Hybrid dog 02

昨日できなかったルイスの書類と格闘していると、デスクの電話が鳴った。マイクはイヤホンを片方だけ外して、受話器を取る。

『おはよう、マイク。ご機嫌いかが?』

ドナだった。

「おはよう、ドナ。ちょっと寝坊して、朝御飯を食べ損ねて、どうしようかと思いながら、ルイスに頼まれた仕事をやっつけてるところ」

『あらあら。ハーヴィーが呼んでるわ。その前に私のデスクでキャンディーバーなんてどお?』

「ああ!ドナ!それって、今の僕には最高のご馳走だよ!今すぐに行く!」

『待ってるわ。それと・・・』

「何?」

『・・・ううん。やっぱりいいわ。来ればわかることだし。じゃ、待ってるわね』

「オーケー」

受話器を置きながら、少し口篭ったドナに対して、「あれ?」とは思ったが、マイクは席を立って、椅子にかけてあるジャケットを掴んだ。ハーヴィーを待たせる行為はあまりよろしくない。それに、空腹のマイクにとってはキャンディーバーでさえも魅力的だった。

「お待たせ、ドナ」

「はい、お約束のキャンディーバー」

「ありがとう!女神様みたいだよ、ドナ」

ドナからキャンディーバーを受け取り、すぐに包みを開く。マイクの好きなナッツ入りだ。しかもそこらの店で売っているものではない。ドナおすすめの専門店で売っている、ちょっと高級なお菓子だ。

「今、ハーヴィーから頼まれえている仕事はないんだけど。・・・新しい案件かな?」

「んー。たぶん、違うと思う。ねえ、マイク」

「ん?何?」

「私はマイクが好きよ?」

「何?どうしたの?急に!驚くよ!?」

「貴方は、最高にキュートだから」

「キュートって・・・それって、男に使う褒め言葉?」

「私は使うわよ。スカイブルーの瞳も、ちょっと暗めの金髪も。本当に可愛く思っているんだから」

「ドナ?・・・大丈夫?」

「私は大丈夫。それよりも、貴方が心配。さあ、心して、ハーヴィーのオフィスに入ってちょうだい」

ドナが眉を潜めつつ、ハンカチで目尻で抑える。まるっきりの演技だが、その瞳の中の心配という気持ちは本物のように見えた。

「ハーヴィー!おはよう!何か新しい案件でも・・・っ・・・?」

オフィスにいるのがハーヴィーだけではないことに気づく。ガラス張りのオフィスだ。ドナのデスクの辺りで気づいても良さそうなものだったが、キャンディーバーに神経が行っていたのと、ドナの訳のわからない言葉に首を傾げていて、もう一人の存在に気づかなかったのだ。

デスクを挟んでハーヴィーの前に、一人の青年が立っていた。窓から差し込む光のせいもあるかと思うが、その青年がキラキラと輝いているように見えた。それは明るい金髪のせいだった。

「ああ!貴方がマイク・ロスさんですね!僕はアレックス・スチュアートと言います!今日からハーヴィーのアソシエイトになりました!」

満面の笑みを浮かべて右手を差し出す、彼、アレックスの瞳はマイクのものよりも濃い、アクアブルーだった。

「えっと・・・は・・・初めまして・・・って・・・アソシエイト?君が?ハーヴィーの?」

「はいっ!握手してくれませんか?」

「え?あっああ・・・ごめん」

慌てて右手を差し出すマイクだったが、その手にはさっきドナから貰ったキャンディーバーが握られていた。

「ごめんっ」

左手に持ち替えて、改めて右手を出し、アレックスと握手をする。そして、ちらりとハーヴィーを見る。

絶好調に不機嫌そうな表情をしていた。何が原因でそんな表情なのかも気になるが、それよりも、この綺麗な金髪青年の存在の方がマイクにとっては衝撃だった。

専属アソシエイトなんか必要ないと言っていた、ハーヴィー。それがひょんなことで、自分が彼の専属アソシエイトになった。それは自分だけの特権だと思っていた。それなのに。

