Wild animal lives in the forest. 02

「カマロー!カマカマー!カマちゃーん!」
などと、愛馬の名前や愛称を呼びながら、15分ほど歩いただろうか。北の森は更に鬱蒼としてきた。かろうじてあるような、獣道に、カマロの足跡がないか確認しながら、そして周囲も見回しながら歩く。しかし、馬の足跡のようなものは見つからなかった。草木の匂いがきつく、深くなってくる。森林浴をしているかのような気がしないでもないが、森の匂いが濃すぎて、王子は次第に息苦しくなってきた。
後ろを振り返る。
「え?」
王子は青い瞳を見開いた。今、自分が歩いてきたであろう獣道が消えているのだ。というか、自分が歩いてきた空間がない。左右上下、緑一色。たまに木肌の茶色。
「そういえば・・・・・・」
王子は、ごくりと唾を飲み込んだ。父と母が聞かせてくれた北の森の話。この森には毛むくじゃらの野獣が住んでおり、その野獣は妖かしの術が使えると。そして、森に迷い込んでしまった人間を、二度と森から出られないようにするのだと。森は妖かしの術によって、樹海へと変貌するのだと。
もしかして、自分は今、その樹海にいるのはないか。王子のこめかみに汗が浮かんだ。
ザワザワザワザワ。
急に森の葉音が耳につく。
ザザザザザーっ。
自分が進もうと思った方角から、突然、葉音とは違う、もっと大きな音が聞こえた。思わず、剣の柄に手をかける。
「誰だ!誰か、いるのか?・・・カマロか!?」
・・・・・・・・・・・・。
返答はない。カマロも現れない。
気のせいか。そう思ったとき、森の中からぬっと黒い人影が現れた。王子は反射的に剣を引き抜いた。武術は苦手とはいえ、日々、半ば強制的に近衛隊長のルー・グローヴァーからスパルタ特訓を受けているのだ。その成果を今こそ発揮すべきときとばかりに、両手で構えた。が。
「痛い!!!」
王子は、叫んで剣を落とした。
そう。王子の手のひらには棘が刺さっていたのだ。それを忘れて強く柄を握りしめたものだから、よりいっそう棘が刺さり込んでしまったのだ。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!!」
痛みに弱い王子だった。棘の刺さった左手を見ながら、その場足踏みで大騒ぎをする。黒い人影のことなど、何処へやら、である。だから、その人影が自分に近づいてきても、まったく気づかない。
「戦う前から怪我をしているのか」
「へ?・・・うわああああああああ!!!!」
自分よりもずっと背の高い人間に左手首を掴まれて持ち上げられる。背の低い王子は、自然と爪先立ちになる。
野獣?野獣?もしかして、これって野獣!!!!????
心の中で叫ぶ王子。薄暗い森の中。相手の顔はよく見えない。けれども、毛むくじゃらでないことはわかる。
「だ・・・誰だ?」
「ふん?俺が人に見えるのか?」
王子は少し目を細めた。次第に相手の輪郭がはっきりとしてくる。冷静になって見ると、黒い人影は明らかに人間だった。ダークブラウンの髪とヘイゼル色の瞳。黒い人影と思ったのは、まさに黒い衣装を着ているからだ。
「みみ、見える。誰・・・なんだ?」
「人に名を尋ねるときは、自分から名乗るのが礼儀だと思うが?」
確かにそうだ。王子たるもの、礼儀正しく振る舞わなければならない。しかし、この段階で自分が王族であり、本来であれば自分から自己紹介などする必要などないことはふっとんでいた。しかし、今、ここで、自分が王族であることを知られるのもまずい。相手が何者かわからないのだから、なおさらだ。
「わ・・・お、俺は、ダニエ・・・じゃなくて、ダノ。と、通りすがりのき・・・貴族だ」
つま先立ちのまま言う。
「通りすがりね。まあ、いい。俺は、スティーヴ・マクギャレットだ。お前と同じ貴族の出自だ。」
王子は頭の中で貴族録を検索する。しかし、マクギャレットという家名に聞き覚えがなかった。
「棘か。少し歩けば、俺の館がある。治療しよう。歩けるか」
ようやくスティーヴと名乗る男が王子を地面に下ろした。そして、落ちた剣を拾い、王子に渡す。
「そんな物騒な物は早くしまうといい」
「そ、そうだな」
王子は痛くない方の手で、剣を受け取り、鞘に収めた。
スティーヴは王子の手首を掴んだまま、歩き始めた。故に、王子も一緒に歩くしかない。
「何故、ダノはこんな所にいた。ここは北の森。そうそう、人が近づかない場所だ」
「いやまあ、そうなんだけど。馬が、俺の馬がこっちの方に走って行っちゃったから」
「馬?それは・・・黒い馬か?」
「そう!カマロてっていうんだ。黒毛の美しい、駿馬なんだ」
「それなら、さっき館に迷い込んできた馬がそうだろう」
「え?いるのか?」
「ああ。元気に干し草と人参と角砂糖を平らげ、おかわりを要求してきた」
「・・・・・・すみません」
カマロ、食い意地のはった、駄馬丸出し。
「でっでも、愛嬌はあるんだ!可愛いんだ!」
「そうだな。馬鹿な子ほど可愛いというからな」
否定できない王子だった。

