好き。とても、好き。

夕方のアソシエイトオフィス。マイクは自分のデスクで、書類や資料の最終確認をしていた。これらはハーヴィーに指示された仕事で、完璧にこなした自信がある。いや、今日に限らず、マイクの仕事は完璧に近い。もちろん、ドナやレイチェルに手伝ってもらう案件はあるものの、基本的に一人で仕事をこなす。特に今夜は、これから楽しみにしていたイベントがある。

「よし!オッケー!」

マイクは、数冊の紙ファイルを手に立ち上がった。

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「ハーヴィー!」

上司のオフィスを訪ねると、電話中のハーヴィーに指で制された。マイクは大人しく口を閉じ、ファイルを持ったまま、ソファに座らせてもらった。ハーヴィーの眉間に軽く皺が寄っている。何か、面倒な案件だろうか。

スマホを切ったハーヴィーが、それをスーツの内ポケットにしまうと、すっとマイクに手を差し出した。ファイルを寄越せ、ということだ。マイクはソファから立ち上がり、素直にそれに従った。しかしハーヴィーはファイルの中身を確認することもせずに、マイクに言ったのだった。

「すまない。今夜の君との食事はキャンセルだ」

「え・・・」

「仕事だ」

「あ、だったら、何か手伝うこと・・・」

「その必要はない。クライアントとの会食だから」

「あ、ああ・・・そう・・・それなら、そっちが絶対に優先だよね。えっと、僕もやらなきゃならない仕事はいっぱいあるから・・・うん、それ、片付けることにするよ。じゃ。あ、その書類と資料、もしミスがあったり、使えなかったりしたら、すぐに教えて。直すから」

「わかった」

「じゃあ・・・その・・・会食、頑張って・・・って言い方も変だね。あはは。えっと・・・行ってらっしゃい」

そう、早口に言うと、マイクはできるだけハーヴィーを見ないようにしてガラス張りのオフィスを出たのだった。

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取り立てて、急を要する仕事はなかった。けれども、マイクはいくつかの仕事を片付けて、アソシエイトオフィスを出た。ハーフコートを着て、愛用のメッセンジャーバッグを斜めがけにして。

今日の夕食はハーヴィーとフレンチの予定だった。

二ヶ月前、マイクは、酔ったはずみではあったものの、ハーヴィーに「好き」と言った。それに対してハーヴィーはくすりと笑いながらもキスをくれた。初めて体を重ねたのはそれから1週間後のことだ。ハーヴィーらしく、高級なレストランで食事をして、バーで軽く飲んで、それから五つ星のホテルへ。まるで、女の子みたいだ・・・と思いながらも、自分が大事にされているように感じられて嬉しかった。けれども、それから仕事が忙しくなってしまって、会えるのは事務所オンリー。ちょっとマイクが落ち込みかけたところに、昨日ハーヴィーが食事に誘ってくれたのだ。だから、昨日から今日まで、マイクはいつも以上に一生懸命働いたのだ。プライベートでハーヴィーと一緒の時間を過ごせるなんて、本当に久しぶりのことだったから。

けれども。

その予定は流れてしまった。

「さむっ・・・」

事務所を出ると、寒風が体を刺した。

「あー・・・手袋忘れたぁ・・・」

コートのポケットに入れておいたつもりが、どうやらオフィスの引き出しの中らしい。メッセンジャーバッグの中を探ってみたけれども、見つからなかったから。

「今日の運勢ってあんまり良くないかも・・・」

そんなことを呟きながら、マイクは歩き始めた。

お腹が空いている。

ハーヴィーとフレンチの予定だったから、ランチを抜いたのだ。朝、シリアルを食べて、それから口にしたのはコーヒーだけだ。キュルルルっとお腹が鳴った。思わず腹部を撫でる。

正直言って、食欲はないのだが、体は食べ物を欲している。マイクは帰り道にある、中華デリの店に寄ることにした。

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「マイク、これはおまけだよ」

「へ?なあに?」

エビチリと焼きそばを買って代金を払うと、デリの主人が紙袋を渡してくる。

「おみくじクッキーね。本当はお客さんにサービスで1つ2つあげるんだけど、ちょっとそれの賞味期限が明日なんだよね。だから、さ。もらってよ、マイク。人助けと思ってさ」