「これで自己紹介は済んだな。そういうことだ、マイク。アレックス、そこのテーブルを使っていいから、頼んだ書類の処理をしてくれ。マイク、お前は俺と一緒に来い」

返事を待たずにハーヴィーがオフィスを出る。その後ろ姿にアレックスが明るい声で「はいっ!」と返事をする。ガラスの向こうからドナの「急いで」というジェスチャー。

マイクは小走りで、ハーヴィーを追いかけた。小さな胸の痛みを覚えながら。

事務所近くのカフェに連れて行かれた。ハーヴィーがコーヒーとBLTサンドイッチをオーダーする。コーヒーは二人分。サンドイッチは一人分。さほど時間もかからず、サンドイッチが提供される。

「朝食を食べなかったんだな、君は」

「えっと・・・まあ、その寝坊しちゃって・・・」

昨夜、自分と食事をした後、ハーヴィーがどんな美人と会っているのかかんがえていたら眠れなくなったのだ。ようやく意識が落ちたのは朝方に近かったような気がする。それで、マイクは寝坊してしまったのだ。

「とにかく、食べろ。あんなキャンディーバーじゃ、昼までもたないだろう」

「仕事に没頭してると、まあ、なんとかなるもんだよ?でも・・・遠慮なく、いただきます」

空腹なのは、事実だ。けれども、サンドイッチを口にしながらも、さっきオフィスで出会ったアレックスのことが気になる。新しいアソシエイト。・・・ということは、自分はクビなのか?専属から外されるということなのか?

思考がグルグルと回転する。

「ねぇ・・・ハーヴィー・・・さっきの・・・」

そこまで話しかけたとき、ハーヴィーの携帯が音を鳴らした。ハーヴィーは手でマイクを遮り、携帯を耳に当てる。

二言、三言の会話で、携帯を切った。

「マイク、仕事だ。君はそれを食べてから事務所に戻れ。チェックは済ませておく」

「僕も行くよ。なんでも手伝う」

「その必要はない」

ピシャリと言って、ハーヴィーは立ち上がった。

「夜はCocotteに予約を入れておく。前に行ったことがあるから、場所はわかるな?」

「仕事は一緒じゃないけど、晩御飯は一緒?」

「言っただろう。動物愛護だ」

「はいはい。どうせ、僕は野良犬ですよ」

マイクは上目遣いでハーヴィーを見ながら、再びサンドイッチに噛りついた。

「ねえ、ドナ。僕ってば、ハーヴィーに避けられてる?」

「まさか。だって、相変わらず、毎晩、一緒に夕食を食べてるんでしょう?」

「そうなんだけど」

資料室で偶然一緒になったドナに、マイクは縋るような眼つきで訊ねた。

確かに、ドナが言うように、ハーヴィーとの夕食はほとんど毎晩のように続いているのだ。時々、仕事上の付き合いで、一人の夜を過ごすことはあったが、大抵はドナ経由で夕食の場所を指定される。

そう。ドナ経由で。

あのアレックスが現れて以来、マイクがハーヴィーのオフィスに呼びつけられることがなくなった。ハーヴィーがアソシエイト・オフィスにやってくることもない。つまり、ハーヴィーから、全く仕事を言いつけられなくなったのだ。今は、まるでルイス専属のアソシエイトのように働いている。そして、夜に落ち合っての夕食。

マイクは仕事の話や、あの新しい金髪のアソシエイトの話をしたいのだが、そういった話題に関しては、いつもさらりと躱されていた。

仕事でハーヴィーに認められたい。ハーヴィーはマイクにとって、憧れであり、目標なのだ。それなのに、仕事で傍にいることができない。こんな風に、食事だけ一緒とは、やっぱり自分は餌付けされているただの野良犬に過ぎないんだろうか、と思ってしまう。