5分ほど歩くと、急に森が開けた。天空から光が燦々と差し込んでいる。これが北の森の中とは思えない光景だった。
「すごい。この森に、こんな所があったなんて」
手入れされた庭の向こうに館が見える。けして華美ではなく、石造りの堅牢さはあるが、冷たい感じはしない。
「ここに住んでいるのか?マクギャレットは」
「スティーヴでいい。俺もダノと呼ばせてもらう」
ダノはダニエルの短縮形ではない。それをいうなら、ダニーだ。けれども、ダニエルは姉妹と弟から、ダノと呼ばれていた。そこはかとなく本名に近い偽名ということで、自己紹介のときに咄嗟に出たのだ。
エントランスの前に二人がたつと、その重厚な扉が自然と開かれた。きっと使用人が中から開けているのだろうと、王子、ダニーは思った。
客人ともてなすであろう部屋に通される。品の良い刺繍が施された座面を有する椅子に座らされる。
「ちょっと待ってろ」
スティーヴが部屋から出て行った。一人取り残されるダニー。ぐるりと部屋の中を見回してみる。王宮とは全く雰囲気が違う。言うなれば、質実剛健。けれども、寒々しい感じはしないのだ。
ギィっと扉が開き、スティーヴが戻ってきた。片手に布のかかった銀製のお盆を持っている。
「まずは棘を抜こう。剣を握ったときに、深く刺さり込んでいるだろうから、痛いと思う。我慢できるか」
「で、できる」
王子たるもの、泣き言は言わない。
スティーヴはお盆を小さなテーブルの上に置き、それからダニーの左手を取った。右手には金色の棘抜きを持っている。
手のひらからほんの少しだけ見えている棘の端っこを器用にとげ抜きで掴む。そして、すっと一気に引き抜いた。一瞬だけ痛かったが、本当に一瞬だけだったので、ダニーは声をあげることもなかった。侍従長のチンよりも器用かもしれない。
しかし、ダニーは次の瞬間、「あっ」と声を上げてしまった。何故なら、スティーヴがペロリと棘が刺さっていた場所を舐めたからだ。
「このぐらいなら消毒薬を使うまでもない。包帯はどうする?」
「い・・・いらない!このくらい、大丈夫だ!」
心臓をどきどきさせながら、ダニーは答えた。
「そうか。なら、ご褒美をやろう。馬は飼い主に似るというからな。お前の馬があんなに食べるのなら、お前も腹が減っているだろう」
そう言って、スティーヴは銀のお盆から布を取り去った。
現れたのは、美味しそうな焼き菓子と紅茶だった。甘いモノが大好きなダニーは目を輝かせる。
「食べていいの?」
「そのために持ってきた」
「スティーヴは?」
「俺は甘いモノは得意じゃない。好きなだけ、食べるといい。食べたら、森の出口まで送ってやろう」
「ありがとう!」
はぐはぐとマドレーヌを食べる。美味しかった。宮廷料理人が作る菓子よりも美味しいかもしれない。
「スティーヴ!これ、絶品だな!」
「そうか。それを聞いたらキャサリンが喜ぶだろう」
「キャサリン?奥方か?」
「違う。メイドだ。うちの使用人は、館の中の仕事するキャサリンと、外仕事をするデュークの二人しかいない」
「え?こんなに広い館なのにか?」
「ここに住んでいるのは俺だけだからな」
王宮でたくさんの使用人に囲まれているダニーには驚きのことだった。下級貴族だって、王宮ほどではないが、たくさんの使用人がいる。まあ、それは殆どの場合、見栄をはるのが理由だったりもするのだが。
「ねえねえ、これ、持って帰っていい?」
3個目のマドレーヌを頬張りながら、ダニーがお菓子を指差す。
「よっぽど気に入ったらしいな」
「うん。おう・・・じゃなくて、うちにスカウトしたいくらいに菓子作りが上手だと思う。えっと・・・そのキャサリン?」
「そうか。伝えておく」
一瞬、「王宮」と言いかけて、慌てて言い直す、王子ダニエル。
「キャサリンに包ませよう」
そう言って、スティーヴ・マクギャレットは笑みを浮かべた。

