恋しくて

マイクは薄明かりの中のキッチンカウンターで静かにコーヒーを淹れた。さすが、ハーヴィーの部屋だけあって、自分のアパートで飲むのとは違う、香りと味がする。適当に入れた割には美味しい。

寝室の明かりを付けるわけにはいかなかったので、手探りで触れたシャツはどうやらハーヴィーのものらしく、マイクの体には合わなくて、少しだけ大きかった。時間は偽善3時を、少し過ぎた頃だろう。ハーヴィーの部屋では、いつもそのくらいに自然を目が覚める。以前は、自分のアパートに帰るのが常だった。帰って、シャワーを浴びて、ソファで仮眠をして、出社する。別にそんな生活に苦痛を感じたことはなかった。けれども、ある週末に一緒に動物園に行った夜、間近に「愛してる」と言われて、心が揺らいだ。正直、嬉しかった。初めて一緒に朝日を見た。けれども、それと同時に、不安にもなった。いつまでも、こんな幸せが続くわけがない、と。突然、両親がこの世から消えてしまったように、ハーヴィーも自分の傍からいなくなるかもしれない。

だから、やっぱり、必要以上いに一緒にいてはいけないような気がして、目が覚める。

「マイク」

突然、肩を掴まれた。思わず、手にしたマグカップを落としそうになる。

「ハーヴィー・・・あ、ごめん。やっぱり起こしちゃった。うるさかった?」

「うるさくて起きたんじゃない。君が隣にいないからだ。ほら、ベッドに戻るぞ」

半ば強引に寝室に連れていかれた。

そんなことが、数回。

マイクも、ハーヴィーにわざわざキッチンに来させるのが申し訳なくて、午前3時のコーヒーはやめることにした。

けれども、やっぱり、目は覚める。

そっとハーヴィーから離れるが、ベッドからは出ないことにした。大きなベッドの端に寄って、ヘッドボードに背中を預けて座っていることにしたのだ。考えることはいろいろあるが、仕事のことを考えられるときやハーヴィーと過ごした楽しい時間を思い出せるときはいい方で、どちらかというと、先の見えない二人の関係に思い悩むことの方が多かった。

そんなことが、数回。

ぼうっと座っていたら、ものすごい力で引き寄せられた。そして、シーツに縫いとめられる。見上げれば、ハーヴィーだ。ハーヴィーの部屋なのだから、彼以外にはいない。そして、頭上のハーヴィーは小さく溜息をつくのだ。

「ごめんなさい」

「どうして謝るんだ?」

「起こしちゃったから」

「そういうことでは怒らない。しかし、俺の傍にいないのは気に入らない」

そして、マイクに軽いキスをくれる。その瞬間は安心できる。そして、それから朝までハーヴィーの腕の中に収まっている。

けれども、やっぱり、目は覚める。

目が覚めたときは、ハーヴィーの腕の中だが、そっとそこから抜け出し、ほんの少しだけ離れて、眠るようにした。いや、寝たふりだ。目は瞑るものの、頭は冴え切っている。

そんなことが、数回。

「マイク」

そっと触れられて、名前を呼ばれた。反射的に「おはよう、ハーヴィー」と返事をしてしまう。ハーヴィーは困ったような顔をして、マイクの体を再び腕の中に閉じ込めた。

「後3時間はゆっくりできるんだぞ」と言われたものの、「そうですね」と答えるのが精一杯だった。そして、「ごめんなさい」と謝るしかない。

「・・・どうして謝る?」

「・・・起こしちゃったかなって」

「別に気にしない」

「ねえ、考えたんですけど・・・」

一つの提案をしてみる。

「今度から、セックスしたら、泊まらないで、日付が変わる前に帰ろうかと思うんだけど」

ハーヴィーにこれ以上のめり込まないための、ささやかな予防線。

「・・・そういうことをしたら、解雇する」

「・・・それは。困ります。僕は貴方の下で働きたい」

ハーヴィーの元で働けなくなったら、それこそ気が狂う。仕事上の関係だけでなく、彼を恋しいと思う感情をもってしまったことが悔やまれる。

「マイク」

頰を両手で包まれる。そして、ハーヴィーの視線が自分を追う。マイクは逃げずに、ハーヴィーを見た。

「何?ハーヴィー」

「愛してる」

心臓がトクンと音を立てたような気がした。嬉しい言葉。けれども、マイクは目を伏せて、ハーヴィーから視線を外らせた。

「マイク。返事は?」

「・・・好き・・・ですよ。僕も」

「『愛してる』じゃないんだな」

溜息をつかれた。

「だって。あんまり懐きすぎちゃったら、捨てられたとき、悲しいじゃないですか」

伏せた瞳から、雫が零れた。胸が痛くて、悲しくなる。

「・・・こんな怖い思いをするなら、好きにならなきゃよかった。抱かれなきゃよかった。貴方に捨てられたら、僕は絶対に再起不能だよ。全てをシャットダウンするか、フリーズする。・・・死んじゃう。やっぱり、貴方とは仕事だけの主従関係にしとけばよかった。僕が馬鹿だった」

思わず、本音が零れ出る。そんなマイクの髪に、ハーヴィーの口付けが落ちてくる。

「たぶん、すぐには信じてくれなさそうだが・・・俺は、君を捨てない。どんなに言葉を尽くして、理解してくれはしないだろうが・・・俺は、君を愛してる」

どうして、ハーヴィーはこんなにも真っ直ぐな言葉を自分にくれるのだろうと思う。

ハーヴィーを心から恋しいと思う気持ちを、素直に言葉にできたら・・・。そんなことができたら・・・。

マイクは、ハーヴィーの温かい腕を感じながら、まだ、グズグズと涙を零すしかなかった。

END