夕方から雨が降って来た。
クライアントの所から直接、自分のペントハウスに戻っていたハーヴィーはマイクを待っていたが、すでに仕事を終えて着いているであろう時刻になってもマイクが現れない。さっきから何度も、腕時計を確認する。携帯に電話もしたが、 マイクの方のバッテリーが切れてるのか、繋がらなかった。
『探しに行くか・・・』
と部屋のドアを開けたら、そこに雨でずぶ濡れになったマイクが立っていた。
「マイク!何をやってるんだ、君は!」
「ハーヴィー・・・」
「今、着いたのか?」
「・・・10分くらい前・・・かな?」
「だったら、さっさと入ってこい」
ハーヴィーがマイクの腕を掴んで部屋の中に引き込もうとしたが、マイクは動かなかった。
「マイク?」
訝しげに見ると、マイクが困ったような表情をハーヴィーに見せた。仕事では見せないような顔だ。何か、あったのか。心配になって、冷たくなった頰に手のひらを当てて、もう一度、名前を呼んだ。
「マイク?」
マイクの返事の代わりに、違う音が聞こえて来た。
「きゅーん」
「は?な・・・何だ・・・今のは」
申し訳なさそうな表情をしたマイクのジャケットの中がもぞもぞと動いている。よく見れば、マイクも片手で腹の辺りを押さえている。
「あの・・・ね・・・ハーヴィー・・・」
話しかけたマイクのジャケットの中から、薄茶色の物体が出てくる。
「きゅん!きゅん!」
それは・・・仔犬だった。つぶらな黒いくるりとした丸い目でハーヴィーを見上げてくる。その目は、出会った頃のマイクの目に心なしか、似ているような気がした。
ずぶ濡れになったマイクがシャワーを使っている間、ハーヴィーは少しだけ温めたミルクを皿に入れて、床に敷いたバスタオルの上に座っている仔犬に与えてみた。犬用のペットフードなんか買い置きしていないし、何を食べさせたらいいか分からないし、とりあえず、ミルクなら害もないだろうと思ったからだ。薄茶色の仔犬は、ミルクの皿に気づくと目をキラキラさせて、可愛らしい音を立てながら飲み始めた。その姿を眺めているとマイクがバスルームから出て来た。
「ちゃんと温まったか?」
「うん!あ!ハーヴィーにミルクをもらったんだね!ありがとうハーヴィー」
「まあ、座れ。事情を説明しろ」
「あ、うん・・・」
ハーヴィーに促されてマイクがソファに座る。
「今日、プロボノの後、まっすぐここに来るつもりだったんだ。で、セントラルパークを通って来たんだよね。そうしたら、雨が降って来て・・・。雨宿りしているうちに止むかなぁ・・・なんて思ってさ、木の下のベンチに座ったんだよね。あ、ハーヴィーに連絡をしようとは思ったんだよ?でも、今日はいろんなところに連絡することがあったり、ネットで調べることがあって、バッテリーが切れちゃってさ。・・・ごめんなさい」
「わかった。それはいい。それよりも、あれは?」
ハーヴィーが薄茶色の物体を指差す。皿のミルクを飲み終えた仔犬は、ぽんぽこりんのお腹を上にして、夢の世界に行ったらしい。
「可愛いよねぇ」
マイクが仔犬を構おうと動くのを、ハーヴィーが止めた。
「マイク、話が先だ」
「えー・・・撫でたい・・・。あんなに可愛い、お腹・・・」
「マーイク」
「はーい。・・・んでまあ、ベンチに座っていたら、仔犬をの鳴き声がしたんだよ。ベンチの後ろの茂みから。ちっちゃいダンボールに入ってた」
「捨て犬か」
「うん。置き手紙が入ってた。ちょっと待ってて」
マイクが立ち上がり、乾かしているスーツのポケットから1枚の紙切れを取り出して、持って来る。
「これ。これが一緒に入ってた」
『僕のパパかママになってください ピーター』
「ふうん」
「雨だしさ。見捨てられなくてさ。それに、僕を見てキュンキュン鳴くんだよ。・・・気づいたら、抱き上げて、スーツの中に入れてた。・・・でも、ハーヴィーに迷惑をかけちゃいけないと思って、一度は自分のアパートに向かったんだ!」
「そうしたら、アパートがペット不可だったことに気づいたんだな」
「・・・まあ・・・そういうこと・・・なんだよね。ごめんなさい、ハーヴィー」
「それで?どうするんだ?そいつは」
「・・・どうしよう・・・」
マイクは泣きそうな顔でハーヴィーを見上げた。
「良かったねー!ピーター!ハーヴィーは本当に優しいんだよ!」
マイクが薄茶色の物体・・・ピーターを抱き上げて頬ずりする。ピーターも嬉しそうに、マイクの顔を舐め回している。
「くすぐったいよ!ピーター!」
言いながらもマイクは笑顔だった。とりあえず、マイクが元気で笑顔であれば満足なハーヴィーなので、その光景を眺め、『まあ、いいか』と思う。これで、マイクがうちにくる回数も増えるだろうし、いっそのこと、一緒に住んでも構わない。
きゅんきゅんはふはふ言いながら甘えるも仔犬も可愛いのだろうが、その相手をしているマイクの方が数倍可愛いと思っているハーヴィーだ。