二人で厩舎に行くと、カマロの他にもう一頭、馬がいた。ダニーはスティーヴの馬だろうと当たりをつけた。カマロと同じ、黒毛の馬。いや、違う。黒に見えるが、光の当たり具合で深い群青色にも見える。しかし、とても手入れの行き届いた、綺麗な馬だった。
「初めて見る色だ」
あまりの美しさにダニーが感嘆の声を上げる。
「シルバラードだ。カマロほど足は速くないが、賢い馬だ」
「いやいやいやいや。カマロは馬鹿かもしれないけど、可愛いんだ!」
「わかってる」
二人で馬を外し、広いところへと誘う。
長身のスティーヴはひらりと乗ることができるが、小柄なダニーは「うんしょっ」と気合を入れないとカマロに乗ることができない。
「ついてこい」
スティーヴがシルバラードを操り、歩き始めた。
「えー。なにこれ。ちゃんと道がある。これ、さっきの道と違うよな」
「あれは道じゃない。獣道でもない。あれは、道無き道だ」
「道無き道?」
「そうだ。ダノも、この北の森の伝説は知っているだろう」
「ああ、まあ。有名だもん。毛むくじゃらの野獣が住んでるって。妖かしの術を使って、人が迷い込むと森を樹海に変えて取り込んでしまうって。でも、それって嘘だったんだなー。住んでるのは、野獣じゃなくて、貴族だもんな」
馬が二頭並んですすめるくらいの幅がある道だった。きっとカマロはこの未知を走って、スティーヴの館へとたどり着いたのだろう。30ほど進むと、森と草原の堺に出た。ダニにも見覚えのある場所だった。
「なんだー。ここに出るのか!なあなあ、スティーヴ。また、あんたの館に遊びに行ってもいいか?」
「何故?」
「マドレーヌが美味しかったから!・・・それと、あんたともっと話をしてみたいと思ったから!」
「いいだろう。しかし、条件がある」
「何?」
「今日、北の森で俺に会ったことは誰にも言うな。そして、北の森にスティーヴ・マクギャレットという貴族が住んでいることもだ。北の森には野獣が住んでいる。その伝説をそのままにしておくんだ」
「えー?何で?」
「俺は、あの森で、静かに暮らしたいんだ。約束できないなら、もう二度と会わない」
「んー。それは嫌だ。会いたい。わかった。誰にも言わない。約束する」
「それと一人で勝手にこの森に入るな」
「え?何で?もうスティーヴの館に行く道はわかったよ?一人で行けるし。まあ、カマロに乗って行くんだけど」
「駄目だ。この場所に、迎えを寄越す」
「でも、いつ俺がここに来るかわからないじゃないか」
「大丈夫だ。わかる」
ニヤリとスティーヴが笑う。その表情を見て、何故かダニーも納得できた。
「わかった。今度、いつになるかわからないけど、絶対にここに来る。そうしたら、迎えがくるんだな?それって、さっき行ってたデュークって使用人?」
「違う。来ればわかる」
「なんか、謎解きみたいだな。面白いから、その時までの楽しみにしてる。それと、お菓子をありがとう。キャサリンによろしく言ってくれ!」
ダニーは笑ってそう言った。スティーヴも笑顔で応える。
「またな!スティーヴ!」
「ああ。また会おう」
ダニーが手綱でカマロに合図を送る。カマロの美しい駆け足。
その後姿を、スティーヴはしばらく笑顔のままで眺めていた。

「おかえりなさいませ、ご主人様」
「ああ。キャサリン、ダノがお前の菓子を褒めていた」
「まあ。それは光栄です。それにしても、よろしゅうございましたね、ご主人様」
「何がだ」
「わかっていらっしゃるくせに」
キャサリンは笑いながら会釈をし、スティーヴの部屋を辞した。
スティーヴはたいして面白くもない顔をして、鏡の前に立った。館の中の唯一の鏡。
その中には、毛むくじゃらの野獣が映っていた。

END