祖母と暮らした家を出て、トレヴァーと同居することを決めたのはマイク自身だった。その決定に後悔したところでもう遅い。そして今更祖母のところに戻る決心もできない。それは自分が下した決定から逃げることになるからだった。自分を否定したことにもなる。それが嫌だった。
だから。
マイクは、こんな状態になっても、このアパートでトレヴァーと暮らしている。
普段は、確かに友人でいられた。笑って、冗談を言い合い、安いビールを飲みながら、テレビを観る。そんな毎日が続くんだろうと思っていた。
けれども、現実は、そうではなかった。
誰が悪いのか。自分?それとも、トレヴァー?
答えは永遠に見つからない。見つけることも面倒だった。
夜遅く、アパートのドアが乱暴に開いた。部屋の空気に酒の匂いが混じった。
ああ。またか。
マイクが思うのは、それだけだ。
そして、明日の仕事はパスだな、と。
マイクは、1つ大きな呼吸をしてから、トレヴァーにゆるりと視線を向けた。感情を消し去った、青い瞳を。
マイクは、初めての時のことを覚えている。否、それだけでなく、これまでの全てのことを覚えている。忘れたくても忘れることのできない、自分の能力。それが今は忌まわしい。朝、目覚めた時に、全てをリセットすることができたら、どんなに楽だろうか。幸せは求めない。ただ、苦痛を忘れる力が欲しかった。けれども、それもままならない。全てを、しっかりと、確実に覚えている。
あの日、マイクはトレヴァーに誘われた。飲みに行って、女の子を引っ掛けようぜ、と。けれども、読みたい本があったのと、気乗りがしなかったことで断った。案外トレヴァーは簡単に引き下がり、一人で出かけた。けれども、予想よりも早い時間にアパートに帰ってきた。ものすごく、不機嫌な表情で。
不審に思って、
「トレヴァー?」
と声をかけた。それがきっかけで、トレヴァーがいきなりキレた。『お前がいたら、もうちょっとなんとかなった。お前のその能力で、女の気を引けた。けれども、お前は来なかった。最悪な夜だ。つまらねぇ」
それを聞いて、『ああ。ナンパが不首尾に終わったんだな』と思った。その瞬間、持っていた本を取り上げられ、遠くに放り投げられた。突然のことで、声も出なかった。
「責任取れよな」
「責任って・・・・・・」
それ以上、言葉を続けることはできなかった。ソファに座るマイクを乱暴に押し倒し、強い力で顎を掴み、トレヴァーは言った。
「一緒に来なかったお前のせいだから、責任、取れよな」
背筋がぞくりとするような目で脅すように言われた。そして、体をひっくり返されて、無理矢理スウェットを下着ごと膝まで降ろされた。背中は押さえつけられ、腰だけを高く上げさせられた。一瞬の混乱はあったものの、次に起こることは容易に想像できた。
「トレヴァーっ!やめっ・・・!」
そこまでしか、声は出せなかった。トレヴァーが背中ではなく、頭をソファに押し付けたからだ。その次の瞬間、今まで感じたことのない激痛がマイクを襲った。反射的に出た悲鳴は全て、ソファに吸収された。容赦のないトレヴァーの動きに、くぐもった嗚咽が、わずかな口とソファの隙間から漏れる。いつまで続くかわからない痛みに、自然と青い瞳に涙が浮かぶ。痛くて、苦しくて。マイクの指先がソファの表面を引っ掻く。そのうち、自分の爪を手のひらに食い込ませた。その手の痛みで、別の痛みを紛らわせるかのように。自分を犯す凶器に滑りが出てきたのは、おそらく自分の血のせいだろう。裂けたことは、見るまでもなくわかった。ぐずぐずとした嫌な音が部屋に響いた。直腸を引き摺り出され、また奥に押し込まれるような感覚。いつまで続くのか。そんな永遠と思われるかのようだった時間が、トレヴァーの発した声とともにやっと終わり、ようやく彼の体がマイクから離れた。どさりとソファに落とされたマイクの体の後孔にドロリとした感触。血と精液の混じったものが、太腿の内側を伝う。マイクはズルズルとソファから落ちた。もう、傍にトレヴァーの姿はなかった。バスルームから水音が聞こえる。
