いつものように、単独行動で見回りに出る。狼だから、群れで生活はしているが、彼は一匹で行動することが好きだった。誰にも邪魔されず。誰にも指図されず。自由気儘に生きる。時々、一匹狼で生きていくことを夢想することもあったが、一番力のある雄として、ウルフパックを離れるわけにはいかないことは十分にわかっていた。だから、こうして、見回りだけでも・・・と自分だけで行動する。森の中の微風が、鼻を擽った。かすかにコヨーテの匂いがする。自分たちの縄張りさえ荒さなければ、放っておく。互いに関わらない。それも、森で生きる野生動物の掟の一つだ。しかし、コヨーテの匂いに何か異質なものが混じっているのを感じた。・・・・・・人間の匂い?いや。だとしたら、相当獣臭い人間だ。そんな人間がいるものか。
単独行動の好きな狼は、興味に駆られて移動することにした。ただし、風上の方へと回り込むようにして。コヨーテとの面倒な揉め事は避けたい。きっと向こうは数頭で行動していることだろう。慎重に、草むらを掻き分けて。ゆっくりと。微かな音と匂いを辿りながら、動く。
大木の陰で立ち止まった。コヨーテの姿が見えたからだ。やっぱり、3匹いる。小さな唸り声を上げているのは、仲間割れか。違う。3匹は同じ何かを見ているようだった。そして、さっき嗅いだ、妙に獣臭い人間の匂い。コヨーテが人間を襲っている?それとも、森の中を彷徨い迷い、倒れ伏した人間を喰らおうとしているのか。
そのとき、小さな、鳴き声が聞こえた。
「きゅ・・・ん・・・きゅう・・・ん」
まるで、狼やコヨーテの仔が怯えて鳴いているような。そして、その鳴き声を以前に聞いたことがある。・・・犬だ。人間に飼いならされた犬。だから、獣の匂いと人間に匂いが混じり合った匂いがしたのだ。この森に自分から迷い込んだのか。それとも人間に捨てられたのか。おそらくは後者だろう。人間に置き去りにされ、森の中で生き延びることができず、コヨーテのような獣に食い荒らされた飼い犬の・・・元飼い犬の死骸を見たことが何度かある。きっと、今鳴いている犬は、この3匹のコヨーテの夕食になるのだろう。
つまらんな。
・・・そう思って、狼は大木の陰から、去ろうとした。その目の端に、犬の姿が映る。
仔犬。成犬が怯えている声ではなく、本当に仔犬の鳴き声だったのだ。地べたに伏せって体を小さく丸め、ブルブルと震えているのは、間違いなく仔犬だった。犬の種類にも依るだろうが、生まれて3ヶ月から4ヶ月くらいの仔犬だろう。黒と茶色の塊にしか見えないが、野生の勘がそう言っている。
さて、どうするか。一度はその場を離れようとしたが、コヨーテの餌食になりかけているのが仔犬だと分かったら、ほんの少し躊躇いが生じた。その躊躇いの中で、コヨーテが動いた。跳ねて、仔犬に襲いかかった。と、同時に、狼の体が無意識に動いた。コヨーテと仔犬の間に体を入れ、即座に反転して一匹のコヨーテの喉元に牙を差し込んだ。地面にその体を倒し、体重をかける。もう一押しすれば、このコヨーテは死ぬだろう。他の2匹の意識を探る。動きはない。怯えの空気を纏っている。どうやら、仲間を助けるために、自分に戦いを挑んでくるつもりはないらしい。尾は丸まって腹の下に収まっている。狼は自分が噛み付いている、コヨーテに意識を向けた。・・・怯え。おそらく、この牙を離したら、すぐさま逃げていくことだろう。止めを刺す必要もない。そう判断した。
静かに、ゆっくりと、牙を抜く。しかし、その代わりに、低い唸り声を出した。
