マイクにとって、ハーヴィーと仕事をすることは、とてもスリリングで楽しいことだった。日々の残業が気にならないくらい、毎日楽しく、充実した気持ちで仕事をしている。二人の会話に挟まれる映画ネタや、リフレッシュと称して屑かごに丸めた書類をシュートする遊びも面白い。そして、たまにオフィスで飲ませてもらえるスコッチとか。100%、自分の仕事ぶりを認めてもらえているわけではないだろうが、他のアソシエイト達よりは優遇されていて、ちょっとだけ自慢でもある。だから、もっと頑張ってハーヴィーの役に立ちたい。そう思う、マイクだった。
その夜も、二人は遅くまでオフィスに残って、作戦を練っていた。ハーヴィーとマイク、二人同時に、ローテーブルの上に書類を放り投げた。そして、ニヤリと笑みを交わす。これで、今度の法廷はバッチリだ、という意味だった。
裁判に勝った瞬間も好きだが、マイクは、この戦いに挑む準備が整った瞬間が最高に好きだった。何より、ハーヴィーと一緒、というのが良い。もちろん、一人での仕事も頑張るが、ハーヴィーと一緒の仕事の方が気分が高揚する。まるで、恋したティーンエイジャーが、好きな人と楽しいことを分かち合うような、そんな感じだった。
ソファから立ち上がったハーヴィーがグラスを2つ用意して、琥珀色の液体を注ぐ。ガラスの向こうの夜景をバックにしたその姿が格好良い。夜も遅いのに、トム・フォードのスーツに着崩れは一切ない。ジャケットを脱いで、シャツの袖を捲り上げている自分とは大違いだ。ネクタイだって緩んで曲がっている。マイクはそんな自分がちょっとだけ情けなくなった。そんな自分にグラスが差し出される。
「頑張ったな」
「・・・うん。・・・でも、まだまだ、だよ。もっと頑張らなくちゃさ」
マイクはグラスを受け取って、そっと唇を付けた。軽く、口内を焼くような心地良い味と香り。さすが、ハーヴィーのオフィスには良いお酒が置いてある。
ハーヴィーはマイクの隣に腰を下ろした。ちらりとその横顔を見ると、ハーヴィーの満足気な表情があった。その顔を見て、ホッとする。裁判はまだだが、勝てる、という確信があるのだろう。まあ、街一番のクローザーが負けるはずなど、ないのだが。
綺麗に整った顔立ちと勝気な瞳。笑うと目尻に寄る皺がチャーミングで、その笑顔を見るのがマイクは好きだった。今は、グラスの端を唇に当てながら、ガラスの向こうの夜景を見ている。
マイクは、こくんっとスコッチを飲み干した。
「じゃ、僕は帰るね」
シャツの袖を直しながら立ち上がろうとする、その腕をハーヴィーに掴まれた。
「えっ・・・何?」
驚いてハーヴィーの顔を見ると、そこには悪戯っ子のような表情があった。
「座れ」
腕を引かれて、ソファに座らされた。
「えーっと。もしかして、このお酒は、残業代の前払い?まだ・・・裁判の準備がある?」
「いいや。ない。準備はもう十分だ」
「なら・・・いいんだけど・・・その・・・」
間近に見つめられると、正直心臓に悪い。それでなくとも、大好きな顔・・・というよりも、大好きな存在なのだ。マイクにとって、ハーヴィー・スペクターという男は。心臓がドキドキする。
「じゃ・・・何?」
心臓の音がハーヴィーに聞こえやしないかと、そんな心配をしながら尋ねる。しかし、ハーヴィーはそれには答えず、ただ、マイクの腕を引き、もう一方の手で、頰に触れてきた。
「ハっ・・・ハーヴィー?あの・・・その・・・ちょっと・・・何?酔ってる?貴方・・・お酒強いよね!」
焦ったマイクはそんな言葉しか口にできなかった。しかし、どんどんハーヴィーの顔が自分に近いてくる。避けようにも、頰を抑えられるいるので、それもできない。もう、ぎゅっと目を瞑るしかなかった。一体、何の嫌がらせなのか。
スッと、唇を舐められた。マイクが、相手の名を叫ぶよりも先に、口を塞がれる。
「んっ・・・んんっ・・・」
スコッチの味のする柔らかい舌が入り込み、マイクの口腔内を優しく蹂躙する。それが心地よくて、マイクの体から力が抜け、ふわっと背中をソファに預ける。頭の中は真っ白だった。
ようやく、唇が離れて、頰を撫でられた。
「マイク、目を開けろ」
その声を合図に、マイクは恐る恐る、ゆっくりと目を開ける。けれども、視線はハーヴィーからずらす。というか、混乱して見られないのだ。果たして、今のはキスだったのか。仕事があまりにも忙しくて、書類のチェック中に寝落ちして、これは夢なんじゃないか、とか。様々な思考が脳内をグルグルとする。
「自覚しろ、マイク」
リアルなハーヴィーの声が聞こえてくる。夢の声とは思えなかった。
「俺は、自覚した」
自覚って・・・何?