それとも、あのアレックスの方がずっと優秀なんだろうか。そうだ。ピアソン・ハードマンのアソシエイトということは、ハーバード・ロースクール出身であることは間違いない。経歴を詐称している自分とは雲泥の差だ。自分の取り柄といえば、フォトグラフィック・メモリーしかない。

それに、アレックスは、綺麗だ。燻んだ自分のような金髪とは違う、明るい太陽の光のような髪の色。色素のはっきりしたブルーアイズ。・・・もし女性だったら、絶対にハーヴィーが放っておかないタイプ。絶対に口説くタイプ。自分が雑種の野良犬だとしたら、アレックスは血統書付きの純血種だ。

「アレックスってさ・・・」

「彼は、ハーヴィーのクライアントの息子さん。某会社社長の三男よ」

ああ。やっぱり、血統書付きだった。がっくりと落ち込むマイク。

「マイク、大丈夫?」

「うん・・・たぶん、ね」

「そうそう。ハーヴィーからの伝言。今夜は、RobertNYCに20:00ですって」

「ごめん。ドナ、それ断ってくれる?」

「ハーヴィーのお誘いよ?」

「・・・仕事・・・する」

「ルイスの?」

「終わったけど・・・これから、ルイスのところに行って、新しい仕事をもらってくる。じゃ、ね、ドナ」

マイクはよろよろと立ち上がって、資料室を後にした。その後ろ姿を見ながら、ドナは天井を見上げ、呆れたため息をついたのだった。

弁護士の仕事は際限なくある。それでなくとも、ルイスは仕事を増やす天才だった。最近は文句も言わずに、マイクが自分の部下のように働くので、満面の笑みを浮かべて、大量の資料と書類とデータをどさりと寄越した。けれども、マイクは自分が望んだことなので、これまた笑顔でそれらを受け取ったのだった。

これで、気が紛れる。

自分を仕事で追い込まないと、また自分の思考がグルグルと訳のわからない方向へと向かってしまいそうだったから。それでなくとも、今朝、あることに気づいてしまったのだ。

このアソシエイト・オフィスに、あのアレックスの姿がない。じゃあ、一体どこで仕事をしているのか。・・・それは、確かめるまでもなく、ハーヴィーのあのオフィスなのだろう。専属だった自分でさえ、アソシエイト・オフィスに追いやられていたというのに、アレックスは最初っから、ハーヴィーに寄り添って仕事ができている。これが、雑種と血統書付きとの違いか・・・と、溜息が出る。しかし、今更、生まれを変えることはできない。とにかく今はスキルアップしようと、どんな仕事にも取り組むつもりだった。

「マイク!」

よし!と気合を入れて、書類に向かおうとしたとき、突然名前を呼ばれた。顔を上げると、金髪の美青年が立っている。アレックス・スチュアートだ。

「ああ・・・ハイ!アレックス!」

とっさに笑顔を作って挨拶をする。

「ハーヴィーがマイクにこれを渡してくれって」

それは書類封筒だった。久しぶりにハーヴィーから与えられた仕事。

マイクは、封筒から紙ファイルを取り出し、開いた。しかし、そこに書類は1枚も挟まっておらず、ただクリームイエローの正方形の形をしたポストイットが貼られていた。ハーヴィーの筆跡で、そして明らかな殴り書きで、

『RobertNYC 20:00』

とだけ書いてある。この間、マイクが行くのを断った店だ。

「ねえ、マイク。それって重要な案件?」

「・・・いや・・・全然。どうでもいい案件。僕じゃなくてもいいような」

「ふうん」

「今、ハーヴィーに返事を書くから、届けてよ、アレックス」

「もちろん」

マイクは、そのポストイットに

『No!』

と書いて、紙ファイルを封筒にしまった。そしてアレックスに渡す。

「随分と簡単なんだね。もう、いいの?マイク」

「言っただろ?どうでもいい案件だって」

「OK。わかった」

アレックスが封筒を受け取って、アソシエイト・オフィスを出ようとしたが、彼はふと、立ち止まった。

「今までハーヴィーの専属だったマイクならわかると思うけど、本当にハーヴィーって最高だね」

「え?」

「彼の傍で仕事ができるなんで、本当に最高。君みたいに、こんなアソシエイト・オフィスにいたんじゃ、彼からはなかなか学べないよ。裁判にも同行させてもらえて、すごく勉強になる」