中国系の主人がウィンクをして、ぐいっと紙袋を差し出してくる。

「あ、うん。じゃあ、せっかくだから・・・もらうね」

マイクもニコッと笑って紙袋を受け取った。中華デリの入ったビニル袋とおみくじクッキーの紙袋を持ってマイクはアパートへと歩き出した。

「・・・おまけねぇ・・・捨てる神あれば、拾う神ありってこと?・・・フレンチは残念だったけど、DVDでも観ながら、おみくじクッキーもいいかもね」

ふふっと笑ったマイクだったが、そのほんのちょっとした幸せは、その1時間後に打ち砕かれることとなったのだった。

『彼の浮気がちょっと心配』

「貴方は本当に愛されている?』

『恋愛運・・・凶』

『彼に新しい女の影?』

などなど。おみくじクッキーを割って出てくる細い紙には、こんなことばかりが書いてあるのだ。落ち込むマイク。ハーヴィーのクライアントとの会食だって、本当は女性とのデートかもしれないのだ。だいたい、あのハーヴィー・スペクターが自分みたいな雑種犬を本気で相手にするわけがない。綺麗な女の人ばかりじゃ飽きるから、だからちょっと自分で軽く遊んでみようかって思ったのかもしれない。そうだ。自分はハーヴィーに「好き」とは言ったけれども、ハーヴィーはそれに笑って応えただけで、「好き」って言葉はもらっていない。

マイクは、そこらへんをおみくじクッキーで散らかしたまま、ソファに倒れ込んだ。

「ふええ・・・馬鹿だ・・・僕・・・馬鹿みたいに・・・・浮かれてた・・・」

思わず、涙が溢れそうになる。こんなことなら、「好き」だなんて言わなきゃよかった。ただの普通の上司と部下でいればよかった。

そんな風にソファでうだうだと思い悩んでいると、玄関のドアがノックされた。古いアパートでインターフォンは壊れている。

「え?何・・・こんな時間に・・・」

一瞬、縁を切ったトレヴァーかとも思ったが、違うだろう。誰だろうと思いながら、マイクはよろよろと立ち上がって、歩き、ドアを開けた。

「寒い!」

いきなりの怒鳴り声。これの持ち主は、マイクの体を掴んで、そのまま部屋の中に入り、ドアを閉めた。

「はっ・・・ハーヴィー!?」

「これで暖房マックスなのか?ヒーターの調子が悪いんなら、ちゃんと大家に言えよ」

「あ、うん・・・って、え、そうじゃなくて!なんで?なんで、ハーヴィーがここに来るの?」

「・・・そりゃあ、会食が終わったからだろう。まあ、その後、バーでも飲んだが。君が残業してるかと思って事務所に寄ったがアソシエイト・オフィスには誰もいなかったから、こっちに来た。それにしても、随分と散らかしてるな。ん?おみくじクッキーか」

そう言って、ハーヴィーが紙袋から一つのクッキーを取り出した。

「あ!だっ、だめ!!!!」

「いいだろう、一つくらい。ケチケチするな」

パキンッと割って、中から細長い紙を取り出す。

「ほう。これは、意味深だな。いや、俺に対する説教とも言うべきか」

「な・・・何だったの?」

「見るか?」

ハーヴィーが紙を差し出す。マイクをそれを受け取って読んだ。

『誰よりも大切な人に、最上級のお詫びを』

「マイク」

ハーヴィーがマイクの体を引き寄せて腕の中に閉じ込める。

「悪かったな、今夜は。君との約束の方が先だったのに。いつもなら会食なんぞは断るんだが・・・新しいクライアント開拓のために必要だった。・・・ジェシカにも言われたしな」