そこで、マイクは恐る恐るハーヴィーを見る。
「聞いているか?・・・俺は君が好きだと、自覚した」
「・・・えーっと・・・それは、優秀な部下として認めてもらえたっていう・・・意味?」
「馬鹿か、君は。誰が、ただの部下にキスなんかするか」
その言葉で、『あー、やっぱりキスだったんだー』と納得する。どうやら、夢ではないらしい。
「本当は裁判が終わってからとも思ったが、今、言いたくなった」
「えっと・・・その・・・それは・・・」
「ついさっき、言っただろう。聞いていなかったか?まあ、何でも言ってやるが」
「いやっ・・・き・・・聞いてた・・・聞いてたけど・・・その・・・」
思わず、目が泳ぐ。心臓はドキドキするどころか、跳ね上がっている。
「君が好きだ」
「あの・・・その・・・」
「君が俺のことを好きなのは知ってる。だから、きちんと自覚しろ」
「え?・・・僕・・・ハーヴィーのこと・・・好き・・・なの?」
「何だ、そのセリフ。無自覚っていうやつは本当にタチが悪いな、まったく」
「いやっ・・・その、貴方は素敵だよ?いつも格好良いし、仕事もできるし、イケメンだし・・・」
「俺のことはいいから。君の気持ちだ」
「だって・・・その・・・」
「俺にキスされて、嫌だったか?ん?」
自信に満ちた表情で問われる。否定されるなんて、微塵も持っていない表情。
「・・・嫌じゃ・・・なかった・・・」
マイクも男だ。男にキスされて嫌だったら、力で跳ね除けていただろう。でも、それをしなかった。
「そっか・・・僕・・・ハーヴィーのこと・・・好き、なんだ・・・。いや、その、好きなんだけど・・・それは部下として好きっていうか・・・・格好良い上司で鼻が高いな、とか・・・そういうんだと思ってた」
「天才的な頭脳も、案外こういうことには役に立たないんだな」
そう言って、ハーヴィーはトンっと、人差し指マイクの額を突いた。
「だって・・・もう・・・虐めないでよ・・・」
「じゃあ、これで成立だな。ちゃんと付き合おう、マイク」
「付き合う?」
「ああ。仕事では上司と部下だが、それ以外では、恋人同士だ」
「うわぁ・・・」
「なんだ、嫌なのか」
「そ・・・そんなことないよ!・・・あまりの急展開に驚いているだけで・・・その・・・」
「ちゃんと、記憶しとけよ。俺の告白を」
「・・・フォトグラフィック・メモリーがなくったって・・・忘れられないよ・・・」
「そうか。それは良かった。じゃあ、その記憶をもっと強固なものにしてやろう」
ハーヴィーは両手でマイクの頰を包むと、再び、その唇に口付けた。今度は、じっくりと味わうように。