やっと終わった・・・。そう思いながら、立ち上がろうとするが、激痛が走り、なかなか体が動かない。トレヴァーがバスルームから出て来る前に、自分の寝室に逃げたかった。マイクは立ち上がることは諦め、這うようにして、ゆっくりと自分の寝室に向かった。
それが、始まりだった。
初めてトレヴァーに犯された翌朝、毎期は床の上で目が覚めた。あまりの痛みに、ベッドに上がれなかったのだ。シャワーを浴びることもままならず、そのまま気を失うように眠ってしまった。動かない体をそのままにして、意識だけを部屋中に張り巡らせた。人の気配はなかった。時間はわからないが、このアパートにいるのは自分だけらしい。
何故か、自分をこんな目に合わせたトレヴァーに対して、不思議と怒りの感情はわかなかった。この世に、同性の友人を犯す人間がいるだろうか。・・・それは、こんな風に身近にいたのだ。理由は何であれ、トレヴァーはマイクを犯した。
けれども、マイクに怒りの感情は芽生えなかった。理由はわからない。ただ、自分が悪かったのかもしれないという思いがよぎった。もし、自分が昨夜トレヴァーと一緒に出かけていれば、彼のナンパも上手く言ったのかもしれない。そうしたら、トレヴァーは上機嫌で女の子をお持ち帰りし、楽しんだのだろう。けれども、上手くいかなかった。トレヴァーはマイクのせいだと言った。
マイクは自分の存在意義を考える。確かに自分には能力がある。けれども今はそれを役立てる場所はない。その場所を奪ったのはトレヴァーだ。しかし、トレヴァーだけを責められるのか?結局のところ、不正に手を貸すことを決めたのは自分なのだ。自業自得だ。・・・交通事故で死んだ両親にさよならを言えなかったのも、自分が悪い。自業自得だ。・・・祖母と離れ、トレヴァーと暮らすことを決めたのも自分だ。みんな、自分に降りかかる全てのことは、自業自得なのだと思う。
急に悪寒と吐き気が襲って来る。
マイクは下半身の痛みを堪えながら、ようやくの思いで立ち上がり、時間をかけてバスルームへ向かう。吐き気はするが、何も吐き出せなかった。熱い湯を頭から被ると気持ちがよかった。ただ、流れるお湯が裂傷にたどり着いた時、思わず悲鳴が上がった。本当なら、ボディソープを使って洗った方がいいのだろうが、確実に傷に沁みるだろう。マイクは痛みを堪えながら、ただ、上から降って来るお湯に、身を任せることにした。
ドンっと胸を押されて、ベッドに仰向けになった。自分を見下ろすトレヴァーがいた。マイクはその顔をちらりとだけ見て、それから、ゆっくりと服を脱いでうつ伏せになった。トレヴァーは自分を犯す時、顔を見たがらない。それはそうだろう。決して可愛い女の子の顔ではない。ただのむさ苦しい男の顔をなんか見て、セックスはしたくないだろう。本当は、少しでも楽ができるように、自分で解しておきたいとも思ったが、トレヴァーはいつも突然だから、そんな暇も余裕もない。ただ、歯を食いしばって痛みを堪えるしかない。すぐに、トレヴァーが突き入れてくる。そこには微塵の優しさもない。乱暴に押し入ってくるだけ。自分の快楽を追求するだけ。あまりの痛みに、声を出したことがあったが、すぐに手近にあったタオルを口に突っ込まれた。『野郎の声なんか聞いたら、萎える』とボソッと吐き捨てるように言われた。だったら、男の自分なんかを抱かなければいいのに・・・と思う。本当にトレヴァーの思考が理解できない。タオルで塞がれた口では呼吸できず、鼻呼吸だけで、自分の命を繫ぎ止める。上手く呼吸ができない苦しさで、気分が悪くなる。きっと脳が酸欠を起こしているのだろう。けれども、この責め苦が終わるまで、トレヴァーが満足するまでは、このままだ。いっそ、このまま死ねば楽になるかもな・・・と頭の片隅で考える。そうしたら、運が良ければ、天国の両親にも会えるかもしれない。・・・無理か。自分はきっと地獄に落ちる。そんなことを考えていたら、ようやくトレヴァーが離れて行った。マイクに対して何も声をかけることなく、寝室を出て行く。マイクはあまり力の入らない手で、口からタオルを引き出した。新鮮な空気を肺まで吸い込む。それでも、軽い頭痛と目眩がした。