「・・・そっ・・・そんなのっ・・・仕事優先なの、当たり前じゃん!!!」

ハーヴィーの腕の中で、驚きながらも、マイクはいい子の返答をした。そんなマイクの後頭部を掴み、無理矢理上を向かせる。

「まったく。本当に君は我儘を言わないな。聞き分けが良すぎて、こっちは不安になる」

「ふ・・・不安?」

「ああ。俺の方が一方的に好きなんじゃないか、とな」

「そっそんなこと!!!」

「・・・ない、か?」

マイクはコクコクと頷いた。

「ぼ、僕だって・・・僕の方が一方的に・・・好きになって・・・貴方に迷惑をかけてるんじゃないかって・・・そう思った・・・」

「今夜の埋め合わせは、ちゃんとするから」

「いっ・・・いいよ・・・気にして・・・ないし・・・」

「本当に?」

「・・・う・・・本当は・・・ちょっとだけ・・・それに、おみくじだって嫌なことしか書いてなくって・・・落ち込んでた」

そんなマイクの言葉を聞いて、ハーヴィーがマイクに口付ける。

「んっ・・・」

久しぶりのキス。しばらく、唇を重ね、離れた後、ハーヴィーが笑って言った。

「エビチリの味がする。夕食は中華デリか」

「えっ・・・やっ・・・ちょっと!やだっ、最低!歯・・・磨いてくる!!!!」

「今更だろう。それよりも、今夜、泊まっていっていいか?」

「えっ・・・掃除してないし・・・シーツだって洗ってないし・・・暖房・・・あんまり効いてないし・・・」

「ああ、それも今更だな。一緒に寝れば寒くないだろう」

二人が立っている場所からベッドへはほんの数歩だ。ハーヴィーがマイクを抱いたまま、ベッドににじり寄る。

「あ、ダメ!ハーヴィー、スーツが皺になるから!ちゃんとハンガーにかけて!」

そう言って、マイクはハーヴィーの腕から逃れると、クローゼットからハンガーを出して、ハーヴィーに手渡した。

「まるで、世話女房だな」

「僕の安物スーツとは違うんだからね!」

ハーヴィーからジャケットを預かるとハンガーにかける。

「あとは自分でやる。君は先にベッドに入ってろ」

「え・・・う・・・」

「ほら、早く」

「ん・・・うん・・・」

マイクはハーヴィーに背を向けて、もぞもぞとベッドに潜り込んだ。

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恥ずかしくて、マイクはシーツを頭から被っていた。そこへハーヴィーが体を入れてくる。そして体を重ねる。

「温かいな、君の体は」

「・・・ハーヴィーもね。・・・でも・・・その・・・どうして、こうなるの?」

「何の話だ?」

「その・・・どうして僕たち、裸で一緒のベッドにいるの?」

「・・・君に・・・好きだと言われたから」

「うん。そうだね。僕、ハーヴィーのことが好きだから、好きって言った。でも、ハーヴィーはそれを真に受けたりしなくたっていいんだよ?・・・もちろん・・・その・・・ちょっとした遊びっていうんなら・・・それならそれで付き合うけど・・・さ・・・」

「遊び?」

「うん。ほら、僕、男だし。貴方が今まで付き合ってきたゴージャスな女性たちとは違うし。だから、その・・・なんていうのかな・・・あ・・・ああっ・・・」

グズグズ言っていると、いつの間にかローションで濡らしたハーヴィーの指がマイクの後孔に潜り込む。

「悪いが、遊びで男を抱く趣味はないんだ。いろいろなリスクを考えた上で抱いた。だから、中途半端な気持ちじゃない。何よりも、君の想いに応えたかった。・・・同じ気持ちだったからな」

「同じ・・・気持ち・・・?」

「ああ。俺も、君が好きだということだ」

指を抜き、硬くなった自分をマイクの中に潜り込ませる。久しぶりで狭いそこは、かなりキツかった。けれども、マイクは呼吸を整えながら、それを受け止めた。ハーヴィーの『好き』という言葉が頭の中で木霊する。嬉しくて、泣き出しそうになる。

ハーヴィーはマイクの腰を掴むと、その体を抱き起こした。

「あ・・・はぐっ・・・くっ・・・」

自重でハーヴィーのすべて飲み込んでしまう。苦しい。けれども、幸せ。目の前にハーヴィーの顔がある。ハーヴィーの指が、マイクの体の至るところを触ってくれる。マイクは髪を撫でられたり、頰を触られたり、耳朶を甘噛みされたりして嬉しかった。次第に体に芯が熱くなる。マイクは軽く唇を噛みながら、指先でクタクタのシーツを探って引き寄せた。そして、自分とハーヴィの狭間にシーツをかける。

「どうした?」

「・・・だって・・・恥ずかしいから・・・」

あまりの気持ち良さに、触られてもいないのに、勃ち上がりかけている自分をシーツで隠したのだ。それを悟って、ハーヴィーが微笑む。

「感じてるんだな。久しぶりだったから、もっと辛いだろうと思っていたが・・・まさか、自分で慰めたりしていたか?」

「んっ・・・あ・・・し、仕事が忙しいのに・・・そんな暇があると・・・思う?貴方と違うんだから・・・」

「何を言う。俺だって、君を抱いて以来、誰とも寝ていないぞ。男女関わらずな」

「・・・何・・・それ?どういうこと?」

「君、一筋・・・ということだ」

ハーヴィーがシーツの下で体を揺らす。

「はっ・・・あ・・・あ・・・」

「ちゃんと言っていなかった俺も悪かったな。・・・マイク、愛してる」

「・・・ほんと?」

「ああ。『好き』なんか、とっくの昔に通り越して『愛してる』んだ」

「・・・知らな・・・かった・・・ありがと・・・ハーヴィー・・・」

マイクは、ぎゅっとハーヴィーの体を抱きしめた。

END