの腕から抜け、膝から降りた。けれどもすぐに、膝に戻る。ハーヴィーと向かい合わせになるようにして。
「こっちの方が良くない?僕は眼鏡のハーヴィーが見えるし、ハーヴィーもウサギの僕が見れるでしょ?」
にっこりと笑いながら、甘えた声を出す。せっかくの休日だ。お互いの欲を満たすに越した越したことはない。
「キスしよ?ハーヴィー」
「ああ」
ハーヴィーの腕はマイクのウエストに回され、マイクの腕はハーヴィの腕に絡む。最初は軽かったキスが、水音を含む深いものへと変わるのに、そう時間はかからなかった。
「貴方が離さないない限り、僕は貴方のものだよ、ハーヴィー・・・」
「俺も、同じ言葉を返そう。 仕事で自立するのは構わない。しかし、俺の傍から離れるな。君が離れて行かない限り・・・俺は君のものだ・・・。いや・・・違うな。君が逃げても、俺は追いかける」
「それ・・・ストーカーさんだよ?」
ふふっと笑いながら、マイクが言った。
「ああ。マイク専門のな」
ハーヴィーも笑って返した。
「さて、どうする?ベッドへ行くか?それとも、ここで?」
「両方っていうのは?」
「賛成だ」
「怠惰な休日を過ごそうよ。・・・どうせ、この格好じゃどこにも行けないしさ。でも、ランチとディナーは美味しいのを作ってよね」
「ああ、わかった。交渉成立だ」
互いにニヤリと笑って、再び深いキスを交わす。眼鏡上司とウサギ部下の休日は、始まったばかりだった。
END