予想通り。3匹のコヨーテは身を翻して、森の奥へと去って行った。狼のパックとは逆方向へと。3匹の姿が確実に視界から消えたのを確認してから、狼は静かに背後の地べたを振り返った。さっきまで黒と茶色の塊だった物体が、ちょこんと座って尻尾をパタパタと振っている。しかも青い目をキラキラさせて自分を見ているのだ。
「ありがとう!おじさん!」
「・・・・・・」
なんだ、この陽気な物体は。さっきまで怯えて鳴いていたとは思えない。しかも、「おじさん」だと?ムカつく。そんなことを考えていたら、陽気な物体は、狼の周りをクルクルと跳ね回った。
「すごいね!おじさん強いね!一発で倒しちゃったね!おじさん、すごーい!!」
「ハーヴィーだ」
黒と茶色の物体が、きょとんと小首を傾げた。
「ハーヴィーだ。今度、『おじさん』と言ったら噛み付くぞ。チビ」
「チビじゃないもん!マイクだもん!僕にはマイクって名前があるもん!人間のお父さんとお母さんが付けてくれた名前があるもん!」
それを聞いて、やっぱりな、と狼・・・ハーヴィーは思った。こいつは、飼い犬だ。いや、元飼い犬といった方がいい。少し離れた場所にダンボールが置いてある。きっとこれに入れらて、この場所に放置されたのだろう。少し離れたところに、滅多に車の通らない道がある。
「わかった、マイク。それで?その人間のお父さんとお母さんとやらは何処にいるんだ?こんな暗くて寂しい森の中に君を置き去りにして」
「・・・・・・」
マイクという仔犬はシュンと項垂れた。
「どうした?」
わかっていながら、あえて意地悪く聞いてやる。さっき「おじさん」と言われた腹いせだ。
「・・・いらないって。・・・お父さんもお母さんも、僕のこといらないって。思ってたのと違ったって。・・・可愛くないって・・・うぇっ・・・うえっ・・・うえーんっ!!」
さっきまで陽気にはしゃいでいた仔犬が、今度は大声で泣き出した。
「おい。泣くな。そんな身勝手人間、お前の方が捨ててやれ」
「やーだー!!」
「じゃあ、戻りたいのか?」
「・・・それも・・・やだ」
「どっちなんだ」
「だって。どうせ、僕、いらない子だもん。お家に戻っても、またポイされちゃうもん」
「・・・だろうな。しかし、別な家だったら、もしかすると、君のことを可愛いと言ってくれる人がいるかもしれない。・・・少し離れてはいるが・・・人里まで行ったらどうだ」
「・・・・・・やだ」
「やだやだ、ばっかりだな。もうすぐ日が暮れる。人間の所に帰るなら今だぞ?・・・また別なコヨーテがくるかもしれない」
「おじ・・・じゃなくて、ハーヴィーと一緒に行っちゃダメなの?ハーヴィーのお家はダメなの?」
マイクが上目遣いにハーヴィーを見る。
「俺と君じゃ種類が違う」
「種類?」
「俺は狼で、君は犬だ」
「狼?ハーヴィーって狼なの?僕、すっごく大きな犬だと思ってた!」
「じゃあ、さっき君を襲おうとしていたのは何だと思ってたんだ?」
「ハーヴィーよりも少し小さな犬」
「・・・君は人間と犬しか知らないのか」
「そんなことないよ!猫も知ってる!鶏も知ってる!羊も知ってる!」
「後は?」
「・・・それだけ」
「そんなの知ってるうちに入るか。とにかく、犬の君は俺の群れに来ることはできない」
「・・・・・・うえっ・・・うえっ・・・」
「泣くな!鬱陶しい!わかった!一応、俺の群れには連れて行ってやる!しかし、受け入れてもらえるかどうかは、わからないからな!」
「いいの!?一緒に行っていいの!?」
「とりあえずだ!」
ハーヴィーは溜息をつくと、パックで待っているであろう、赤毛と黒毛の2匹の雌狼のことを考えて、面倒臭そうに首を左右に振った。
「ねぇ、ハーヴィー!」
「何だ」
「狼って・・・何?」
ハーヴィーはがっくりと肩を落とした。