「裁判・・・行ってるんだ」

マイクが一緒に行きたいと言っても、ハーヴィーはなかなか許してくれなかった。それが、この金髪の美青年は連れて行ってもらえているのだ。

「それと、この間、一緒に夕食を楽しんだんだ。ほら、RobertNYCって、レストラン。最近シェフが変わって、なかなか予約が取れない店なんだよね。そんな所でハーヴィーと夕食だなんて、本当に最高」

やたらと「最高」を連発するアレックスに、「他にボキャブラリーはないのか」と思いつつも、マイクは落ち込んだ。やっぱりアレックスが自分に代わりになったのだと。

「良かったね、アレックス。彼から学ぶことは本当に多いよ。頑張って」

無理矢理作った笑顔で、マイクはアレックスを送り出した。彼の背中が視界から消えてから、マイクは思いっきり脱力してデスク・チェアに寄りかかった。

「僕のことがいらなくなったんなら、正面切って、直接言ってくれたらいいのに」

ぽそりと呟いて、今度はルイスの書類の山に突っ伏してみる。

ああ、そういえば、今日は朝食も昼食も、きちんと食べてなかったな、と気づく。はっきり言って、食欲がない。マリファナをやっていたときのような感じだ。ハイになって、空腹を感じなくなる。書類の山と精神的な落ち込みで、それと同じような感覚だった。もちろん、マリファナと違って、気分はかなりダウナーだったが。

マイクは静かに目を閉じた。遅い時間ではないものの、アソシエイト・オフィスには自分しかいなかった。皆、仕事で出払っているのだろう。10分、否5分だけでもいい。ちょっと休憩しよう。自分から要求したとはいえ、ルイスの書類は膨大だ。今夜は徹夜かもしれない。ちょっとだけ休んでから、やる気スイッチを入れよう。そんなスイッチが存在するのであればの話だが。

寝過ごさないように、携帯のタイマーをセットしておいた方がいいかな・・・などと考えながら、瞼が重くなるのを感じる。まずいな。でも、ちょっとだけ。それは、現実逃避にも似ていた。

自分ご主人様に捨てられたのだと。いや、もしかしたら、実は野良犬のままで、本当は拾ってすらもらっていなかったのかもしれない。そこらへんにいる野良犬に、パンを投げ与えるような。

そういうことだったのかもしれない。

完璧なハーヴィーの傍にいるのは、薄汚い、自分みたいな野良犬じゃ駄目だ。やっぱりアレックスみたいな、綺麗でシャンとした血統書付きの犬じゃないと駄目だ。

だったら、このままピアソン・ハードマンにいる理由はない。ルイスの仕事を終えたら、事務所を辞めるのもありだ。

そうだ。・・・そうしよう。

となったら、善は急げだ。さっさとルイスの書類を片付けてしまおう。

マイクは、起き上がろうと意識を切り替えた。

そのとき。

グイッと、右腕を掴まれた。

「うわっ。痛いっ!」

こんな乱暴なことをするのはカイルかと思い、マイクは思いっきり不機嫌な顔を自分の右腕を乱暴に掴んでいる人間に向けた。

「なんだよ!カイルっ!」

「誰がカイルだ。寝ぼけてるのか、君は!」

ハーヴィーだった。

「あっ・・・ハー・・・ヴィー?」

「ちょっと、来い!」

右腕を掴まれたまま引きずられる。ハーヴィーは空いている左手で、乱暴にマイクのジャケットと鞄を掴んで歩き出した。

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