「ねえ、ハーヴィーも抱っこして!」
「いや、俺はいい」
「えー。抱っこしてあげてよ!」
仔犬を差し出されて、無理矢理、胸に押し付けられる。仕方がないので、温かい子犬の体を落とさないように気をつけながら、抱いてみた。
「どお?ね?可愛いでしょ?」
「あ、ああ・・・可愛いい・・・な?」
抱き上げた仔犬が自分を見上げる表情を見て、ハーヴィーは一瞬にして固まった。ちょっと待て、なんだ、この挑戦的な目付きは。何か、邪悪な視線を、ハーヴィーは仔犬から感じた。さっきまでの、『きゅんきゅんはふはふ』といった可愛げな態度ない。例えるなら、「かったるいなー。さっさとおろせよー。つか、元に戻せよー」という声が仔犬の全身から醸し出されている。目が・・・座っているのだ。さっきまでの、マイクに抱かれていた時の、あの黒いつぶらな瞳は何処へ行った。それどころか、両手両足を突っ張るようにして、ハーヴィーから距離を取ろうとしている。
「良かったねー、ピーター。ハーヴィーにも抱っこしてもらって!」
マイクが屈託無く笑う。が、ハーヴィーの心中は穏やかではない。絶対、この仔犬・・・もとい、薄茶色の物体は、自分に敵意を抱いている。仕事でも敵の多いハーヴィーは瞬時に察した。
「マイク。君が抱いてみろ」
「え?もういいの?」
「ああ」
マイクがハーヴィーからピーターを受け取ると、ピーターはブンブンと尻尾を振り始めた。そして、きゅんきゅんはふはふと、マイクに甘え出す。何だ、この態度の違いは。憮然とするハーヴィーだった。
「マイク。犬はベッドの下だろう」
「え?だって、まだピーター用の寝床を用意してないし」
「ダンボールにバスタオルでも敷けばいい」
「可愛そうだよ!ダンボールに入れて捨てられてたんだよ!?きっとダンボールはトラウマだよ!」
犬にトラウマなんかあるのか?と思いつつも、マイクに『お願い』の表情をされると弱い。
「・・・わかった。今夜だけだぞ」
「ありがとう!ハーヴィー!良かったねー、ピーター!」
いそいそとマイクがピーターを抱き上げて寝室に向かう。もちろん、ハーヴィーもその後を追う。
マイクがベッドの足元の方にピーターを寝かせ、自分もベッドに入る。ハーヴィーも足元のピーターに気をつけながら、マイクにキスをして隣に横になった。
夜中すぎ、寝返りをうつついでに、マイクを腕の中の収めてやろうと、ハーヴィーは腕を伸ばした。マイクの柔らかな髪の毛。髪・・・髪・・・髪・・・ちょっと待て。一体どこまで髪の毛があるんだ。ハーヴィーは起き上がって、サイドテーブルの灯を点けた。そこには、足元で寝ていたはずの薄茶色の物体がマイクにくっついていた。
「こいつ・・・いつの間に・・・」
ハーヴィーが薄茶色の物体を抱き上げようとした時、その目がパチリと開いた。そして、
「ウー」
と、小さく唸る。
「んん?・・・あれ?」
マイクが眩しそうに目を覚まし、起き上がった。
「うわぁ!ピーター、こっちにきたの?そっかー。そうだよね。足元は寂しいもんね。僕とハーヴィーの間で寝たら寂しくないよね!可愛いなぁ、ピーター。ね?ハーヴィー?」
首を傾げて殺人級に可愛い笑顔を向けるマイク。その胸元で邪悪な笑みを浮かべる薄茶色の物体(その表情はマイクには見えていない)。ハーヴィーは作り笑いをして唇を噛んだ。
「そ・・・そうだな・・・」
「で?ハーヴィー、灯なんかつけてどうしたの?何か、あった?」
「いや・・・」
「あ!ピーターのことを心配してくれた?ありがとう、ハーヴィー!やっぱり、ハーヴィーは優しいね!わかった?ピーター。ハーヴィーはこんなにも優しいんだよ!」
薄茶色の物体を抱き上げて、頬ずりをするマイクにハーヴィーは心の中で舌打ちをする。
マイクに対しては、『きゅいんきゅいんはふはふ』と甘えるが、その最中、ちらりとハーヴィーに寄越す視線は、全然可愛くない薄茶色の物体。ムカつく。
しかし、マイクが薄茶色の物体を抱いたまま、ハーヴィーに顔を寄せてきたので、その唇を捉えようとハーヴィーもマイクに近づいた。その瞬間。
「わふっ」
ハーヴィーとマイクの間に割り込んでくる、薄茶色の物体。
「あれ?ピーターもキスがしたかったの?甘えん坊だねー。はい、ハーヴィー。ピーターにキスしてあげて」
マイクがピーターの顔をハーヴィーに向ける。その顔は・・・ヤバい。こいつ、絶対に噛んでくる。
「いや・・・いい」
ハーヴィーは丁重にお断りした。
「そう?じゃ、僕がキスしてあげる」
マイクが薄茶色の物体の鼻と自分の鼻をくっつけて、にっこりと笑う。
ハーヴィーは気づかれないように天井を見上げ、心の中で溜息をついた。一体、どうなるんだ。これからのマイクとの生活は。今、自分の前に、薄茶色の物体という壁が立ちはだかっていることを、はっきりと自覚したハーヴィーだった。
END