「しゃぶれよ」
ベッドに腰掛けたトレヴァーが、床に座ったマイクに命令する。これまでの経験からいって、マイクに拒否権はない。不満気な表情や言葉は厳禁だ。トレヴァーの仕打ちがもっと酷くなる。こんな時だけ、自分の記憶力に感謝する。トレヴァーの言動と反応は、すべて頭にインプットされている。犯されることから逃れることはできないが、被害を最小限に食い止めることはできる。・・・逆らわないこと。それだけだ。そして、素直に、従順にやり過ごす。それが一番、自分にとっては辛くない。
マイクは、ジーンズの中から、トレヴァーを取り出し、そっと口に含んだ。苦味を感じはしたものの、絶対に眉を顰めるようなことはしない。トレヴァーの機嫌を損ねることになる。それは決して得策ではない。歯を立てないようにして、舌と口腔内を上手く使って、トレヴァーを煽り立てる。同じ男だから、自分が女の子にやってもらって気持ちいいいと思えることを、トレヴァーにすればいい。だから、フェラチオは楽な部類の行為だった。ただし、セックスがフェラチオだけで終わることはなく、絶対にその後で、また後ろから犯される。マイクは、ベッドに手をついて口を使った。本当はバランスを取るために、トレヴァーに掴まった方が楽なのだが、トレヴァーはマイクに触られることを嫌がる。一度、縋るように触れたら、頰を張られた。しかし、トレヴァーが自分の意思でマイクを触るのはいいらしい。触るというよりも、自分の都合のいいようにマイクを動かすだけなのだが。トレヴァーがマイクの短い髪の毛を掴み、マイクの頭を前後に激しく揺らし始めた。掴まれた髪が痛い。そして、喉の奥をダイレクトに突かれることが苦しい。けれども、逃げたら、殴られる。歯を立てることも許されない。マイクは意識を何処か遠くに放り投げて、痛みと苦しさを我慢する。しばらくして、トレヴァーがマイクの口の中に、白い、ドロリとしたものを吐き出した。マイクは、それを嚥下するしかない。喉を鳴らして飲み込むと、トレヴァーが自分の口の中から出て行った。そして、マイクの髪を掴んで立ち上がらせると、ベッドの上に放り投げた。マイクは大人しくうつ伏せになり、指先でシーツを握りしめた。
ある日、トレヴァーがこんなことを言った。
「男とヤッてみたいっていう知り合いがいる。どうだ?」
ニヤニヤした下卑た笑みで尋ねられた時はさすがに背筋がゾッとした。今のトレヴァーであれば、冗談抜きでその男を連れてくるだろう。迂闊な反応はできなかった。
しかし。トレヴァーは、別なことを言った。
「まあ、その前に、頼みたいことがある。こいつを運んでほしい」
黒いブリーフケースケースに収められた白い粉。
それを見て、マイクは、こうやって自分は堕ちていくのだな・・・と思った。
堕ちていくしない自分。それが運命としか思えない自分。未来はなく、視界に広がるのは、漆黒の闇だけ。
そう思った。
そう思った時。明るい光が見えた。
追われて飛び込んだホテルの一室。美しい赤毛の美女。上質なスーツを着た体格の良い美男。
自分の能力・・・記憶力の一端を知らせることができた。もしかしたら・・・もしかしたら・・・もしかしたら・・・自分はやり直せるかもしれない。
だから、言った。
『必死に働いて、ハーバードの奴よりいい弁護士になってみせる』
そこから、運命の輪が、回った。