ハーヴィーは家に着くと、マイクをレクサスから抱きおろした。黒いハイヒールもきちんと持っている。
「歩けるよ、ハイヒールを履かなきゃね」
「駄目だ。お休み、レイ」
「お休みなさい、ハーヴィーさん」
「あ、お休みね、レイ。この格好のことは内緒にしておいてね」
「わかりました。マイクさんもお休みなさい」
レイの運転するレクサスが消えるのを見て、ハーヴィーが歩き始める。もちろん、マイクを横抱きにして、だった。マイクも諦めて、大人しく、腕をハーヴィーの首に回している。
「重くない?」
「前にも言っただろう。鍛え方が違う」
「そんなに鍛えてるんだなら、ハーヴィーもハイヒールに挑戦してよ」
「嫌だね」
「あーあ。僕ばっかり、こういう目に会うんだよねー」
至近距離で見るマイクは、やはりマイクだ。抱き上げる体も当然、男の体だ。
しかし、あのパーティー会場で黒いドレスのマイクを見たとき、言葉を飲み込んでしまうほど、美しいと思ったのも事実だった。本当に優雅に、歩き、佇んでいたのだ。声はアルト気味ではあるものの、上品な女性の話し方だった。絶対に、あのミランダよりも、美人だった。
部屋に入ると、マイクの要求で床に降ろしてやる。本当なら、ベッドルームに連れ込みたかったが、それについてはマイクが激しく抵抗した。けれども、キスぐらいはしたい。
目の前に立つ、マイクの頰を両手で包むと、ハーヴィーはそっと顔を寄せた。しかし、マイクは両手で胸を押し、口づけを遮る。
「マイク?」
「ごめん。・・・この姿であなたとキスするのは、嫌だ」
誕生日のときとは違う反応にハーヴィーは少し戸惑う。よく見ると、長い睫毛の奥の、スカイブルーの瞳が揺らいでいるのがわかる。赤いルージュで彩られた唇もきつく噛んでいる。
「どうした?マイク」
「ごめんなさい。なんか、ちょっと変。疲れたかな」
確かに、ハーヴィーがオフィスを出た後、ライオネルの資料を調べ直したのだろう。そして、ジェシカに報告してから、身なりを変えてパーティー会場に現れたのだ。そして、ライオネルに突きつけた言葉の数々。マイクが現れなければ、きっとハーヴィーは面倒なことに巻き込まれていたに違いない。ハーヴィーは労うように、マイクの頰をスッと撫でた。そんなマイクの瞳から涙が溢れた。
「マイク?」
「あ、ごめん。なんで、涙が出るんだろう。おかしいよね」
ハーヴィーは親指で涙を拭うと、
「先にバスルームを使え」
と言って、マイクを肩を軽く叩いた。
「ああ、でも、ネックレスを外してやる。ドレスのファスナーも。自分じゃ、無理だろう」
「あ、うん。お願い」
マイクは素直にハーヴィーに背中を向けた。そして、ネックレスを外してもらい、背中のファスナーも下ろしてもらうと、そのまま振り向かずにバスルームに向かった。
大理石の洗面台に両手をつき、マイクは鏡の中のミッシェルを見た。
『付き合っているんです』
『結婚も考えているんです』
ハーヴィーの言葉が蘇る。マイクは首を振った。あれは、ミッシェルに対しての言葉だ、と。けれども、あの瞬間、マイクは嬉しかった。たとえ、ライオネルに対する嘘だったとしても、嬉しかった。ドナには完全にバレているが、二人の関係は秘密だ。無資格以上の秘密だ。第三者に対して、マイクがハーヴィーの恋人であることを彼が言うわけがない。ミッシェルでいたから、ハーヴィーはああ言ったのだ。
マイクはため息をつきながら、自分をミッシェルたらしめるものを、一つずつ体から剥いでいった。そして、メイクを落とすために、頭から熱いシャワーを浴びる。ゴシゴシと力を入れて顔を擦る。流れるメイクと一緒に、涙も流れている。
良かれと思ってやったことだが、こんなにも自分が傷つくとは思っていなかった。
「ハーヴィー。勝手にバスローブを借りたよ」
「構わない。それより、これを飲んでみろ。パーティー会場では飲めなかったんだろ?」
「貴方を探すのと、足が痛いのとでそれどころじゃなかった。・・・赤ワイン?あれ・・・違う・・・スパークリングだ。え?赤のスワークリングワイン?」
「イタリアのランブルスコだ。そう、高いものじゃないが、結構美味い」
「うん。美味しい。へえ・・・スパークリングワインって赤もあるんだね」
「腹は減ってないのか?」
「あんまり。脱税の証拠探しのとき、ドナがサンドイッチを差し入れてくれたから」
「よく見つけたな」
「まあね。だって、ライオネルを潰す証拠を見つけなきゃ、ハーヴィーが無理矢理結婚させられるわよって、ドナが言うからさ」
「躱す自信はあったんだが」
「でも、ジェシカは、ライオネルの娘と貴方が結婚して、事務所に利益があるなら、それでもいいって思ってたみたいだよ」
「ジェシカめ。俺に身売りをさせるつもりだったのか」
「だって、事務所第一の女性だもん。だからこそ、脱税の証拠が見つかったとき、即座にライオネルを切ることを決めたよ。ジェシカは」
「そうか。マイク、君のおかげだ。俺も事務所も助かった」
「たまには役に立つでしょ?」
「?・・・いつも役に立ってるだろ」
「そお?・・・美味しいね。これ」
「マイク。目が赤いぞ」
「・・・これは・・・メイクを落とすのに、擦ったから」
「さっき、泣いただろう」
「泣いてないよ。ホッとして、涙が出ただけ。男だってバレないか、正直、ヒヤヒヤしてたんだから」
「完璧だった」
「ドラッグ・クイーンのお姉さんのおかげ」
「しかし、立ち振る舞いや、言葉遣いは違うだろう」
「さっきも言ったけど、気合い」
「その気合はどこから?」
「どこって・・・そりゃさ、貴方が結婚させられるって・・・聞いちゃったらさ。うん。やっぱり、結婚は好きな人とした方がいいよ。ハーヴィーにも早くそういう人が現れるといいね。ああ、僕のことは気にしないで。僕たちの関係性は十分にわかってるから」
「マイク?」
「ごめん。・・・疲れちゃった。ベッド、先に借りてもいい?」
「・・・わかった。先に寝てろ」
「ありがと」
マイクは半分ほど赤い液体が残ったグラスを片手に持って、寝室に消えた。その後ろ姿を、ハーヴィーは複雑な表情で見送った。
ランブルスコを飲み干し、マイクはベッドに潜り込んだ。サラッとしたシーツが心地よい。バスルームから、水音が聞こえる。もう少ししたら、ハーヴィーが来る。そうしたら、いつものようにセックスするんだろうなぁ・・・と頭の隅でぼんやりと考える。本当はそんな気分ではなかったが、きっとそうなる。そして、自分は流される。
付き合うってなんだろう。恋人ってなんだろう。そんなんことを考えなながら、マイクはそっと目を閉じた。